亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第68話 砕けた仮面(ペルソナ)


 最終的には均衡状態にあった。
 だけどそれでも早合点をしたのは、俺に負けるというビジョンがイグレッドには全くなかったからだろう。

「い、いやいや……陛下、相手をお間違えではありませんか? 今の言葉ではこの僕が矮小であると……申し出を拒否されたという意味合いになりますが」

 この期に及んで剣聖はまだ引かない。
 向こうの事情を深く掘り下げれば、それも仕方がないことか。

 なぜならさっきの内容には一部ウソが込められている。
 奴は自分が「進言する」と言ったが、実際にはその必要はないのだ。
 時間も兵力も消耗せずに敵国に降伏させるとなれば、帝国にとってはそれだけで万々歳。
 説得などせずとも向こうには断る理由がない。
 そんな約束を取り付けたとあれば、さぞ剣聖の功績は絶大なものになるだろう。
 しかしイグレッドの性格からして、こんな美味しい話を他人に漏らすだろうか。
 
 いや、ありえない。
 いくら内密にと言っても情報など空気と同じ。厳重に塞いだと思っていても、少しの隙間から漏れ出てしまうものだ。
 ましてや承認欲求の塊である聖魔導士ルナが身近にいるのだから、横取りなどされないよう余計に神経を使うはず。

 つまりこの訪問はイグレッドの独断。
 成功すればこの危うい身勝手な行動も帳消しになるくらいの手柄を得られるが、逆に失敗すれば大きく信用を失う。
 奴からすればこのまま大人しく帰るわけにはいかないのだろう。

「もう一度よくお考え下さい。人類の天敵と言われる闇の女王と結託するなどと知れたら、他国からの風当たりが強くなるというのに」

「ご心配痛み入ります、イグレッド殿。ですが王国の命運を左右するこの1票、そう簡単に動かせるほど軽くないのはご承知かと思いますが」

「ならばお聞かせ願えますか! 僕がなぜその票を拒まれたのか、その理由を!」

 納得いかないというのもあろうが、何よりもこの結果を持ち帰ることが出来ない剣聖は食い下がる。
 対して迫られるクレフは動じる様子もなく、問われたことに淡々と応えるだけだった。

「まず初めに、我々には選択肢が残されているのかという黒騎士殿の言葉について熟考しました」

 結論を出す過程での自らの考えを吐露する国王であったが、それはまるで俺の思考が伝搬したのではと思えるほど、口にしていない細部まで合致していた。

「我々が帝国と本格的に一戦交えれば兵士だけではなく、民や街にも様々な被害がもたらされるでしょう。だからといって降伏という道を取ったとしても、黒騎士殿が申した通りその末路は決して変わることがないのです」

 敗戦と降伏、どちらに転んだとしても、俺が指摘した通り最後にはこの国の民間人が辺境の地へと追いやられる。
 そうなれば豊かではないにしろ、人並みの生活をしていた者たちはどうなるか。

 初めは倫理観から助け合いが生まれるかもしれない。
 だがそのうち、いつ終わるとも知れない苦しい貧困の中での生活に、耐えかねる時期が必ず訪れる。
 そしてこれまで共に肩を抱いて生きてきた者同士の間でさえ、追い詰められた末の奪い合いが始まるのだ。
 金銭か物資か、あるいは命でさえも。
 最も悲惨な結末を物語るとすれば、これを置いて他にないだろう。
 もはやこの国は戦うという以外の選択肢はなく、道が枝分かれするとすれば「勝つ」か「負ける」という結果のみとなるのだ。

 中には弱者を切り離すことで無関係でいられる人物もいるようだが、どうやらそこらの事実についてもクレフは気付いているようだった。

「もっとも、用意周到に根回しが済んでいるからこそ無血での終戦を望む者もここにはいるようだが」

「へ、陛下……そのように言われるのはいくらなんでも心外でございますぞ」

 今の主君の言葉で明らかに動揺する賢人が数名いた。
 その誰もが俺の参戦に異を唱え、イグレッドの提案に間髪入れず賛同した者だ。
 とはいえ剣聖との関わりはなく、奴の申し出は偶然に吹いた追い風だったに違いない。
 だけどおそらくは帝国の役人とのパイプを作り、賄賂によって戦時下の身の安全と、後の待遇についての保証を取りつけていたのだろう。

 だからこそ俺たちが邪魔だったのだ。
 少しでも戦力差が埋まり、戦いがより激化するほどにそんな余裕はなくなっていくのだから。

 だがこうもハッキリと警告をされたのなら、後ろめたさ故にこれ以上の主張は不可能である。
 処分については事が落ち着いてから精査した上でとなるだろうが、とりあえずのところ、これで反対派の沈黙は確実なものとなった。

「分からない人ですね。何度も申し上げておりますが、仮にどちらかに自国を飲み込まれる未来が確定していたとして、なぜ闇の女王を選ぶような真似をするのか。今の世にも残された数々の逸話において、その残虐性は既知のはず。同じ人間である帝国であればまだ話し合いの余地だってあるでしょうに」

 それでも引くことが出来ない剣聖は尚も食らいつくが、そんな必死な姿とは対照的にクレフの口からは静かな笑いが漏れる。
 何が可笑しかったのかは兎も角、癪に障ったイグレッドの顔はより一層険しいものとなった。

「いや失礼。そうですね、私が黒騎士殿の意見の方を受け入れた理由……それは数日前に彼らが竜族の脅威から私自身を、そして王国を救ってくれたからといったところです」

 その言葉を聞いた途端に、今度は剣聖の方が笑みを浮かべる。
 しかしそれは今の心情を表すものではなく、相手への皮肉と侮蔑を込めたものだった。

「そんなことで……たったそれだけのことでお決めになったと? 貴方が恩義を感じるのは結構ですが、王国全体を背負った上での決断としては愚かしいほどに安直と言えましょう」

「これは異な事をおっしゃる。この私の考えを肯定するような発言を、剣聖殿自身がはじめにされているというのに」

 散々論争を繰り広げてきただけに覚えがないといった感じのイグレッド。
 そんな奴に向けるクレフの表情は直前までの国王のものとは打って変わって、年相応の無垢な顔となっていた。
 まるで待ち望んでいた一手が打てることに対して高揚しているように。

「だってほら、あなたは言いましたよね? 『歴史など都合のいい解釈で欠片を繋ぎ合わせた空想』だと。ええ、確かにそう思いますよ。だからこそ私は自分の目で見た現在いまを基準に判断したんです」

 イグレッドは反撃を試みるも、陸に打ち上げられた魚のごとく口の開閉を繰り返すしかなかった。
 自らが得意げに放った持論を使って、手痛い切り返しを食らったのだ。
 これ以上の言葉など出てはこないだろう。

「皆に刻まれた闇の女王の心象が嘘なのか真実なのかなど、当時を生きていない我々には決して正解の出せないテーマです。いえ、誰か特定の人物に限らず、きっとこの世界で人生を歩んできた者それぞれに言えることなのでしょうね。しかし今の自分というものは、その見えない部分も含め、確かに過去を積み重ねて構成された結果であるのです。それを踏まえれば、他人の身を案じて危険に立ち向かう黒騎士殿、自身の益のために相手を貶めようとする剣聖殿。私の双眼に映った2人を比較した時、どちらを信用するかなど明白ではないかと。それに――」

 クレフは言葉を区切って目を閉じる。
 そして再び開いた時、剣聖に向けたその瞳には炎が宿っていた。
 決して揺らぐことのない、確固たる決意を示した炎が。

「例えこの考えが的外れで、闇の女王が冷酷無比な人物だったとしてもかまいません。寧ろ噂に違わぬのなら、喜ばしいことに人知を超えた強大な力を持ち合わせているのでしょうから。富だろうと魂だろうと、私が所有する範囲もので国の代わりとなれば、彼女に全てを差し出すこともいとわない。その力の恩恵を受けて外敵から民を守れるならね。それくらいの……国の長として当たり前の覚悟と執念すら見通せないあたり、貴方はぬるいと申したのです」

 説明を求めたはずが、完全にとどめを刺される形となったイグレッドは、床の一点を見つめながら沈黙したままだった。
 やがて両方の手をこめかみの辺りに添えると、指の間に自分の髪を巻き込みながら引っ掻くよう上下にさすり始める。

「なぜ? 僕が描いたシナリオにこんな結末はなかったのに。どこで狂った? 何が逸らした? あぁ、そうか……本来いないはずの余計な人物が登場したせいだ。でも君は取るに足らない脇役のはず。なのに君がクレフスィル王と先に出会ったせいで、君がことごとく僕の意見を覆して……君が……君が……お前がっ……お前がぁぁあああ!……あぁっ……あぁぁぁああああああ!!」

 威嚇する獣のように声と呼吸を荒らげた剣聖は、独り言の声量が大きくなるにつれて反復していた手の動きを激しくする。

「あるはずはない! 無償の愛などあってなるものか! どうせこれまでの仕返しに僕を陥れて優越感に浸りたかったんだろう!? それだけの為にクレフスィル王に取り入ったんだろう!? 望んだ結果になってさぞや気持ちいいか偽善者……偽善者……偽善者! 慈しみも、思いやりも全ては欺瞞ぎまん! 認めない! この世に存在してはダメなんだ! ダメ! ダメダメだめだめだめ!!」

 あまりにも無様な姿、まるで駄々っ子だ。
 普段の涼しげで整った顔など見る影もない。
 身内のシーオドアでさえも絶句するほどの憤怒の形相だった。
 おまけに自分のことを棚に上げて滅茶苦茶な発言まで。
 よく分からないが、あいつの感情のタガを外す切っ掛けとなるものがあったようだ。

 周りから見ればこれまでの振る舞いだけでも十分なほど異様なのに、イグレッドはさらにそれを上回る行動に出た。
 今度は前触れもなく親指の付け根辺りに歯をあてがったと思いきや、躊躇なく自分で噛み切ったのだった。

 一見すれば混乱から生じた無意識な自傷行為である。
 だが床に血が滴り落ちる度に呼吸が整い、肩の揺れが緩やかになっていくのに気付き、それにはきちんと意味があったのだと理解した。
 おそらくは絶えず頭に上っていく血液を抜き、また痛みを伴い意識を違う方向へ向けることで、冷静さを取り戻そうとしているのだろう。

 それと同時に俺には感じられた。
 イグレッドが謁見している最中にずっと貼り付けていた仮面を砕き、先ほど垣間見せて周囲を困惑させた素顔を完全にさらけ出すのを。
 破壊されたのか、あるいは自らが破壊したのか、その真相は定かではないが。

「この国の王は政治屋の言いなりになる、自我を持たない傀儡くぐつと聞いていたんだがな。操り人形の糸が切れれば床に這い蹲り、無様を晒すだけかと思いきや、どうやら自分で立てる程度の足は持ち合わせていたようだ」

「何を!? いくら客人とはいえ、陛下に対しての礼節を欠く発言は聞き逃せません! 今すぐに撤回してください!」

 状況の飲み込みが早いパティが、言葉の意図を理解して誰よりも先に剣聖を戒める。
 あんな奇っ怪な言動を見せられた直後なのだから、また激昂するものと思いきやだった。
 イグレッドは首を傾けながら彼女を一瞥するだけで、すぐにクレフの方へ向き直った。

 陶器のような顔。
 ガラス玉のような目。
 茶会の最中のような静かすぎる所作。

 それなのにパティの顔は瞬時に強張り、息苦しそうに自分の首元を押さえながら黙り込んでしまった。

「残念だが、どうやらこれ以上は何を話しても無駄なようだ。我々はここらで失礼させてもらうとするよ」

「ええ、それが賢明です。王宮の出口までは部下の者に案内させるとしましょう」

「いや結構。構造もよく分からない建物の中、人気のないところへ誘い込まれて暗殺なんてことにでもなったら堪らないからね。自分の記憶だけを頼らせてもらうさ」

 踵を返すイグレッドは、もはや配慮など全くなしにハッキリとものを言う。

「剣聖殿、最後にこれだけは覚えておきなされ。我々の決死の覚悟は大河の流れの如く。そう易々とは止められぬということを」

 その背中に向けて言い放ったのはジャーメインだったが、剣聖は束の間立ち止まった後に歩を進める。
 そして出口へと向かう途中、意図的に進路を俺の立ち位置と重ね、目の前で歩みを止めた。

「僕はね、君のことを心の底から嫌っているんだ」

 しばしの沈黙の後に出た第一声がそれだった。
 別に今更というか、こいつの態度を見れば分かりきっていたし、特にショックを受けることもないのだが。
 逆に「実は大好きだ」なんてカミングアウトでもされた方がキツいものがあるかもしれない。

「最初にセリアから存在を知らされた時は、幼馴染みや元婚約者という立ち位置に君がずっと残り続けるのが気に入らないのかと考えていた。少なからずそれもあったのだろうけど、あのパレードの日に最たる理由ではないと確信したんだ。はじめて君の姿を見た時に僕の感情の底から湧いた激しい嫌悪感は、そんな生易しいものではなかったんだから」

 そう言われてふと疑問が浮かんできた。
 以前の交渉の席でのやり取りを思い返せば、あの時点でイグレッドがスクレナの正体に気付いている様子はなかった。
 ならばどうしてそれ以前から目の敵にしていたのか。
 俺たちが互いに言葉を交わす機会もほとんどなかった頃からだ。

「まるでキッチンで蠢く黒い虫を目にした時のように、本能が排せよと訴えかけてくるほどだったんだ。おそらく雰囲気がどことなく似ていたからだろう。僕がずっと自分の手で殺したいと思っていた相手に。殺す? いいや、剣聖たる僕がそんな野蛮なことをするものか。そう、駆除だ。駆除駆除。この世に生きることを許されない害虫は駆除されて当然なんだから」

 なるほど、割と単純な理由だな。
 どこの誰をそこまで憎んでいるのかは分からないけど、過去形にしているということはきっと望みは叶わなかったのだろう。
 ほとんどがとばっちりという迷惑な話だと思う半面、自分のした件に対して少しでも背徳感を抱くような奴でなかったことには安心させられた。

「随分な言い草だね。他人事とはいえ、聞いているこっちまで不快になってくる。君も黙ったままでいいのかい? 悔しかったらきちんと言い返してやらないと」

 話に割って入ってきたのは、背後にいた為に内容が聞こえていたドゥエインだ。
 せっかく庇ってくれたのだろうけど、感情を踏みつけにされたからといってこれ以上こいつと言い争う気なんて毛頭ない。

「されるがままだった昔に比べれば少しばかり成長したと思ったけど、結局は変わらず腰抜けということか」

「いいや、イグレッド。こんな場所でセコい唾のかけ合いなんてせずに、お互い戦の中でこいつに命を賭けようぜ。もう既にそういう関係のはずだろう? 俺たちは」

 皮肉のつもりもない、自然と口から出た率直な意見だった。
 だけど受け取った相手の顔は瞬時に赤くなり、眉間から鼻筋にかけて深いシワを刻んだ。

「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねシねシねシねシネシネシネシネ――」

 額がぶつかりそうなほどに顔を近づけながら物騒な言葉を連呼するあたり、まだ先程の精神的なダメージから回復しきれてないと見える。
 それでもほんの少しは気が済んだのか、イグレッドはすれ違いざまに肩をぶつけながら足早に退室していった。

 おそらく次に顔を合わせるとすれば戦場に立った時になるだろう。
 いや、そう願いたい。
 街中などでそうそうは会いたくない相手だからな。

 しかし怒りや憎しみといった負の感情はヒトにとって最大の原動力という。
 実際に剣聖が本気になった時の戦闘力は未だ知れない上に、此度より狡猾な策を巡らせてくることを予想するのは容易い。
 今回の問題を切り抜けたとて、油断することは許されないだろう。

「私、他人にいたぶられるのは嫌いではありませんが、あの目は全身に悪寒が走るほどおぞましく感じました。それに誰かを貶める為だけにわざわざ敵国の中枢に乗り込んでくるなんて、ことごとく性根の腐った男ですね」

 パティがさらっと自分の病的な性状を口にしたことはさて置き……
 実はイグレッドがここまで出向いた理由はそれだけではない。
 あいつは密かにあるものを回収しに来たんだ。
 ともすれば戦争の行方を左右しかねないものを。

「回収……ですか? そんな素振りは全く見せていませんでしたが」

 俺が偶然この場に居合わせ、その思惑を気取られたこと。
 初めて顔を合わせた際に、「あの人」が腑に落ちない発言をしたこと。
 そして何よりそれに気付かないまま帰路についたことこそが、剣聖の最大の落ち度と言えよう。



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