廃棄場で踊る

ヒコバエ

第8話「世界の修復」

 世界には、「スキャンが完了しました」「これより世界の修復を開始します」というメッセージが姿を出した。底知れない不安が込み上げてきて、胸騒ぎがする。自分たちの人生の終幕へのカウントダウンが、始まっている気がしてならなかったのだ。
 世界には、「システムを修復しています」というメッセージと読み込みマークが表示されていた。先ほどまで自在に動いていた身体が、次第に思うように動かなくなっていくのを感じる。世界の周縁部まで広がっていた光は、少しずつ私たちのいる中心部を目指して縮小を始めた。私のピアノに合わせてトランペットを演奏していた猿は、手からのその楽器を地面へ落した。
 世界が壊れていくのをひしひしと感じていた。先ほどまで笑みを浮かべていた私の顔は、今や狼狽で満ちていた。陽気にドラムを叩いていたもう一匹の猿は、魂が抜かれたかのように元気を失い、椅子に座ったままがっくりとしてしまった。さっきまでピアノの周りを走ったり吠えたりしていた犬は、もはやその姿すらなかった。
 華麗なギターテクニックを披露していた少年へ目をやると、その肩に掛けられたギターが消えていく瞬間だったようで、少年はなすすべなくそれを失ってしまった。その後少年は、夢遊病のようにふらふらと世界を彷徨い歩き始めた。
 私の伴奏に合わせて即興で歌っていた少女は、催眠術にでもかけられたかのように、突然心と表情を失い、ぱたりと歌うのをやめてしまった。この世界で音を奏でているのは私一人になった。まさかこれだけ仲間の集まっている現在の世界で、こんなにも孤独を感じるとは思ってもなかった。ありがちな表現だが、一度手にしたものを失うことがどれほど辛いか身をもって体験した瞬間であった。
 世界を照らす光源は着々と縮小を進めていた。背景が夜のビル街に変更されたため、光源エリアが減ると、世界にもそれなりに闇が生まれ始めた。時間が巻き戻されている気分だ。
 魂を抜かれ生気を失った犬がこの世界へ溶け出すように消えていった。その姿は私に改めて恐怖を植え付ける。なおも修正は続いている。世界はどこまで戻されるのだろうか。
 二匹の猿も犬のすぐ後に、世界へ溶けた。彼らが使っていたトランペットとドラムはその数秒後に消えてなくなった。
 その次にかつてギターを弾いていた少年が消え、それからボーカルを務めた少女が姿を消した。私は物理的にも独りになった。
 ここまでこの世界にろくに関与もしていなかったポエムの立体文字も順当にその形を失った。そしてこの世界を包んでいた夜のビル街の景色さえも姿を消した。再び世界の大半が闇にのまれた。
 今や何の反応も帰ってはこないが、ただ世界が変わっていくのを直視していられなくて、ピアノの鍵盤に手をかけた。もう私の演奏をアシストしてくれる透明人間も消えてしまっていて、私は初めのプログラムされたメロディーしか奏でることができなかった。私の指はまたも神経を乗っ取られた。
 そのピアノの自動再生が終わるころ、光源エリアの範囲がちょうど元々の第一エリアの大きさ位に戻った。これほど世界が暗いのも久しい。光源がスポットライトのように私を照らしている。スポットライトに照らされ、ピアノの前に立ち尽くす私の姿は、発表会で緊張のあまり全てを忘れてしまった子どものようだ。まさしく呆然としていた。私の上には未だに、「システムを修復しています」というメッセージと読み込みマークが表示されたままだった。
 数分間は何も起こらなかった。ただピアノとにらめっこをしていた。時々上の文字を見る度に、そこに何の変化がないことを確認した。だがそれから程なくして、私の拠り所たるピアノさえこの世界の中に消えていった。
 ピアノが消えたその僅か数秒後、ピーという嫌な音とともに、「システムの修復が完了しました」という死刑宣告の様なメッセージが表示された。

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