カッコがつかない。
第12話
「赤兎馬、そろそろ返事してくれませんか? みんなも帰っちゃいましたし」
膝の中に埋めていた顔をあげれば、カシラが気怠そうに立っていた。
薄黄色だった空はすでに瞑色に変わり、辺りは黒い影に染まりつつある。いつの間にか暮れ、夜と夕の境目。俺はジャングルジムに背を預け、制服が汚れるのも厭わず地べたに体育座りしていた。
二つ名をもらった後から、どこか放心気味で記憶が曖昧だ。がやがやと騒ぐみんなに適当に合わせていたとは思うけど、それほどの自信はない。ただ最後に、カラオケで祝勝会しようという提案には断った。敗北に打ちひしがれているのに、祝勝会なんて勘弁だったので、よく覚えている。
東たちは主役抜きに祝勝会へと向かったが、カシラは俺から離れようとしなかった。深く傷ついている男に寄り添ってくれる女子高生というやつだ。響きだけは良い。これが本当にそうなら惚れてしまうに違いない。
「ねえ赤兎馬? 返事してくださいよ。耳まで赤兎馬になったんですか?」
「……やだ」
「小学生みたいなこと言わないでください。ほら、もう一度言いますよ。私とこれからも組んで、公園バトルのトップになりましょう。そして私に譲ってください」
実際には違うわけなので、惚れはしないわけである。むしろ今は立ち上がる気力が回復するまで一人静かにしていたい。だから、カシラには一刻も早く立ち去って欲しい。
「ネーデルランド!!」
返事をしない俺に煮えを切らしたのか、カシラは俺の頭を掴み、神社の鐘紐を鳴らすみたいに揺さぶって来た。視界がグラグラと揺れ、三半規管が悲鳴をあげる。けれど、やめろと言う気力すら残っていない。
どこで狂った。あのままなら、ただ運が良い転校生で終わったはずだ。だというのに、必死に隠そうとしていた二つ名を追加で貰うという、最悪な結果に終わることとなった。
気が重い。砂浜に埋められたように体が重い。ただただ重すぎて苦しい。
完全なる自業自得だとわかってはいるが、わかっているからこその後悔が止まらなかった。
揺さぶられ続けていると、喉の奥から酸っぱいものがこみ上げて来て、流石にカシラの腕を掴む。
「答えるからやめてくれ」
「やっとですか。それじゃあ、私と契約していただけますか?」
「俺はやりたくないんだけど」
カシラは困った顔をして、大きく溜息を吐いた。やれやれ、としゃがみ、喧嘩した幼児を問い詰める保母さんのように尋ねてくる。
「やりたくないのは知ってますけど、なぜですか?」
知っていても俺がどれほどやりたくないのか理解していないから、そんなセリフが出るのだろう。ここで俺の意思をしっかり伝えておかなければいけない。
「俺は変わりない学園生活を過ごしたいんだよ。正直、公園の遊具に青春を捧げる高校生なんて、普通じゃあない」
「まあ、赤兎馬、今はネーデルランドの考えなんてどうでもいいですけど、代表を譲るという約束は守ってください」
「聞いておいてそれはなくない?」
「どうせ赤兎馬ランドは私と組むしかないんです」
なんだその遊園地。誰得なんだよ。そもそも無視をしないで欲しいんだけれど。
だが、今更些細なことは気にならず、ただカシラと組むしかないということが気になって尋ねる。
「どういうことだ?」
「今回のバトルで東が赤兎馬ランドに負けを認めました。ということは、赤兎馬ランドが今の東高代表になったってことです」
「聞いてないんだけど……」
「その辺は暗黙の了解ってやつです」
涙が滲んで視界がぼやける。東高代表とは、入学初日で高校の番長にされてしまったということだ。どんどん普通の高校生活が遠ざかる。しかし、ある考えが思い浮かび、ゴシゴシと腕で目元をぬぐい、顔をあげた。
「じゃあ、今ここでカシラに代表譲るよ。それで約束も守れるし、解決だよな?」
俺の問いにカシラは首を振る。
「ダメなんです。高校代表は、対校戦を一度済ませないと引退できない決まりになってるんです」
「なんでそんな決まりがあるんだよ。そもそも対校戦って何?」
カシラは腕をぐるりと回して俺の手を振りほどき、顎の下に人差し指を当てた。そして、斜め上を向きながら「まずは決まりごとから」と話し始める。
「昔からあるたった一つの決まりごとなんです。代表っていうからには、みんなの期待を背負って他校と戦う存在です。だから、一度代表と期待されたなら、他校と戦わずして引退することは裏切り行為になるんですよ」
こっちはなりたくもないのに、勝手に代表にされたんだ。期待されても困る。
だが、さっきの盛り上がりようには少し納得がいった。自分たちの想いをのせて戦う代表に、より強い人間が就任したのだ。その為、負けた東でさえ喜びを顕にしていたのだろう。再び、ずん、と重いものがのしかかってくる。
「次に対校戦ですね。二ヶ月に一度、どの高校が一番強いかを決めるんです。基本的には、次の対校戦までの間、勝った高校は、対校戦が行われた公園の使用権と、暗黙のルールとして『うちの代表は強いんだぜ』と他校に対して強く出られるようになります。まあ、時と場合によっては、施設の優先使用権も決まることがありますね」
カシラの言葉で余計に重さが増す。
ああ。公園バトルで負けてしまえばどうなるだろうか。望んだことではないけれど、みんなは俺に期待してくれているのだ。偽りの実力で代表になった俺は、負けてしまえば、自らの罪悪感で学校に居づらくなるだろう。最悪の場合、責められて、疎外されるかもしれない。
どちらにせよ、負けてしまえばどんな学生生活になるかわからない。間違いなく今までの自分が知らない生活に、どうしようもない恐怖を感じる。
冷や汗がつたい、呼吸が荒くなってきた。そんな俺の様子に気づいたのか、カシラは手をわちゃわちゃさせる。
「だ、大丈夫ですよ、赤兎馬ランド! 一週間後のバトルは、施設の使用権は賭かってないので、負けたくらいでみんな気にしませんよ! 東も前回は負けているんです! それでも、みんなは慕っていたのを見ていましたよね!?」
カシラの気遣いに、少し呼吸が整う。
「あ、ああ。そうだよな」
「はい。でも、今の様子を見る限り、赤兎馬ランドは勝った方が気は楽ですよね?」
俺の落ち着きを見たカシラは、ほっと胸をなで下ろしてそう言った。そこでやっとカシラの意図がわかる。
「で、変わりない学生生活を送りたい俺は、少しでも引け目を失くす為に、カシラと組んで対校戦に勝たないといけない。そしてカシラは、対校戦で勝った一番強い存在から代表を貰うことで、より大きな権力を手にしたいってことか?」
俺の言葉にカシラは「そういうことです」と頷いた。
「東校代表より、対校戦王者から奪ったほうが、箔が付きますからね」
そう言って、カシラはスマホを取り出した。
「ほら、そうと決まればラインを交換しましょう。連絡を取る手段がないのは由々しき事態です。作戦を伝えることすらできませんからね」
「え、ええ〜」
「なんですか、その嫌そうな顔は。このカシラ様が、赤兎馬ランドを助けてあげようって言ってるんですよ」
「……ごめん」
拒否反応が出てしまった事を素直に謝った。助けてくれる恩人、それも今まで見た事ないくらいの美少女から、連絡先の交換をせがまれたのである。普通なら、腹ぺこの野犬が餌に飛びつく速度でラインを起動するだろう。けれど、ブロックに予約機能があればいいのに、と既に終わり方を考えてしまう俺は、仕方のない人間なのだろう。
それから、互いのスマホの画面からQRコードを読み取り合い、ラインを交換した。カシラは満足そうにラインの画面を確認した後、そういえば、と不思議そうに首を傾げる。
「赤兎馬ランドは、なんでそんなに普通にこだわるのですか? 変わらない高校生活がそんなにいいのですか?」
カシラにそう言われた瞬間、脳裏にふわりと光景が浮かぶ。
公園、鉄棒をする俺。そして、黒髪の女の子に抱く、熱くて大きな気持ち。
何度と見た記憶、今もなお褪せぬ後悔。
変わろうとしたけど変われなかった。変わろうとしなければ、大好きだったあの子との関係は変わらなかったかもしれない。
「いやいや。誰が変人になりたいんだよ。平凡が一番だ」
淡い記憶、感情の羅列を吹き飛ばそうと鼻で笑った。けれど、油みたいに染み付いたそれは到底剥がれそうにもなく、不快感に苛まれた。
膝の中に埋めていた顔をあげれば、カシラが気怠そうに立っていた。
薄黄色だった空はすでに瞑色に変わり、辺りは黒い影に染まりつつある。いつの間にか暮れ、夜と夕の境目。俺はジャングルジムに背を預け、制服が汚れるのも厭わず地べたに体育座りしていた。
二つ名をもらった後から、どこか放心気味で記憶が曖昧だ。がやがやと騒ぐみんなに適当に合わせていたとは思うけど、それほどの自信はない。ただ最後に、カラオケで祝勝会しようという提案には断った。敗北に打ちひしがれているのに、祝勝会なんて勘弁だったので、よく覚えている。
東たちは主役抜きに祝勝会へと向かったが、カシラは俺から離れようとしなかった。深く傷ついている男に寄り添ってくれる女子高生というやつだ。響きだけは良い。これが本当にそうなら惚れてしまうに違いない。
「ねえ赤兎馬? 返事してくださいよ。耳まで赤兎馬になったんですか?」
「……やだ」
「小学生みたいなこと言わないでください。ほら、もう一度言いますよ。私とこれからも組んで、公園バトルのトップになりましょう。そして私に譲ってください」
実際には違うわけなので、惚れはしないわけである。むしろ今は立ち上がる気力が回復するまで一人静かにしていたい。だから、カシラには一刻も早く立ち去って欲しい。
「ネーデルランド!!」
返事をしない俺に煮えを切らしたのか、カシラは俺の頭を掴み、神社の鐘紐を鳴らすみたいに揺さぶって来た。視界がグラグラと揺れ、三半規管が悲鳴をあげる。けれど、やめろと言う気力すら残っていない。
どこで狂った。あのままなら、ただ運が良い転校生で終わったはずだ。だというのに、必死に隠そうとしていた二つ名を追加で貰うという、最悪な結果に終わることとなった。
気が重い。砂浜に埋められたように体が重い。ただただ重すぎて苦しい。
完全なる自業自得だとわかってはいるが、わかっているからこその後悔が止まらなかった。
揺さぶられ続けていると、喉の奥から酸っぱいものがこみ上げて来て、流石にカシラの腕を掴む。
「答えるからやめてくれ」
「やっとですか。それじゃあ、私と契約していただけますか?」
「俺はやりたくないんだけど」
カシラは困った顔をして、大きく溜息を吐いた。やれやれ、としゃがみ、喧嘩した幼児を問い詰める保母さんのように尋ねてくる。
「やりたくないのは知ってますけど、なぜですか?」
知っていても俺がどれほどやりたくないのか理解していないから、そんなセリフが出るのだろう。ここで俺の意思をしっかり伝えておかなければいけない。
「俺は変わりない学園生活を過ごしたいんだよ。正直、公園の遊具に青春を捧げる高校生なんて、普通じゃあない」
「まあ、赤兎馬、今はネーデルランドの考えなんてどうでもいいですけど、代表を譲るという約束は守ってください」
「聞いておいてそれはなくない?」
「どうせ赤兎馬ランドは私と組むしかないんです」
なんだその遊園地。誰得なんだよ。そもそも無視をしないで欲しいんだけれど。
だが、今更些細なことは気にならず、ただカシラと組むしかないということが気になって尋ねる。
「どういうことだ?」
「今回のバトルで東が赤兎馬ランドに負けを認めました。ということは、赤兎馬ランドが今の東高代表になったってことです」
「聞いてないんだけど……」
「その辺は暗黙の了解ってやつです」
涙が滲んで視界がぼやける。東高代表とは、入学初日で高校の番長にされてしまったということだ。どんどん普通の高校生活が遠ざかる。しかし、ある考えが思い浮かび、ゴシゴシと腕で目元をぬぐい、顔をあげた。
「じゃあ、今ここでカシラに代表譲るよ。それで約束も守れるし、解決だよな?」
俺の問いにカシラは首を振る。
「ダメなんです。高校代表は、対校戦を一度済ませないと引退できない決まりになってるんです」
「なんでそんな決まりがあるんだよ。そもそも対校戦って何?」
カシラは腕をぐるりと回して俺の手を振りほどき、顎の下に人差し指を当てた。そして、斜め上を向きながら「まずは決まりごとから」と話し始める。
「昔からあるたった一つの決まりごとなんです。代表っていうからには、みんなの期待を背負って他校と戦う存在です。だから、一度代表と期待されたなら、他校と戦わずして引退することは裏切り行為になるんですよ」
こっちはなりたくもないのに、勝手に代表にされたんだ。期待されても困る。
だが、さっきの盛り上がりようには少し納得がいった。自分たちの想いをのせて戦う代表に、より強い人間が就任したのだ。その為、負けた東でさえ喜びを顕にしていたのだろう。再び、ずん、と重いものがのしかかってくる。
「次に対校戦ですね。二ヶ月に一度、どの高校が一番強いかを決めるんです。基本的には、次の対校戦までの間、勝った高校は、対校戦が行われた公園の使用権と、暗黙のルールとして『うちの代表は強いんだぜ』と他校に対して強く出られるようになります。まあ、時と場合によっては、施設の優先使用権も決まることがありますね」
カシラの言葉で余計に重さが増す。
ああ。公園バトルで負けてしまえばどうなるだろうか。望んだことではないけれど、みんなは俺に期待してくれているのだ。偽りの実力で代表になった俺は、負けてしまえば、自らの罪悪感で学校に居づらくなるだろう。最悪の場合、責められて、疎外されるかもしれない。
どちらにせよ、負けてしまえばどんな学生生活になるかわからない。間違いなく今までの自分が知らない生活に、どうしようもない恐怖を感じる。
冷や汗がつたい、呼吸が荒くなってきた。そんな俺の様子に気づいたのか、カシラは手をわちゃわちゃさせる。
「だ、大丈夫ですよ、赤兎馬ランド! 一週間後のバトルは、施設の使用権は賭かってないので、負けたくらいでみんな気にしませんよ! 東も前回は負けているんです! それでも、みんなは慕っていたのを見ていましたよね!?」
カシラの気遣いに、少し呼吸が整う。
「あ、ああ。そうだよな」
「はい。でも、今の様子を見る限り、赤兎馬ランドは勝った方が気は楽ですよね?」
俺の落ち着きを見たカシラは、ほっと胸をなで下ろしてそう言った。そこでやっとカシラの意図がわかる。
「で、変わりない学生生活を送りたい俺は、少しでも引け目を失くす為に、カシラと組んで対校戦に勝たないといけない。そしてカシラは、対校戦で勝った一番強い存在から代表を貰うことで、より大きな権力を手にしたいってことか?」
俺の言葉にカシラは「そういうことです」と頷いた。
「東校代表より、対校戦王者から奪ったほうが、箔が付きますからね」
そう言って、カシラはスマホを取り出した。
「ほら、そうと決まればラインを交換しましょう。連絡を取る手段がないのは由々しき事態です。作戦を伝えることすらできませんからね」
「え、ええ〜」
「なんですか、その嫌そうな顔は。このカシラ様が、赤兎馬ランドを助けてあげようって言ってるんですよ」
「……ごめん」
拒否反応が出てしまった事を素直に謝った。助けてくれる恩人、それも今まで見た事ないくらいの美少女から、連絡先の交換をせがまれたのである。普通なら、腹ぺこの野犬が餌に飛びつく速度でラインを起動するだろう。けれど、ブロックに予約機能があればいいのに、と既に終わり方を考えてしまう俺は、仕方のない人間なのだろう。
それから、互いのスマホの画面からQRコードを読み取り合い、ラインを交換した。カシラは満足そうにラインの画面を確認した後、そういえば、と不思議そうに首を傾げる。
「赤兎馬ランドは、なんでそんなに普通にこだわるのですか? 変わらない高校生活がそんなにいいのですか?」
カシラにそう言われた瞬間、脳裏にふわりと光景が浮かぶ。
公園、鉄棒をする俺。そして、黒髪の女の子に抱く、熱くて大きな気持ち。
何度と見た記憶、今もなお褪せぬ後悔。
変わろうとしたけど変われなかった。変わろうとしなければ、大好きだったあの子との関係は変わらなかったかもしれない。
「いやいや。誰が変人になりたいんだよ。平凡が一番だ」
淡い記憶、感情の羅列を吹き飛ばそうと鼻で笑った。けれど、油みたいに染み付いたそれは到底剥がれそうにもなく、不快感に苛まれた。
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