カッコがつかない。

kitatu

第21話

「今度の対校戦応援に行くから!」
「絶対に勝ってくれ!」
「マターナルのバンドを見れる機会なんて、今後ないかもしれない!」

どうやら、マターナルの件は広まっているらしい。

対校戦明けの月曜日。一限目を教室で待つ間も気が休まりそうになかった。

自分の席に座っていると、教室を埋め尽くさんばかりの人に囲まれた。上級生、下級生、もちろん同級生も皆が皆、期待を顕にしている。

地元唯一の有名人が、自分達の学校でライブを披露してくれるというのだ。しかも無料で。皆んなが期待に胸を膨らませるのも、無理はない話だ。実際に、ライブの件が発表されたあの後、負けて権利を失った北校と南校の生徒は、暴動かと錯覚するくらい不満の声が上がっていた。流石の荒れ具合に、マターナルの女性が、勝った高校の生徒は別の高校の生徒を一人招待できる、というルールを追加したほどである。

「これ、焼きそばパンです! 今度の対校戦頑張ってください!」
「今週は寝ててください! 赤兎馬ランドさんのノート全部とっておきます!」
「食堂の席、今から確保しておきます!」
「水が欲しくなったら呼んでください! 給水器で待機してますんで!」
「肩でも揉みましょうか!? 腰でも足の付け根でもリンパしちゃいますよ!」

掛けられる声が鳴り止まない。期待の声を浴びせられる中、内心は凍りついてしまいそうな程の恐怖で震えていた。

胸が苦しい。期待で膨らませる皆んなと対照に、締まっていくのを感じる。ひと言ひと言が抉ってきて痛む。

チャイムが鳴って、ようやく解放される。先生が入ってきて授業が始まったが、到底勉強する気分にはなれない。

元々、負けられなかった。けれど今はそれ以上に負けられない。何も掛かっていない状況では、皆んなから悪意を向けられない可能性はあった。しかし今回負ければ間違いなく好意は嫌悪へと変わってしまう。

偽りの実力で代表になった俺は、負けてしまえば、自らの罪悪感で学校に居づらくなる。そう悩んでいた事すら、温いと思う。

確実に変わってしまうのだ。俺が首を突っ込んだばかりに、軽蔑や嫌悪に晒され続ける生活に。

ポケットからスマホを取り出す。ラインを開き、カシラからのメッセージをみる。

『昼休み、屋上で対校戦について話しましょう』

重かった気分が少し軽くなり、息を吐いた。
先生が教台を離れ、教科書を読み上げながら歩きだす。俺は、そっとスマホの画面を落とし、机の中に隠した。

「……ねぇ、赤兎馬ランド」

隣に座る東からひそひそ声をかけられる。耳に伝わる吐息が妙にしとりと感じる。嫌に神妙な空気が気持ち悪い。

「あのさ、昼休み私に付き合ってくれない?」
「なんで?」
「体育館裏で、ちょっと話したいことがあるんだ」

俺はどうしていいかわからなかったが、東の深刻な雰囲気に呑まれて頷き、カシラに『放課後に変更できない?』とメッセージを送った。


4限目が終わって昼休みを迎えた。食堂で接待しようとしてくれる同級生を丁重に断り、随分と先に教室を出た東を追って、体育館裏へと向かう。

校舎の階段を降り、一回渡り廊下から人目につかないように体育館裏に回ると、壁とフェンス沿いの植木が日を遮って暗い中、ポツリと立つ女の子がいた。髪は三つ編みで、丸眼鏡をしている。陰にいるせいか、その子の印象からか、空気がじとりと湿り気を帯びているように思える。

「あっ」

女の子は俺に気づいたようで、短い声をあげた。よくみれば微かに震えている。そして、顔立ちは俺を呼び出した本人と酷似していた。

「えっと、東だよな? なんでそんな格好……」
「ごめん、もう少し待って」

東はそう言ったきり、口を噤んだ。
昼休みを謳歌する学生達の声が届いて、静寂を覚える。空を流れる船のような雲に太陽が隠され辺りがさらに暗くなった。かと思えば、また太陽が顔を出し、明るくなる。永遠とも思えそうな時が動いていることは、次第に張り詰めていく空気が教えてくれる。

静かで重い時間がしばらく続き、ようやく東は意を決したように顔を合わせてきた。その目には強く鋭い光を備えている。

「私、マターナルのファンなの」

東の声は小さいが清かで、重く響いてきた。東が呼び出してきた目的が察せられ、急な悪寒に襲われる。

「私さ、昔はただ地味な女の子だったんだ。なまじ顔立ちは悪くないから、女子にはいじめられてきたし、学校生活では常にびくびくしてて苦しかった。家でも出来が良くないから優秀な妹に比べられてきて、いつもプレッシャーを感じてた」

それ以上言わないでくれ、そんな思いとは裏腹に東は語り続ける。

「だから私は今みたいな格好で、人の目につかないように自分を押し殺して生きてきたんだ。でもさ、そんな私が唯一明るくなれる時があったんだ」

やめてくれ。

「マターナルの曲を聴いている時なの」

やめてくれ。やめてくれ。

「歌詞は前を向かせてくれるし、曲調は穏やかで気持ちが安らぐ。辛いときに聴いて私は救われてきた」

やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。

「それに、今の私があるのは、公園バトルのおかげ。高校に入ってから、偶々、得意だったジャングルジムで皆んなから認められて、自分を出す勇気を貰えた。その公園バトルを作ったのもマターナルなんて……私」

東は込み上げてくるものをクッと我慢するためか、唇を噛み締めた。それでも眼鏡の奥の瞳は輝きを失うことなく、余計に想いの強さが伝わってくる。

「私は、私を救ってくれたマターナルを、認めてくれる皆んながいるこの学校で見たい。どうかお願い。私がやれることならなんでもするから、対校戦に勝って」

そう言って、東は頭を下げた。

呼び出すのにも、かなりの勇気が必要だったことは震えが教えてきたし、自らの暗い過去を話すことなんてもっとハードルが高く、呼んでなお言い出せずにいたことも理解できる。

東に対して切り替えが早い女の子という印象を抱いていた。それは正解で、一つ一つ受け止めていては耐えきれないほどの辛い出来事が多かったからそうなったのだろう。そして、そんな環境から解放してくれたマターナルと学校への想いが果てしなく強いことは、考えるまでもなく伝わってきている。

喉から手が出そうなほど欲しいものに自らは手を伸ばせず、他人に委ねるしかないということは、どれほどもどかしく辛いことなのか。

俺は東から戦う権利を奪った張本人。絶対に期待に応えなければならない。
だけど、俺は直ぐに返事することができなかった。
暗い、目の前が暗い。舟酔いしたみたいな吐き気がする。息が苦しくて胸が痛い。

「頑張るよ……」

なんとか声を振り絞り、それだけ言って東に背を向けた。そして振り返ることなく、校舎裏を後にする。

「大丈夫、大丈夫だ。次もなんとか乗り越えられる筈」

無意識に独り言を漏らす。
メッセージを送ることもないのに、カシラとのトーク画面を開いて教室に戻った。

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