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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第56話 クレフという少年


 検問所を突破すればそこはもう帝国領ではないはずなのだが、旅の途中にはいくつもの拠点が俺たちの行く手を塞いだ。
 見るからに急ごしらえな上に規模が小さいことから、目的はせいぜい足を鈍らせるくらいだったのだろう。
 国境侵犯になる形だから派手に展開が出来ないという理由もあったろうが。
 先回りした伝令使から検問所での小競り合いの情報を得たのか、中には持ち場を放棄してもぬけの殻になっている箇所も。
 要するにここまでの進行は順調だということだ。

 しかし客車の中はというと、みんな特に会話もなく静かなものだった。
 先の戦闘の名残で気が高ぶってるかと思いきやだ。
 初めは俺も不可解に思っていたが、この雰囲気と同じものに覚えがあった。
 これは祭りなどで必要以上に羽目を外すも、現実へ引き戻された時の反動で急激に気持ちが冷めるやつだろう。
 久しぶりの共闘ということもあってか、あの時はちょっと引くほどに全員が生き生きしていたからな。

 そんな中で幾度となく繰り返されてきた停車だったが、今回はどこか様子が違うようだ。
 王国に入ってから随分と経っているし、さすがに窓の外を見ても新たな拠点らしきものは何もない。
 とりあえず下車して現状を作り出した本人に聞いてみることにする。

「どうした? レクトニオ。何かあったのか?」

「微かに不穏な音を拾いまシタ、10時の方向デス。応戦する声や唸り声から察するに、人間が空腹状態の魔物に襲われてるのかと思われマス」

 予想外の緊急事態に遭遇してしまったみたいだ。
 レクトニオの口ぶりだと今まさにその人の身に危機が迫っているということだろう。
 一刻も早く現場に向かわなければ。

「なになに? エルちゃん、もしかして魔物がご飯食べるとこでも見に行くの?」

 俺たちの会話が聞こえたのか、スズトラが車体から顔を覗かせ声をかけてきた。

 そんな悪趣味なことするわけないじゃないか。
 当然その人が犠牲になる前に助け出すんだよ。

「その魔物は手頃な餌を見つけたから捕食する。ただ自然の摂理に従っているだけなんだから、邪魔立てされる理由はないんじゃないかい? あんただって好物のハムステーキを食べてる時に意味もなく小突かれたら気分を害するだろ?」

「君ら相変わらずドライだねぇ。私は手伝ってあげたい気持ちはあるんだけど、逆に足でまといになっちゃうもんなぁ……」

 キャローナが同調してくれたが、命を等しく考えるならマリメアの言うことは正論だ。

 常々思っていたが、闘将たちは自分の仲間となった者への愛着がすこぶる強い。
 しかしそれと同等に他人や敵対する者には容赦がなかったり、えらく無関心なところがある。
 達観しているとも言えるのだけど、また別の角度で見た時に冷淡と受け取ってしまうことも。 
 かつては俺も向こう側を覗き見ようとしたからこそ、人間との違いを心底感じるのだ。

 ――と、今はこんなことを考えている場合ではなかった。
 俺が助けになるかどうかはともかく、まずは行動しなければ救出の可能性そのものがなくなってしまう。

「待て、自分に益がなくとも見ず知らずの者を助け出す。それが最終的なお前の意志ということで相違ないのだな?」

 最終的というか、最初からそのつもりだ。
 スクレナに言われるまでもなく見返りを期待しているわけじゃないし、かといってその人にとっての英雄になりたいわけでもない。
 強いて言うなら俺が「こうしたい」と思ったから、物事の善し悪しは抜きしてただそれに従っているというべきか。
 かつては周りに合わせて無意識に背伸びしようとしたこともあったが、今となっては自分らしく行動した方が何事も後悔はないと考えを改めた。
 別にあの日、レクトニオの背の上でこいつに言われた言葉を意識してるわけではない……きっと。

「ほう、それは……」

 スクレナは口元に手を添えながら何かを考える素振りをしていた。
 呆れているのかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。

「よし、ならば我も同行するとしよう」

 何が「ならば」なのか分からないが。
 とにかく手を貸してくれるというのなら素直にその申し出を受けさせてもらおうか。


 ◇


 他の者たちを残してレクトニオが示した方向へ急行すると、間もなくして魔物の背中が視界に入ってきた。
 容姿は一見するとイタチのようだが長い口吻と舌を持ち、体長は2メートルほど。
 頭頂、背中、四肢が固い鱗に覆われていて、とりわけ発達している両腕の部分はさながらミトンのようだ。

 あれは危険度Dのスカルクラッカー。
 特徴的な腕で餌を叩き割ることから付いた名前だが、それはもちろん木の実などの可愛いらしいものではない。
 ミンチとなった獲物を舌ですする食事風景から、遭遇するのは勘弁だと言う人は危険度に見合わず多いことだろう。

 一方で襲われている人物はローブを羽織り、フードを被っていた為に小柄という情報以外は得られなかった。
 長剣を振り回しているおかげで、辛うじて魔物の接触を阻んでるといったところか。
 見た限り一応は剣術の心得があるようだが、実戦経験がないのか完全に腰が引けてしまっていた。
 あれでは敵を斬ることなんて出来ないし、まず刃を当てることすらも叶わない。

 俺は魔力を駆使して自身の機動力を上げ、一気に魔物との距離を詰めた。
 スカルクラッカーとの戦闘はこれが初めてだが、対処法自体は以前に学習済みだ。
 まず何より優先すべきは最も驚異となる腕を無力化すること。
 その際にただ漠然と攻撃を加えたのでは固い鱗によって逆にこちらの武器が破壊される恐れがある。
 よって狙うべき箇所は自ずと絞られてこよう。
 そのひとつが可動域を広げるために柔らかくなっている関節部だ。
 本来なら戦闘態勢の相手は激しく動くため正確に当てるのは困難だが、幸いにも魔物の意識は目の前の獲物に集中している。
 気取られるよりも早く自分の斬撃が届く距離まで到達すると、俺は長剣を振りかざした。

 ――が、即座に構えを変えて柄を顔の横へと持っていき、そのまま勢いよく突き出す。
 刃がクラッカーの左腕の付け根に刺さると、木々の間には苦痛からなる咆哮が響き渡った。
 不意打ちを受けた魔物はこちらを向くと同時に、右拳を俺にめがけて振り回す。
 つい反射的に剣で受け止めそうになるがそれは悪手だ。
 咄嗟に身をかがめると、自分に迫っていた凶器が頭髪に触れてから通過していくのを感じた。
 前転をひとつ入れながらローブ姿の人物の前で勢いを殺し、すぐさま立ち上がりクラッカーと対峙する。

 今の一撃で魔物の標的は完全に俺へと変わっていた。
 それは自分の狩るべき獲物ではなく、害をなす敵として。
 さっき腕を切り落とそうとして考えを改めたのは、あくまでその時点ではこちらの身勝手な介入だったからだ。
 報酬を貰って討伐するのでなければ、命を奪い、食して糧とするわけでもない。
 だがこのまま戦闘開始を望むのなら話は別になってくる。
 敵意を向けられればこちらも相応に返してやらねばなるまい。

 暫し互いに一歩も動かぬ膠着状態が続いたが、その立場は明確に分かれていた。
 旅の中でスクレナと共に高危険度の魔物を狩ってきた俺にとって、Dランクくらいならその辺の獣と大差はない。
 ましてやたったの1匹となれば、余程のことがない限り負ける要素は見当たらない。

 野生の勘というものでそれを察したのだろうか。
 クラッカーは口内に並ぶ小さな歯を見せながら威嚇していたものの、しばらくすると尻尾を巻き、頭を下げ、目を見開きながら徐々に後退する。
 そして怯えを表す仕草を見せたままゆっくり距離を開けると、突如方向を変えて一目散に逃げ出した。
 結局は一撃ずつ繰り出すだけの呆気ない終幕となったが、襲われている人物の安全確保が目的であるならば寧ろ好ましい展開だろう。

「深手を負わせればそこから死に至るかもしれぬし、片腕を失ったまま過酷な環境に身を置くことになればいずれは同じ。お前の判断はあの魔物も救ったことになるのか」

 ひょっこりと現れたスクレナはクラッカーの消えた場所を見つめながらポツリと独り言を呟いていた。
 そういえばお前、本当についてきただけだったな。

「最初から同行するとしか言ってなかったであろう。我はただあの状況でエルトがどういう行動をとるのか直に見てみたかっただけだ」

 何なんだこいつは。
 さっきからまるで品定めをされているような感じがして落ち着かないな。
 まぁ、今は救出した人の状態を確認するのが先決か。

「怪我はありませんか?」

 あれだけ動けていたのなら命に別状はないとは思うが。
 襲撃を受けている最中は興奮によって痛みを忘れるし、本人も気づかないうちに傷を負っている可能性もある。

「えぇ、大丈夫です。面識もないのに危険を顧みず窮地を救っていただけるなんて、なんとお礼を申し上げればよいか」

 俺が差し出した手を握り返しながらその者は謝意を述べる。
 声からは男性であること、そして顔を見ずともかなり若いということが分かった。
 それに口調からしていい環境で育ってきたのだろうということも。

 男は立ち上がってフードを脱ぎ、顔を露わにした。
 燃える朝焼けのような色の髪に空色の瞳。
 見た感じだと15、6歳くらいだろうか。
 一目で俺よりも歳下だと分かる程度にあどけなさが残っていた。
 ローブの隙間から見える衣服はデザインが地味なだけで随分と上等な生地を使用していると思われる。
 醸し出す雰囲気と相まって、不思議な印象を与える男の子だ。

「僕は王都カルディアから参りました……えっと、ク、クレフと申します。信頼できる護衛を1人連れていたのですが、恥ずかしながら魔物との遭遇に混乱したまま逃げているうちにはぐれてしまいまして。街の外がこれほどまでに恐ろしいとは思いもよりませんでした」

 クレフは憔悴しきった顔でため息をついた。
 王都に住んでいれば不便はないし、まだ成人するかどうかの歳ならあまり外の世界を知らなくても不思議ではないだろう。
 とはいえ舗装された道路を通ればほとんど魔物と出会うことはないし、定期的に巡回している兵士だっているはずだ。
 なのにわざわざこんな山道を歩いているなんて、何か特別な理由でもあるのだろうか?

「僕が目指しているのはパトロア山にあるサントリウムの塔なので、どんなに険しくともそこへと繋がる道を通る以外の選択肢がなかったというわけです」

 そう言ってクレフは一際高い山の頂上付近を指さした。
 どうやら外の世界のことを知らないのは俺の方だったらしい。
 初めて耳にするので、そこが一体どんな場所なのか皆目見当もつかなかった。

「サントリウムの塔というのは世界に点在する竜族の聖地のひとつだ。奴らが聖竜と邪竜に分かたれるより前に存在していたドラゴンを統べる者、竜王ドルコミィリスが眠る特に重要な地となっておる」

 スクレナの説明通りだとそこは竜族の溜まり場みたいな感じなのか。
 ドラゴンを見てみたいという軽い気持ちではなさそうだし、自らの意思でそんな場所へ足を向けるなんてよほどの事情があると伺える。
 しかしそれを叶えるのが困難だという事実を知らしめられ、本人はひどく落胆していた。

「あの程度の魔物ですら慌てふためくとは、竜族を前にして平静を保ち続ける自信が全く湧いてこないですよ。この先さらに道が険しくなるのが予想されますし、そもそも無事に辿り着けるのかも怪しいです……」

 自分にとっては全く馴染みがない種族だからいまいちピンとは来ないが、道中もさることながら目的地の方により危険がありそうなのは確かだ。
 残念かと思うが今回は諦めて引き返した方がいいだろう。
 俺の意見としては用意周到な計画を立ててから再度挑むことをお勧めしたい。

「ふむ……ならば小僧、我らを雇うのがよかろう。貴様を目的地に送り届けるくらいなら完遂すると約束してやる」

 コラ! 絶対にそれは自分を売り込む側の態度ではないぞ。

 いや、そうじゃなくて!
 何を勝手なことを言ってるんだ。
 こちらにだってすべき事があってここまで来たんだ。
 俺が言える立場ではないが、時間だって限られているのにそんな大層な寄り道をしている暇なんてないだろう。

「確かにもっともな意見だが、心にゆとりを失くしては同時に視野も狭くなってしまうというものだ。試しにあの山の頂に到達すれば新たな発見があるやもしれぬぞ」

 焦ってもいいことがないのは分かっている。
 だから景色を眺めて気晴らしでもしろって言いたいのか。

 なんて初めは思っていたが、俺はすぐに違和感を覚えた。
 スクレナが自分から護衛の契約を申し出たことにだ。
 冒険者として人に紛れていた頃は別として、自尊心の塊みたいなこいつは人を雇うことがあってもその逆はない。
 ということは何か考えがあっての発言だったのか?

「それに『ゆっくり急げ』という言葉もあるしな。時に寄り道することこそが最善で最短のルートにもなり得るのだ」

 スクレナは目を細めると微かに視線を下へと向ける。
 その先にあったもの。
 それはクレフが腰に帯びた長剣であった。



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