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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第66話 二人だけの開戦


 王宮へ向かう馬車の中で聞いたところ、王都へ訪れたのは剣聖だけではなく、聖女を含めた数人が同行してるとのことだ。
 それを踏まえ交渉の内容はともかくとして、なぜイグレッドがその役目を受け持ったのか。

 聖者たちとは帝国の象徴として掲げられている、言わばアイドルだ。
 剣聖はもちろん、ましてや聖女個人でいえばその風潮は尚のこと。
 彼女の持つ美貌だけでなく、戦や政治の場ですら見せる慈愛によって他国からも支持する声は多い。
 そんな2人を処刑した、もしくは拘束したなんて事をすれば世論が帝国側に傾き、戦わずして王国の敗戦は決定的となる。
 敵地へ派遣するならこれ以上に安全な人材はいないだろう。

 というのがドゥエインの考えだ。

 すると聖女も同行していると聞いたスクレナが急に宿に戻りたいと言い出した。
 なんでもマリメアと合流したいのだとか。
 時間がないとたしなめても頑として聞かないものだから、仕方なく寄り道をしてしまった。
 おかげで話し合いの開始に間に合うかどうか微妙なところになりそうだ。

 そして入れ代わるように合流したのは、近衛隊長が信頼を持っていつも傍らに置いているというパトリシア・ウィットフォード曹長という女性である。
 総司令部での情報整理を終えたところでたまたま遭遇し、ドゥエインが同行を命じた。

 馬車の中で向かい合うように座っている為に自然と目に入ってくるが、軍服を着ていなければとても軍人には見えないだろう。
 落ち着きのある印象で、どことなく高貴な雰囲気を醸し出している。
 デポルという変な奴に出会った直後だからそう感じるのも一際だ。

「それで、パトリシアさん」

「いやいやいやいやいや、黒騎士様に『さん』付けされるなんて恐れ多いです。どうか私のことは皆様のようにパティとお呼びください。いやもういっそ『豚』と呼んでいただいて結構です。寧ろ『豚畜生』と罵ってください」

「え? ぶ……え、なんて?」

「ああ、人前で殿方からそのような罵声を浴びせられるとは、なんという辱めでしょう……ふふ……」

 頬に手を当て虚空を見つめながら独り言を呟くパトリシア。
 前言撤回だ。
 第一声から既に分かるくらいヤバい人だった。

「パティに気品を感じる君の目は正しいよ。何せ彼女はカルヴァート侯爵のご令嬢だからね。少し言動がおかしな部分はあるが各方面において秀でた才を持っていて、本人も国の為にそれを行使するのが高貴なる義務だと家を飛び出し軍に志願したんだ」

 各方面ってことは武にも長けているということか。
 外見も然ることながら、内面的にも半信半疑ではあるのだが。

「熱意に負けたカルヴァート卿だが条件……というよりはほとんど命令だね。それによって実戦にはまだ一度も参加させたことはないけど、情報分析や作戦立案だけでも多くの功績を残して今の地位を得たんだ。全く、欠点を見つけろという方が難しいくらいだよ」

 なるほど、今の話を聞いて大体の察しはついたぞ。
 彼女は誰もが羨むほどの授かりものを天より与えられ生まれてきた。
 おかげで物心がついた頃から、咎められるどころか賞賛された記憶しかないに違いない。
 だが自分が持たざる物に憧れを抱くのが人の性。
 皮肉にもその代償として逆にアブノーマルな願望が膨張していったのだろう。

 さて話がだいぶ逸れてしまったが、俺がパトリ……もといパティに声をかけたのは今の王国と帝国の戦力差を知りたかったからだ。

 冒険者ギルドでのデポルの様子では傭兵の応募の伸びはかんばしくないようだった。
 ならば現状のまま開戦を迎えると思っても間違いではないはず。

「そうですね、細かい数字を省けば予想される帝国軍の兵員数は約60万、対して我が軍は40万。退役や逃亡で減少した兵士の数を埋めるほどの志願者を得ることが叶わなかった結果です」

 まぁ、これだけの差となれば詳細を話す意味すらないだろうからな。

「しかし帝国とて首都防衛の為に平時からの軍人全員を投入するわけではあるまい。連携の取りにくい傭兵部隊や稼ぎの為に志願した平民も多く混ざっているはずだ。こちらにも言えることではあるが、実際の数ほどの脅威はないのでは?」

「ええ、ポー隊長の見解はごもっともです。ですが本日、また新たな情報が舞い込んできました。いい報せと悪い報せ、両方ありますがどちらからお聞きしたいですか?」

 斜め向かいに座るドゥエインと目が合うと、手のひらを上に向けながらこちらに差し出す。
 どうやら選択権を譲ってくれるようだ。
 ならば悪い方から聞かせてもらうとしよう。
 どちらかというと好物は後に取っておくタイプだからな。

「加えて向こうは金剛アダマス級冒険者のレギオンを雇い入れているとのこと。該当するのは『皇帝の獅子エンペラドル・レオン』、『鉄の豚アイゼン・シュバイン』、そして『幻影の黒山羊ファントム・ゴート』です」

 レギオン……知らない単語が出てきたな。
 自分自身が冒険者ながら昇格すること自体には興味がなかったから、基本的なルール以外について無知なのは否めない。

「本来であれば冒険者がパーティーを結成する場合は設立者の等級に合わせて人数の上限が決められている。だが金剛級のみが与えられた特権でその制限を撤廃されているのだが、結果として膨大な人数が集い、いつしか『レギオン軍隊』と呼ばれるようになったのだ」

「現在12人いる金剛のうちレギオンを率いているのは7名ですが、いずれも要塞ひとつくらいなら簡単に占拠できる規模です。何せよりすぐった精鋭が一同に集っているわけですから」

 それは確かに凶報だな。
 しかも聞くほどにその度合いは増してくる。
 吉報の方がこれを帳消しにしてくれるような内容ならいいんだが。

「では次にいい報せの方ですね。実は王国側にも協力の申し出を、レギオン『盲目の熊アヴグル・ウルス』よりいただきました。しかも報酬は他の傭兵らと同額で構わないと」

「それはあまりにも好条件だが、だからこそ受けるのにも尻込みしてしまうな。本当に相手の要求はそれだけなのか?」

「えっと、その……実は他にも提示された条件がありまして」

 当然だろうな。
 寧ろそうでなきゃ何か裏があるのではという疑いしかないだろう。
 でもパティはどうして俺の様子を窺うんだ?

「それが送られてきた書状によれば、終戦後の祝勝会の折には黒騎士様との対話を望みたいと。なんでも今回名乗りを上げたのも何か縁あっての事みたいですので」

 2人とも事情を聞きたそうな顔をしているが無理な話だ。
 金剛級ほど高ランクの者どころか、俺がそれなりに関係を持った冒険者はヒーズとビアンキら二輪の風のメンバーだけなのだから。

 それにしてもこの時点で、しかもこの状況で祝勝会なんて言葉が出てくるとは、一体その自信はどこから湧いてくるんだ?

「本人がギルドに対して個人の情報の秘匿を厳守させているし、仕事の依頼も代理を通してのみ受け付けているので、実のところアヴグル・ウルスの設立者の素性を知る者は少ないんだ。分かっているのは性別が男という事と、定期的に発表される同ランク内の順位がいつも最下位という事くらいか」

 ほとんど情報が開示されていない割に、唯一飛び出したのが聞きたくもないものとは。
 ただでさえ数の上で不利なのに実力で下回るとなると、無礼を承知で率直に言えば役に立つとは思えない。

「いや、一概にはそうとも言えない。なぜなら怠惰と揶揄される彼は降格を免れる基準を満たす以上の仕事をしないだけで、実力で周囲から遅れをとっているという評価ではないのだ。さらにアヴグル・ウルスについては同じ戦場に立った者たちから得られた興味深い話もある」

 ドゥエインは会話を途切らせると、こちらから視線を外して自分の顎をさする。
 なんだかこの先の発言に自信が持てないというような感じに。

「奴らは剣で貫かれようが、矢が突き刺さろうが決して進軍をやめることはない。痛みも感情も見られない姿はまるで不死の軍団だ……という噂だよ」

 また突拍子もない話が出てきたな。
 どうせ精神が張り詰めている状態による見間違いか何かだろう。
 しかし元となる話自体は本当だとしたら、とんでもなく屈強な戦士たちが揃っていると考えられるか。
 だとすれば陣が崩れにくいという点で、集団戦においては大いに期待を寄せられる。
 安直に評価を下した事に反省と謝罪をしなければな。

 そして随分と話し込んで時の流れを感じずにいたおかげで、知らぬ間に目的の場所へと到着したようだ。
 あの男と3度目の対面を果たす場所に。



 ◇



 謁見の間の両端には位置も人数も合わせ鏡のように揃った賢人たちが並び、最奥にある台座の上の煌びやかな椅子には若き王が腰掛けている。

 そして少し低い位置から国王と相対するのは2人の男。
 どちらも言葉と態度では敬いを見せるが、それが表面上のものであるのはこの場にいる誰の目にも明らかだった。

「お初にお目にかかります、クレフスィル王。この度は会談の場を設けていただき深く感謝いたします」

「わざわざ足を運んでもらったのに、立ち話をさせる形となる無礼を許してもらいたい、イグレッド殿。それに……」

「特務職に着いておりますシーオドア・ヴィッセルです。以後お見知りおきを」

 筆頭諜報員であることを濁したシーオドアの自己紹介にクレフは軽く頷く。

「それで、今日はどのような用件で? 帝国が国境を越え、既に王国軍と数度の小競り合いを繰り広げた段階に至っている中での話し合いとは」

「確かに我々の関係は緊迫したものとなっております。ここ王都に足を踏み入れることも自分にとって大きな危険を伴うでしょう。ですがそれを承知で陛下にお伝えしなければならない事実があるのです。何ひとつ憂いもなく、互いに祖国の誇りをかけた戦いを望むがゆえに」

 剣聖の大層な物言いに対してクレフはあえて表情を変えることなく静聴していたが、その心中を周りの賢人たちのざわめきが代弁しているようだった。

「お聞かせ願えますか?」

「はい、少し前の事なのですが――」

 イグレッドが語り出した途端に部屋の扉が開かれ、そこに立つ者たちに皆の視線が注がれる。

「ドゥエイン! 大事な会談の場に押しかけるとは不躾であるぞ!」

「よい、黒騎士殿をお連れするよう私が命じたのだ」

 賢人のひとりが先頭に立つ近衛隊長を叱責すると、王は軽く手を掲げてそれを制する。

 一方の剣聖は振り返るなり思わず眉間にシワを寄せるが、その原因となったのは後に続く見知った男だった。
 だが反射的に作られた自分の表情を意識すると、瞬時に目を細めて友好的な笑顔を見せる。
 帝国の象徴と賞賛する人々にとっては最も馴染みのある表情へと。

「これはこれは、君が国境を越えたという報告は聞いていたけど、こうして異国の地で会えるとは思ってなかったよ。敵陣で知った顔を見られて安心と言いたいところだけど、既にクレフスィル王と親密になられているということはもしかすると?」

「ええ、我が国の協力者として、そして私の客人としてエルト殿をお迎えしました」

「やはりそうでしたか。実のところ彼は妻である聖女セリアとは同郷であり、幼い頃より《《良き友人》》として過ごしてきたと聞いておりまして。このように敵対する立場になってしまうなんて……ああ、今にも心が引き裂かれそうで――」

「もういい、無駄話はやめてさっさと本題に移れ」

 悲壮感漂う顔で胸を押さえながら、舞台上の役者のように振る舞うイグレッド。
 エルトが特に感情の起伏も見せないまま遮ると、剣聖は再び笑みを浮かべる。
 先程のものとは似て非なる、自分の思いを全てさらけ出す笑顔をだ。

「そうだね、茶番はこれくらいにしておこうか」

 穏やかな声や言葉のはずが、瞬く間にこの一室を重く異様な雰囲気で包む。
 エルトを除く者たちは困惑する姿を見せるが、イグレッドの中に潜む狡猾な悪魔のごとく本質を知らなければ無理もない事だった。

「おそらく僕の抑止の為に黒騎士を同席させたのだろうけど、これからする話を思えばその方が都合がいいでしょう」

 その口ぶりではエルトに関係する内容であるのは明らかだ。
 しかしただそれだけなのに、理由も分からずに、なぜかクレフは唐突に息が詰まる感覚に襲われた。

「聖者と呼ばれる我々が帝国によって集められた理由。皆様も耳にしているかと思いますが、それは闇の女王を打ち倒し、この世界に光を絶やさぬ為なのです」

 真剣な面持ちで語るイグレッドだったが対照的に王国側の空気は緩み、賢人たちの間には微かな笑いが漏れた。

「ほっほっ、なんとも勇ましいですな剣聖殿。確かに歴史家たちが記した研究書によると闇の女王は実在した人物とされておりますし、エルフなど長命な種族の中には実際に会った者もいるとの噂を聞いた事がありますが――」

「しかしそれも1000年前の話。言い伝えによればアルデリスの全てを手中に収めようと侵攻するも、『聖耀の剣神』に討たれ野望も命も潰えたとか。今となっては物語に登場する悪役か、怪しい教団に心棒されるくらいの存在でしかないのですぞ」

「では剣聖殿はおとぎ話の王子様だったということですかな?」

 ひとりが嘲るような冗談を口にすると、今度は室内中に笑いの渦が巻き起こった。
 対するイグレッドは体面を傷つけられたにも関わらず逆上するどころか、寧ろ哀れむような目を相手に向ける。

「国の代表ともあろう方々がなんと嘆かわしい。人の語る歴史など、所詮は与えられた欠片を都合のいい解釈で繋ぎ合わせた空想が大概と言えましょう」

「ほう、ならば貴方様は知っておられると? 闇の女王の真実とやらを。もちろん裏付けがない限りは御自身でおっしゃった空想の域を脱することも出来ますまいが」

 剣聖の言葉は受け取る側の感情を波立たせるのには十分だった。
 おかげで売り言葉に買い言葉ではあるが決して不毛な争いなどではなく、話の流れはイグレッドの思惑通り望むべき方向へと進んでいく。

「ええ、当然です。聖耀の剣神は奴を倒したのではなく強力な結界術で封印しただけで、女王は現在まで次元の狭間にて生き延びていました。だが彼の魔女と共謀し、闇の勢力の復活を目論む愚かな人間によって世に解き放たれてしまったのです。そして手始めとして滅びを待つだけであったある国の懐に潜り込み、己が理想を叶える為の足掛かりにしたと」

 両腕を広げながら、声高らかに主張するイグレッドの姿を見てエルトは悟っていた。

 これは前哨戦……否、黒騎士と剣聖、ひと足早いたった2人だけの開戦であると。



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