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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第59話 蟻のひと噛み


 そびえ立つ岩山のような相手と対峙するクレフは、ただ呼吸をすることすらままならないといった様子だった。
 まさに国の運命を左右する戦い。
 それも自分だけではなく多くの兵士の……いや、ひいては多くの国民の命を背負った戦いだ。

 だが正反対にセルラィンは落ち着き払い、本当にただ立っているだけ。
 いつまでも臨戦態勢に入らず小さな対敵を見下ろすだけだ。
 既にさっきまでの怒りは収まり、今となっては無機質な目と表情から興味の欠片すら感じられなかった。

「いきます!」

 クレフは剣を構え駆け出すが、律儀に宣言するあたりなんだか嫌な予感が……

 望まずともそれが見事に的中したことは一目見て分かった。
 お行儀がいいというのだろうか。
 魔力による身体強化で多少の速さは出ているものの、あまりにも動きが正直すぎる。
 剣術を習っているとは言っていたから、教わったことをそのまま実践しているのかもしれない。
 ひたすら戦いの中で培ってきた我流である俺の剣も大概だけど、型にはまった技術だけでも手が読まれやすく欠点となってしまうものだ。
 この状況下では純粋で真面目な性格が仇となったか。

「でやぁぁああああああ! がっ!」

 クレフは気合いの雄叫びをあげる。
 だが自分の刃が届く距離に到達する以前に、セルラィンの前脚による打撃をくらい元いた場所まで吹き飛ばされてしまった。
 いや、打撃とは気を使った言い回しだったか。
 まるで小石でも弾くように指先で払い除ける程度だったのだから。
 リーチが段違いなのにもかかわらず、正面から真っ直ぐに飛び込んでいったんだ。
 目にも留まらぬ速さというわけでもないのに。
 これでは戦法がどうこう以前の問題だろう。

「まだまだ! これくらいじゃ音を上げませんよ!」

 体に出来たのは受けた衝撃に見合わない擦り傷だけ。
 硬化タイプの身体強化を使ったのか。
 有事の際に最低限自分の身を守れるようにと教えられたのだろう。

 続け様に挑んだ攻撃も同じような直線的なものだった。
 これではまるっきりさっきの再現だ。
 当然ながらセルラィンも全く同様の動きで押し返そうとする。
 すると前脚が当たる間際にクレフは刃に左手をあてがい剣を自分の前に突き出し、前傾になってから深く腰を落とした。
 今度は足で地面を滑るように後退させられたが、その間に身を翻して攻撃をいなすと再び前進する。
 もしかしてこの動作を繰り返していけば懐に潜り込めるのではないか。

 などと思ったが、その期待はあまりにも短絡的であった。
 相手は本気ではないどころか、まだ戦う姿勢でもなかったというのに。

 さらに距離を詰められたドラゴンの攻撃がまた迫ってくると、クレフはしっかりと防御の構えをとって迎え撃つ。
 だけど軌道が前までのものとは少し違う。
 地面スレスレを這うようにして近づき、剣と衝突した瞬間に小さな挑戦者の体は空中に打ち上げられた。
 いくら足腰に力を込めたところで接地していなければ勢いは殺せない。
 結果クレフは放物線を描いた後、ひっくり返ったように頭から落下した。

 頭部へのダメージのせいで足元がおぼつかない様子だが、無理を押してでも即座に立ち上がったのはまだ戦闘中であるという心構えからなのか。
 だがいくら防御を固めているとはいえダメージはゼロではない。

 それでも間髪入れずに今度は目まぐるしく方向転換をして、変化をつけながら幾度も立ち向かっていった。
 本人なりに工夫を凝らしているのだろうが、その度にセルラィンは頭を小刻みに振るだけで一歩も動かず対処していた。
 クレフの剣は一度も相手に届くことはなく、顔や体の所々には痣や流血している箇所が次第に増えていく。

 そして自傷行為と揶揄されてもやむなしという行動も数えるのが辛くなってきた頃にそれは起こった。

「ブフッ! くく……」

 なんだ? 離れた場所から何か音が聞こえてきたが。
 その方向に目をやると、いつの間にか地に伏せて寛ぐドラゴンたちが体を震わせていた。
 あいつ、笑いをこらえているのか。
 他の奴らも互いに目配せしてはニヤついてやがる。
 それが何を意味しているのか理解するのは一瞬だった。
 不快な気分になるのと同じ速さでだ。

 是非とも見返してやってほしいところだが、その苦い思いは自分の中にそっとしまい込んでおこう。
 ここで激を飛ばすなんてこと、既に死力を尽くしている者にとってはあまりにも残酷すぎる。
 もう十分じゃないかというのが本音だ。

 戦の状況はより厳しくなるだろう。
 それに伴い本来は命を落とす必要がなかった兵士まで犠牲になるかもしれない。
 だけどあくまでも可能性の話だ。
 ここで全く勝ち目のない個の戦いをするよりも、大勢での混戦の方がまだ希望が持てる。
 何よりザラハイムのみんなが加われば打開する術を見つけ出すことも出来るんだ。

「クレフ、この場は負けを認めて退こう。今からでも竜族の驚異を踏まえた策を考えれば活路だって開けるだろうから」

「ダメです!」

 強い口調で即座に否定された。
 しかし顔を見れば単に意固地になっているというわけではないようだ。
 持てる全ての力を出し切っても一撃すら与えられなかったのに、いまだ戦意を失っていないこの目は一体。

「分かっています。国をひとつ背負うには自分の肩が小さすぎることも、僕が王位を継ぐことになった時に聞こえてきた周囲の落胆の声も。そりゃあ当然です。みんなを安心させてあげられるような資質なんて僕にはないんですから。でも……だからって、それが今の責務を放棄する理由にはならないじゃないですか!」

「そうだ! 俺は応援してるぞ! 王様ぁ」

 なんだ? 唐突に群衆の中の竜族がひとり声援を送ってきたが。
 もしかしてクレフの胸の内を知って感銘を受けたのか。
 しかしなみなみと水が注がれた瓶の中へ巨石を投じたかのように、その一言から周囲が堪えていた感情が一気に溢れたのだった。

「おいおい、お前は小僧が勝つのに賭けているからだろ」

「一度も当てたことがないくせにいつも大勝ちを狙うからな」

 広場に巻き起こった嘲るような笑いの渦を聞いて、セルラィンは呆れた様子を見せながらも口元には笑みを浮かべていた。

「まったく……仕方のない奴らだ。ただ結果が分かりきったままでは盛り上がりに欠けるだろうから特別にルールを設けるとしよう。もし次に放った一撃でこの俺に傷ひとつでも付けることができればお前の勝利を認めてやろうではないか」

 自分らの長が提案した破格の条件に興奮が高まったドラゴンたちは歓喜の咆哮を上げる。
 その声に引き上げられるように、俺は自分の頭の中が急激に熱くなっていくのを感じた。
 セルラィンも周りの奴らも、最早この戦いを娯楽として楽しんでいる。
 相手がまさに命懸けで挑んでいるというのに、なんて卑俗な振る舞いだ。

「願ったり叶ったりですね。向こうが気を緩めてくれたおかげで光明を見いだすことが出来ましたよ」

 すかさず食ってかかろうとするも、クレフが腕を掴んで制止する。
 こんなことを言われて何も思わない……わけはないか。
 その手に込められた力と震えから、抑え込んでいる悔しさがひしひしと伝わってくる。
 いくら自分が恥辱にまみれようとも守りたい大切なものがあるというのか。

 クレフは構えもそこそこのまま、何かを急くように戦闘を再開した。
 直進から急に右へ移動し、惑わすようにすぐさま左へ走り出す。
 だけどその動きはこれまで散々試みても通用しなかったんだ。
 結局は僅かでも確率を上げる策に縋るしか手はないのか。

「ぬぅ……!?」

 どうしたんだ?
 セルラィンが苦悶の表情を浮かべながら大きく体勢を崩したぞ。

 ――そうか!
 竜族の多くは首が長い為に胴体の心臓と頭の脳が離れた箇所に位置する。
 それに加えてあの巨体だ。
 普段から血管には相当な負担がかかっているに違いない。
 そんな状態で小さな相手がしぶとく左右に揺さぶったり、接近したり遠のいたりする度に小刻みに頭を振るものだから目眩を起こしたのだろう。
 最初からこれを狙っていたのか、それとも執念が手繰り寄せたのか、何にせよ千載一遇のチャンスには変わりない。
 おかげでクレフは弧を描くようにして走り出し、セルラィンの背後に回り込むことに成功した。

「死角に入ったとてお前の気配を察知することなど容易いわ!」

 ここにきて初めてゆとりを失くした竜族は、自らの尾を鞭のようにしならせて的確に叩きつけてくる。
 だが勢いよくそれを振り上げると、その場からは在るべき姿が消えていた。
 距離を取っていた者たちには把握できていたが、セルラィンのみが完全に見失っている。

 ――上空だ。
 クレフは尾が当たる間際に上手くかわし、そのまましがみつくと勢いに身を任せて舞い上がった。
 それに気付いた時にはもう遅い。
 被弾する面積が広いことが災いして既に回避することが不可能だ。

「だが所詮は無駄なことよ! その程度の非力な剣では竜族の頑強な鱗を貫くことなど出来まい!」

「そんなこと……承知の上です!」

 速度を上げながら落下する少年の次なる行動に思わず絶句してしまった。
 あれは俺がデリザイトやルナと戦った時に使った手と同じものだ。
 全身に纏っている魔力を一点に集中させる方法。
 普段とは比べ物にならないくらい強力な一撃となるが、それ以外の部分が脆くなるというデメリットもある。
 これが最初で最後、まさに自分の持てる全てを乗せた捨て身の攻撃だ。

「このっ! ゴミ虫がぁぁあああああ!!」

 怒号とも悲鳴とも取れる声が辺り一帯に響き渡る。
 傷ひとつでも付けられたら負けというルールが、本来はなんでもないような一撃を致命的なものとしたからだ。
 自分の方が圧倒的に優れているという慢心が生み出した絶望によって、この一騎打ちに終止符が打たれようとしていた。





 ――だがセルラィンの体を突いたクレフの剣の切っ先が鱗を貫くことは叶わなかった。
 もし戦の神というものがいるなら、それはなんと無情な存在なのか。
 いや、公正だからこその結果なのかもしれない。

 原因は魔力が不足していたことだろう。
 通常兵器ならば専用の大型弩砲バリスタや大砲を用いるほどの硬さを持つのに、この一手へ辿り着くまでに消費した量が多すぎたのだ。

「冗ぉぉぉ談ではなぃぃいい!!」

 突然の雄叫びと共にセルラィンは首を回して背に乗るクレフを咥える。
 その後に何をするつもりなのかをすぐに理解したが、一瞬の出来事だった為に全く反応が追いつかなかった。
 猛る竜族はありったけの負の感情を乗せながら、体全体に捻りを加えて若き王を地面へと叩きつけた。

「――っ!」

 声すら上げることが出来ないほどの衝撃によってクレフの体は一度大きく跳ね上がると、そのまま一切の動きを見せなくなる。
 しかしこれだけでは激情に駆られたセルラィンは止まらなかった。
 即座に右の前脚を振り上げると、狙いを既に再起不能に陥っている相手へ定める。


 最後の一突きの時から防御する術を捨てたことにより今は生身の状態だ。
 このまま押し潰されれば間違いなくとどめとなる。

 クレフが命を落としてしまうと思った途端、自分の頭に上っていた熱が体の中心に集約されていくのを感じた。
 そして実際に聞こえたのか、はたして幻聴だったのかは分からない。
 耳元あたりで奇妙な音が鳴ると、俺の目に映る全ての風景が非現実的なものへと変わっていった。



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