想い出に変わるまで

篠原皐月

(2)ちょっとした災難

 定休日の水曜日を挟んで三日寝込んでしまった玲は、金曜日にはいつも通り職場の結婚相談所に出勤し、休んだ二日分を取り戻すべく気合いを入れて働いていた。

「深山様、お待たせしました。この1ヶ月間の、活動内容を確認しますね」
「ええ、宜しくお願いします」
(毎回、最初の返事だけは良いのよね……)
 月に一度の面談の為に出向いてきた顧客と、パーテーションで仕切られた個別ブースで机を挟んで向かい合った玲は、資料の束と机上のノートパソコンのファイルを開きながら、早速仕事に取りかかった。

「この間、こちらからデータをお渡しした女性は八名で、そのうち深山様からご紹介希望があった三人と連絡を取り、お二人と実際にお会いされたわけですね。深山さんからのご連絡では、両者とも以後の連絡はご希望無しとのお話でしたが……」
「ええ。どちらも三十代になっていましたし、大して見栄えがしない女性でしたので。話も盛り上がりませんでしたし」
 素っ気なく言い放った相手に、玲はさすがに控え目に意見してみる。

「深山さん、初対面同士でいきなり意気投合して話が盛り上がるというのは、よほど珍しい事例かと思いますよ?」
「そうですか? それにしたって、仮にも女性なんですから多少は気を回して場を盛り上げる位はして貰わないと困りますよ。結婚したらこちらの仕事上の付き合いもあるんですから、そつなくこなして貰わないと」
(そうでしょうね。相手を見下している上、諸々面倒な事を丸投げして当然と思っているのを見透かされたのか、二人ともあなたより早く、会ったその日のうちにお断りの連絡を入れていますけど)
 深山の勝手な言い分を聞いても、玲は言いたい言葉を飲み込んで話を続けようとしたが、相手が恩着せがましく言ってくる。

「まあ、あの二人はどうでも良いですよ。正直、あまり気乗りはしなかったですが、紹介してくれた桐谷さんの顔を潰すのも申し訳無いと思ったので、一応会ってみただけですし」
「……それはお気遣い頂きまして、ありがとうございます」
「それで、もう一人紹介をお願いした女性がいましたよね? 二十代のちょっと可愛らしい子」
 途端に乗り気の様子で軽く身を乗り出しながら尋ねてきた深山に、玲は神妙に連絡事項を伝えた。

「その……、実は先方からは、ご遠慮する連絡が午前中に入っておりまして。今回、お伝えする予定になっておりました」
「……何だ。見る目の無い女だな」
 あからさまに舌打ちした深山に、玲は何とか気を取り直しつつやんわりと進言してみる。

「深山様、これまでにも何度かご提案した事ではありますが、希望条件の見直しを検討されませんか? お相手が初婚に限る上、深山様の年齢に対してですと年齢が二十二から三十二歳までというのは、少々幅が狭いと思われるのですが……」
 それに対する深山の反応は、素っ気ないものだった。

「そうは言っても、三十五を過ぎたら子供を産むのは難しいでしょう?」
「それは……、確かに高齢出産になる可能性は高いですが、今は以前と比べて危険性も少ないでしょうし、サポートも多い筈です。それに子供がおられないご夫婦も、最近では珍しくは」
「結婚するなら、子供はいて当然でしょう」
 真顔でそう断言された玲は、かなり意外に思いながら言葉を返した。

「深山様は、子供がお好きなのですね」
「いえ、全く。ただ周りの同僚達が、妻子持ちばかりですから」
「……そうですか」
 事ここに至って玲は完全に呆れ、相手の説得を半ば諦めた。

(要は、妻子はステータス達成の道具か、アクセサリー代わりなのね。そこら辺を色々割りきって結婚してくれる女性が出てきたら、それこそ奇跡だわ)
 しかしここで投げ出してもどうにもならない事は理解しており、玲は相手をどう説得するべきかと真剣に悩み始めたが、深山が心底不思議そうに尋ねてきた。

「それに初婚を希望するのが、そんなに変ですか? 二十代のうちに離婚したり未亡人になったりした女なんて、変な借金を背負っていたり病気を貰っていたりしそうじゃないですか。そうは思いませんか?」
 どうやら本気でそう思っているらしい相手に玲の表情が固まったが、幸い深山に気付かれる事は無かった。
「種々の事情についてご想像なさるのは、個人の自由ですね……。分かりました。引き続き従来の条件で、データマッチングを進めます」
 玲が完全に事務的にデータの更新を進めていると、なおも深山の無神経な台詞が続く。

「宜しくお願いします。こちらとしては、相手の年収や学歴は不問にしているんですから、それ位条件を絞るのは当然ですよね?」
「……確かに深山様の年収を考えると、お相手の年収を考慮する必要は無いかもしれませんね」
「そうですよね! 実は一つ、良い提案があるんですよ」
「はい、どなたかお渡ししたデータの中で、気に入られた方がいらっしゃいましたか?」
 何やら急に機嫌良く言い出した深山に、玲が殆ど義務感だけで問い返すと、彼は完全に予想外の事を言い出した。

「桐谷さんと私が、結婚すれば良いんですよ」
「…………は?」
「この前年齢を聞いたら、まだ三十一でしたし。独身だし、ちょうど良いじゃありませんか。毎回話も盛り上がっているし、相性は良い筈ですよ?」
(何言ってるの、この人?)
 玲は唖然としながら深山を凝視したが、彼は自分の提案に自信を持っているらしく満面の笑みを浮かべていた。それを見た彼女は怒りと共に吐き気すら覚えてきたが、それらを何とか堪えつつ傍目には冷静に、かつ事務的に話を進めた。

「生憎と、私は既婚者ですので。深山様の『初婚、二十二歳から三十三歳まで』という条件に合致する方がおられる限り、ご紹介させていただきます」
 それを聞いて、本気で断られるとは思っていなかったらしい深山が、怪訝な顔で反論する。

「え? だって左手の薬指に、指輪をしていませんよね?」
「結婚指輪の事ですか? 私は指の付け根より第二関節が太いタイプで、指輪をするとくるくる回って気になるもので。勤務中は集中したいので、指輪の類は一切付けない事にしております。それで勤務中、結婚指輪はこの状態です。それに最近では普段結婚指輪をされない方が、かなりの割合で存在するみたいですよ?」
 玲は淡々と反論しながら、然り気無くブラウスの首元からチェーンを引っ張り出した。それに通されている指輪を目にして、深山が興味を失ったような冷めた目になる。

「へぇ……、そうですか。それでは引き続き、紹介を宜しくお願いします」
「畏まりました」
(陽菜から貰ったこれが、こんなところで役に立つとはね……)
 それから玲は所定の手続きを済ませながら、かつて「御守り代わりに」と友人から押し付けられた指輪の予想外の用途に、内心で呆れ果てていた。


「全く、何なんですか、あの男!」
「西川さん、どうしたの?」
 深山との面談を終わらせた玲が、会員との面談や契約を行うスペースから奥の業務室に移動し、自分の机で事務処理を進めていると、自分が指導役を務めている後輩が憤然としながら入室してきた。その様子に玲が驚きながら尋ねると、彼女が苛立たしげに捲し立てる。

「あの深山って医者ですよ! 自分が四十五のくせに相手が初婚で若くないと駄目だなんて、何様のつもりですか! 今から子供を作っても、成人する時は還暦をとっくに過ぎてますよ。第一、お金があったとしてもそれだけですよね? 若い子は若くてイケメンで性格が良くて金がある男を選ぶのに決まっているじゃありませんか!」
 後輩のそんな身も蓋もない物言いに、玲は本気で頭痛を覚えた。

「西川さん……、深山様はクライアントよ?」
「クライアントだからって、際限無く無茶ぶりして良いって事ではありませんよね? 先輩が紹介した女性を、ろくに会いもせずに難癖をつけて何十人とお断りした上、今日なんか堂々と言い寄るって何なんですか。隣のブースで聞いていて、よっぽど怒鳴り込んでやろうかと」
「西川さん?」
 立場上、さすがにこれ以上暴言を吐かせるわけにも暴走させるわけにもいかなかった玲は、彼女の台詞を遮りながら険しい表情で凝視した。その意味が分からない西川では無く、すぐに怒りを抑えて玲に頭を下げる。

「はい……、少々言い過ぎました。申し訳ありません。ですが」
「私達は各人に適していると思われるアドバイスはするけど、最終的にどのような条件を出すかは、個人の自由よ。強制はできないわ」
「分かっているつもりですけど……。あの人、桐谷先輩が脈なしとみて、他の人を担当に付けてくれって言い出しませんか? 私、嫌ですよ。散々無茶ぶりされた上、言い寄られるなんて気持ち悪いです」
「西川さん……」
 一番言いたかったのはそれかと、玲が思わず溜め息を吐くと、西川の背後から冷静な声がかけられた。

「その時は、その方は私が担当するわ。ベテランの私が担当するなら、文句は無いでしょう」
 その声に玲は安堵の表情になり、西川は対照的に慌てて振り返りながら声を上げる。
「猪瀬主任……」
「お疲れさまです!」
「西川さん、騒いでいないで自分の仕事をしなさい」
「はい!」
 そこで西川は自分の机に駆け寄り、手早くファイルを取り上げて再び部屋を出て行った。

「例の、困ったさんのお医者様の事ね」
「お騒がせしました」
 西川を見送った猪瀬が苦笑いで確認を入れてきた為、玲は自身が新人時代の指導役であり現在の上司でもある彼女に、軽く頭を下げた。しかし猪瀬は軽く首を振って続ける。

「あなたが騒いだわけでは無いでしょう。それにしても……、ナンパ目的で手当たり次第に集団パーティーに繰り出す人も困るけど、自分が真面目に婚活をしていると思い込んでいる人にも困ったものだわ……。悪かったわね。二十代で最初に離婚してから、バツ2で四人の子持ちで。でも私に言わせれば、四十五になるまで離婚どころか結婚すらできなかった人間に、どうこう言われる筋合いは無いわ。子供だって四十代だけど、あと一人や二人産んでみせようじゃない。経産婦をなめんじゃないわよ」
 最後は深山を鼻で笑った猪瀬を見て、玲は思わず笑いを誘われた。

「主任位バイタリティーに溢れていないと、この業界でやっていけないのではないかと思えてきました」
「そうよ。この際あなたも、そろそろ再婚してみたら?」
「それは……」
 明るく笑いながら猪瀬に言われた内容に、玲が困惑顔で応る。それを見た猪瀬は即座に自分の発言を反省しつつ、軽く玲の肩を叩きながら横を通り過ぎた。

「ごめんなさい。今のは軽口が過ぎたわ。とにかく、必要以上に気にしない事よ」
「そうします」
 自分の結婚と夫との死別の経緯を知っている猪瀬に全く悪気は無かったのは分かっている上、この先深山との間でトラブルが生じた場合には、率先して対応する心積もりだと明言してくれた彼女に、玲は微笑みながら頷いてみせた。


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