廃棄場で踊る

ヒコバエ

第3話「新エリア」

 無事何事もなく第一エリアへ帰還した。ここには相変わらず陳腐なポエムが浮かんでいる。その薄っぺらさこそ変わってはいないが、初めて見たときとは違い共感というか愛らしさのようなものを感じる。
 こいつも誰かに捨てられたのだ。このポエムを捨てた人間はどんな人なのだろうか。売れない作家かそれとも道楽で作詞に耽っていた人であろうか。また私を捨てた人はどうか。
 この世界がごみ箱であるというのなら、私を含めたこの廃棄物たちの元所有者の経歴なんかも教えてくれないものかと望んでしまう。まぁそれが分からないのがごみ箱というやつなんだろうが。
 このポエムも私自身も、さっきの第二エリアのように完全に消去されてしまうのだろうか。あの三つの文書の行方は分からない。コンピュータ上のごみ箱は、中身を空にする機能がある。それをするとごみ箱のデータは完全に消滅する。初めから無かったものにされるのだ。
 私もごみの一つなのであれば、私が今も存在できているのは、私が誰かのコンピュータのごみ箱の中に保管されているからということになる。私の人生は素性の知れない何者かに握られているのかもしれない。
 だが今冷静になって、他のごみ(といってもまだ二塊のごみしか目撃していないが)と私を比較してみると、共通していない点が多いことが分かった。
 例えば他のごみは動くことがない一方、私は現に自我を持ちこの多くの見えない世界を自由に移動している。
 また他のごみはその出現に際して、自分のテリトリーを誇示するかのように自分を中心としたスポットライトのような光源を出現させていた。だが私にはただの一度もそのスポットライトは照射されていない。私の最古の記憶は、あの自我発芽の瞬間であり、その当時の世界は暗黒時代さながら僅かな希望の光すらも存在していなかった。
 他にも細かい差異は山ほどあるのだろうが、目立った差はこの二つであろう。
 一つ目の動性の有無については、現在私の把握している範囲の廃棄物がそもそも動性を持つデータではなかったため、固定された形で出現したと考えることもできるだろう。
 他方、もう一つのスポットライト問題については、その原理・システムについては説明できそうにない。この問題は、恐らく私が何者かについて考えるその過程で改めて重要な根拠になってくるだろう。
 ともかく、今のこの少ない手掛かりではこの世界の正体への絶対的確信も、スポットライト問題及び私の正体についても推理は十分には及ばない。
 であれば今の私にできることといえば、心の平常を保ちつつ、次なるスポットライト、すなわち私にとってのサードステージの到来を待つことのみだ。
 自我が発芽してから実時間において多くとも半日程度しか経過していないというのに、目まぐるしく新情報が更新されてきたせいで、頭は随分と疲れているようだ。私の中に眠って英気を養うというシステムが搭載されているのかは疑問であるが、少しの間横になって目でも瞑って、全身を落ち着かせることにしよう。
 床は鋼鉄のように固く冷たい、眠るには最悪のベッドに思えたが、私の圧倒的個性の象徴ともいえるこのモップを模したかのような体毛のお陰で、マットレスを敷いているかのような感覚が背中を包んだ。案外寝心地は悪くない。
 天井に目をやると、そこも例外なく光に照らされており、思わず目を細めた。流石にこの眩しさの中で眠るのは、豆電球をつけて眠るのとは随分と違った高難易度ミッションのように思える。
 だが目を閉じた瞼の裏側は真っ暗であった。私の瞼は人間のそれとは厚みやらなんやらが幾分か違うらしく、外界のこの光は瞼を貫通することはないらしい。天然の遮光機能のお陰で問題なく眠りには就けそうであることが分かった。
 初めのうちはこれまで見てきた世界の情景とあの赤いテキストメッセージが瞼裏にプロジェクションされていたが、やがて気絶したかのように何の思考も働かない睡眠状態に陥った。

 どのくらいの間眠っただろうか。この世界には時計もなければ、時間を推定する指標もない。太陽暦も太陰暦もこの世界では使い物にはならず、正確な時間は分からない。
 だが眠る前ひしひしと感じていた心身の疲労は、洗面台に水を流したように、その疲れの大部分が流れ切り、所々に水溜まりの如く疲労が残る程度になっていた。
 一度深々と下ろしてしまった瞼は妙に重みがあり、なかなか持ち上がらない。ここでこの瞼の重量挙げを断念すると、再び意識を喪失しそうな気がする。正直言って気は進まないが、現状を確認する意味でも目を覆うこのバーベルを持ち上げることにした。
 実際いざ目を開けようと試みてみると、私は簡単に目覚めることができた。寝起き特有の気怠さもなく、さっぱりとした気分だ。寝起きの良さという意外な長所が発見できた。
 目覚めてまずすることは周囲の確認だ。ひとまず眼前に広がる天井は就寝前同様白々と光ったままだ。体を起こして第一エリアの様子を窺うと、ここも変わらず光で満たされ、三流ポエムの立体文字オブジェも健在だ。この第一エリアには何も変わったことはない。
 しかしその世界は、就寝前の静けさをすっかり失い、軽い喧噪が生まれていた。景色についても、第一エリア以外の周囲の光景は寝る前のそれとは大きく変容していた。つまり、新たな光源エリアが登場していたのだ。
 以前第二エリアがあった辺りには、再びエリアが出現し、何か絵のようなものが浮かんでいるように見えるが詳細は分からない。背景画か何かだろうか。色味的には青色や白色が見えるので、空の絵かあるいは写真だと推測できる。
 またそのエリアがある地点を北西方向と考えた場合、北東側と東側に当たる方向にも、同様に光源エリアが現れていた。
 北東側にはグランドピアノが配置されており、時折その鍵盤が独りでに押され決まったメロディーを奏でている。その自動演奏は何小節分か弾くと数拍の沈黙が与えられ、その後一切のテンポ等の乱れがない完璧な再演奏を見せる。これによってそのピアノがプログラム通り作動していることを理解した。捨てられたのは音声データで、あのピアノはそれを再現し続けているのだろう。
 東側の光源エリアには、犬が庭のような場所を無邪気に駆け回る映像が、ホログラムで投影されたような形でエリア中央に映し出されていた。映像は先ほどのピアノ同様、決まった箇所まで再生が済んだら、数秒の停止の後、再び全く同じものを再生していた。
 またその投影のされた映像は、クリアな元の映像ではなく、砂嵐のようなものが混じったものになっている。これは元映像の問題ではなく、投影方法の問題によるものに見える。この映像を投影している機材などは相変わらず見当たらないが、ホログラムと同様の技術によるものであれば、コンピュータ等の液晶の映像ほど細やかで高画質な映像を再現することは難しいのであろう。
 だが、この世界は人間世界とは隔絶された異世界空間であるのに、なぜそのような技術の問題に直面しているのだろうか。まぁもしこの世界を創造したモノが存在するのであれば、これはそのモノの限界か遊び心か何かだろう。よくある近未来物の世界を模したのかもしれない。 
 ともかく、今はそんなことをあれこれ考えている場合ではない。私はこの世界の現在を把握するために踵を返して、南側を見やった。残りの現在出現している光源エリアは、南東と南側の二か所のみであった。それ以外の方向は果て無く黒が広がっていた。いやあまりに黒いので、その先に空間が広がっているのかすら今の私には分からない。
 南東方向の光源エリアにはアニメーションのような少年が街を移動する様子が、先ほどのホログラムとは異なり、プロジェクターで投影されたようなクリア映像で表示されている。その画面には、右上に抽象的な地図があり、時々画面上にテキストメッセージが表示されたりしている。
 この映像は、東側のホログラムと異なり、一定時間再生されても停止し、再放送されるという動きを見せない。映像の内容としては、恐らくコンピュータゲームか何かなので、このエリアに捨てられたのは、コンピュータゲームのデータそのものか、そのゲームを長時間録画した映像かどちらかであろう。だが、単純な動画の場合は、東側同様ホログラム表示されるはずなので、ゲームデータが捨てられたと考えていいような気がする。
 捨てられているものはきっと(まだ私の推理でしかないが)全て電子データという共通の性質を持っているのに、このごみ箱の中で見せるその姿が三者三葉大きく異なっているのは、なんだか面白さを覚える。それは人間ともよく似ている気がする。人間という共通の性質を持ちながら、その姿は人によって全くと言っていいほど異なる。人間の場合はこれを個性と呼ぶが、この電子データたちの差異は個性と呼ぶのだろうか。
 南側にはこれまたホログラム形式で示されたドレス姿の二次元の美少女の姿があった。その少女はピアノの時と同じく、決まった小節分歌を歌い、数秒停止の後、それをリピートするという動作を繰り返している。
 またピアノにおいてはその鍵盤に動きがあったように、その少女は歌に合わせて軽い振り付けも見せている。
 少女のその歌声は決して下手ではないが、少々の機械感を帯びていた。所謂音声合成ソフトによってその歌声は作られたのかもしれない。それを考えるとよくできていると素直に感心してしまった。ごみとして捨て置くのはもったいないとすら感じた。
 ピアノの音とこの少女の歌声は、どちらもその音声の途切れる小節数が異なるため、不協和音のように聞こえるが、その両音声が同時に再生された瞬間は、なぜだかそこに幾何かの調和を覚えた。だがその調和も一方の再生が停止されるとすぐに崩れ去った。

 遠方からの目視であるが、新たに出現した光源エリアの確認は済んだ。ファースト・セカンドステージと来て、次はサードステージが来ると思っていたが、これらのエリアは同時に出現したのか、それとも寝ている間に順次出現したのだろうか。同時に出現したのなら、これらをまとめてサードステージと呼べるが、そうでないなら、サードレベルとでも呼ぶのが相応しいだろう。
 だが今後もエリア増加の起こる可能性が大いにあるので、今後はエリアの呼称に拘るのは諦めた方がよさそうだ。
 あの赤色のテキストメッセージのこともあるので、新たに出現したエリアにはそれぞれ赴く必要がありそうだ。まずは北西方向の写真データのようなものが配置されたエリアに行くことにしよう。
 光源エリアが一気に増加したこともあって、世界の空気感は以前に比べて明るさを帯びていた。だが光の減衰の影響なのか分からないが、物理的な明るさは、エリアの出現していない方向はもちろんのこと、エリアのある方向も部分的なものに留まっていた。

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