オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第93話:家族のぬくもり

12月30日 曇り 405キロ
→wollomombi falls→armidale→glen innes→tenterfield→warwick(YH)
何時にどこどこへというようなスケジュールなど全くない惰性の法則の旅、確かに貧乏金欠であったが、こんなにすばらしく贅沢な旅はなかった。どこへでもいい、ただ道がそこにあるからバイクを走らせ、気に入ったところがあれば立ち止まり、夜が迫り疲れを感じたらそこが寝床となる生活。テント生活も長引くと、オンボロのテントさえ心安らぐ我が家と感じてくるから不思議なものだ。マイホームを背負っての土地から土地への移動、人間ヤドカリ状態、いや宿は自前だから、人間カタツムリ状態だ。雲の流れに身を任せる風来坊、世間との縛りもなければ、しがらみも全くない。最初は不安もあったが、今となっちゃ、社会復帰できるかそっちの方が不安になってきた。携帯電話依存症の現代人、いかに束縛されていたかが、今よくわかる。ひとり旅、友達もなく寂しいか? とんでもない。行く先々で出会う人々がみんな話し相手となり、友達となる。実際にひとり旅の方が、仲間だけの壁を作ることないので、人との出会いが断然増える。みすぼらしい格好ではあったが、接する人に不愉快な思いを少しでもさせないために、ヒゲは剃り小奇麗にすることを常に心がけていた。それとスマイル。日本では考えられないが、こちらでは目が合うと男女関係なくスマイルしてくれる。この頃では僕のスマイルも不自然さも抜け、自然と笑顔が作れるようになってきた。そのおかげか、だれかからともなく、よく声をかけてもらえるので、本当に有難かった。こうして過酷な旅もが続けてこられたのも、行く先々の見知らぬ人々のスマイルに支えられていたからこそかもしれない。
ゴールドコーストの町があるクイーンズランド州に突入する州境、ニューサウスウェールズ州最後の町ワーウィックにとうとうやってきた。観光地でもなく、たまたま行く道にあった通りすがりの小さな田舎町だった。この町で昼飯に立ち寄ったパブの軒先。ビールでハンバーガーを流し込んでいると、車もめったに通らない道の向こう側で、まだ10歳そこそこの兄・妹の兄弟が、何やら口ケンカをしていた。当人たちは極めて真剣、今にも臨戦状態であったが、あまりに楽しいそうに見えたので、僕も暇つぶしと腹ごなしにそのチワゲンカに参戦させてもらうことにした。
「どうしたんだい。血相かいて。よかったら、僕が聞いてやるよ。仲間にくれておくれ」
知らないおじさん(僕)に躊躇するなく、お兄さんの方が、妹を指差し、声を張り上げた。
「こいつ、プールに行きたいって、しかたないんだ。ママが今日は忙しいからダメだって言ったのに」
そこへ、通りから脇道に少し入った家から声がかかった。高床式の木造平屋で、小さな前庭から数段登った建物の玄関から身を半分乗り出したママらしい人が、
「まだ騒でんの」
と、呆れ顔だった。
「この人、泊まるとこ探してんだって。そしてプールに行きたいんだって」
さすが、お兄ちゃん。抜け目がない。僕が今夜の宿無しだと、どうしてわかったのか。旅の人間とみりゃ、わかるか。それにしても、僕をプールにいくダシに使うとは、機転の利くガキだった。いっちょまえに、僕にウィンクまで応える。
すると、そのママが、僕のことを足の先から頭のテッペンまで、0.1秒で品定めして、
「よかったら、ウチに泊まってって。こう見えてもバックパッカーズなんだよ。それにもしよければ、この子たちをすぐそこのプール連れて行ってくれないかしら」
おやすい御用だった。これも渡りに船。それにしても目の前の家は、どう見ても普通の家だった。ただ確かに、郵便受けに架かった小さな端材には、申し訳なさそうにうっすらとペンキでバックパッカーズと書かれてあった。
この生意気で実は妹思いの男の子の愛嬌と、妹の懇願する瞳にほだされて、お母さんの申し入れを快く承諾し、今夜の宿のここに決めた。
さっそく通された宿?の中は、全くの一般家庭と変わりはない。聞くと、父ちゃんはどこかへ行ってしまったらしく、母と兄妹の3人暮らし、使っていないベットルームの2つを訪れる旅人に貸しているという。でも、それで生計を立てるつもりはなく、予想通り宿泊客は僕だけだった。小さなホテルボーイ(男の子)にバイクからの荷下ろしを手伝ってもらって、彼らを近くの町営プールに連れていってやった。僕はこの子達の監視役だったが、一番大はしゃぎしていたのは僕だったかもしれない。
ひとしきり子供といっしょに水と戯れ、家に戻ると、お母さんが三時のおやつが準備してくれていた。夏の風がどこからともなく吹きぬけるダイニングルーム兼キッチン。母親に見守られながら、みんなで食べたアプリコットクッキーとレモネードの甘ったるさは、忘れられない味となった。いや、クッキーとレモネードの味は忘れても、食卓を囲む家族の優しさと、夏の午後のグラスについた雫は絶対に忘れない味となり、僕の脳裏に焼きついた。その後、美容院で勤めているお母さんは、僕のウザッたい髪の毛を見て、さっぱりとクルーカットしてくれた。カット代は宿代に含まれるのか、ゲスな考えに頭を振った。夕方には、僕もキッチンに入って4人でまた夕食。ゴロゴロと色々な野菜が入ったブイヨンベースのスープと、トマトソースのパスタは、計り知れない母の愛情に溢れ、その美味しさは子供達のくいっぷりと笑顔を見れば一目瞭然だった。
そして翌朝の出かけに、お母さんが、お昼のお弁当にとサンドイッチまで作ってくれた。惚れたぜ、ママさん。旅に出ると、人の親切が骨身に浸みる。ホントこれ以上長居をすると、マジでこのバックパッカーと言おうかこの家に居ついてしまいそうで、バックパッカー業界用語でいうところの‘沈没’寸前の状況であった。いかん、いかん。オレには花の都ゴールドコーストが待っている。
お母さんは久しぶりに楽しい時間を過ごせたし、色々と子供の面倒までみてもらったからと、宿泊代は要らないと言って、受け取ってくれない。この人にもジャパニーズ人情がわかるのか。ヤバイ、早いとこ出発しないと、ケツに根が生えてしまう。沈没秒読み段階に入った。絶対にお金を受け取ってくれそうになかったので、ベットの枕元にほんの感謝のしるしだけを置いていくことにした。別れ際、お母さん・息子・娘の三人から、旅の無事と再会を込めて、僕のホッペにキスをしてくれた。へたな栄養剤より、よっぽど元気が湧いてきた。僕のホッペにチュッしてくれたときに下の娘、その小さな女のコの頬を伝う涙の跡が、僕の頬をも薄っすらと濡れし、焦げ付いてしまった感じがした。この見えないキズ(人のやさしさ)は一生消え去りそうにないかも。いや、そうあってほしいと思う。

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