オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第56話:朝の陽

12月6日 晴くもり 560キロ
→esperance(sdenic loop)→cape le grand n.p.(lucky bay)→norseman→balladonia(c.p.)
決して魅力がないわけではない、でもわざわざ足を運ぶほどでもない、通りすがりとなる町。エスペランス、この町もそのひとつだ。
僕が生まれた町もそうであったが、その地で生を受けた者、住み慣れた者にとったは、よそ者にはわからないかけがいの町、故郷となる。その者にとって、住むついた町の魅力とは風光明媚な観光資源などではなく、むしろ取るに足りない各々の心にだけ共鳴する場所だったりする。僕にとってもこの地は、なぜか手放しにはできないものを秘めていた。
ここエスペランスには、入り組んだ海岸線が多い。だから名も無いような砂浜が点在する。僕は意味もなくふと朝の海が見たくなって、朝早くから海岸に沿いバイクを走らせた。
朝日が海面に乱反射する様は、どうして夕陽のそれとは違うのだろう。ただ水平線の浮かぶ太陽が東にあるか、西にあるかの違いにすぎない。なのに、朝の光りは、まばゆいばかりの発光色を放ち、あらゆる生命の活力を引き出す効果を持つのはなぜなのだろうか。逆に、夕日は癒しに満ちた光線を放つ。地球上の生命が、日光なくしては生きてゆけないのは、光合成ができなくなるとか、生態系が崩れるとかではなく、実のところ心のバランスを保つための拠り所を失ってしまうからなのかもしれない。
差すような日差しであっても、日光浴を楽しむには寒すぎる。ビーチは貸切状態。バイクを砂浜に下ろして、波打ち際を走らせた。ただそれだけのことなのに、心がひとりでにはしゃぎ出す。遠い昔、引いては寄せる波打ち際を波に濡れぬまじと、行ったり着たりして遊んだ頃の記憶が蘇ってくる。なぜ、大人になるにつれ、身の回りの些細なことに感動を覚え、感心を示さなくなってしまうだろう。それでも一度刻まれた想い出は忘れてしまっても、キズとなって消えることはない。
閉ざされた記憶の扉は、いつらかやその思い出の鍵の在りかさえ忘れさられてしまう。このときのように偶然にも波と同調した瞬間、それがふとした拍子となって、しばし途絶えていた思い出の扉が開かれた。心の奥底に埋もれていたその部屋の存在に、大人になることの意味を感じ取る。僕はもういくつの心の鍵を、知らずと捨ててしまったのだろうか。無意識にバイクを波に濡れた砂浜に停車させ、この朝日浴びる波打ち際でのひとときを、幼き日々の記憶の造形とシンクロさせていた。やがて我に帰ったとき、目の前の浜辺は、吹き付ける風に煽られた潮吹雪で白く煙っていた。身体中が潮の水滴を帯び、自分までが浜の風の一部と化す。振り向けば、砂の上に続くタイヤの跡。潮が満ちれば消される軌跡は、確かに僕のだけのものだった。
嗚呼、波よ、風よ、光よ。僕は君に染まる今こそ、再び己を奮い立たさん。いざ出陣、昇る陽をめざして。

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