オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第55話:世にも奇妙な体験

12月5日 くもり 673キロ
→albany(blowholes→natural bridge&the gap)→stirling range n.p.(bluff knoll)→borden
→jerramungup→ravensthorpe→esperance→(holetoun)
山を見て、怖いと感じてのはここが初めてだった。スターリングレンジナショナルパーク(国立公園)内にそびえたつブラフクノール山がそれだ。。オーストラリアを代表する夕陽を浴びて赤く燃え上がるエアーズロックを陽とするなら、この山は陰に相当する。黒いグランドキャニオンと形容すべきか、とにかくその威圧感の裏に霊的エネルギーを強く感じた。旅では時間の制約が全くないので、気になった山には必ず登ることにしていた。そのサイズもまちまちで、ピクニック気分で登れる山から、片道数時間かかり上げた膝で額の汗を拭けるくらい急な勾配のモノまで。エアーズロックを除けば、出くわす人などいない山々に、ひとりもくもくと登ってきたものだ。けれど、どうしてもこの山にはひとりでは登る気になれなかった。例えようもない覆いかぶさる威圧感、エアーズロックとは正反対に人を寄付けさせない妖気を放出していた。その山際をバイクで通過することさえはばかり、肌を圧迫するような胸騒ぎを覚えた。こんな時は素直に自分の第6感を信じて、とっととやり過ごすに限る。久しぶり緊張する自分がいた。
その山脈地帯を過ぎると、打って変わったように気持ち悪いぐらいリラックスしたツーリングとなった。まるで風呂にでも入って鼻歌でも歌っているかのようなライディング。見渡して、人の手が加わったモノと言えばアスファルトくらいのもの、それ以外は有史以来のいやそれ以前より今日までかわらない粗野な大自然が支配する世界をいつものようにひたすら突き進む。
前方で道が二股に分かれていた。行き先を示す唯一の標識は折れ曲がり、どちらが進むべきローマに通じる道なのか全く分からず、バイクを止めて水でも飲むことにした。冒険モノの映画やRPGではお馴染みの設定、こう言った場面では、決まって必ず主人公は物語展開上、間違った道を選択する。その実写版に今主人公として登場している自分に、この上ないワクワク感を覚えた。直面する現実としては、やはり苦難の少ない方に越したことはない。抑揚あるBGMがぴったりはまるこのさしせまった場面を、少しでも長く楽しむべく、とりあえずションベンでもしてみる。もともと宛もスケジュールもない行き当たりばったりの旅ゆえ、どちらの道を選択しても間違いなどない。だから、気楽にそして素直にその二者択一に独りぽっちの中、ひとり胸躍った。でも強いて言えば、選んだその道の先にはまた未知が続く方を、正解の道とすればよかった。この頃では、自分の進んでいる方向を太陽の位置と雲の流れを見て検討をつけていた。当たり前だが、毎日太陽は東から昇り、西に沈む。またそれに360度何も視界を遮るモノのないところでは、はるか彼方の雲が、自分の位置を予測する目安であって、言わば陸の灯台だった。太陽で時間と方向を大まかに知り、はかり、行こうとする方角の目安とした雲が頭上に来るまでバイクを走らせることで走行距離と位置をはかった。かなり荒っぽいやり方だが、オーストラリアでは、これがどうしてちまちま地図を眺めるよりはるかに有用だった。ただ難点と言えば、雲はやはり雲、風に吹かれりゃ、流されもするし、形も変える。それじゃ、意味ねえだろ。いやいや、それが旅の醍醐味・粋(いき)ってもんで、その時はまた別の雲をテキトウに見繕えばいいわけだ。これこそ典型的な行き当たりばったり旅で、ふざけているところが自分的にはこの方法に大真面目。なら、風が吹く方にバイクを向けているのと変わらないってか。迷子の迷子の仔猫チャン♪。いつやらか口ずさんでいる自分に苦笑した。
こうして、ぼけっといつまでも突っ立っていても仕方が無かった。不安も感じないから、やっかいだ。辺りに家もなければ、すれ違う車もない。あるものと言えば、今来た道と、先に見えなくなるまで続く左右の道だけ。そして目の前には、折れ曲がって、首をかしげた道案内の標識。そんな頭をさげているのは、ユーモアのつもりか。まるで昔見たアニメの一場面にそっくりだ。なぜか笑いが込み上げてきた。どちらの道を選んでも、地平線の先まで道をひたすら走るしかない。マジ、流れる雲にでも行くべき道を占ってもらうか。不安に勝るゾクゾク感。この旅で身に付き出した図太さにうれしくなる。とても自分がA型なんて思えない。人として進化したのか退化したのか、どちらにしても前よりも自分のことが好きになった。
風に選んでもらった道を、ただただひたすら走りつづけること70キロ。その間、もちろん人っこひとりと出くわさない。行きついた最果ての地は、海に面したこじんまりした集落だった。日本でいうところの戦さに敗れた落武者が逃げて逃げて辿り着いた隠れ里に近いところがある。狭いコミュニティー、立ち並ぶ家は数えるほど。1本のストリートに挟んでガソリンスタンド・食品兼雑貨屋・宿屋のほか数件の民家があるだけ。通りの突き当たりは海となる。まだ真昼間というのに、人っ子ひとり見当たらなかった。この町?を見て、もの寂しいをいうよりも、その映画のセットのような整然さに、一切の無駄を排除した一種完成されたうつくしさを感じた。まさか夢ではないか、狐かたぬきに化かされたかのようなシチュエーションだ。キツい潮風を受ける肌の感覚が、これが夢でなく現実なんだと唯一物語っていた。70キロ先の行き止まり、結果的にこの道の選択はハズレであったということになる。それにしても一旦道を間違えるとその道が尽きるまで間違いに気付けない現実、‘さすがオーストラリア’、そのダイナニズムに惚れ惚れしてしまう。さあひき返すか、あの折れ曲がった標識のある分かれ道まで。でもその標識を正しく立てなおすのは止そう。ザッツ・オーストラリア。
行くべき道に戻り、飽きもせずまた走り出す。サンサンと照っていた太陽が傾き、ヘツメット越しにもようやく見えるようになり、グレーに垂れ込める雲に見え隠れし出したら、急に気温もグッと落ちてきた。いくら日中は暑いといっても、ここはもう赤道とは程遠く熱帯地域ではない。だからバイクに乗り100キロ以上で突っ走っていると、夕刻の気持ちのよいさらさらした風であっても、それは瞬く間に全身の体温を奪いさる。ぶち当たってくる風の体感温度も想像以上に低く、気がつくと、ガタガタと奥歯の噛み合わせを悪くした。そんなことは重々分かっているつもりでも、ついにそよ風に吹かれ、風を通さないカッパを着るか重ね着を怠ると最後、身体の髄まで冷えきってしまう。そうなるともう最後、得意の気合を以ってしても体温は元には戻らなかった。ただひたすら忍び絶えて走るのみ。頭に浮かぶのは、マグカップにはいった湯気踊るインスタントコーヒー。夕方、ようやく一日を走り終えたあと、沸かすこの一杯のチープな味に何度救われたことかわからない。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品