追憶のピアニスト

望月海里

神社にて


その日の夕方、寮に帰る途中、あの神社に立ち寄ってみた。
もうすっかり銀杏の葉も落ちて、冬の景色になっていた。あの学祭から、私はこっそり『ジョージアオンマイマインド』を練習していた。男性が歌っている歌を歌うには、自分の女性キーに変えて歌わねばならない。その為、自分のキーを探すのにはアケペラで歌ってみて、歌いやすいところを探すということをいつもしていた。そして、アカペラで歌うには、この神社がお気に入りの場所だった。学舎や寮ではいつも誰かが何かを演奏している。この神社だけは住宅街にあるにも関わらず、静かな場所だったのだ。

15分ぐらい、アカペラで、ジョージアを歌っていると、ひとしきり曲が終わったところで、拍手が聞こえた。拍手の主を探してみると、その神社の入り口の鳥居のあたりに西村が立っていた。

「ちよちゃん、今日はここで練習? 寒くないの?」

そう言って、何かを私に放り投げた。咄嗟に手を伸ばす。缶コーヒーだった。

「あつっ。」
ホットのカフェオレと書いてある。

「ごめんごめん。そんなに熱かった?さっきそこの自販機で買ったんだけど。」
「いえ、私、手の皮が異様に薄くて、いつもホットの飲み物自販機で買うと、こうなんです。」
「そっかそっか、ほら、貸して。」
そういうと私の手から缶を取り、開けてくれた。

「いつから見てました?先輩。」
「え?そんなに長くないよ。今帰ってきたら、歌声が聞こえたから。ちょっと覗いたら、ちよちゃんだったから、コーヒー買って、一曲分くらい聞いてた。」
「恥ずかし・・・。まだ全然歌えないのに、聞かれてたなんて・・・。」
「ははは、そんなもんだよ。大丈夫。練習中はみんな下手なの。満足してたら、練習しないっしょ。」

確かにそうだ。練習して練習して、やっと人前で歌う。

「ちよちゃん、たまにここで歌ってたでしょ?俺、何回か見かけてるんだよね〜。夏の暑い日とか、十五夜くらいの時とか。」
その通りだった。

「だから、俺、実は学祭の日よりも前に、ちよちゃんのこと知ってたんだよね。あの日、ユウジの後輩だって、はっきりわかって、名前もわかって、嬉しかったんだよ。俺、うざかった?」
どうりで、初めからなかなかの距離で寄ってくる人だと思っていた。

「いえ、うざくはないです。そんなに練習見られていたなんて、恥ずかしいです・・・」
「真面目に練習してる姿が印象的でね〜。音大って、遊びに来てる奴も多いし、金持ちも多いし、なんか真面目に音楽に向かってる子とかみると、俺も刺激を受けるっていうか。頑張らなきゃな〜って思うわけ。」
「西村先輩も、そんなこと思うんですね。頑張るとか。」
「え?そりゃ思うよ。俺、ピアノ科じゃなくって作曲科に入ったのだって、曲を作って、いろんな人を癒したいって思ったからだし。どうせなら、人が作った曲じゃなくって、自分が作った曲で世に出たいと思ってね。」
「先輩、結構努力家なんですね。何でもできる人なんだと思っていました。」
「そんなことないよ。俺、こう見えて、結構不器用だし。なんかいろんな噂立てられてるけど、地味に傷つくよね。女遊びしまくってるとか、パトロンがいるとか?いないっての。俺、奨学金もらって入ってるしな。」
「そうなんですか?てっきりお金持ちなのかと思ってました。ピアノのコンクールとか出てたって聞いたんで。」
「ああ、コンクールは出たけど、推薦をもらって出たから。お金なるだけかけずに音楽やってきたんだよ。こう見えて、結構努力家だよ。俺。」
「先輩自分で言ってたら、信憑性に欠けます。」
思わず笑ってしまった。それにつられたのか、西村も笑った。

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