亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に
第54話 光に囚われし愚者
皇宮を後にしてルーチェスが次に向かったのは、同じ帝都の中にある大きな屋敷であった。
「待たせたか。こんな時間なのだから邸内で待っていればいいものを」
「少し夜風に当たりたい気分でしたので。それよりルーチェス様。わざわざお越しいただかなくとも、用事がおありでしたら私から出向きましたのに」
ガーデンテラスの椅子から立ち上がってルーチェスを出迎えたのは聖女だった。
来訪者が自分の向かい側に座るのを確認してから、セリアもそれに倣って腰を下ろす。
それから使用人が用意した紅茶を口に運び、まずは軽く世間話でもというのが毎度の流れである。
ところが語り始めが本題からという普段と異なるものに、セリアは完全に意表を突かれる形となった。
「いずれは他の者にも話すが、まずはお前にだけ教えておこうと思ってな」
『お前にだけ』という言葉にただならぬものを感じて、聖女の背筋は無意識のうちに伸びてしまう。
「お前の幼馴染、黒騎士の秘密。そして闇の女王との関係についてだ」
身を乗り出しそうになるのを堪え、セリアはつい前かがみになってしまう。
エルトの異名が出てきたのも勿論、それが自分の打倒すべき相手と並べられていたからだ。
どうあっても聖女の頭の中には悪い予感しか浮かんでこなかった。
対照的に落ち着き払ってティーカップを口に運ぶルーチェスは、その様子を目にして口元を緩める。
「気になるのは分かるが少し落ち着け。順を追って説明せねばきちんと理解も出来まい」
まずは皇帝にしたものと同じ内容の話を口にする。
これだけでもセリアにとっては衝撃的な事実だったが、ルーチェスが伝えたかったのはこの先だった。
「次にどうしてお前の幼馴染がたったの3年余りであれほど強大な力を手にしたか。そして黒騎士へと変貌したか……それは闇の女王の魔力付与によるものだ」
「エ、エンチャント……ですか?」
耳に入れたセリアの反応の薄さが予想外だったのか、ルーチェスは珍しく面食らった様子を見せる。
「まさか、エンチャントを知らないと言うのではあるまいな」
「あ、いえ……無論存じております。自分の魔力を使って物質などに属性を加えたり、強化したりする魔術ですよね。ですが程度の差はあれど使える者は少なくないですし、それだけで語られている程の功績を残せるとはとても……」
「あぁ、その通りだ。スクレナとて元々は仲間であった人形使いに師事して取得したようだしな。ところがそのエンチャントはまるで別物と言えるほど常軌を逸していたのだ。それもひとえに奴が生まれた際に得た特異体質によるものだろう」
闇の女王の出生。
その言葉を聞いた途端にセリアは奇妙な感覚に襲われた。
急な耳鳴りに不快感を覚えたと思えば、激しい頭痛によって無意識に頭を抱えてしまう。
「どうした? 体調が悪いのなら今日はもう休め。話はまた次の機会でもいいだろう」
「大丈夫……です。中断させてしまい申し訳ありません。どうか続きをお願い致します」
少しばかり懸念していたルーチェスは、頷いて聖女の申し出に応じた。
「それで奴の異質なエンチャントなのだが、本人の体そのものを高濃度な魔力、『魔力体』へと変え、対象と一体になることが出来るという代物だ」
「そんな! 留める器もなしにその場で魔力体になんてなれば、大気中に霧散して魔素と溶け合うしかないはずです! それなのに自分の意思で変換できるどころか自在に動作が可能などと!」
「この世の道理で問えば当然の返しだろうな。だが、闇の女王をその範疇に収めるのは愚の骨頂と言えよう」
にわかには信じがたいが、今の時点では真実の確かめようがない。
選択肢がなかったということもあるが、素直にセリアが受け入れたのには他の理由があった。
早急に次の話題へ移行したいという理由が。
「それで、どうしてエルトは闇の女王と共に行動を? なぜ黒騎士に選ばれなければいけなかったのですか!?」
「さすがに経緯など分かるわけがないだろう。黒騎士の噂話が世に広まるまでの間に出会ったのだということ以外はな。選ばれた理由としては、まぁ……相性といったところではないか? これも奴のエンチャントの面白い性質で、同化の深度が高いほど効果は何倍にも膨れ上がるというからな」
唐突にセリアは僅かな苛立ちを見せた。
おそらく「相性」という部分が癪に障ったのだろう。
加えて彼女は肝心な部分でまだ合点がいってなかったのだ。
「ですがそれは闇の女王側の都合であって、エルトにとっては付き従う理由がないのでは?」
この問いにルーチェスは内心ほくそ笑んでいた。
思惑通りに最も自分がしたかった話題へ誘導できたから、そしてセリアが自分にとって好都合な邪念を抱えていることを垣間見たからである。
「幼馴染の男は奴と同化する影響か、それとも邂逅した時点で洗脳の類の術を施されたか、とにかくいいように利用されているのは確かだ。実際に黒騎士の名声が上手いことこちらの目を掻い潜る隠れ蓑になっていたしな」
この瞬間に聖女は雷に打たれたような衝撃を受ける。
これまで頭の中に点在しているだけだったパズルのピースが全て組み合わされ、想像していた通りの一枚絵が完成したからだ。
「自分の落ち度に気づいたのはお前と剣聖がフィルモスに赴いた時の報告書を読んでの上でだ。もっとも向こうもそれを承知で交渉の場に赴いたようだが。何せ銀髪に真紅の瞳、黒い衣装という当時の出で立ちのまま姿を晒したのだからな」
「レイナ!」
セリアは怒気の含んだ声で、エルトと同席していた女性の名を呟いた。
人間は何が真かを判断する際に、信憑性よりもつい都合の良さを手に取ってしまう。
ましてや示し合わせてもいない他人の口から、整合性のある言葉を得られたのだ。
幼馴染と再会して以降、自分の中に巣食っていた感情を強固にするのもやむなしだった。
帝都でのパレードの日、本人なりに出来うる限り最善の方法を取ったつもりだった。
それでも一度はエルトのことを突き放し、傷つけてしまったのは事実である。
もう二度と会えないだろうという覚悟を持って、当時の部下に幼馴染の追放を命じた。
だけどもし、広い世界のどこかで偶然にも姿を見かけることがあったのなら。
そしてその時、とうに自分のことなど忘れて彼が大切な人と寄り添っていたのなら。
身勝手な寂しさを内に閉ざして、そっと祝福する心づもりだってあった。
しかし実際にその瞬間が訪れた時、セリアの中に湧き上がってきたのは暗然たる思いだった。
自分の懐の深さを過大評価していたのか、エルトへの執着を過小評価していたのか。
おそらくそのどちらもが正解だったのだろう。
だが今、ここで、その最たる理由がはっきりと分かった。
辺鄙な村の普通の娘が、ずっと愛してきた人と一緒になり、子を育み、やがては老いて家族に看取られるというありふれた一生。
されどこの上ないほど幸せな時間。
ところがある日、なんの前触れもなく突きつけられた聖女としての責務。
全うするには彼女が欲している幸福を諦めなければいけない。
逆にその責務を放棄してしまえば、大切な幼馴染が消えてしまう。
代償の大きい選択を迫られ、精神が摩耗していく日々。
延々と上下運動を繰り返していた天秤が僅かに傾いたのは、聖女として闇の女王を打倒する側だった。
例え元通りになれなくても、世界ごとエルトのことを救いたい。
――はずだったのに。
その結末はセリアにとって茶番でしかなかった。
いまだに聖女として事を為していないどころか、密かに守ると誓った人が仇敵の傀儡と化していた。
挙句に目の前で不埒な行為を見せつけられ、もはや互いの間に割って入る余地もないと宣言されてしまう。
まるで滑稽なピエロじゃないかと笑い飛ばせるほど楽観的な性格だったら、一体どれほど救われたことか。
女としての妬みと思っていたものが、明確な敵意に変わっていくのをセリアは実感した。
「セリア……」
いつの間にか唇を強く噛み締めていた聖女は、自分の名前を呼ぶ声ではっと我に返る。
そして向かい合っている声の主に鋭い目を向けた。
その意味を理解したルーチェスは何を思ったのか。
徐ろに自身の目を覆っている仮面を外したのだった。
「すまないな。君の幼馴染が闇の女王に囚われたのは確かに私の驕りと怠惰のせいだ。それに差し迫った状況であった為に、かなり強引な手段に出てしまったことについても同様に」
滅多に見せない瞳で、ルーチェスはじっと相手を見据える。
セリアと同じ青い瞳。
だがそこに光は宿っていなかった。
皆は事故で視力を失ったのだと本人から聞かされている。
ルナが話の流れで具体的に問うたこともあったが、返ってきたのは「太陽を間近で直視した」という答えだった。
だけどその光を一度見てしまえば、愚かと分かっていても追い求めずにはいられないとも。
それを聞かされて以来、触れない方が無難だろうというのが周囲の共通認識となっている。
もっとも時を重ねる毎に残された感覚が研ぎ澄まされていき、生活する上での不自由はないという。
重要書類などに用いられるエーテルインクで書かれていれば、魔力を帯びた文字の形から文章だって読み取れる。
寧ろ目から情報を得ていた頃よりも、物事の本質を見極められるようになったほどだ。
その盲目の女性はセリアの傍に立つと、テーブルの上で固く握られた彼女の手に優しく触れた。
「気持ちを晴らしてやれるかは分からないが、ひとつだけお前に助言をしてやろう。もしも自分が選択の対象になった時、確実に選んでもらえる簡単な方法を」
セリアはいまだに捨てきれない願望を見抜かれたことに動揺を隠せなかったが、それ以上に今最も欲する言葉へ興味が惹かれていた。
「それは他の全ての選択肢をなくしてやればいいだけだ。以上を踏まえれば、自分が本当に何を望んでいるのか……分かるな?」
聖女が首を縦に振りながら拳の力を緩めると、今度は寄り添うルーチェスの手が頬に添えられる。
目と目を合わせて見つめ合っているうちに、眼前の相手にまで抱いていたセリアの憤りは不思議と徐々に薄れていった。
軍属としての経験も浅く、力の使い方も未熟だった聖者たちの導き手であるルーチェス。
それぞれに等しく厳格に接し、また同じくらい気を配ってもいる。
だけど唯一セリアだけが、彼女から感じていた心があった。
それは慈愛である。
理由は分からないが、帝都に連れてこられたばかりの時も、つい今しがただってそうだった。
セリアが曇った心模様の時には、自らも憂い、他人の目がない所でその身に優しく包んでくれた。
すると不思議なことに聖女は安心感を得られ、さらにはこの人の期待に応えたいという気持ちで満たされる。
だからこそ今の否定的な感情を向ける矛先は、いつの間にかひとつとなっていた。
「闇の女王を抹消し、エルトを解放してあげたいです。どんな手を使ってでも」
回答を聞いてルーチェスは満足気に頷き、話を締めくくろうとする。
するとセリアは終始気にかけていた疑問を口にしたのだった。
「ですが、どうしてルーチェス様は闇の女王についてそれほどお詳しいのですか? 私もこれまで色々と調べて参りましたが、文献に記載されていないようなことまでお分かりになるなんて」
その質問を受けて宰相は視線を外して前を見据えると、何かを思い起こすように静かに語る。
「もしかしたら私は、奴のことが愛おしくて堪らないのかもしれないな」
「えっと……それはどういう?」
「もちろん嘘に決まっているだろう」
そう微かに笑みを浮かべるも、それに対してセリアの言葉は続かなかった。
受け取り手が困惑するほどに、ルーチェスが冗談を言うのは珍しかったからだ。
「そろそろ冷えてきたな、話はここまでにしよう。そう遠くないうちにお前の望みを叶えられるよう尽力する。だからセリア、どうか世界の安寧のため、自分のため、存分に力を振るってほしい」
「かしこまりました。必ずやルーチェス様のご希望に沿えることが出来るよう、全身全霊を注ぐとここに誓います」
セリアは立ち上がると、胸に手を当てながら会釈をして、踵を返し帰路につくルーチェスの背を見送った。
「そして何より、妾の理想と復讐のためにせいぜい争ってくれ……可愛い子らよ」
その際に聞こえてきた微かな声に顔を上げるも、何事もなかったように歩を進める宰相の姿を見てセリアは首を傾げるだけだった。
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