とろけるような、キスをして。
───いつから?(2)
「……そう、ですか。わかりました。忙しいのに、ごめんなさい。失礼しますっ!」
立花さんは、逃げるように図書室を出て行ってしまった。
それを複雑な気持ちで見送ると、私も事務室に戻ろうと重い足を動かす。
もう一度先ほどの階段を登ろうとした時に、今度はその上から立花さんの声が聞こえてまた足を止めた。
「……先生、野々村さんと付き合ってるって本当ですか?」
それは、つい数分前に震えていた子とは思えないほどに力強い声だった。
「あぁ、あの噂のこと?」
「はい。今、野々村さんに聞きに行ったら、深山先生に直接聞けって言われました」
「ははっ、なるほどね?それでわざわざ俺を見つけて引き止めに来たんだ?」
「はい」
修斗さんが楽しそうに笑っているのが、手に取るようにわかる。
「本当に俺に直接聞きに来たのは立花が初めてだから、特別に教えてやる」
「……」
「確かに俺はあいつと付き合ってるよ」
周りからは、微かに授業をしている教師たちの声が聞こえてくる。
そんな中で、修斗さんの声はいつもより小さいのに一際澄んでいてスッと脳に響き、心地良い甘さを耳に残す。
「……認めないと思ってました」
「まぁ、本当は隠し通した方がいいんだろうけど。でもお前、誤魔化してもしつこく聞いてきそうだし」
「……」
「あいつのことで、嘘は吐きたくないから」
じんわりと、胸が温かくなる。
「……二年前に言っていた、先生の好きなタイプっていうのも、野々村さんのことですか?」
「二年前?俺どんなこと言ってた?」
「"猫みたいな、可愛くて放っておけなくて守ってあげたくなるような子"って」
「あぁ、うん。そうだね。あいつのことだわ」
ドクン、と。高鳴る胸。
「じゃあ先生は、いつから野々村さんのこと好きなんですか」
「えー?グイグイ来るなぁ。まぁいいか。……そーだな、あいつが卒業した時に自覚したから、ざっと数えても七年越しかな?」
思わず叫びそうになって、口元を手で押さえた。
そんな前から?七年も前から?
この街を出て行ったっきり、もう二度と会えないかもしれない私を?ずっと?
「……そんなに、前から」
「そう。だからようやく叶ったんだよね」
それならば、この七年の間、一体どんな気持ちで私を想っていてくれたの?
「だから俺、今めちゃくちゃ幸せなんだよね。やっと叶ったから邪魔されたくないし、放っておいて欲しいのが本音」
目の奥が揺れる。段々と視界が霞み、滲んだ涙をそっと拭った。
「七年……、わかりました。答えてくれて、ありがとう」
「いーえ。でも、これ以上噂広まったらあいつが悩むから、頼むから内緒にしといてくれよ」
「わかりました」
「噂なんて放っておけば皆飽きるんだから。わかったら授業戻れ。サボんなよ」
「はい」
立花さんが慌ただしく教室に向かって走る音が響き、少ししてから誰かが階段を降りる音がする。
そして、数段降りた音と共にその足が見えた時に。
「……あれ?みゃ……じゃなかった、野々村さん?もしかして、今の聞いてた?」
目が合って、その照れたような表情にそっと頷いた。
胸がいっぱいで、何を言えば良いかがわからなくて。そっと見つめ返す。
「……ちょっと、こっち」
周りに誰もいないのを確認して、修斗さんは私を連れて近くの備品庫に入る。
埃っぽくて、真っ暗な中。
「泣いた?立花に何か言われたのか?」
焦ったように、私をギュッと抱きしめる。
拭った涙は滲んだだけで、別に泣いてないのに。
「……ね、修斗さん」
「ん?」
「……七年も前から、私のこと好きでいてくれてたの?」
「……やっぱりそこも聞かれてた?」
頷くと、
「マジか。本人に言うのは恥ずかしいな……」
と声が細くなる。
「……今日、仕事終わったら家行って良い?」
「良いけど……」
「ちょっと行くの遅くなるかもしれないんだけど、その時にゆっくり話すよ。今はもう行かなきゃいけないから、時間無いんだ」
「そっか、わかった」
「でも、ほんの少しだけ充電させて」
そっと重なった唇は、数回角度を変えて触れて、そのまま離れた。
「続きは後で。……じゃ、先に出るわ」
「うん」
少し時間を置いてから同じように備品庫から出ると、あたりまえだが修斗さんの姿はどこにもない。
まだキスの感触が残る唇を、そっと指でなぞる。
その時に視界に入った腕時計。
「……やば、仕事戻らないと」
思っていたより寄り道してしまった私のペットボトルのお茶は、もう温くなってしまっていた。
*****
「はい。コーヒー」
「ありがと。ごめんな、急に来て」
「ううん。最近あんまりゆっくり会えてなかったし、嬉しい」
「あぁー……可愛いなあ、癒される」
リビングでコーヒーを飲む修斗さんは、仕事疲れでなんだか今にも寝てしまいそうに見える。
「私こそごめんね?仕事疲れてるのに」
「ん?あぁ、気にすんなって。俺もみゃーこに会いたくて来たんだから。むしろカレー美味かった。ありがとう」
ふにゃりとした笑顔にも、疲れが見えていた。
それもそのはずだ。
修斗さんが仕事を終えて帰ってきたのは二十時過ぎ。お腹が空いていると思ってカレーを仕込んでおいたのは正解だったようだ。
ものすごい勢いで食べた修斗さんは、今食後のコーヒーをゆっくりと飲んで一息ついている。
「みゃーこ」
「ん?」
「おいで」
ソファに座る修斗さんが両手を広げる。
私はそこに引き寄せられるように向かい、その腕の中に身体を預けた。
修斗さんに抱っこされるような体勢で、ギュッと抱き着くと同じ力で返してくれて。
「あぁー……良い。美味いメシとこれだけでもう、仕事の疲れ吹っ飛ぶ」
「ふふっ、ちゃんと寝ないとダメだよ」
「えー、じゃあ今日泊まってってもいい?」
「もちろん。私はそのつもりだったけど」
「え?抱かれる気満々だったってこと?」
「なっ……もう!」
「ははっ、ごめんごめん。可愛くてつい」
疲れていてもからかってくるのをやめない修斗さんの背中を軽く叩くと、笑いながら謝ってくる。
不貞腐れたようにその耳元に顔を埋めていると、修斗さんが私の身体を少しだけ離した。
「……それで、みゃーこが聞きたいことはなんだったっけ」
「……私のこと、七年前から好きって、本当?」
今日一日、それが気になって気が付けばボーッと考えてしまう時間があった。
千代田さんに"どうしたの?珍しいね"と言われてしまうほど。
おかげで私も残業になってしまった。
「うん。七年前から、ずっと好きだよ」
「でも、なんで?私、修斗さんに好かれるようなことしてたかな……」
いくら思い返してみても、そうは思えないのだ。
「好かれるようなことっていうか、なんだろうな。失ってからわかった、ってやつ?みゃーこが上京して、会えなくなって。連絡先も知らないしどうしようもできなくなった時に気が付いたんだよ」
修斗さんは、ゆっくりと当時のことを思い出すように目を細めた。
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