イリーガル・ガールズ

下之森茂

03-01:ストーカーの予感

「最近、視線を感じるんだが…。」

座卓を囲む中で、イサムが
話題を提供するつもりでつぶやいた。

亜光あこう百花ひゃっか貴桜きお大介だいすけ

いつものふたりが、
手元の教則から目を離して
イサムの顔を見上げた。

「それ、この勉強会よりも面白い話?」

貴桜はただでさえ少ない集中力が尽きて、
教則を手にしたまま寝転がった。

「謹慎で外に出ないだろ、イサム。」

「まぁ…そうだけど。」

イサムは週明けの一件で
一週間の謹慎処分が下り、
家から一歩も出ていない。

それ以前に名府移住者向けのテストを、
名前しか書かなかったので
校則に従い休日の外出はできない。

ひとり暮らしには持て余すサイズの冷蔵庫に、
タイミングよく送られてくる大量の冷凍食材。

保護者代わりの姉から、
お古のランニングマシンと
ぶらさがり健康器まで提供を受け、
小さな部屋の一角を占領している。

謹慎に至った事件については
姉から叱責しっせきを受けなかったが、
テストはメッセージでのみ忠告を受けた。

そんな訳でイサムは一切外出せずに済み、
週末に亜光を招いて勉強会となったのだが、
学力の怪しい貴桜までもセットとなった。

貴桜はデニム地のジャケットとパンツに、
長い身体を狭い部屋いっぱいに伸ばして
逆立つ金髪が床と水平を保って横になる。

亜光は普段どおりの丸刈りにメガネで、
アロハシャツという〈人類崩壊〉以前の
伝統的な服とハーフパンツという出で立ち。

夏はまだ3ヶ月も先なので、
見ているだけで肌寒さを感じる。

おしゃれなふたりとは対照的に、
イサムは中学校時代に買った
紺色の体操着を部屋着にしていた。

「おい大介。サボんじゃないよ。
 はじめのうちからちゃんと
 勉強しないと留年するぞ。」

「なぜオレが休日に〈人類崩壊〉以前の
 歴史なんぞという退屈極まりない勉学に
 精を出さねばならんのだ。」

「テストで赤点を取らない為じゃないの?」

「イサム。その回答はつまらないから追試。」

「イサムの真面目さが
 大介にも少しぐらいあればな。」

「オレぐらい真面目だと
 謹慎にはならないぜ。」

「これが面白い回答というやつだ。」

「面白くはないよ。亜光教師。」

亜光のことはたまに教師と呼ぶ。

〈人類崩壊〉以前、人間の教育・指導は
すべて人間が行っていたが、現在では
教育用の〈キュベレー〉が用意され、
『教師』と呼ばれる役職は存在しない。

また当時は教師による検挙数の多さから
『反面教師』と呼ばれる事例・熟語が存在し、
道を外れた者に対して『教師』と略して使われた。

妹を溺愛している亜光を、
同様に道を外した者として
貴桜がこう呼んでいたのをイサムもマネた。

亜光をたしなめる時に使う別称となった。

「んで、見られてるってのは、
 カフェのときからそうなんだけど。」

「出たよ、タダ食い。」

「だからタダ食いじゃないって。」

月曜の朝に通う『カフェ名桜めいおう』でイサムは、
安いトースト1枚の為に訪れる迷惑な客となる。

「〈ニース〉見んのに慣れて来たから、
 外側への意識が今度は内側、
 自分に回るようになったんだろ。」

あいまいに唸りながらうなずく。
亜光の言う通りかもしれない。

「仮にそうだとしても、だ。
 部屋にいる今現在も見られてる
 って感覚はあるのか?」

「どうなんだ?」

「仮に、な。」

考えながら天井を見上げ、
さらにはぐるりと部屋を見渡してから
窓の向こうを眺めた。

ベランダに誰か立っているはずもなく
7階建ての4階の部屋の先には、
半地下構造の高速道路を挟んだ大通りと、
遠くの木々に埋もれる緩衝緑地の公園が見える。

貴桜も窓の外を眺めてふたりは現実逃避に励んだ。

「ひょっとするとストーカーかもな。」

「ストーカー?」

「動物園知識だが、
 動物が狩りをするときの――。」

「百花のうんちくはどうでもいいぜ。」

「亜光の話はすぐ横道にそれる。」

「教師だけにな。」

生徒たちから不満が上がり、
教師はメガネをそっと押し上げる。

「つきまとい行為だそうだ。
 これは知人同士でなくとも成立する。
 その人のファンであるとか、
 道端ですれ違った他人が、そら似や
 ひと目惚れで家まで追いかけたり。
 前世の記憶がよみがえったとか。
 相手に一方的にメッセージを
 大量に送りつけたり。」

「あぁ。この前みたいな。」

「教室まで押しかけたり。」

「あるな。」

「家まで来たり。」

「先輩以外にも気をつけろよ。」

「気づいたら家の中にいて、
 料理作って待っていた、とか。」

「こえぇ…。」

「一方的な愛の押し付けだからな。
 それで顔も名前も知らない相手の
 手料理食って、結婚を決意した。
 …とか、してないとか。」

「どっちだよ。」

客人ふたりは相談者である部屋の住人を
置き去りにして盛り上がっている。

「僕はどう反応したらいいのさ。」

「タダで料理作ってくれるんなら
 食料には困らないだろ。」

「イヤだ、怖すぎる。」

「〈更生局〉案件だな。
 でも相手が接触してこない限り、
 どうしようもない。
 こっちの様子をずっと遠くから
 覗いてるだけかもしれないしな。」

「来てくれるといいなぁ、イサム。」

「他人事だと思って…。」

不安がるイサムを他所に盛り上がっていたとき、
部屋にインターコムが鳴り響く。

音の大きさにイサムは肩を驚かせたので、
亜光と貴桜がそれを見てさらに笑う。

「これがストーカーだったりして。」

「こえぇ…。」

「ウチがオートロックなの知ってるだろ。」

マンションの玄関にカメラがあるので、
室内からそれを見ることができる。

しかしディスプレイに映し出されたのは
玄関ではなく、扉前の廊下であった。

「えぇ…。」

イサムは驚き焦り、慌ててディスプレイを切った。

ふたりにはなにも言わず
玄関へと小走りして、
ドアスコープを覗く。

燃えるような赤色の髪に
額の絆創膏はうっすらと隠れ、
白色のパーカーを着たクラスメイトが
部屋の扉の前に立っていた。

「なんで…?」

扉の向こうに立つ〈サーディ〉のマオが
見えないはずのイサムを見て微笑んだ。

――――――――――――――――――――

鍵を開けた瞬間に、イサムは
いくつか後悔と疑問が湧き上がる。

日頃の癖で警戒してドアガードをかけてしまった。
彼女相手であればその必要はなかった。

しかし彼女が訪問する理由がわからない。

親しくもない異性のクラスメイトがなぜ
マンションの玄関ではなく、扉の前にいたのか。

それ以前に、扉を開けず、
居留守を使えばよかったかもしれない。

生唾を飲んで顔を上げた。

燃えるような赤い長髪を、
今日は後頭部に束ねて丸めている。

そして亜光の話が脳裏によぎる。

心の中でマオがストーカーかも
知れないと疑いを持った。

「こんにちは、八種くん。お久しぶりね。」

マオのささやき声を聞いて、
同意の意味でうなずいた。

謹慎を受けたので月曜以来、彼女には会ってない。
だが休日昼間に彼女が訪れる理由もなかった。

「なんの用でしょうか? どうして、ここに?」

「引っ越しの挨拶。前に言ったでしょ?」

「あっ!」

忘れていた。

通学路の〈3S〉の前で会ったときに、
ひとり暮らしの為の下見と言っていた。

「まさか? …このマンション?」

「そうよ。お隣。」

「スぅ…。」

思わず声を上げてしまいそうになり、
口元を抑えて目を伏せた。

嫌な予感は的中したかもしれない。

「これ、引っ越しのお土産?」

「なぜ疑問形なんでしょうか。
 これはわざわざご丁寧に…。」

受け取った手提げ袋が軽く
音を立てるので中身に視線を落とすと、
芋を薄切りにして高温の油で揚げた
お菓子のポテトチップスだった。

「えぇっと…?」

「せっかくお茶請けを用意したのに、
 失礼にもドアガードをしたまま
 私を追い返すのかしら?」

「驚くぐらい厚かましいですね。」

あまりに堂々とまくしたてるので、
ドアガードを解除し扉を開放してしまった。
流された自分に後悔した。

その長い脚にデニムのスキニーパンツと、
赤茶色のローファーを脱いで玄関に上がり込み、
マオがイサムとの間を詰めた。

「いや、ちょっとまってください。
 どうしてしれっと上がろうとしてるんですか。
 それもポテトチップスひと袋で。」

「なにを言ってるの。
 通常の2倍サイズじゃない。
 ふた袋分よ。」

「特別サイズでさも当然だと言わんばかりに。
 普通にそこらで買える駄菓子ですよ。これ。」

「もう手遅れね。
 部屋に上げた私を力づくで
 無理やり追い返す勇気が
 八種くんにあるのかしら?
 立場が危うくなるのはどちらか明白よね。」

「それは…ズルいですよ、それは。」

海神宮わたつみのみや家の御令嬢に敵うわけはない。

庶民の抗議は虚しく、
先客のいるダイニングに案内した。

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