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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第52話 猫を拾っただけなのに.......


 今日の労働による汚れを落とすついでに、菜園の片隅で拾った猫を綺麗にするため浴室へと移動する。
 嫌がって暴れるかと思ったが、桶に水を汲んでそこに浸けてやっても全く動じることはなかった。
 寧ろ指先で全身を揉みほぐすように洗ってやると、時折気持ちよさそうに目を細めている。

 そういえばまだ確認してしないことがあったな。
 特に大きな意味はないけれど、小さな動物を手に収めた時にはきっと多くの人がやると思う。

 そんな訳で俺は片手で猫を持ち上げると、お尻の辺りをじっと見つめた。

「ふーん、お前メスなんだな」

 すると猫は体をよじって掴まれていた手から抜け出し、そのまま凄い勢いで浴室から出て行ってしまった。
 今まではてんで大人しかったのに、突然どうしたんだ?
 見られて恥ずかしかったとか?
 まさかな。相手は猫なんだぞ。
 しかし後を追って居間で顔を合わせた時には、羞恥と侮蔑の眼差しを向けられている気がした。

「悪かったって。もうしないよ」

 さっきの考えを改めたわけではないのに、つい謝罪の言葉が口から出るくらいにだ。
 よほど自分が罪悪感を感じているのだろうが、それが不思議でならなかった。

 気を取り直して毛に含まれた水を丹念に拭き取ってやり、部屋へ戻ってくる前に厨房から適当に拝借してきた食材をテーブルの上に広げる。
 何を食べさせればいいのか思案をめぐらせていたが、どうやら無用だったみたいだな。
 よほどお腹を空かせていたのか、見境なく目の前のものをたいらげていく。

 持ってきた食べ物が綺麗さっぱりなくなると、今度は体を思いっきり伸ばしてからその場でくつろぎ始めた。
 すると程なくして食欲が睡眠欲に取って代わったのか、惜しげもなく大きな欠伸を披露する。
 疲弊していたのは分かっていたので、すぐにこうなることくらい想定済みだ。
 だからこいつが食事に夢中になっているうちに、大きな籠の中に毛布を重ねて簡易的な寝床を用意していた。

 そこへ抱きかかえた猫を静かに乗せてやった途端、俺も負けず劣らずの大きな欠伸をする。
 眠気は伝播するとよく言うしな。
 こっちにまで手を伸ばしてくるとは、随分と欲張りな睡魔なようだ。
 いつもより時間は早いが今日のところは寝るとするか。

 ベッドに横たわり目を閉じ、早くも意識が混濁し始めた頃だった。
 もぞもぞと何かが動く気配がして、唐突に現実へと引き戻される。
 何事かと布団をめくってみると、傍らには体を丸める猫の姿が。
 籠の中よりこっちの方がいいってか。
 贅沢な奴だ。

 再び寝そべって目をつぶり、夢の世界へと旅立つまでの間に考え事をする。
 こいつの名前についてだ。
 すっかり飼う気になってしまっているし、いつまでも猫、猫と呼ぶのもなんだか味気がない。

 そうだ、名前といえば子供の頃に母さんが話してくれたな。
 俺がもし女の子だった場合の名前も考えてあったって。
 確かユリの花が好きだったし……無垢な子に育ってほしいから……リリーにしようと――



 ◇



 誰に起こされるわけでもない自然な目覚め。
 いつの間にか眠りにつき、途中の阻害もない上質な睡眠をとることが出来た。
 どうやら俺自身も肉体労働による疲れが溜まっていたみたいだ。

 体を起こす前に今の姿勢のまま一度伸ばそうとして、その拍子に気づいた。
 自分が腕の中に何かを抱いていることに。

 そうか、昨晩は就寝する直前にあの猫が布団に潜り込んできたんだった。

 ……でもおかしいな。
 明らかに大きさが違うような気がする。
 それに感触も。
 体毛がなく、まるで人肌に触れているみたいだ。

 ここまでとなると、もう自分の中で結論が出ていた。
 中にいるのは明らかに猫ではない。
 ならば一体何が潜んでいるのか。
 腕をゆっくりと引き抜いてから、そのまま意を決して勢いよく布団を剥いでみると――

「うわぁぁぁあああああっ!!」

 思わず絶叫してしまった。
 いや、普通にするだろう。
 何せ俺の横で寝ていたのは猫人族の女性だったのだから。
 しかも素っ裸で。

 まだ寝ぼけているのか?
 なんて現実逃避をしてみたがここまで思考を巡らせている時点で無理がある。
 そもそも寝ぼけてるやつに自覚なんてあるわけがない。
 起こして誰なのか聞いてみるか。
 しかしこの姿のままじゃ流石にまずいよな。

「何事だエルト! 侵入者か!?」

 いきなり大きな音を立ててドアが開くと、俺は反射的に見知らぬ女性ごと自身を布団で覆った。
 駆けつけてきたスクレナにはギリギリで見られていないはずだ。

「き、急に開けるなよ! 他人の部屋に入る時はノックくらいしろ!」

「屋敷中に響くほどの声を聞かされたらマナーなどと言っておれんだろう。それでどうしたのだ? 酷く衝撃的なことでもあったか?」

 肉眼では見えないが、気配でスクレナが近づいてくるのが分かる。
 まずい! なんとか追い返さなくては。
 でも混乱している頭と切羽詰まった状況では上手く誤魔化せるアイデアが浮かばない。

「大丈夫! 本当になんでもないから! もう放っておいてくれ!」

「なぜそんなに怒って……あっ……ああ、なるほどな。そういうことか」

 なんだか納得されているが、まさか気づかれたのか?
 これが恐るべき女の勘というものか。

「エルトもまだ年頃であったな。これまでは互いに片時も離れることがなかったから遠慮させておったか。しかし我とてそういうことに理解がないほど野暮ではないぞ」

 何を勘違いしてるんだ、こいつは。
 でも待てよ、寧ろ今は都合がいいか。
 本当のことを知られるよりかは遥かにマシだ。

「うみゃ……朝っぱらからうるさいなぁ。もうちょっと寝かせてよね」

 ああ、もう全部台無しだ……
 女の子が目を覚ましただけでなく、上体を起こしてしまった。

 そっと様子を窺って見れば案の定、スクレナの目が点になっている。
 俺は今にも飛んでくるであろう怒号に備えて体を硬直させるも――

「スズトラ? お前スズトラではないか?」

 予想とはまるで違う反応が返ってきた。
 スクレナは面識があるみたいだし、スズトラという名前も以前に聞いた覚えがあるぞ。
 確かザラハイム軍の闘将のひとりだったような。

「スクレナ様ぁ! よかった。帝都でお世話になってた人からこの山についての話を聞かされて、もしかしてと思って訪ねてみたの! そしたら本当に会えちゃうなんてビックリだよ!」

「我の方こそ驚いたぞ! 昔からフラっと思いもよらぬ場所に入り込んだりしておったが、帝都におるとは思わなんだ。ここまでの一人旅はさぞ過酷であったろう」

 スズトラはベッドからひとっ跳びで長年の想い人に抱きつくと、反動によってスクレナはその場でクルクルと回る。
 そのうち受け流せずに勢い余って床に倒れ込むが、念願の再会に気分が高揚しているせいか2人は尚も大笑いしていた。
 うん、仲がいいというのは傍から見ていて気分が晴れるな。
 是非とも心ゆくまではしゃいでもらいたいものだ。

 そして可能ならば、このまま俺のことは有耶無耶になって収束しないだろうか。



 ◇



「本当にスズじゃないかい! あんた最近まで帝都にいたんだって? 全く……思い切りがいいのか無鉄砲なのか、そういうところは相変わらずだね」

「なるほど。あの周辺は警戒が厳しく思うように捜索が出来なかったから、なかなか足取りも掴めなかったというわけだな」

「マリちゃんも、デリちゃんも、レクちゃんも、キャロちゃんも、みんな変わってないねぇ! 一度にこんなたくさんの友達に会えて、ウチすっごい嬉しいよ!」

 今度はマリメアに抱きつき互いの頬を擦り合わせている。
 これまでの言動から感じる印象だと、スズトラは随分と人懐っこい性格のようだ。

 さすがにいつまでも裸でうろつくのは拙いので、屋敷に置いていたという衣服を着用してもらった。
 なかなか珍しい出で立ちだが、あれは「キモノ」とかいう東に位置する島国の民族衣装だっけ。
 街に行った時に貿易商人が店先に広げているのを見たことがある。
 丈が短く、その下には膝上までのレギンスを履いているのは激しく動いても平気なようにだろう。

「ところで話を戻しマスガ、なぜスズトラはエルトの部屋にいたのデスカ?」

 余計なことに触れているな!
 戻さずに屋根裏の奥のさらに奥へ押し込んでおけばよかったんだよ、レクトニオ!

「べ、別になんでもない。そもそも俺は猫を保護したはずで――」

「なんでもないことないじゃない! 一晩中抱いてくれただけじゃなくて、一緒にお風呂に入って恥ずかしいところをマジマジと見られた仲なんだからね!」

「へぇ~、陛下みたいないい女が隣にいても手を出さないもんだから相当な奥手なのかと思ってたけど、意外と手が早いんだねぇ。ちょっと見直したよ」

「ぐぬぬ、私の誘いは断ったのに。エルトはウサ耳よりネコ耳派なの!?」

 違う、抱いてない!
 ……いや、抱いてたな。いやいや、そういう意味じゃなくて!
 それは猫にやったことでスズトラとは関係ないだろう。
 同じベッドで寝ていたというのは事実だけど。
 なぜか目を覚ましたらスズトラと入れ替わっていて……
 そういえば件の猫の姿がずっと見えないが、どこへ姿を消してしまったんだ?

「エルちゃん鈍感だねぇ。まだ気づかないの?」

 そう言ってスズトラは自身の尻尾を立てて見せつけてくる。
 特徴的な枝分かれしたそれは確かに印象に残っていた。
 それじゃあ猫の正体がスズトラで、魔術か何かで変身していたということか?
 ただの猫人族かと思っていたけど、キャローナと違って外の世界にいながらこの時代まで生きていたんだ。
 よく考えれば普通なわけがないよな。

「うん! ウチは猫又っていう妖怪だよ。戦いになれば妖術で攻撃できるし、神通力を使えばみんなのサポートだって出来ちゃうから期待しててね!」

 拳を突き出してアピールしてくれるのは頼もしいが…… 
 すまない、何を言っているのかさっぱりだ。
 ネコマタでヨウカイでヨウジュツがジンツウリキって、馴染みのない単語が多すぎて情報を整理することすら難しい。

「妖怪というのは東方の言葉で、我らでいうところの魔物や精霊の類だな。その妖怪が体内に持つ妖力を魔力、そしてそれを使って放つ妖術を魔術に置き換えれば分かりやすいか。まぁ、実際に見てみた方が早かろう。スズトラ、やってくれ」

 代わりにスクレナが解説を入れてくれたが、慌てて制止するのはキャローナだった。

「ちょっと待った! こんな狭い部屋で妖術を使われたら適わないよ! スズトラ、エルトに神通力の方を見せてあげて。きっと驚いて腰を抜かすから」

 俺の反応を想像してキャローナはクックと笑うが、先程までのスズトラの饒舌っぷりはどこへやらだ。
 余計なことを言ってしまったとばかりに自分の手のひらで額を軽く叩く。

「えっと、神通力を使うための神具なんだけどね、落としたり誰かに奪われたりしたら大変だから安全な場所に隠したんだよね。みんなと合流できるのもいつになるか分からなかったし」

 確かに厳重に保管できるあてがあるなら持ち歩くよりもリスクが少ないし、それもひとつの手だな。
 実際にスズトラだって途方もない年月を彷徨い歩いたのだろうし。

「その時にふと閃いたのが、嘘の情報をたくさん流して隠し場所を特定できないようにしたらどうかなって思って」

 なんとなく雲行きが怪しくなってきた。
 ここまで頷きながら聞いていた一同も既にテーブルの上に目を落としている。

「それで、調子に乗ってあれこれ吹き込みながら長いこと旅をしてたら、自分でも本当の場所を忘れちゃった!」

「スズトラよ。昔からよく物を失くす奴とは思っていたが、ついには頭の中身まで失くしてしまったか」

「にゃは~ん! デリちゃんってたまに辛辣だよねぇ」

 両手で指さしながらおどけるスズトラに対し、まるで示し合わせたかのように全員が同時にため息をついた。
 口を開かずとも「やっぱりな」という声が聞こえてくるほどに深いため息を。

「ある意味で想定内とも言えるがな。それに悠久の時を待たせてしまった我にも非がないわけではない。スズトラが持ち合わせている情報からある程度割り出して、可能性のある場所に人材を派遣するとしよう」

 スクレナの提案を最後にこの話題は打ち切られ、束の間の談笑の後に各々が自分の作業へと戻るために解散となった。

 このタイミングでスズトラが加わってくれたこと自体が、予期していなかった戦力アップとなったのは喜ばしいことだ
 だけど神具なるものがないと彼女の本領発揮とならないのが残念なのは本音である。

 とは言え、底抜けの明るさというのか。
 あの妙な勢いのおかげで、俺が執拗以上につつかれなかったことに関しては素直に感謝しておこう。



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