亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に
第58話 竜族の流儀
クレフはいまだに間の抜けた顔で立ち尽くしている俺の方へ振り返ると、バツが悪そうな顔のまま笑みを浮かべる。
「すみません、黙っているのも心苦しかったのですが、僕にとっては何がなんでもここまで辿り着くことが最優先だったもので」
あぁ、それはもちろん構わない。
そっちからしたら俺たちの素性なんて全く知らないわけだしな。
例え初めは善意で協力を申し出たとしても、身分を明かした途端に一変して良からぬことを考える輩だっているかもしれない。
対応の仕方としてはごく当たり前と言えよう。
「ありがとうございます。でも……どうしようかな。よく考えたらどうやって礼を尽くせばいいのか」
初めは単に俺たちが何を望んでいるのかが分からないからだと思っていた。
だけどそんなことは直接問えば容易なこと。
もっと他に意味があったのだろうか。
そうこう考えているうちに群れていた竜族たちは左右に分かれて道を作ると、その中心から一際大きい1匹のドラゴンが闊歩してこちらに向かってくる。
そういえばこいつらって聖竜と邪竜、どっちなんだ?
竜族を見ること自体が初めてなんだ。
見分け方なんて知る由もない。
「こやつらはどちらにも属していない、言わば野良と言ったところか。互いの勢力には血統を継ぐ者、あるいは力ある者しか正式に加入することが出来んからな。この中で最もマシなのでも一族全体で見ればせいぜい中の上というレベルであろう」
スクレナが近づいてくるドラゴンを顎で指して教えてくれた。
ここにいる奴らが有象無象ということは、聖竜、邪竜と呼ばれる者たち、ましてやそいつらを率いる者はとてつもない化け物ということになるな。
「俺はこの集団の長、セルラィンだ。小僧、自らのことを王と言ったか。確かに腰に帯びた長剣の鞘に配われた装飾は王家の紋章のようだが……そいつが事実だとして何故我らの聖地に足を向ける必要がある」
こいつら、人の言語を理解するだけじゃなく発することまで出来るのか。
「哨戒中の兵から短時間に何度も報告がありました。竜族が次々にパトロア山へ飛翔するのを見たと。いつもとは異なる事態に議論がなされ、そこで我々が出した答え……それはあなた方が王国と帝国の戦争に介入するつもりだということです」
クレフの話を聞いて竜族の代表は目を細めた。
言葉にせずとも今の問いを肯定しているという表れか。
しかし竜族が人間同士の争いに割って入る必要があるのか?
集めた数やする事を考えれば単なる暇潰しなどでは済まないぞ。
「理由は帝国への報復ですね。奴らの軍が王国との国境とは真逆に位置するロブスト山脈の聖地を攻撃した事への。進軍するに際して手薄となる首都を脅かす不安要素を少しでも取り除いておきたかったが為に」
「そこまで確信めいた態度を見せられては最早隠す意味もあるまい。お前さんの言ったことが全てだ。いくら蟻のような矮小な存在とはいえ何十万と寄り固まれば厄介だからな。両国との戦争の中で混乱、消耗が見られたところで一気に叩くという算段だ」
戸惑いもなく、すんなりと認めたのは王国側に止める手立てがないことが分かっているからだろう。
そして自らも止めるつもりはないと。
しかもセルラィンの余裕から察するに、これから先もっと多くの援軍が集結するはずだ。
「心中はお察しします。宣言も一切なく、突如として同胞が一方的に傷付けられたのですから。だけどあくまでもあなた方の敵は帝国であって、我が国とはなんの遺恨もないはずです。ならばあえて三つ巴の争いをせずとも共闘という道もありましょう。どうか懸命なご判断を」
クレフが胸に手を当てながら頭を下げると、セルラィンは目を瞑って考え込む。
自分が竜族側の立場になったとして考えれば悪い話ではないと思うのだが。
この様子からだとそう単純なことではないようだ。
「小僧、円滑に話を進める為にお前の思い違いを正してやろう。今の竜族たちが怒りを向ける先は帝国だけでなく人類全体だ。いや、怒りもあるがそれ以上にお前たちが無知であるゆえの警告でもある」
「警告……ですか?」
「竜族の中には他種族と意思疎通が出来ない者もいる。特に多いのがまだ若い個体だ。同種以外と交流する機会など滅多にないから、人類の共通言語を理解して発音する必要もないのでな。そういった者がふとした事で人里に降りれば、遭遇した大抵の種族が向けるのは恐怖か敵意である」
俺はセルラィンの言葉を自分の体験に置き換えて考えてみた。
もしピクシー族と初めて出会った時、彼女らが自分に伝わらない妖精語でコミュニケーションを取ろうとしてきたらまず警戒をしてただろう。
その未知なるものが明らかに自分より強大となれば、自衛の為に否定的な感情が湧いてくるのも仕方がないことだ。
知性や感情のある生き物にとって争いの切っ掛けとなるのはそういった場合が多い。
だが俺が同調できるのはそこまでの部分であった。
どうやら竜族はもっと異なる理由で憤慨しているようだ。
「俺たちに限らず様々な種族間で起こりうることゆえ、それ自体は割り切ることが出来る。だがなぜか当たり前のように甘んじていたこれまでの状況に竜族は疑問を持ち始めたのだ」
不穏な空気を感じて横目でスクレナを見ると、こちらの視線に気づいて両の手のひらを上へ向けながら肩を竦める。
まるで予想していた通りの流れになった事にうんざりしているように。
「強靭で長命、そして聡明……この世で最も優れているのが竜族だ。にもかかわらず、なぜ俺たちが鳥籠に押し込められたように限られた過酷な環境を生活圏としてるのか。むしろ竜族が支配する世界で他の劣等種がおこぼれを欲しながら生きるのが在るべき形ではないのか」
熱の篭った演説を披露していただいたが、要するに誰が頂点に立つかの意見が違うだけで主義主張は帝国そのままだ。
これでは手を取り合うどころか話し合いの余地すらないだろう。
帝国軍の襲撃が決定的な動機になったのは間違いないが、不平不満は随分と長い年月をかけて蓄積されていたということか。
表情を伺えばクレフも同様であることが伝わってきた。
「……分かりました」
「聞き分けがいいことくらいは評価してやろう。この話を聞いたところで今や敵を迎え撃つ以外に選択の余地はないだろうがな。せいぜい撒き餌として役に立ってから亡国への道を辿るがいい」
「我々のやり方では納得してはもらえないようですね。ならば今度はあなた方の流儀に則った交渉をさせていただきます」
これ以上の語らいは無用と踵を返すセルラィンだったが、クレフの言葉を聞いた途端に足を止めた。
それからの振り向く動作は静かであったが、逆に内側では怒りによる感情の嵐が渦巻いているようだった。
さっきの会話に出てきた流儀という物言いが気に食わなかったのか。
「自尊心の高さならエルフとドラゴン、どちらが上か。などと皮肉を込めた議論が日常的に展開されるほどこいつらは他人をなかなか認めない。それ故に説き伏せようとするならば自らが確固たる強さを見せつけてやらねばならぬのだ」
それは竜族に打ち勝って力を証明しろということなのか。
ちなみにだが、スクレナとデリザイトならこの集団を倒すことが出来るのか?
「無論だ。この程度の数、30秒もあれば全てを肉塊へと変えられる」
そうか、セルラィンの話を聞いた時は大戦の前に厄介な問題が浮上してきたと気を揉んだが安心したぞ。
「何やら早合点をしておるようだが竜族の流儀でと言っておったであろう。戦うのはあくまで群れのリーダー同士、現状で言うなれば小僧と目の前のデカブツだけだ」
竜族に対して気性が荒いという印象を抱いていただけに意外だった。
てっきり両軍入り乱れての大混戦になると思っていたのに。
「奴らは個々の力が強すぎるせいで、意図せずともちょっとした悶着ですら命を奪いかねん。実際に同族同士の縄張り争いが理由で大きく数を減らしてしまったという例もあるからな。それを極力防ぐ為に先人が築いた伝統だと聞いたことがある」
そして決着がついた後、敗北した側には代表者に続いて尚も徹底抗戦を宣言するか、大人しく引くかの選択肢が与えられる。
さらには逃走する際に勝者は絶対に手を出してはならないという掟もあるらしい。
反故にして背中を撃てば卑怯者のレッテルを貼られるというのだから、プライドを重んじる竜族には効果的ではあるな。
「このルールを知っていたからこそ小僧は軍を引き連れずにここまで来たのかもしれぬな」
「どういうことだ?」
「考えてもみろ。せっかく被害を最小限に抑えようとしても、自分が仕えている君主の命が奪われたとなれば忠誠心の高い部下は敵を討たんと武器を取るだろう。例え自己保身の方が大事だと思っている者でさえ、周りの目や体裁を気にして望まずとも向かっていかなければいけない状況に追い込まれる。人間とはそういう生き物であろう」
クレフの考えとは裏腹に惨状が繰り広げられるということか。
だから王の思いを汲んで自制できるであろう護衛だけに絞ったと。
「殊勝な心がけとも言えるが、それは小僧がただの個人であったらの話だ。世継ぎのまだない一国の長ともあれば、数千の兵を皿に乗せたところで天秤の傾きを変えられない場合もある。もちろん王都には今後を任せられるような人材がいるのだろうが、それを踏まえても他人への過分な気遣いからなる愚かしい行為と言えよう」
まだ若いからこその浅はかさとも言えるが、だからこそだ。
スクレナの理屈が正しいのは理解できるけど、そういうのを抜きにして俺はクレフの人としての優しさをただ素直に賞賛したい。
だけどそんな綺麗な話でまとめられないのがこの先なんだ。
王国の代表としてドラゴンと一騎打ちをしなければいけないのだが、いくら考えたところで勝ち筋が見えてこない。
こうなれば容認されるかは分からないが、他の誰かを代役として立てるべきだろう。
「ありがとうございます、エルトさん。でも受け取るのはお気持ちだけにしておきます」
この期に及んで俺たちに配慮しているのか。
いくら王様とはいえ、今は年相応にワガママのひとつでも言ってくれればいいものを。
だけどクレフの目を見ていると、どうやらそれだけではないみたいだ。
「これ以上あなた方に甘えて僕が国の未来までも託すような情けない国王になってしまったら、この場を収めたところで結局は他国に飲み込まれる運命にしかならないでしょうから」
若き王は力強い表情で自分の胸を拳で叩いた。
純粋に身を案じての提案ではあったが、決意を固めてこの塔へ来た彼にとっては無礼であったろうか。
背中を向けたクレフは剣を抜くと、目を瞑って鍔を額に押し当てるように構えた。
無言のまましばらく制止する姿から祈りを捧げているように思われるが。
それを向ける先は2人の兄なのか、それとも先代の国王だろうか。
自分の人生において一番近しい男性と言える父親がそういう存在になるのは俺にはまずないことだ。
正直羨ましくも思う。
「クレフ! ……スィル王」
やがて巨大なドラゴンを見据え、雄々しい歩みで前進するクレフを俺は反射的に呼び止めた。
それから頭に浮かんでくるよりも先に、無意識的に口から言葉が飛び出していた。
「あの、すみません。王様だなんて知らなかったもので……俺、ずっと馴れ馴れしい態度とっちゃって」
なんでこのタイミングで、なんで今更こんなことを言ったんだろうか。
自分でもよく分からないんだから、クレフは尚のことかもしれない。
だけど直後に見せた彼の笑顔は、出会ったばかりの無垢な少年のものだった。
「そんなことありません。幼少の時から自分の周りにいたのは本音を口にしない大人ばかりだったので、立場なんて関係なく、それも同年代の人と会話が出来たのはこれが初めてでした。だから寧ろ嬉しかったんですよ。もし僕にも友達がいたらこんな感じなのかなって。エルトさん、この一件が終わったら――」
クレフは何かを言いかけて押し黙ると、寂しそうに微笑んだ。
そして代わりに口から出たのは、短くも重みを感じる一言だった。
「いえ、いってきます」
なんて顔をしてるんだよ。
命を捨てる覚悟なんてするなよ。
望んで今の地位に着いたかどうかは分からないけど、少なくとも王家に生まれることを決めたのは本人じゃない。
クレフ、君は自分の宿命に突き動かされているだけじゃないのか?
だとしたらこれだけはハッキリと言える。
その覚悟は間違っていると。
だからこそ俺は今、心の底からクレフの力になりたいという気持ちが湧き上がってきている。
思い返せば自分が王国にまで来て帝国と戦う理由――
それは明確な目的もなく、ただ私怨やスクレナの行動に流されていただけなのかもしれない。
だけど目の前の未熟ながら真摯に国と向き合う王の姿を見ていると、微力でも支えになりたいという衝動に駆られてくる。
たぶん同情でも忠義でもない。
言うなればクレフスィルという人間への好意と尊敬であり、剣を振るう理由をくれた事への感謝なのだろう。
そうか、脈略のない先の発言は身分の差に尻込みしてしまったからなのかもしれない。
情けないことに、向こうから口にしてくれることを期待していたんだと思う。
結局は聞けず終いだったが、次こそはきっと俺の方から言葉を送ろう。
もしまた先手を打たれるようなことがあれば絶対に快諾するから。
どうか自分の全てをなげうつ覚悟だけは捨ててくれ。
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