亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第73話 暴食の獣


 デリザイトの先制攻撃によって勢いづいた王国軍は、気持ちが自然とそうさせるのか、前傾になりながら帝国側の陣地へ突入していく。

 だがそれを遥かに上回る速さで迫ってくる巨大な影があった。
 四足歩行の獣を模したT-フレーム、高起動型のバンダースナッチだ。

 帝国の騎兵隊が列を開けてつくった道を、まるで夜空に流れる星のように、ヒトの視線を置き去りにしながら駆けてくる。

「バンダースナッチ……こいつの特徴は既に心得ている。直進するスピードやそこから生じる突進力は凄まじいが、ゆえに旋回には難ありと。そしてその自慢の速さもとうの昔に見切っておるわ!」

 迎え撃つデリザイトは両手斧を頭上に掲げると、バンダースナッチの速度と自分の間合いを計算した上で振り下ろした。

 自信に満ちた宣言の通り、確かにタイミングはピッタリではあった。
 それなのに斧は空を斬って凄まじい風圧を起こすのみ。

 なぜなら金属の獣が急に挙動を変えたからだ。
 力強く跳ねるような走りから、4本の足を地面に着けたまま氷の上を滑るかのような動きへと。
 おまけに背中に積んである噴射口を前後左右、自在に回転させることで迅速な方向転換を可能にしていた。
 相手に接近して脇腹の辺りから伸縮する刃で襲いかかり、反撃を受ける前に離脱しつつ備えられた小さな砲塔から魔力弾を撃つ。
 どの攻撃も威力が小さく、鎧のように硬い皮膚を持つデリザイトには決定打とならないが、向こうは全く当てられることすらないのだ。
 相手にとっては真綿で首を絞められるように、じわじわと消耗させられていく感じだろう。

 スピードと突進力を犠牲にして柔軟性を向上させた、現代の帝国式バンダースナッチ。
 これらはデリザイトが昔に戦った時には搭載されていなかった装備を施されている上に、基本的に一撃必殺の大振りが多い本人のスタイルとは相性がよろしくない。
 そのうえ1体に手間取っているうちに更に2体が合流したものだから、苛立ちから徐々に斬撃が雑になるという泥濘ぬかるみにはまってしまった。

 だが幾度となく繰り返されてきた連携によってまたも牙を剥こうとした時だった。
 バンダースナッチが急に後退するというこれまでとは違う動きを見せると、その直後に両者を分断するよう無数の光の雨が降り注ぐ。

「強大な力を持って押し切るというシンプルな戦い方がアナタの長所でもあり、短所でもあるのは相変わらずデスね」

 デリザイトを追いかけて飛び出したレクトニオによる砲撃だ。

「戦闘はもっとスマートにいきまショウと、常々助言してイタのをお忘れデスか?」

 苦言を呈するインゲニウムゴーレムは、体中の様々な箇所の装甲を開いて砲身をせり出した。
 そしてそれぞれから相手に目掛けて魔力弾を発射すると、敵T-フレームは毎度の例に従い回避行動を取る。
 だがレクトニオが放った攻撃は、宙に光の線を描きながら目標を追尾した。
 3体のバンダースナッチは不規則な変化で懸命に振り切ろうとするも、ついには被弾して生命線である脚を破壊されてしまう。

「皮肉なコトに、以前のようなスピードでただひたすら真っ直ぐに逃げていれば振り切れる可能性はあったかもしれマセン。これを考案シタ技術者の目指す方向性も理解できマスが、他の部分を底上げするために長所を殺してしまえば、それは単なる器用貧乏でシカないのデス」

 地面に這い蹲る金属の獣はまるで命乞いの服従をしているかのようだが、主導権を握った側の審判に慈悲はなかった。
 レクトニオは左手の砲塔からの射撃で、それぞれの頭部を確実に粉砕して沈黙させる。

「これ以上グレンデルやバンダースナッチの消耗はもちろんのこと、ジャガーノートにまで被害を出すわけにはいかん! 数で仕掛け、なんとしても我々の手で食い止めるのだ!」

 バンダースナッチが性能を発揮できるように場所を空けていた帝国兵たちが、不測の事態を見るや、すかさず距離を詰めてきた。
 彼らがまず矛先を向けたのはレクトニオの方である。
 なぜならこういった類の相手に対するセオリーというものを、皆が訓練や過去の経験から習得しているからだ。

「これら兵器は一様に雷属性が有効だ! 対応できる者はあの目標に集中砲火を浴びせろ!」

 中隊長の号令で兵士たちは一斉に攻撃を開始した。
 ある者は魔術であり、またある者は矢に魔力を乗せて放つ属性矢であったり。
 その全てが見事に命中した影響でレクトニオの体には稲妻が駆け巡り、雷の魔力の特徴である紫色の光を帯びていた。

 それを見て帝国兵らは討ち取ったりと歓声を上げる。
 だが押し寄せた波が引いていくように、異変に気づいた者から順番に喜びの表情が消えていった。
 通常ならばこれで機能を停止した兵器は、糸の切れた傀儡のごとく崩れ落ちるはず。
 それなのにレクトニオはいまだに威圧されるほどの立ち姿を見せるどころか、より力強い一歩を踏み出したからだ。

「アナタ方の見解は悪くありマセン。ただし固定観念に囚ワレ、最後まで相手の状況を確認しないまま戦場で気を緩めるなど愚の骨頂デス」

「そんな……仮に属性への耐性があったのだとしても、あれだけの攻撃を集中させたのだぞ。ダメージひとつないなんてあり得るはずがない!」

「自分の動力源となる魔力炉は外部カラ与えられた魔力を雷属性へと変換し、可動エネルギーとする仕組みになっていマス。この身体を破壊スルには物理的に叩くか、炉のキャパシティを超える魔術を撃ち込むシカないのデス。つまりアナタ方の行動はタダ相手に好物を与えただけにすぎマセン」

 絶望的な事実を聞かされ、さっきまでの盛り上がりが嘘のように意気消沈する帝国兵たち。
 だが残酷なことに人智を超えた自律兵器は、さらに追い討ちをかけるような言葉を放ったのだった。

「しかし今は少女の魔力が篭った石を収納シテいる為、その容量も少なくなってイル状態デス。過度に摂取スルのもよくないノデ、余剰分は全て丁重にお返し致しマス」

 レクトニオの宣言と共に上空には金属の輪が召喚され、内側が光り輝くとそこから同じような材質で出来た長方形の箱が落下してきた。

 何かしらの魔道具なのだろうか。
 それが独りでに持ち主の目の前で複雑な立体パズルのように形を変えていくと、最終的に完成したのは巨大な砲台だった。

 そして持ち手の部分に手をかけると重い音を鳴らして起動し、レクトニオとは異なる女性らしき音声が発せられた。

『展開シークエンス完了、発射シークエンスに移行します。レムベオカノン起動、魔力炉との接続を確認、エーテル充填率70%、使用可能ラインに到達』

 戸惑ってその場で固まる者や、不穏な空気を察して逃げようとする者などお構いなしに、無機質な声は淡々と事を進めていく。

『照準、マニュアルモードを適用、トリガーロック解除、射線上に友軍なし、カウントダウン省略、準備完了Be ready……撃てますFire

 レクトニオの踵や足の側面から飛び出したフックが地面に突き刺さって固定されるやいなや、砲門からは魔力が眩いエネルギーとなって放出される。
 闘将らの元に駆けつけてきた者はもちろん、運悪く射線に入っていた者も、自分の目の前に光が広がったと認識した瞬間には、最早この世界においての存在そのものがなくなっていたことだろう。
 それだけに留まらず、さらにはその遥か後方で戦況を見ながら待機していたジャガーノートの1体までも、かすめただけで胴体の半分ほどを失って転倒した。

 役目を終えたレムベオカノンは蒸気と共に熱を放射し、出現した時とは真逆の流れでゲートの中へ消えていく。

 元より連続で使用できる武装ではない上に、主君から預かった大切な石を魔力炉に保管している現状では制限があるため、この戦の中で披露する機会はもうないであろう。
 だからこそレクトニオにとっては乱戦になって兵士たちの間隔が広がる前の序盤に、意図せぬ魔力の付与があったのは嬉しい誤算だった。
 おかげで最も効果的なタイミングで放つことができ、何百人では済まないほど多くの敵を巻き込めたのだから。

「T-フレームが4体の時点でもデスが、歩兵や騎兵の掃討数を加味スレば初撃は自分の方が圧倒しまシタね、デリザイト」

「圧倒だと? 何を言うか。確かにお前の方が多かった……いや、ちょっっっと多かった気がしないでもないが、結局はどの程度であったのか分からなかったではないか。つまり先程の一撃はノーカウントということだ」

「フム、確かに一瞬のことでしたノデ正確な数字は測れませんデシタが、互いの差は目で見て明らかデスよね? さすがにアナタの意見は苦しい言い逃れにしか聞こえマセンが」

「ぬぅ……ならば仕方がない。それぞれ数え切れなかった分はまとめて『1』ということにしてやろうではないか」

「ナゼそんな上の立場で提案できるノカ理解に苦しむのデスが。そもそもバンダースナッチに手を焼いてイルところを誰に助けられたのかお忘れナノでは?」

「あれは魔力の温存をして近接武器でしか戦っていなかったからだ。本来なら魔術を用いればいくらでも対応は可能だったのだぞ。それにあの予想していなかった動きだってあと少しで見切れ――」

 子供じみた口論の最中に、デリザイトは急に口を閉ざしてある方向に視線を移す。
 この脈略のない行動に対する追求がなかったのは、レクトニオもほぼ同時にその存在に気がついたからだ。

 2人が目にしたのは、こちらに向かって走ってくる奇妙な一団だった。
 先頭を走る大男は角を持つ魔物の頭骨を被り、肩に毛皮を羽織り、手には豚の頭を象った巨大な棍棒を担いでいるという、およそ兵士とは思えない装いをしている。
 あれではまるで蛮人……いや、醸し出す雰囲気は獣そのものだ。

「ガハハハハ! 大戦おおいくさは面白ェが、如何せんゴタゴタし過ぎていげねェ。そいだら、いきなり前線に行ぎやすい道が出来でラッキーだったな」

 男が駆けてきたのはレクトニオの砲撃によって生じた一本道。
 だからこそ常識で測れば理解し難い行いなのだ。
 状態を知りえない向こうからすれば、いつどのタイミングで2撃目が放たれるのかは分からないのだから。
 恐ろしくて射線の跡を辿るどころか、その周辺にすら近寄りがたい。
 それが可能だとするなら、よほど勇猛かただの阿呆でしかないだろう。

「さっきの一発はすげがったな。おめェが? それともおめェがやったのが? どっちの方が強ェんだ? いや、どうでもいいが。どうせどっちもオレがぶちのめすかんな」

 自信ありげな発言が単なる虚勢でも過剰な思い上がりでもないことはどちらも分かっていた。
 目の前の男が相当な実力者であることは、佇まいだけで十分に伝わっていたからだ。

「某はザラハイム軍六冥闘将がひとり、デリザイトである。貴公は何者だ?」

「オレが? オレはオレだど」

 話の進展が望めない返答にデリザイトとレクトニオが顔を見合わせて首を傾げる一方で、仲間と思わしき面々は「またか」と言いたげな苦笑いを浮かべる。

かしら、名前です。たぶん名前を聞いてるんだと思いますぜ」

「ガハハ! そうがそうが。だったらややこしい言い回しなんてしねェで最初がらそう言えよな。オレは『てつがく』とかいうのは苦手なんだがらよ」

 難しいことなんて何も言っていないし、もちろん哲学でもなんでもない。
 おそらく教養がある印象を与えたかっただけなのだろうが、それがかえって頭の悪さを露呈するというパターンだ。
 あまりにも間の抜けたやり取りに、対面する2人もすっかり戦意を削がれてしまっていた。

「オレの名前はゴルドロックだ。他の奴らからは『ぼうしょく』っても言われてるみてェだけっどな。あどはアダ……あだ?……とにかくすっげェ強えェ冒険者だ!」

「えっと……このお方はギルド最上位の金剛アダマス級冒険者であり、レギオン『鉄の豚アイゼン・シュバイン』の長でもあらせられるゴルドロック様だ!」

「周りのことなどお構いなしに、食い物も酒も金も欲しい時に満たされるまで貪り尽くす。それでついた呼び名が『暴食』よ!」

 本人はともかく、取り巻きの口上で全てを把握した闘将たちは即座に気を引き締め直した。
 長らく休止状態にあったレクトニオも、俗世間から離れて暮らしていたデリザイトも、スクレナと合流した後に世界の情勢を学んでいたからである。

 現在この世に12人しかいない金剛級冒険者。
 そのうちの1人であるこのゴルドロックという男、明らかに知性も品性も備わっていない。
 しかしそれこそが警戒すべき理由なのだ。
 なぜなら裏を返せば、希少な地位を戦闘力のみで勝ち取ったと言えるのだから。
 そしてわざわざ手網を握って制御するという労力を費やしてまで囲い込みたいと考えるほどに、こんな欲求に忠実な男を大規模なギルドが評価しているとも言える。

「世界でもひと握りの戦士にのみ与えられる称号が如何ほどなのか、是非とも一戦交えて味わってみたいものだ」

「待ってくだサイ」

 デリザイトは意気揚々と得物を構えるも、レクトニオに遮られたことで顔をしかめた。
 表情もなければ声のトーンも常に一定だが、長年の付き合いによって意図を汲み取れていたからだ。

「この者の相手は自分に任せてもらいマス。然ればアナタは先に進み、戦線を押し上げることに尽力してくだサイ」

「何を言うか。個人的に心躍る勝負を期待している部分があるのも確かだが、何より全体の戦況を考えれば早めに奴を叩いておいた方がよいではないか。それこそ肉弾戦が得意な某の役目であろう?」

「概ね同意シマス。しかしデリザイト、これはアナタをザラハイム軍の切り込み隊長と見込んでの頼みなのデス」

 そう言ってレクトニオは前方の遥か先を指さす。
 数多の帝国兵や古代兵器で埋め尽くされ、果てしなく遠く感じられる平原の彼方を。

「コノ先にはとてつもなく屈強な戦士がきっと待ち受けていマス。『帝国の盾』と呼ばれるその者を打ち倒し、後に続く友軍の為に突破口を開くのは、最強の矛であるアナタにしか託せナイことなのデス」

「帝国の……盾……」

 魅力的な響きを耳にしたこの瞬間に、デリザイトは葛藤を抱えた。
 そんな二つ名を冠するからには、よほど防御力に秀でているに違いない。
 早く自分の持てる力を全てぶつけてみたい。
 彼の性格からすればそう思うのは必然である。

 そうは言っても目の前にいる金剛級冒険者も捨て難い。
 見るからに腕力に関しては自負心が強そうだ。
 ならばこちらを倒してから向かうという気概を示してもいいのではないか。
 だがその間に先で待つ「帝国の盾」が他の者と戦闘になって少しでも消耗してしまえば、例え打ち破ったところで後味が悪くなるに違いない。

 これらを踏まえた上で出した答えは――

「分かった、お前の頼みを聞いてやるとしよう! その代わりそやつからの被害を味方に出さぬよう必ずここで仕留めるのだぞ!」

 選択は純粋な力比べよりも堅牢な壁の破壊だった。
 デリザイトは妨害する敵を次々に蹴散らしながら目的の場所を目指し、それによって生じた隊列の穴を好機と見て、すかさず王国軍が潜り込んでいく。

「分がるど、おめェ下手なウソついてあいつを逃がしたんだろ? オレに適わねェからひとりだけでもって。人形のくせに見上げだ友情だな」

「否定しマス。先に行かせたコトに関しては信頼であったノデ、そこに関しては確かに友情が起因となっていたかもしれマセン。ですがソレ以外のアナタの見解には誤りがありマス」

「あやまり? 泣いで謝んのはオレでなぐおめェの方だど」

「間違いという意味デス。自分はデリザイトと異ナリ、戦闘の中に刺激を求めたりなどしマセン。だから単に比較シタ上で、より楽に勝てる相手の方を選択しただけデス」

 レクトニオの言葉を聞いてゴルドロックの雰囲気が一変すると同時に、体が一回り大きくなった気がした。
 実際には気のせいであって微塵も変化などないのだが、発散する闘気が周りにそう錯覚させていたのだ。

「オレのこどよぐ知らねェ奴らはそやっでナメて馬鹿にしやがるけど、最後は顔ばグチャグチャにしながら逃げるか降参すんだ。どっちにしたってミンチになんのは変わんねェんだげっどな」

「イイエ、決して馬鹿になどしていマセン。自分はタダこの世の理にそくした話をしただけデス」

「ことわり?」

 レクトニオの両方の手首からは刃が飛び出すと、近接戦に備えて頭部や体の各部位には追加の装甲が施される。

「飼い慣らされて家畜となった豚は、いずれ肉にされるのが運命さだめなのだということデス」

 戦場には怒りの咆哮が木霊する。
 これがアシュヤの叡智と全てを食らい尽くす暴食の獣、双方の戦いの火蓋が切って落とされた瞬間だった。



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