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亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第48話 思いがけない依頼


 躊躇なく門の中へと身を投じるスクレナを見たものの、やはり疑念は完全に振り払えずしばらくはその場で立ち尽くしていた。
 だがいつまでもここに留まっているわけにもいかない。
 恐々としながらも指先で光の壁に触れてみると、力を入れて押し込んだ分だけ沈んでいく。
 特に痛みも違和感もあるわけではない。
 それを確認してから意を決して、両腕を前に突き出したまま駆け出してみる。
 その勢いをいなすよう不意に目の中に飛び込んできた、まだ手付かずの雪原のような真っ白な世界に思わず瞼を閉じてしまった。

 少し長い瞬きほどの暗転の後、眼前に広がっていたのは変わらず花畑のまま。
 だけど俺を呆然とさせたのは段違いの広大さだった。
 傾斜している為に途中で見えなくなってはいるが、目に映る範囲だけでも瞬時に分かるくらいだ。

 飛び込んでくるのは花畑だけではない。
 所々には湖や林、一際高い丘の上には煌びやかな城が天高くそびえていた。
 そしてさらに遥か先には海があり、こことは別の陸地……大きな島だろうか?
 まるで互いに対峙しているようにも感じられる。
 とにかくここがペタルム山ではないことは一目瞭然だ。
 それどころか自分の住む世界とは全く異なる場所だということさえも。
 だからこそよく知る背中がどれほど安心感を与えてくれることか。

「まさか自分の故郷の近くにこんな世界と繋がる場所があったとはな。こうして実際に見せられたら否が応でも信じなければならないか」

 スクレナは肩を並べる俺を一瞥すると、再び前を見据えて遠方の城へ向けて指を突き出した。

「あれがディアントゥス城。今の妖精女王が居城とする場所だ。そしてその向こうが――」

 そう言いながら微かに腕を下げると、今度は城の背後の切り立った岩壁へ指を滑らせる。
 釣られるように視線を動かし、目を凝らしてみればもうひとつ、負けず劣らずの大きな建造物が一端を覗かせていた。

「人間たちの侵攻後のまだ情勢が安定しない頃、ザラハイム軍が駐留する為に拠点としていた屋敷だ。新たな集合地点としては最適であるし、何よりも顔を合わせておきたい人物もいるからな」

 俺はペタルム山がスクレナたちにとって重要な地であることは聞かされていた。
 そこからピクシー族に接触することが可能だということも。
 だけどこの国についてや目的の詳細を把握してしていなかったし、あえて問い詰めようとも思わなかった。
 でかい顔をするだろうから口が裂けても言葉にはしないが、経験上こいつが頭に描くシナリオには信頼を置いているからだ。

 そう、疑いはしない……
 しないが……全く気にならないわけではない。

「男というものは幾つも歳を重ねようと自身の探究心には抗えぬ質のようだな。まず目指すべきはディアントゥス城。女王に入国の挨拶をせねばなるまい」

 落ち着きない様子を見せる俺を横目に、スクレナは溜息とも苦笑とも受け取れるようにフッと息を吐いた。


 ◇


 1人のピクシーが全速力でひとっ飛びして、先代が訪ねてきた旨の報告を入れてくれたおかげで城までの道はだいぶ楽をすることができた。
 この場で待つように言われてからしばらく後、妖精女王が俺たちの元へ使いを寄越してくれたのだ。
 鷹の上半身に馬の下半身を持つ生き物、ヒッポグリフが2頭で引く車輪のない馬車。
 この世界のことを思えばどういう原理なのかと考えるのは馬鹿げていると言えるだろう。
 大きさからも分かるとおり、ピクシーたちが使用する乗り物ではなく来賓用らしいのだが。
 使用したのは外界との接触を禁じて以来らしく、なんと数千年ぶりとのことだ。

「さぁ、ティターニア様が先代様との再会を心待ちにしておられますよ」

 そんなわけで今は既に謁見の間の前に到達している。
 城に着いてからの案内役が手を差し向けて中へ入るように促すと同時に、綺麗に真ん中で肩を並べていた扉が音を立てて互いの距離をとっていった。
 初めに目に入ってきたのは部屋の奥まで続く中央の赤い絨毯。
 そして両脇には群がるようにたくさんのピクシー族が。
 忠誠心以上に好奇心が勝るのか、とてもかつての主君を迎えるようには思えないほどの喧騒を作り出していた。
 絨毯の先で待つただ1人の人物を除いては。

 一目で周囲の者たちとは明らかに違うと分かるのはその体躯の大きさである。
 多くのピクシーたちは手のひらの上に乗せられるほどであるのに対して、眼前の者は人間の子供ほどの身長は有している。
 長いパステルグリーンの髪がなびく頭には花を模した冠を乗せ、肩口が広く開いた純白の衣装に身を包む。
 特徴から察するに彼女が現妖精女王なのだろう。
 そして最も目を奪われてしまうのは背中に生えた羽であった。
 初めて出会ったピクシーたちのものも綺麗ではあったが、皆はあくまで光を反射させることで輝かせていた。
 しかしティターニアの場合は自らが発光させているように見える。
 この感じは自分にも覚えがあった。
 剣にスクレナの闇の魔力を付与した際に刀身が光る現象と酷似していたからだ。
 さすがに一族の長という席に収まるだけはあって、内に秘める力は相当なものだということなのだろう。

「ああ、スクレナ様……過去の大戦で貴女様が討たれたと噂を耳にして数千年。寿命のない我々でさえ長く感じる年月にすっかり諦めておりましたが、こうして再会を果たすことが出来ようとはなんたる至福でしょう」

妖精女王ティターニア殿、まずは我らを国に迎え入れてくれたことに謝意を表する。そして息災にお過ごしのようで我も安堵いたした」

 右手を胸に当て、膝を軽く曲げながら頭を下げるスクレナの意外な姿に俺は心底驚いたが、それ以上に面食らっていたのはそれを向けられた本人であった。

「お止め下さい! 当初のわたくしはスクレナ様の留守をお守りする為に臨時で引き受けただけに過ぎませんでした。主が帰還された今、この花の冠は最も相応しい方へお返し致します」

「いや、貴殿がどんな思いでその座に着いたとしても、これまで一国を守り続けてきたのは事実。逆に祖国を失った我より器であるし、無条件に容易く受け取れば厚顔無恥もいいところだ。それに元々このような華やかな世界を治めるのは性に合わんのでな」

 ここの玉座が自嘲するスクレナのものだったのは最早過去のこと。
 実際に今の立場は招かれた客人でしかないわけだから、一応それを踏まえた礼節は持ち合わせているというわけか。
 意外と言ったら失礼かもしれないが、こいつの普段の立ち振る舞いを目の当たりにしている身としては許容してほしい。

「ならばせめて、かつてのようにラス=ティとお呼びください。それが貴女様に捧げる私の忠誠への何よりの報いなのですから」

 まるで先程の写しのようにティターニアが頭を下げる。
 向かい合うスクレナは厳粛な姿勢を保とうと心がけているようだが、感情を隠せず微妙に綻ぶのを俺は視界の端に捉えていた。

「して、再会の挨拶を終えて早々の質問で不躾なのだが、戦前に身柄を預かってもらっていた彼奴は健在であるか? そうでなくては此度の訪問の目的の半分は失われたと言っても過言ではないからな」

「ええ、もちろんでございます。主のご帰還を一刻も早くお知らせしようとすぐに従者を向かわせたので、間もなく――」

 ティターニアが言い終わるのを待たず騒然たる音と共に俺たちが入室してきた扉が開く。
 反射的に振り返ると、一見して全速力でこの場に向かってきたと分かるほどに肩で呼吸をする人物が佇んでいた。

「ス、ス、スクレナ様ぁ……」

「久しいな、キャローナ。随分と待たせてしまったか」

「いや、待たせすぎですって! 暇潰しにこの国の未開の地を余すとこなく拓いて尚、気の遠くなる時間が流れましたから。少しでも精神を保つ為に自ら月日を数えるのをやめたくらいですよ!」

 明るいグレーの髪色に赤みの強い琥珀色の瞳のキャローナと呼ばれる女性。
 直前まで工房かどこかで仕事をしていたのか、豪華絢爛な城の内装に似つかわしくない汚れの目立つ作業服を着用しているだけでも十分に目を引く。
 しかしそれよりも先に視線を釘付けにされたのは、獣人族の一種である兎人族が持つ最大の特徴とも言える、頭頂から伸びる長く大きな耳だった。

 だけどそれもほんの一瞬のことだ。
 兎人族自体は確かに希少種ではあるものの、俺にとって獣人族は未知の存在ではなかったから。
 基本的に生活圏は人間ヒューマンと分かれてはいたが、交流が皆無というわけではない。
 大きな街に行けば交易の為に訪れる者もいれば、長期滞在して労働する者さえもいた。
 種族は違えど似た容姿を持つマリメアと初めて顔を合わせた際に、対して全く驚きを示さなかったのはその為だ。

 だけど疑問なのはスクレナと顔見知りの獣人族がどうして今も尚健在かということである。
 気の遠くなるような時が経過しているのだから、常識で考えればとっくに寿命が尽きているはずなのに。

「それはこの常若の国の特色による影響だな。ここは時間の流れの速さこそ人間界と同じではあるが、一定の周期を経過すると記憶以外の全てが巻き戻りリセットされる。かつて人間がこの領域を手中に収めようとしたのも、権力者が富では決して得られぬこの永遠の時間というものを欲したからなのだ」

 まさに国の名前の通りということか。
 何も知らないまま10年、20年滞在していたら大変なことになっていたかもしれない。

「それと、お前はこいつが兎人族だと思っているようだが少しばかり違うな」

 そう言ってスクレナは腕を組んで口元を緩める。
 まるでこれから口にすることに俺がどう反応するのかを楽しみにしてるように。

「キャローナは現存する兎人族の祖である純血のアシュヤ人なのだ」

「アシュヤってレクトニオを作ったという高度な文明のことじゃなかったか? 確か――」

「そう、ザラハイムがこの世にあった時代よりも遥か前に厄災によって滅びていた。だがある時に密かに生き延びていた者たちが帰還し、それを我が国に招き入れたというわけだ。まぁ、そこらへんの経緯については後々本人に聞いてみるがよい」

「もしもぉ~し! 聞いてますかぁ?」

 とは言われも、当の本人は俺のことなんて眼中にはないようだ。
 長年自分を放置してきたスクレナへ詰め寄ることで、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすのに夢中なのだから仕方がないか。

「わ、分かったから少し落ち着かぬか。詫びというわけではないが、お前の探究心を満たせる材料を用意してきてやったのだから」

 なだめる為にスクレナが顔の前に掲げたのは青い小さな石だった。
 ついさっきまでとは打って変わってキャローナは口を噤み、興味津々といった感じに様々な角度からそれを覗き込む。
 視覚からの情報だけではさすがに皆目見当もつかない様子の彼女だが、俺には何なのかが瞬時に理解できた。

 レジオラを発ってからまだ日が経っていないおかげで、その忌まわしい記憶は今もハッキリと自分の中に刻まれている。
 今まさに目の前にあるのは、聖騎士であり、兄であるグラドが妹のティアへ贈ったペンダントに付いていた石だ。
 あの騒動の中でいつの間に拾っていたのか……いや、そもそもどうしてスクレナはそんなものを拾う必要があったのか。
 俺の中にはそんな疑問が激しく渦巻いていたが、問答無用にその全てを蹴散らすほど衝撃的な言葉が本人の口から発せられた。

「キャローナ、お前の持てる知識と技術を駆使してある少女を蘇らせてほしい。それが我からお前に依頼する仕事だ」



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