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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第60話 アイン・ソフ・オウル①


 クレフスィルという小僧が竜族のデカブツと一騎打ちをすると聞いた時、少し痛い目を見ればすぐに逃げ出すと思っておった。
 だが奴はどれだけ傷付いても決して気持ちが折れることなく、それどころか凄まじい根気によって一矢報いるという結果にまで至る。

 小僧が……いや、クレフが取った行動を愚かしいと思うのは今も変わらぬ。
 大国の王の座に着く身としては思慮が浅すぎるからな。
 とは言え不器用ながら心に刻み込んだ信念を貫こうという姿勢だけは敬意に値する。
 決意するのは容易いが、実際に自分の命を賭してまで出来ることではない。
 それが利己的なものでないのなら尚更のことだ。

 しかし予想だにしていなかった事態が起こったからこそ、不覚にも僅かに反応が遅れてしまった。
 クレフは勢いよく地面に叩きつけられ、さらにセルラィンは瞬時に追撃の態勢へと移行する。
 憤怒の念に駆られておるのか。
 おそらく奴は最後の攻撃を食らう間際、見下していた相手に気持ちで屈服させられたのだ。
 言うなれば結果で勝利し、心で敗北したというところか。
 なんにせよ、国王をここで死なせるわけにはいかぬ。
 もはや勝負は決したと判断し、阻止する為に我は魔術を発動させようとした。


 ――だがその必要はないようだ。
 既にクレフの安全は確保されたからな。
 すぐ目の前では膝立ちになっているエルトが、重症の小僧を腕の中に抱えている。

 ただし今の状況と立ち位置がどうしてこうなっておるのか、おそらくこの場にいる全員が理解できてはいなかった。

「デリザイトよ、エルトがどんな動きをして今に及んだのか……お前には見えたか?」

「そ、某は一度たりともクレフスィル王から目を離しておりませんでした。いえ、それどころか瞬きひとつすらも」

 利き足を一歩踏み出しているところから察するに、デリザイトも割って入ろうとしたのであろう。
 言ってしまえば、エルトがクレフを救出して戻ってくるまでに可能だった行動がこれだけということだ。

 その当の本人はというと、周囲の者たちとは対照的に至って冷静な様子である。
 自分の身に何が起きたかを認知しているわけではなく、おそらくここまでの一連の流れは無意識下の行動だったに違いない。
 加えてそれ以上に気を向けていることがあったというのが最たる理由と言えよう。

「頑張ったな。最後の瞬間までよく戦い抜いた」

 エルトは微笑みながら静かに労うが、その言葉を受け取る者は目を閉じたまま声を振り絞る。

「でも……結局はダメでした。やっぱり僕なんかじゃ……誇れる強さなんてないし……託された大切なものを守る力も……なかっ……」

「クレフ、群集を先導する者にとっての強さとは武力だけじゃないんだ。如何に多くの人に勇気を与え、奮い立たせ、自分の全てを委ねるに値すると思わせられるかだ。それを踏まえれば、俺が見たのは確かに偉大な王の背中だったよ」

 エルトの口から出たのは飾り気のない本心からの賞賛だ。
 だからこそ小僧の目からは一雫の涙が零れ、悲観して強ばっていた表情も和らいでいったのだろう。

「おいおいおい! 何やってんだ! もう少し踏ん張れよ、王様よぉ!」

「まぁ、一瞬でもセルラィンの慌てふためく姿を見られただけで十分に楽しめたがな」

「あぁ、それに加えて捨て身の攻撃が不発に終わった時の小僧の絶望した顔。グフッ……相当笑わせてもらったぜ」

 最後に緊迫した戦いを見せられ、興奮も冷めやらぬ周りの竜族たちが好き勝手に胸のムカつく野次を飛ばしておる。
 まるでステージ上の踊り子へ口汚い言葉を投げるタチの悪い観客のようにだ。

 そういえば既に王国と竜族間の戦いは決着ということでいいのであろう。
 ならばこの耳障りな雑音を全て、即刻消し去ってしまっても問題はあるまいな。

「……黙れよ」

 しかし我が実行に移すよりも早く、エルトの一声によって遮られた。
 静かに呟いたはずであるが、バカ騒ぎをしていたドラゴン共は一斉に静まり返る。
 本来ならば聞こえることがないにもかかわらずだ。
 おそらく耳ではなく、その言葉に込められた感情を全身で受け止めた為なのであろう。
 それほどまでに発せられた一言は重く、深いものであった。

「強い奴の意思が正義だというこんな世界なんだ。大事なもんを狙われた方はそれを守る術がなけりゃ同情の余地だってないさ。だけどな、相手が必死に抗ってるなら相応に全力で奪いに来いよ」

 伏していた顔を上げると、エルトの表情は腕の中の少年に向けていたものとは打って変わっていた。

「クレフの覚悟は、お前らがヘラヘラとふざけて賭け事にしていいもんじゃないんだぞ!!」

「なっ……!?」

 雷鳴のような怒号を浴びせられたドラゴンたちは、皆一様に体をのけぞらせた。
 中には一歩後退させられる者までも。
 竜族が人間に気圧されるという稀有な光景を目の当たりにするとは。
 そういう我も手足の指先から震えが込み上げてきおった。
 まさかこの闇の女王が恐れを抱いているのか?
 ふふ、もしかしたらそれも否定できぬかもしれん。
 だが本当の理由はやはり歓喜であろう。
 全く予期してはいなかった時、場所で自分の願望が叶ったのだからな。
 そう、意識的ではないにせよ、エルトは自身があの日に捨ててしまったものを再び手にしようとしておるのだ。
 大切な者を呪縛から解放し、取り戻すのに必要不可欠なものを。

「クレフのこと、頼むな」

 その本人は我らの前に手負いの王を横たえると、剣を抜いてドラゴンの群れと対面する。

「どういうつもりだ? このまま退散すれば見逃してやるというのに。大人しく掟に甘んじた方がいいんじゃないのか?」

「あぁ、そうさせてもらおう。但し従うのは長に代わって報復してもいいという別の掟の方だがな」

「……バカ野郎が」

 セルラィンの言葉を皮切りに戦いの幕は切って落とされる。
 それと同時に動いたのは先制攻撃を試みるエルトの方だ。
 敵へと迫る速さはクレフの時とは比べ物にならないほど。
 だが少し感情が高ぶりすぎているのか。
 自分が悪手だと戒めていた真っ向勝負を挑むとは。
 おまけに相手が一切の油断をしていないということを考えれば、先よりも状況はよくないと言える。

 迎え撃つセルラィンは息を吸い込むように体を後ろに反らせた。
 そして胸部から腹部の辺りにかけて大きく膨らませると、その部分が徐々に赤く発光していく。

『パーガトリーブレイズ』

 全身に巡る炎の魔力を一箇所に集め、凝縮したエネルギーの塊を作って吐き出す技。
 その強大な威力ゆえにドラゴンと聞けばこれを思い浮かべる者も多いほどだ。
 障壁を張っておかねばデリザイトはともかく、クレフにまで被害が及ぶであろう。
 身の安全の確保を任されながら果たせなかったのでは我の名が廃るか。


 ――だがせっかくの気遣いも無駄骨だったようだ。
 セルラィンは反らせた体を勢いよく前に突き出して大口を開けるが、火球は射出されることなく不発に終わった。
 無駄にデカいからこそ、ここからでもパニックに陥ってる顔がよく見えるわ。
 まぁ、無理もない。
 普通ではあり得んことだからな。
 ドラゴンが火を噴けぬというのは呼吸の仕方を忘れるのと同義である。

 さっきの救出の際のエルトの動き、そして今しがたの迎撃のやり損じ。
 これらの奇妙な現象にはハッキリと覚えがあり、我は口から不意に因縁深い言葉を零していた。

「……アイン・ソフ・オウル」

 驚きのあまりかデリザイトが瞬時にこちらへ顔を向ける。
 だが何も否定してこないあたり、こいつも内心では同じことを考えていたのであろう。
 そしてあの晩にマリメアと論じたこと……
 全く、あいつの勘の鋭さにはいつも感服させられる。

 あくまでも確定というわけではないが、もしエルトにこの話をするのなら機会を見極めねばなるまい。
 もし誤ってしまえば、あいつが母親に関する真実を受け止めきれぬかもしれんのだからな。



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