水晶を覗くばあさん

文戸玲

戻りたい男12 時間移動


 嫌な一日だった。相当飲んだはずだが,不思議と二日酔いはなかった。それでも目の前に散らかった缶やウイスキーのボトルを見ると,昨日の出来事を思い出してしまう。
 ボトルに手を伸ばし,流しへ持っていこうとすると指に違和感があった。手元に目をやると,わずかに血がついて固まっている。目をこらすと,ゴミのようなものが刺さっている。グランド整備に使うトンボを使っている時,怪我をした中学校時代を思い出した。

「トンボなんかしばらく触ってもないのに,いつ怪我をしたんだろう」

 ピンセットを使うまでもなくそのゴミは取れた。刺さったものを爪でつかんで取り出すと,気持ちが良かった。爽快感に浸りながらそれを見る。どうやら木の破片のようだ。

 その時,頭の後ろの方から電気が走ったような感覚があった。これは,椅子に座った時にできた傷だ。そうだ,思い出した。おれは過去に来ている。あの電話は昨日の出来事じゃない。でも,おれはその電話を受けた部屋にいる。もしかして,本当に過去に戻ってきたのか?

 壁にかけられたカレンダーに目をやる。ページは八月。1週目の土曜日に「まちこ」と書かれていた。
 そうだ。あの日はおれたちの好きなカフェに二人で行った。そこでパンケーキを食べながら,今までの大学生活について思い出を懐しくふりかえり,これからの希望を語った。大学生だった頃のおれは,二日酔いで起きるのも辛かった体に鞭を打ち,ベッドから見えるカレンダーの八月のページを破り,ゴミ箱に捨てたのを覚えている。そのページが,あの日と同じ状態で飾られ,同じようにおれに虚しさを突きつけている。

 間違いない。おれはあの日に戻っている。外を薄暗くしている厚い雲を見ながら,おれはそのことを確信した。

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