亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に
第47話 女王の帰還
昨日は村に到着した時間が遅かったせいで母さんに挨拶するのもそこそこになっていた為、今朝は出かける前に改めて墓前へと足を向けた。
隣街に店を構える知り合いの石材師が加工してくれた墓石。
それを目にしたまま膝をつき、おじさんがしてくれた話を思い返していた。
ここに到着した時から、母さんは体調が優れない様子だったらしい。
だけど親父がセリアを預けた後にすぐ立ち去ろうとするものだから、村長たちは慌ててそれを制した。
その体で旅をするのは自ら命を捨てに行くようなものだと。
するとその申し出を頑なに断ったのは母さんの方で、受け入れたのは親父の方だったという。
急ぎの旅路であったのか、セリアの元に留まるのをよしとしなかったのか、その理由は定かではない。
だが親父が母さんの身の安全を優先させたのは確かなようで、その事実に俺の顔は無意識のうちに綻んでいた。
それから数時間後の今、俺たちは目的を果たす為にペタルム山を歩いている。
山の頂上付近へと続くけもの道も、そこから目に映る風景もあの頃とほとんど変わってはいなかった。
にもかかわらずまるで違う場所のように感じるのは、自分を取り巻く空気というのか、肌に感じる違和感のせいであろう。
この地に足を踏み入れてから程なくして、四方八方からこちらに向けられる視線。
時節微かに聞こえてくるクスクスという笑い声によって、その主が単なる動物ではないことを物語る。
同時にそれらが俺たちの進行をよしとしていないことも。
その証拠に晴れやかだったはずの周囲はたちまち霧に包まれ、木々の間から零れていた陽光すらほとんど遮られた。
もちろんこれは自然現象などではなく、俺たちが相手の術の中に囚われたからだ。
もっとも、感覚を阻害して方向が分からなくなる以外は特に脅威というわけではない。
こちらからすれば、せいぜい可愛げのあるイタズラ程度というところか。
実際にスクレナには微塵の焦りも見られず、足を止めて肩をすくめながら、ただ溜息をつくだけだった。
「寿命がない故に半永久的に生きるとはいえ、数千年の時が過ぎれば我のことを知らぬ者ばかりであるのも仕方がないことか」
そう言いながら地面から黒い腕を無数に伸ばすと、見えない何かを追いかけるように様々な方向へと向かっていく。
「きゃっ!」
「なんでぇ!?」
直後に周囲に巻き起こる悲鳴と困惑の声。
そして忙しなくしていたそれぞれの腕は動きを止めると、その拳の中に何かを捕らえていた。
そこに収まっているのは精巧な人形――そう見えたのはほんの一瞬のことだ。
霧の中の微かな光でさえ反射する、虹色に輝く4枚の羽を背に持った小さな生き物。
いや、果たしてこれらを生物の括りに入れていいのか疑問ではあるが……
ほとんどの者が実際に見たことはないけれど、世界中の多くのおとぎ話に登場し、ひと目見れば誰しもその名を口にするほど有名な存在が目の前にズラリと並べられた。
「これがピクシー族なのか。初めて見たが本当に子供の頃に読んだ絵本の通りの姿なんだな」
ごく稀ではあるがこの山では説明のつかないような奇妙な現象が起き、狩りの妨害をされたり、時には怪我をする猟師が出ることもあった。
だがほんの僅かな事例であった為に真剣に調査をしようという者はおらず、誰かが笑い話のように「ピクシーのしわざ」などと言ったのが噂の発生源のようだ。
それが多くの人の認識であり、俺だってスクレナにこの話をされても尚、自分の目で直に見るまでは半信半疑であった。
自身を掴む手を振りほどこうと体をよじる妖精に顔を近づけ、俺は興味津々に観察してみる。
すると人を謀ることによっぽどのプライドがあったのか、怒りに充ちた鋭い目で睨みつけられてしまった。
「屈辱よ! 屈辱! 人間のくせに私たちの幻術どころか居場所まで見抜くなんて! せっかく言いつけを破ってまで外に出てきたのに、全っ然おもしろくないじゃない!」
「リスクを冒してまで外に出たがるのは好奇心旺盛な若い者か、長く平坦な生活に飽きて刺激を求める者のどちらかだが、どうやら前者であったようだな。我をただの人間などと見誤るとは」
憤りというよりは呆れによって、眉をしかめながらスクレナは数度首を振る。
「我らはお前たちの長に用があるのだ。早急に術を解かぬというのなら強引に押し通るぞ」
「あんたみたいなのが女王様に謁見できるわけないでしょ! おこがましいにも程があるわよ!」
「そうか、ならばその女王に言伝しろ。スクレナという女が訪ねてきたが、道中で私たちが足止めしておきましたとな。その瞬間に全員の羽が毟られ、羽虫から地面に伏す芋虫へ変わることになるだろうがな」
「スクレナ? 大層な名前ね! まるで――」
そこまで言いかけて、言葉を交わしていたピクシーは唐突に押し黙る。
彼女だけじゃない、他のピクシーたちも同様にだ。
喧嘩を吹っ掛けた相手の名前と容姿の特徴を照らし合わせながら。
「スクレナって、もしかして……闇の女王の?」
「うん、それもそうだけど……確か先代の――」
「妖精女王様!?」
それぞれが口々にする話の中にこの女には似つかわしくない単語が混在していたような気がする。
確かティターニアというのは妖精の国を統治する女王の名前で、輝く蝶のような羽を持つ美しい姿だと聞いたことがある。
どういうことだ?
女王は女王でもこいつにとっては闇の国においての呼称であるし、自分のイメージとしてはどちらかというと蛾に近いのに。
「お前が何やら不敬な考えを巡らせていることくらい表情で分かるようになったわ。それはさて置き、我がティターニアと呼ばれていたのは封じられる前……遥か昔のことだ。当時だって本意ではなかったのだがな」
かつての記憶を甦らせているように、スクレナは気だるそうに頭をかく。
「人間どもが私欲のために妖精の国へ侵攻してきた際、敗北が濃厚だと悟った王が一部の近しい従者を連れて逃亡したのだ。その後に状況が不都合であると踏んだザラハイムが援軍として参戦し、これを退けたまではよいが……指導者を失ったばかりということもあって、ピクシーたちが我のことを女王と勝手に持て囃すようになってしまってな」
先程よりも大きな溜息をついてわざとらしく首をもたげるあたり、嫌気がさしていたのは本当のことなのだろう。
だがここにきてようやく合点がいった。
だからスクレナはこの山がピクシー族に縁があると知っていて、尚且つ伝手があったということか。
そんな憶測を立てているうちに、気づけば俺たちを取り巻いていた霧は綺麗さっぱりと消え失せていた。
幻術の解除。
それはすなわちピクシーたちがスクレナをかつての一族の主と認識し、服従の意を表した証である。
寿命という概念がないだけで、決して不死ではない故に命は惜しいということか。
だからこそ皆の態度が一変して先導役を買って出たのだろう。
だがその道すがらのこと。
何人かのピクシーがやたらと俺の周りを旋回しては顔を覗き込んでくる。
向こうからすれば人間なんて珍しくもないだろうに、もしかしたらさっきの報復なのではないだろうか。
「エルト? あなたひょっとしてエルトじゃないの?」
「だよね! ちょっと大人びてるから自信なかったけど、やっぱりみんなも思ってた?」
訝しげな顔をする俺をよそに、ピクシーたちは宙で輪になりながら互いに盛り上がっている。
スクレナはともかくとして、どうしてこちらの名前まで知っているんだ?
その疑問が自然と顔に浮かんでいたのか、1人が口元から堪えきれない笑いを漏らしながらその答えを示した。
「全く気づいてなかったでしょうけど、私たちがこの山へ遊びに来ると度々あなたが狩りをしているのを見かけたわ。いつだったか真剣に獲物を狙っていたものだから、わざとお友達の足元に木の枝を置いて背中を押してやったの」
「それが原因で喧嘩になると思ってワクワクしてたのにね。あの時はガッカリしちゃった」
賑やかに笑う者、肩を落とす者、反応はまちまちであった。
その時の出来事は俺自身、今でもハッキリと覚えている。
当時はセリアにしては珍しいミスだと内心思っていたからだ。
あいつが立っていた場所からなら俺が弓を引き絞っている姿が見えたはず。
ならば矢を射るまで物音を立てないようじっとしているくらいの機転は利かせるだろう。
まさか今になってその原因が明らかになるとは思ってもみなかった。
それにしても、あの時にセリアは第一声で自分の非を謝っていた。
不可解な現象の為に言い分だってあったろうに。
あえて口にしなかったのは苦し紛れの言い訳だと受け取られ、俺の神経を逆撫でしてしまうからなのか?
――違うか。
きっと見知らぬ何者かの仕業だということは本人が一番分かっていたはず。
もしかしたらピクシーのイタズラだということさえ察していたかもしれない。
それでも自分が背負い込みさえすれば、誰も傷つけずに事態を収拾することができる。
セリアはいつでもそう考える奴だった。
なんだろう?
そんなことを思い返した途端、急に胸の中には何かを見落としている自分を戒めるような、言い様のない重みが感じられた。
◇
そしてスクレナたちの後に続いて辿り着いたのは、あの日を印象深いものにした最たる場所。
木々が鬱蒼と茂る山中においてあまりにも不自然な花畑であった。
そんな拓けた空間のちょうど中心に散乱する明らかに人工的な瓦礫。
ここを発見した当初からずっと気になっていただけに、あと僅かで解消されると思えば少しばかり気分が高揚するのも仕方がない。
それはさて置き――
「セリア! 好き、好き! 結婚して!」
「エルト! 嬉しい……私も大好き!」
ひと組のピクシーたちが花畑の上で重なり合い、おどけて何度も口づけをしている。
先ほど告げられた事実によってこいつらが偶然にも同日のペタルス山にいたのは分かってはいたが、まさかこんなところまで目撃されていたとは。
他人に見られるだけでも恥ずかしいというのに、最終的な結果があのザマだっただけに余計だ。
「ええい、鬱陶しいわ! やめぬか、この羽虫どもが!」
軽く足で払ってピクシーのおふざけを止めたのは本人ではなく、なぜかスクレナだった。
そのおかげで俺自身の怒気も羞恥心も削がれ、すっかり収束してしまう。
別に感情をぶつけたいわけではなかったから構わないのだけど、なぜこいつの方が気を損ねる必要があるんだ。
「深い意味などない! こいつらの戯れが耳障りであっただけだ! それよりもお前たち、早く術を解いてゲートを繋げぬか」
苛立ち混じりに急かされて、ピクシーたちは慌てて瓦礫を囲むように散開していく。
それから一斉に耳に馴染みのない言語で詠唱を始めると、目の前の空間が陽炎のように歪み全く別の光景が浮かんできた。
無造作に転がっていた瓦礫を組み合わせたようにして出来上がった石造りの大きな門。
側面から見ると奥行きもない単なるアーチ構造の建築物だ。
ただひとつ特徴的なことがあるとすれば、門扉が開いた先に光り輝く膜が張られているということ。
無条件では潜らせないと言わんばかりの、強力な魔力の壁であった。
「今となっては妖精語で解術をせぬ限りは出入りすることが困難な、俗世界から切り離された地。我々が目指す場所はこの先にある」
スクレナは前へ突き出した右腕を肘の辺りまで壁に沈めると、一度こちらへ振り返って口角を上げる。
「さぁ、共に行こうぞ。妖精郷『常若の国』へ」
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