オーストラリア!自由気ままにぐるっとバイク旅

ノベルバユーザー526355

第43話:自慢の肌

11月27日 晴 556キロ
→coral bay→minilia r.h.→carnaruon(CP)
道を走っていると、もちろん橋を渡ることもある。そこに河があるから橋があるわけで、インド洋に望む西海岸を南下してからも、日本の1級河川とはいかないまでも、まあそれに近い川幅も持つ橋を渡ってきた。それらには○○クリーク(川)というそこが河をあることを示す標識がかかっている。でも、どの橋も共通して確かに橋であったが、決して標識どおりの河ではなかった。そう、というところには水が全く流れていないのだ。川底には一滴の水もなく干上がっていて、ゴロゴロした石で埋め尽くされていた。そんな完全に枯れた河を見るごとに、果たして本当に橋をわざわざ掛ける必要があるのかと不思議でならない。でも、必要があるから橋があるわけで、雨期のど真ん中では、この干乾びた河にも鉄砲水が押し寄せ大氾濫となるのだろう。見たわけじゃないから全く確信もないのだが、あのカカドゥでの悲劇「道が河になった事件」を思い起こすと、これもありかもしれない。
コーラルベイ(サンゴ礁湾)。その名のとおり、そこにはオーストラリアで2番目の大サンゴ礁がある。2番目と言っても東海岸あの世界屈指のグレイトバリアリーフの次だから、かなりきれいなサンゴ礁群にちがいない。ただ地図やガイドで見てもわかるとおり、交通の便がかなり不便なため、時間にも気持ちにも余裕のある者しか来ることができない。レジャーで言えば、大陸の西側は、お楽しみ満載の活気ある東海岸とは全く違い、観光客も少なく、自然に身を置きゆったりとした時の流れに身を任せ心の癒すに適したところとなる。せっかく来たこのコーラルベイで、ぜひスキューバダイビングをしたかった。でも、アウトバック(内陸地)に入ってこの方ずっとケチケチ旅行に徹していたので、貧乏性が身に染み付いている。ショップの看板には1ダイブ100ドル、それだけあれば何日過ごせるかと考えてしまい、どうしても決断に踏みきれなかった。気付けば知らずダーウィン以降望んで精神修行に身を置き、その清貧さに心地よさを感じていた。その砂を慎重に積み上げてきたような心境遇が、100ドルで買える俗欲を満たすことで一瞬にして吹き飛ばされ、砂漠に埋もれてしまうが怖く惜しかった。残念だがダイビングは断念することにした。(要はケチっただけか)。
それでも未練タラタラ、その浜辺で昼メシを食べ水面下の様子を想像していると、浜に面したレストランのせがれが他の旅行者と一風違う僕に興味を持ったらしく、声を掛けてきた。そりゃそうだろ、レストランの前でパンに噛り付いてんだから。
「中国人かい、君は。あのバイクは、君のだろ。どっからきたの?」
僕を見下したような、決して感じのいいガキじゃなかった。
「シドニーからさ。この海は穏やかできれいだから、さぞや水中は凄いことになっているんだろうな」
と、僕はわざと日本語で応える。
「シドニーからって!?。俺、一度行ったことあるんだぜ。すごいだろ。俺の海は最高だろ。いいモノ、貸してやるよ」
なんと、レストランの裏手から持ってきたのは、シュノーケリングのセットだった。こいつ日本語わかるのか、んなわけがない。実はいいガキなんだなあ、お前。
「まさか、ここまで来て泳がないわけじゃないだろ。これを使いな。とっておきポイントを教えてあげるよ」。
すばらしい青年は、目の前の浜の海中地図を砂の上に書いてくれた。言われたとおりのポイントから海に入り、フィン(足ひれ)をバタバタ西に進み、指摘のサンゴ礁の交差点を北上すれば、そこに天然の海中庭園が広がっていた。海上から到底その存在はわからず、幸運にも選ばれし者としてこの浮世離れした海の桃源郷で手厚い歓待を受ける。見れない種々の魚たちの乱舞が繰り広げられる。潮のリズムに合わせ、僕も仲間となった。長時間飽きもせずシュノーケリングをしていたおかげで、焼けた肌をさらに重ね焼きしてしまい、その夜は背中だけ灼熱地獄を味わう。ほてりを超えた激痛で、うつぶせでしか寝られないほどだった。魚となった昼間の快楽を思い起こし、気を紛らわせる。
人も羨む自慢の小麦色の肌。それが今では何度も脱皮を繰り返し、深煎りコーヒー豆となっていた。突然変異を起こした極褐色の日本人、もうこれでは何人かわからない。でもひとり自慢でもいい、勲章に思えるから。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品