カッコがつかない。

kitatu

第17話

「よし。これで終わりだ。ありがとう兄ちゃん、姉ちゃん」

中年の男は、公園の脇に止められた車の中からジュースを二本取り出してきた。それを俺とカシラに手渡すと、「ちょっと知り合いを駅まで迎えに行かねえといけねえからよお。おめえらも知っているだろう俺の友達をよお」と意味深なことを言いながら車に乗り込んで去っていった。

「労働の対価が500mlのジュース一本なんて、しょっぱすぎますよ! せめて1.5Lでしょうが!」

カシラは遠ざかる車の後ろ姿を見て、腰のあたりでブーイングのポースを取った。

惨めな生き物から目を背けるため、空を見上げる。中年の男の手伝いをしているうちに、陽は高く登っていた。眩しさに視線を戻すと、柵越しに公園が見える。陸上のトラックほど広い公園は、中央にテントが並び立ち、その周辺にたくさんの高校生達がひしめいていた。なんだか、運動会の客席がグランド中央になったような印象を受ける。

時間は9時くらいだというのに、公園内に百人は超えていそうだ。朝の心地よい寒さ、静寂なんかとは無縁である。賑やかな声が響き、蜃気楼があらわてしまいそうな熱気を感じる。

そんな様子を見ていると、心なしか目の前がぼやけてきた。

遊具での戦いに胸をときめかす人間が、これほど多いなんて知らなかった。もしかして、くだらないと思うのは俺だけなのだろうか。そんな俺が、どうして主役として戦わなければいけないのだろうか……。

涙ではなく蜃気楼であってくれ。そう切に願っていると、カシラに声をかけられる。

「そろそろ九時です。開会式が始まるので急ぎましょう」

「え? 開会式まであるの?」

本格的に運動会じゃないか、と思って尋ねたが、ただ「いいから」と手を引かれ、テントに向かわされた。

テント周りでは、高校生達が騒ぎ、テントの中では、ブルーシートの上に座った大人達が、思い出話に花を咲かせている。遠くから感じた印象はそのままで、辺り一帯は煩いくらいに賑やか。形容するには、お祭騒ぎという言葉が適切である。

「おっ、やっときたわね。ネーデルランド」

テントの前まで来たところで、よっ、と手を挙げた東に迎えられる。描かれた綺麗な眉、反り上がった長い睫毛、目元はマスカラでほんの少し赤い。頬は気づくか気づかないかくらいの桃色で、唇は紅く塗られている。服装はと言えば、ダボっとした白のスウェットに、太ももが見えるデニムのショートパンツだ。いつも通りバッチリと化粧を決めており、ギャル感満載である。

身支度に時間がかかったのだろうか。誰よりも早く公園に来ていた俺にそんな事を言うなんて、車に荷物を片付けている間に来たに違いない。けれど「やっときた」と言ってきた相手に「先に来てたんだけど」と返すのは、なんとなく憚られる。

「……あはは」

結局、なんて答えるべきか分からず、ただ苦笑いを返すと「頼りない笑顔ね。今から開会式なんだから、しゃんとしな」と叱られた。

「ちゃんと威厳をみせないと東高が舐められるんですよ!」

東に便乗して憎まれ口を叩いてきたカシラを睨んだ時、き〜っとメガホンの音が鳴る。

『ええ〜代表の皆さんは、滑り台前に整列してください』

アナウンスが流れ、テント周りの高校生達は、やっとか、という雰囲気を醸しだし、早歩きで滑り台に向かっていく。砂の上を歩くガシガシとした音が大きくなり、ヌーの群れが移動している映像が脳裏に浮かんだ。

「ほら、始まるわよ。頑張ってね、ネーデルランド!」

「そうです。ここで威厳をみせてビビらせて行きましょう」

「いや、開会式で威厳をみせても逆に滑稽じゃない?」

東とカシラに「いいから」と背中を押され、無理くた歩かされる。前をゆく高校生の一人が何事かと振り返ったのが目に映り、恥ずかしくなって自ら早足で歩く。

公園の端まで来ると、前の人の動きが止まったので俺も足を止める。目の前に並ぶ高校生達は多く、ステージ前でロックバンドを待つ客のようだ。

これだけの人達の前に立つんだよ……な。

急に逃げきれない現実に気づいて尻込みした。しかし、背中に手が触れた感触がきて、人混みを分け入る。先頭を抜けると、滑り台までの間にスペースがあった。そこには見覚えのある茶髪の男と高身長の男が立っている。

茶髪の方はわかる、北村だ。金色のロゴが入った黒のジャージを着ている。もう一人の、スポーツウェアを着こなしているイケメンは見覚えがない。

「負けにきやがったかF-22。前回みたいに、ボコボコにしてやるよ」

「久しぶりだな、影分身ジョッキー。前回の対校戦は、お前に勝ちを譲ってやったが、今回もそう上手くいくと思うなよ」

二人は目線で火花を散らし、舌戦をかわしている。そんな様子を見て、俺はただただ尻込むばかりである。

あの二人と並ぶの? まじで?

モチベーションについて行けそうもなく、逃げたい気持ちで一杯になる。けれど、立ち去るわけにはいかないことは理解していたので、ひっそりと二人の横に並ぶ。

「おい、あいつ誰だ?」「見たことねえな、南校代表と北村さんがいるってことは、西か東の代表ってことだよな?」「いや、西はねえぜ。西は女子校だから、東校だろうよ」「ってことは……プリズンブレイカーが負けたって事か!?」

いくらひっそりとしたところで、目についてしまう。俺についての話で盛り上がっている声が背中に届く。

そんな声に気づいたのは俺だけじゃないようで、並んでいる二人は俺の方を向く。イケメンの方は、誰だろう、と首を捻った。一方で北村は、目を丸くし、震えた指先をゆっくりと向けてくる。

「お、お前は!? 赤兎馬じゃねえか!?」

俺は、北村の視線から逃げるようにそっと俯いた。

「い、いや。別人じゃないですかね? あはは」

「そんな筈ねえよ! お前まさか、東に勝ったのか!?」

「さ、さあ?」

「さすがだぜ赤兎馬! 俺に勝っただけのことはあるな!」

北村が嬉しそうに背中をバンバンと叩いてきた。それと同時に、後ろで群れる高校生達から驚愕の声が上がる。
「な、なあ。さっき北村さん、俺に勝ったって言ってなかったか?」「俺もそう聞こえたぜ……」「もしそれが本当なら、北校と東校の代表を倒したって事になるよな?」「こ、これは、とんでもない奴が出てきたんじゃないか?」

観客の高校生達から身を隠すように、滑り台に向かって身を縮こめる。

ああ……。今すぐ消えてなくなりたい。

恥ずかしさに俯き、唇を噛み締めていると、俺を評する声とは性質の違う大声が聞こえた。

「すみませーーん! 通してくださーーーーーい!!!」

気になって振り返ると、集団の中で揉みくちゃにされた女の子が一人、押し出されるように抜け出してきた。彼女はつんのめるようにして俺たちの前まで来て止まり、ぜーはーと膝に手をおいた。少しして息が整うと、顔をあげ、俺たちに向かって口を開く。

「私、西校のものですが、代表はここ数日不眠気味で、昼からのために今休ませてます! ですので、開会式は不参加でお願いします!」

俺は可否がわからず、隣に並ぶ二人の顔を伺う。両者とも、仕方がないなあ、という態度で溜息をついていた。

え、開会式不参加でも良かったの? だったら俺も不参加でお願いしたいのだけれど。

そう考え、切り出そうとした時、ポケットから震えを感じる。手を突っ込み、スマホを取り出すと、画面には『参加してくださいよ!!』というカシラからのメッセージがあった。

俺もカシラのことはよく理解しているが、あっちも俺のことをよく理解しているようで。

『それじゃあ、開会式を始めます。各代表は、誓いの言葉をどうぞ』

スピーカーの割れた音ののちに、アナウンスが流れた。目の前でざわざわしていた空気は次第に鎮まっていく。

北村が「じゃあ、始めっか」と何の気なしに言うと、イケメンが頷き返す。そして顔をあげると一歩前へでて、右手を高らかに上げた。

「宣誓!! 南校代表、南野太は、日ごろの練習の成果を発揮し、これまで支えてくれた南校生の期待に応えるため、正々堂々競技を行い、全力を尽くすことを誓います!」

前に群れる高校生達から大きな拍手が起き、高らかな口笛が鳴った。

え、なに? こんな、いきなりの感じで始めるの? というか、選手宣誓やっちゃうの?

戸惑っていると、南野が一歩下がり、今度は北村が前に出る。

ま、まさか、これ、一人ずつやっていくのか?

大きく息を吸い込んだ北村を、思わず見入ってしまう。

「おい、お前ら! この俺が二連覇してやるから、しかと見とけよな!!」

再び拍手と歓声で観客は湧き返った。口笛の響きと、太鼓のような大きく太い声に、北村は満足そうに手をあげる。

そんな中、俺は錯乱する一歩手前に来ていた。

待って、待って、待って! 選手宣誓じゃないのかよ! 何をするのが正解なの!?

俺の内心など関係なしに、いつの間にやら振り向いていた北村が「次はお前の番だ」とサムズアップしてきた。
ど、どうしよう。何かしないといけない、けれど、何をしていいかわからない。

どうしていいかわからず、何もできずにいると、前に並ぶ高校生達がどよめきだす。その声が大きくなるにつれ、心臓はミシンのように早鐘を打つ。頭の中はパニック寸前。焦燥感に負け、訳もわからないまま一歩前にでる。

その時、手に持っていた携帯が震えて、縋るように画面を見た。新着メッセージの通知に気づき、急いでアプリを開く。

『すみません。言い忘れてました。開会式ではこの下のメッセージを読み上げてください』

そこまで見たところで、すぐさま読み上げる。

「全校生徒のみなさん初めまして。東校代表のネーデルランドです。私が、対校戦に勝利した暁には……」

読みながら気づく。

これ、演説じゃないか……。

「――皆様の清き応援よろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました」

カシラからのメッセージを読み終えると、大量の拍手と声援が向けられる。俺はうんざりしていたが、同時に、二人の時と同様の歓声が上がったことにホッと息をついた。

スマートフォンの画面を落としてポケットにしまい、ふと顔をあげる。

目の前にはたくさんの顔が並んでいた。虫取りに行く小学生のような顔、野球観戦に熱くなった人のような顔、アイドルのコンサートにきた女性のような顔、幼児の成長を見る親のような顔。様々な表情の人が目の前にはたくさんいて、どこからも期待の眼差しが飛んできている。

この眼差しが、全て悪感情からくるものに変わるかもしれない。そう思うと、頭の中が真っ白になり、血の気が引いていく感覚を覚えた。

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