気高く歪な亜人達

ibis

9話

「──どうしてこうなった……」

 目の前でストレッチをする堅太の姿に、虎之介は大きくため息を漏らした。

「さて……それじゃあ、準備はいいかな?」
「よくないです。なんで俺まで巻き込まれてるんですか」

 喧嘩を続ける堅太と結愛の姿に、ようやく紅蓮が仲裁に入った。
 ──そこまで言うなら、手合わせをしたらどうかな?
 そんな言葉を切っ掛けに、堅太と結愛は無言で準備体操を始めた。
 一体どんな戦いなるのか──心のどこかでそんな期待をしていた虎之介に、紅蓮はにこやかに笑いながらとんでもない事を提案した。
 ──これから虎之介と結愛は『巡回係』としてペアを組むわけだし、虎之介も一緒に戦ったらどうかな? 結愛の戦い方を知る必要もあるし、いい機会だと思うけど。
 当然、虎之介は全力で拒否したのだが──どうしても堅太をボコボコにしたい結愛がその提案を呑み、堅太も虎之介を鍛えたいなどと言い出したため、虎之介まで手合わせに参加する事になってしまった。

「オイトラァ。やるからには全力で行くからなァ──ぶっ飛ばされても文句言うなよォ」
「大丈夫です、氷室くん。あんな脳筋、サクッとやっちゃいましょう」
「お前らどっちも物騒だな……」
「準備はよさそうだね。それじゃ──構えて」

 紅蓮の言葉に、三者が素早く戦闘体勢に入る。

「──始め!」

 高々と掲げて右手を、勢いよく振り下ろした──直後だった。
 ──虎之介の前に、堅太がいた。

「──ッ?!」
「はっ──はァッ!」

 力強く拳を握り込み、虎之介の腹部に向けて放つ。
 迫る拳撃が、虎之介の体を殴り飛ばす──寸前。
 ──グンッと、虎之介の体が勢いよく後方へと引き寄せられた。
 堅太の一撃は大きく空振り──拳の風圧で、辺りに暴風が吹き荒れる。
 食らえば再起不能とも言える拳撃に恐怖を覚えながら、虎之介は結愛に視線を向けた。

「氷室くん、ケガはありませんよね?」
「わ、悪い結愛。助かった……」
「気にしないでください」

 虎之介とは目を合わさず、堅太を見据えて警戒心を深める結愛。
 ──結愛が重力を操る【異能力】を発動し、虎之介の体を後方へと引っ張った。
 正確に虎之介のみを対象とし、周りには一切の影響を与えない卓越した技術。
 これが重林 結愛──重力を操る『吸血亜人ヴァンパイア』の力か。

「チッ、邪魔すンじゃねェよォ。虎之介を一発で沈めた後に、テメェとじっくり遊ンでやろうと思ってたのによォ」
「残念ですけど、そう簡単にいくとは思わない事ですね」
「はン、言って──ろォッ!」

 堅太が軽く膝を曲げ──それだけで、堅太の姿が消える。
 ──狙いは虎之介だ。
 本能で危険を察知した虎之介は──思い切り腕を振り抜いた。

「ハッ、当たるかよォ!」

 虎之介の腕が届かない所で動きを止め、邪悪に笑みを深める堅太。
 虎之介の一撃は、虚空を走り抜ける──はずだった。
 ──辺りに冷気が立ち込める。
 そして──ビキキッ! という歪な音。
 ──氷で作られた一本の棒が、虎之介の手に握られていた。
 先ほどまでは、虎之介の攻撃は堅太に当たらない距離だったが──そこに竹刀ほどの長さの氷棒があれば話は違う。
 咄嗟に腕を上げ、堅太が防御の姿勢に入り──

「させません!」

 ──堅太の体に、凄まじい重力が掛けられる。
 氷の棒を防御しようと持ち上げていた腕は、重力の影響を受けて強制的に下ろされ──堅太の首に、氷の棒が叩き付けられる。
 顔面ではなく、堅太の首を打ち抜いたのは、虎之介の一撃も重力の影響を受け、軌道が下へとズレたからだろう。
 パリィィィィンッッ!! という音と共に、氷の棒が砕け散り──堅太の顔が苦痛に歪んだ。

「ク、ソが──舐めてンじゃねェぞォッッ!!」

 堅太の額から美しく輝く白角が現れ──凄まじい重力に逆らい、大きく後ろへと飛んだ。

「やりましたね、氷室くん」
「お、おう……まさか、当たるとは思わなかったけど……」
「氷室くんの事を、『亜人』の力でちょっと強くなった普通の人間としか思っていなかったんでしょう。どうですか? 取るに足らないと思っていた氷室くんに思い切り殴られた気分は?」
「テメェコラァ……! 絶対泣かせるからなァ……!」

 静かにキレる堅太──その両腕が、ガチガチに硬質化していく。
 ガキィンッッ!! と両拳を打ち鳴らして甲高い金属音を響かせ、堅太が勢いよく駆け出した。
 対する虎之介は、再び氷の棒を作り出して正面に構える。

「オッ──ラァッッ!!」
「ふぐッ──?!」

 虎之介の腹部に、重々しい衝撃。
 いつの間に距離を詰めたのか、虎之介の目の前には堅太がいた。
 どうにかして距離を取らないと──痛みに顔を歪めながら、虎之介が足に力を込めた。
 だが──それよりも、堅太の動きの方が早い。
 素早く虎之介のジャージを掴み、そのまま勢いよく投げた。
 虎之介の体が地面に叩き付けられる──寸前、ふわっと虎之介の体が浮いた。結愛の重力だ。
 続いて、堅太の体が吹き飛ばされる。重力の向きを横へと変えられた影響だろう。

「うっ──チッ……重力ってのァ見えねェから厄介だよなァ……」
「氷室くん! 大丈夫ですか?!」
「だ、大丈夫大丈夫……めちゃくちゃ痛いけど、まだ動けるから……」
「同じ寮で暮らす氷室くんを殴るなんて……鬼島くんには良心がないんですか?!」
「さっきオレもトラにぶン殴られたンだがなァ……」

 ズキズキと痛む腹部に舌打ちしながら、虎之介がゆっくりと立ち上がる。

「……なあ結愛。正直、堅太に勝てる確率って何%くらい?」
「そうですね……氷室くんがスゴく頑張って、鬼島くんが失敗ばかりしたら、勝率は五分五分くらいかと」
「そりゃまた、ずいぶんと低いな……」
「相手は鬼島くんですから。『鎮圧係』は個人の強さが評価される『亜人』が配属される係なんです。加えて、強いと思われる『亜人』から『鎮圧係1』、『鎮圧係2』と番号が振り分けられます」
「……つまり?」
「『鎮圧係1』は鎮圧係長、『鎮圧係2』は竜崎先輩。そして──『鎮圧係3』は鬼島くんとなっています。鬼島くんは私たちの『亜人部隊』の中で、個人の実力が3番目に強いと支部長に評価されているんです」
「……その『亜人部隊』っていうのは、『秘密結社 亜人犯罪対策部隊』の略称ってことでいいんだよな?」

 虎之介の問い掛けに、結愛は無言で首を縦に振る。
 ──大人を含めた『秘密結社 亜人犯罪対策部隊 第七支部』の中で、三番目の実力を持っている。
 それが鬼島 堅太という『鬼亜人オーガ』の『亜人』なのだ。

「参考までにですが、かなりの実力を持つ刀華さんの実力でも、個人の力で見れば『鎮圧係』の誰よりも劣っています」
「あの猫又が……」

 昨日、寮の中庭で戦っていた刀華──あれですら、『鎮圧係』には遠く及ばないというのか。

「……じゃあ、勝ち目なくないか?」
「何を言っているんですか? 私が話したのは、あくまでも個人の実力なら勝つのは難しい、って話ですよ? 今の私たちは個人ではありません。共に命を預け合うことになるペアなんです。一人では無理でも、二人なら鬼島くんにだって勝てるかも知れないじゃないですか」

 さも当然のように言ってのける結愛に、虎之介は思わずポカンと間の抜けた表情になってしまう。
 だが、それも一瞬の話。
 すぐに表情を切り替え、口元に小さな苦笑を浮かべた。

「……そうだな。こっちは二人なんだ。数では勝ってるんだし、どうなるかなんてわからないよな」
「その意気です、氷室くん──では、いきますよ」
「ああ!」

 大きく息を吐き出し──虎之介の手に握られていた氷の棒が、さらに太く長くなっていく。
 竹刀と同じくらいの重さ、太さ、長さになった氷の棒を構え直し──虎之介が堅太に突っ込んだ。

「オラァアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「ひゃはッ──いいぜトラァ! かかって来やがれェッ!」

 裂帛の雄叫びを上げる虎之介の姿に、堅太は楽しそうに口元を歪めて拳を振り上げた。
 ──グンッと、虎之介の動きが速くなる。
 結愛が横向きの重力を発動させ、虎之介の動きにスピードを乗せた──瞬時に状況を見抜いた堅太は、力任せに地面を踏み込んだ。
 ──ビギビギビギッッ!!
 尋常ならざる脚力により、訓練所の地面に亀裂が走り──辺りに土片が飛び散った。

「う──おっ?!」

 勢いに乗った状態の虎之介は、無防備に土片の中に突っ込み──全身に土片が激突する。
 当然、それはただの土片だ。もろくて軽くて、耐久力だってない。
 だが──それに虎之介のスピードが加わる事で、激突する土片一つ一つが、かなりの痛みを与える弾丸となっていた。

「ぐっ──オラァッ!」
「ハッ、さっきよりキレがねェぞゴラァッ!」

 土片が目に入ったらヤバい──反射的に目元を片手で隠しながら、虎之介は氷の棒を振り抜いた。
 ちゃんと相手を見ていない一撃が堅太に当たるはずもなく──虎之介の攻撃を避け、堅太が拳を放った。
 殺すつもりはなくても、虎之介を気絶させるだけの威力を持っている拳撃──まともに食らえば、間違いなく動けなくなる。
 だが──まともに食らう気なんて、毛頭ない。

「はぁ──!」

 ──辺りに凄まじい冷気が漂い始める。
 それに気づいた時──堅太の本能に、危険信号が鳴り響いた。
 拳撃を放つのを中断し、本能に従ってその場を飛び退く。
 直後──虎之介を中心として、訓練所の地面を突き破り、無数の氷の針山が現れた。

「あっぶ、ねェ……!」
「逃がッ、すかぁッ!」

 【異能力】の副作用でほぼ全身が凍り付いた虎之介が、無理矢理体を動かし──体に張り付いた氷を剥がしながら、氷の棒を力任せに振り抜いた。
 ──バリィィィィィンンッッッ!!!
 虎之介の正面に現れた氷の針山が粉々に砕け散り──辺りに氷の破片がキラキラと舞った。

「結愛ッ!」
「あっ──はい!」

 名前を呼ばれるだけで虎之介の考えを察したのか、結愛が大きく手を掲げた。
 直後──砕け散った氷が、堅太に向けて射出される。
 先ほどの土片のお返しだ──そう言わんばかりの戦法に、堅太は心底楽しそうに笑った。

「いいぜェ──面白おもしれェぞトラァッ!」
「ッッ──ああッッッ!!!」

 放たれる氷の破片に紛れるようにしながら、虎之介が脚力を爆発させた。
 素早く氷の棒を作り出し、堅太の顔面を殴り飛ばさんと振るう。
 対する堅太は──スッと、虎之介に近づいた。
 ──パシィンッッ!!
 氷の棒を振るわんとしていた虎之介の右手が、中途半端な位置で止まっていた。
 右手が止まった──否。止められてしまった原因は、堅太だ。
 虎之介との距離を一歩詰め、虎之介の一撃が完全に勢いに乗る前に受け止めたのだ。

「は──」

 目の前に堅太の顔がある──そんな至近距離で、虎之介はある異変に気づいた。
 ──堅太の全身に、白く輝く入れ墨のような模様が浮かんでいる。
 堅太は不良風だが、入れ墨は刻んでいないはず。それに、こんな模様はさっきまでなかった。
 驚愕と困惑に固まる虎之介──無言で見つめ合う二人の頭に、紅蓮がポンと手を乗せた。

「そこまで、だね」
「あァ? 止めンなよ竜崎先輩。こっから面白くなンだろうがよォ」
「ダメだよ。堅太がそれ以上『鬼亜人オーガ』の力を使うなら、虎之介と結愛に勝ち目がなくなっちゃうからね」
「ハッ、だからこそこっからが面白おもしれェンだろうがァ。やっとオレも体があったまってきたトコなンだし、トラがこの状態のオレ相手にどこまでれンのか興味があるゥ──だから止めるンじゃねェよ、竜崎先輩」
「ダメだと言ってるだろう? 刻印活性化状態ホット・ゾーンになったキミは、いつも最後は敵味方関係なく暴れ回ってしまうじゃないか。まだ理性がある内に、角を引っ込めた方がいいよ」

 ──ビキビキビキッ……ミシミシッ……
 骨が軋み、肉が蠢くような歪な音が聞こえた──そう思った直後、紅蓮の左腕が巨大化。
 指先からは鎌のように鋭い剛爪が伸び、腕の表面には紅い竜鱗が現れ、腕はまるで丸太のように太くなる。
 その凶悪な手で堅太の頭をガッシリと鷲掴みにし──紅蓮はいつもの穏やかな笑みを消し、冷たい声で言った。

「──角を収めろ、堅太。これは寮長命令だ」

 ──聞く者を震え上がらせる、地獄の底から響くような黒くて邪悪な声。
 数秒ほど、紅蓮と堅太が正面から睨み合い──やがて、堅太が深いため息を吐いた。

「…………チッ……わかってらァ。ほンの冗談だってのォ」
「あはは……刻印活性化状態ホット・ゾーンの堅太が相手だと、ボクも無傷じゃ済まないからね」
「よく言うぜェ。前は鬼龍院係長を呼び出してオレを半殺しにして止めたクセによォ」
「そこまでしないと堅太は止まらないからね。誰もケガすることなく、堅太を止める……あの場では最適な判断だったと思うけど」
「おかげでオレァ両腕両足、ついでに肋骨も三本ほど持ってかれたンだかなァ……」

 虎之介の右手を離し、堅太が全身から力を抜く。
 それと同時、ひたいの角が輝きを失いながら縮み──体に浮かんでいた入れ墨のような刻印も消えた。

わりィなトラァ。どっかケガしたりしてねェかァ?」
「あ、ああ……さっき殴られた腹が痛いくらいだ」
「ンなら大丈夫だなァ」

 ポケットに手を突っ込み、申し訳なさそうな苦笑を浮かべる堅太。
 そんな堅太を見て、ようやく紅蓮は竜腕を引っ込めた。

「ごめんね、虎之介。堅太も悪気わるぎがあったわけじゃないんだ」
「あ、はい。いや、それは全然大丈夫なんですけど……さっきの入れ墨みたいなのは……?」
刻印活性化状態ホット・ゾーン……一部の『鬼亜人オーガ』が持つ力だァ。トラにもわかりやすく説明すンなら、そうだなァ……ま、テンションが上がったり感情がたかぶったりすると刻印っつーのが浮かンで、身体能力とかが強化されるって感じだァ」

 完全に普段通りに戻った堅太の言葉に、虎之介は難しそうな表情のまま首を傾げた。

「な、なるほど……?」
「まァ難しく考える必要はねェよォ。刻印を持つ『鬼亜人オーガ』には注意、ってな感じで覚えときゃァ充分だァ……ってかよォ、さっきの氷の針には驚いたぜェ。もう【異能力】を使いこなせンのかァ?」
「ああいや、そういうわけじゃ……なんて言うかな……形を考えたりするより、あんな感じでぶっぱなす方が簡単だからできたんだと思う」
「へェ……オレァ自分を強化する【異能力】だから、トラとかの感覚はサッパリなンだがァ……そンなもンなのかァ」

 この後、紅蓮や堅太にも訓練を見てもらい──時間は夜へと向かっていった。

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