オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第44話:WA西海岸の楽しみ方

11月27日 晴 556キロ
→coral bay→minilia r.h.→carnaruon(CP)
西の州に来てからずっとちっぽけな町ばかり。そんな折、カーナーボンと名のちょっとした町に差し掛かった。町をバイクで流していると、町角のショウウインドウに、野人化した僕の姿が映っていた。その誇らしくもみすぼらしい自分の姿を見ると、かつての現代人なところを懐かしく思い出し、雨風を気にすることもない屋根の下の安堵のつけるベッドが、急に恋しくなってしまった。そんな気分の赴くまま、町の郊外の海沿いに足を運ぶ。穏やかな海が光り輝いていた。潮風を浴びながら肺をそれで満たしたくなり、バイクを止めヘルメットを脱ぐ。そこに海に面してペンキの剥げた木のテラスがある安宿を発見。閑古鳥が鳴いていた。いい塩梅だ。その日、泊るところはここに決めた。
その宿のロビーというかダイニングと言うか(民家を改良したようなところなので、なんとも表現し難い)、その部屋の片隅に、バックパッカーが置いていった薄汚れた本が無造作に床から積み上げられていた。その中になんと日本の文庫,赤川次郎を見つけた。久々の日本語だぁ。陽はまだまだ高く時間だけはたっぷりあったので、その文庫と僅かの食べ物を紙袋に入れて、さっそく散歩に出かけた。
心地よい潮風に撫でられながら、ひとりぽつぽつと海岸を歩く。しばらく行くと、レールが敷かれた木製の桟橋を発見。インド洋に長く突き出た桟橋、レールは錆びれ、木も所どころ朽ちており、そのいたみ具合から見ても使われなくなって久しいようだ。好奇心がくすぐられる、行ってみるか。誰もいない桟橋を1キロ以上は歩いただろう。やっとのことで端っこにたどりつく。ここにも僕に似た物好きがいた。その若者(肌の色からしてオージーではない)はひとり魚釣りをしていた。顔は竿の先に向けたまま、こちらを見ようともしない。まるで電池の切れたおもちゃのようだった。僕も敢えて話しかけもせず、桟橋から海に足を投げ出して座り込み、持ってきた文庫を目を落とした。日本語にさぞ飢えていたのだろう、むさぼるように読みふける。内容なんてどうでもよかった。その集中ぶりときたら、持ってきていたオヤツを気づかないうちに食べてしまっていたほどだった。
読み終えたちょうど時、完全に忘れていたとなりの若者が騒ぎ始めた。魚がかかったのだ。その時初めて二人はつき合わせ、互いにビックリした。なんと彼は以前旅の途中のキャラバンパークでいっしょになり酒盛りを交わした日本人で、僕と同じように気ままな旅人だった。とはいってもこの場所からは千キロ以上離れた地からの再会、状況が状況だけに挨拶もほどほどして、魚を吊り上げることに専念した。彼も暇つぶしの釣り、釣れるなんて思っておらず、クーラーボックスなんて持っていない。餌さえ、付けていたかあやしいほどだ。とにかく唯一の獲物、慎重に釣り糸をたぐり寄せ、また吊り上げたそれに、釣った本人もビックリ。どう見てもその大物は鯛(タイ)だった。二度と会うことのないはずの再会と「めで鯛」にふたり手をとって喜び合った。鯛を引っさげ、彼の宿に戻った。さあ、宴会の支度だ。
驚くなかれ、なんと彼はもと板前で、しょうゆまで持っていた。調理は彼に任せ、僕はビールとウィスキーの買出し。その夜は異国の最果てで『刺身』を肴に酒盛り。数少ない宿泊客が遠巻きに、生魚を喰らう僕らの様子を伺う。小気味いい感じ。こんな予想だにできないウソみたいな本当の出来事があるから、独り貧乏旅は止められない。
東海岸では、ゴールドコーストを筆頭にどんな遊びも揃っている。その中から好きなものをチョイスすればよい。一方、西海岸にはそんなものない。だから自分で自分が楽しいことを見つけなければならない。釣れるかどうかわからない釣り・砂の混じった風と日光そして酒を浴びながらの読書・ブラっと何もない片田舎の町角を散歩・ボケっとビーチで日光浴、派手な遊びは何一つない。でも自分で決めた時間の過ごし方だからこれまた楽しい。それがWAの遊び方だと思う。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品