亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に
第33話 蹂躙
警告とも取れるマリメアの指摘の直後、一隻の船を覆うように何かが張り付いた。
何本もの赤黒い触手……目を凝らせば足のようだ。
圧迫するごとに船体はひび割れていき、残りの足で甲板上の海賊を摘み宙へと持ち上げる。
それを食そうと海面から大口を開けて顔を覗かせたのは、軟体生物クラーケンだった。
また別の一隻に目をやれば、船へ巻きつくことによる破壊行動の傍らに、次々と人間を丸呑みにしていくシーサーペントの姿が。
半魚人もまた、その混乱に乗じて襲撃に参加した。
右舷、左舷、あらゆる箇所から船体をよじのぼり、慌てふためく海賊たちをトライデントで突き刺していく。
たまらず尚も無傷のままの船に逃げ込もうと、海へ身を投げ出す者も現れた。
しかしそこにもまた怪物が待ち受けていることを、彼らは失念している。
今度はメガロドンたちの獲物の奪い合いの始まりだ。
ひと噛みで口内に収まる者。
下半身に喰いつれた後に、口から漏れた上半身を別のメガロドンに喰われる者。
各々の凄惨な最後によって、海はたちまち本来の色を失っていく。
延々と止まない悲鳴と激しい水しぶきが相まって、目の前に広がる光景は人間にとってまさに地獄絵図だった。
ビアンキもスコットも、気分の優れない様子で顔に汗を滲ませながら眺めるだけ。
メリダなど既に気を失っているくらいだ。
ハンガにしても、ここまで来た目的である復讐心はとっくに喪失していた。
ただ力ない表情で膝をつき、知った顔が散りゆく様を見ているのが精一杯のようである。
「また間違って大砲の弾なんか飲み込むんじゃないよ。コラ、そこ! 喧嘩しないでちゃんと仲良く分け合いな!」
シーサーペントが口にした船員を、クラーケンが足を使って奪おうと引っ張り合う。
それをまるで日常の生活風景のように語る振る舞いに、ハンガは茫然自失してマリメアへ顔を向けた。
「言っておくけど、あの子たちなんてまだ可愛げがある方さ。もっと怖い奴らはこんな騒ぎくらいじゃ見向きもしないんだから」
心外だと言わんばかりに肩を竦める海姫に、キャプテンはさらに衝撃の事実を告げられる。
「それに私はモビーディックの件以外は全く関与していないよ。あんた達が勝手に他の子らを呼び寄せて、自ら進んで餌になった。ただそれだけさね。そっちのお兄さんは私の言ってること……理解しているんだろう?」
虹彩を濁らせ、乾いた笑いしか出なくなったハンガの精神は、もはや限界が近いようだ。
だがなぜか俺はマリメアの言う通り、この出来事を簡単に受け止められていた。
海面に赤い花を咲かせる海賊たちを見ても、感情が高ぶることはなかったのだから。
海獣が食事をしている。ただそれだけの出来事にしか映らなかったんだ。
「あんたはもう同類なのかもね。私たちとさ」
マリメアは意味深なことを言ってウインクをする。
他人に言われ、客観的に考えてから初めて気付いたことに嫌悪した。
俺は自分が思っている以上に冷淡で非人道的な人間だったのだろうかと。
それとも他に――
「ところで陛下。この海賊の処遇はいかが致しますか? 陸地までは私がお送りした方が早いかと思いますが」
「うーむ、元から大して興味はなかったのだが。ここまで船を出してくれた恩も、船員ごときが我を侮辱することで不意にしおったからな。あとはお前の判断に任せるとしよう。マリメアよ」
「お、お、お待ちください! 海姫様!」
それを聞いてハンガは擦り寄るように甲板を這う。
何としても生き延びる為、マリメアのご機嫌を取りながら懇願するように。
「我々船乗りにとって海の女神と謳われるマリメア様に仕えるのはこの上ない悦び! どうか私めを貴女様の従者……いや、下僕として生涯お使いください!」
「随分と気色の悪い奴だね。従者だろうと下僕だろうと、海中で自由のきかない人間が私の直轄に入るなんて無理な話さ。それに海賊にも色んなのがいるけど、あんたは海に対する印象を悪くしてる口のようだし」
あまり好感触とは言えない雰囲気にハンガは焦ったのか、さらなる繕いを試みる。
だが、それがまさに自分にとって致命的な仇となるとも知らずに。
「同じく海を愛する者として、どうか……どうかご慈悲を!」
両手の指を組んで縋りつく姿は、さながら神に祈りを捧げているようだった。
きっと本人はそれと同等の意味を持ち合わせていることだろう。
だが終始飄々としていたマリメアの空気は、突如として不穏なものへと変わる。
「海を愛する者……ねぇ……」
海姫はコートの下から取り出した長いパイプに火をつけ、一度大きく吸い込むと空に向かって煙を吐いた。
今にも口から飛び出しそうな激情を抑え、自身を落ち着かせるように。
「エルト、そんな所におると巻き添えを食うぞ。さっさとこちらへ避難せぬか」
いつの間に移動していたのか。
スクレナはこの船に接舷しているモビーディックの背に移動していた。
いまいち状況が飲み込めないが、ここは最もマリメアの人となりを知る者に従っておいた方がよさそうだ。
クッションのように柔らかい脂肪に包まれた体の上に降り立つと、二輪の風のメンバーも恐る恐る続いた。
メリダを背負ったビアンキにスコットが手を貸し、全員が乗り移ると白鯨は出発の合図のような声をひとつ上げる。
振り返ってみれば、ハンガは柵に手をかけて泣き叫んでいた。
さすがにここまで来れば、この先どうなるかくらいは想像がつく。
そして奴が何かしら、海姫の尻尾を踏んずけるようなことをしたことも。
「あんたさ、その縮れ毛……ワカメを敬愛してるんでしょ?」
マリメアが語りかけながらもトトは少しずつ距離を取ると、巨大な砲塔を一門、海賊船へ向ける。
「喜びなさい。そこらに這いずるフナムシと一緒に、あるべき場所へと送ってあげるわ」
「待っ――」
爆音が轟き大砲が火を吹くと、水柱が天高くそびえ立った。
太陽が出ていれば虹が出ていたことだろう。
そんなことを考えながら、スクレナが影で作った屋根の下で降り注ぐ海水をやり過ごす。
やがて海面が落ち着きを取り戻すと、船があった場所には代わりに無数の木片が浮かんでいるだけだった。
「『海を愛する者』なんて口にするなら、まずは母の懐の深さを知ってからにすることね、坊や。時に厳しく、時に優しいその慈しみを」
当然ながら、海の藻屑となったハンガからの返事はない。
眼前の海賊がどれほど暴虐の限りを尽くしてきたかが、海姫には分かっていたんだろう。
その状況であんな戯言が飛び出せば、マリメアの心中を察することなど容易である。
「マリメアは『海の子』とも言われているだけに、母なる存在を軽んじるような行為や言葉に対しては怒りを持ってその根源を粛清するのだ。我も昔、まだ普通のカメだった頃のトトをひっくり返して遊んでおったら――」
遠い目をしながら思い出を語っていたスクレナは突如身震いをする。
こいつのこんな姿は珍しい……というか、初めて見たような気が。
もしハンガの船が大砲一発で沈まないほど頑丈であったなら、どんな凄まじい攻撃が繰り出されていたのやら。
モビーディックからトトの背へと足場を変えると、マリメアは喜び勇んで駆け寄ってくる。
待望の近場での主君との対面を果たせたからなのだろう。
両手を握りしめる仕草から、それがひしひしと伝わってきた。
まるでさっきの出来事など意にも介さないように。
「陛下、改めまして、こうして再びお目通り叶うこと、大変光栄に思います」
「うむ、我もだ。デリザイトより既に詳細は聞いておることと思うが、お前の意思はどうだ?」
その問いにマリメアは当然と言わんばかりに力強く頷くと、スクレナは嬉しそうに目を細める。
「では今一度、薄れている契約の上書きを――」
そう言ってスクレナが親指に歯をあてがって噛み切ろうとすると、マリメアは向かい合う主の両頬に手をかけて制する。
「私ごときの為に陛下の大切なお体に傷をつけさせるなどおこがましい。そんなことをせずとも、体液を交換する方法はいくらでもあるではないですか」
そして謙虚な口ぶりとは裏腹に、いきなり口づけをするという大胆な行動に出た。
「んぅーっ! んむぅーーーっ!!」
しかも侵入がかなり積極的なのか、スクレナは足をばたつかせたり、体をよじったりして逃れようとする。
だが抵抗も虚しく、どうやらマリメアが満足するまで付き合うしかなかったようだ。
「――っぷはぁ! ああ……なんという至福……」
自分の頬に右手を添え、首を傾けながら恍惚とするその様子を見て俺は思った。
こいつがスクレナに従順な理由は、単に女王だからという以外にもあるんじゃないかと。
「はぁ……やはり変わっておらぬな。お前も」
肩を落として溜息をつくスクレナを見る限り予想通りだったか。
この関係性も浅からぬものではないのだな。
「ところで陛下、デリザイトからさらなる言伝を預かっておるのですが」
「ほう、言伝とな。 もしかして他の仲間の情報か?」
「はい、次に向かうべき場所。それは現在帝国の属州となっているフェデスのレジオラという街です。そこには――」
◇
「邪教徒……ですか?」
帝都の軍事施設で行われている会議の中で、1人の将官が質問する。
出席しているのは軍団長や地位の高い僅かな士官のみ。
そしてその中心となるのは、たった今質問を受けた仮面姿の女性であった。
「そう、属州となった今も尚、レジオラの近郊で秘密裏に活動を続ける異端者どもだ。討伐隊を編成後、直ちに派遣して一網打尽にする」
ルーチェスの発言で会場内には遠慮がちなざわめきが起き、皆が一様に近くの者と目配せをする。
「ルーチェス様。確かに我が国は唯一の信仰しか認めておりませんが、隠れて活動を続ける教団など無数にあります。それなのになぜレジオラへ?」
「その崇拝しているものが問題だということだ。いきすぎた人間の信仰心はそれだけで対象の力になり得ることもある。後顧の憂いは断っておくに越したことはないだろう」
「ならばその役目、聖騎士に任せてはいかがかと」
すかさず口を開いたのは剣聖イグレッドだった。
だがその進言に周囲からは疑問の声が湧き上がる。
「邪教徒の討滅に聖騎士を? 剣聖殿、いくらなんでもそれは戦力として過剰ではないか?」
他の軍団長の言うことも確かなことだ。
邪教などと物々しい呼び方ではあるが、結局のところは虐げられた平民の集まり。
武装をしていたところで、たかが知れているというもの。
中級士官に指揮をとらせても十分すぎる案件だ。
「いいだろう。聖騎士には準備が整い次第、現地へ向かうよう正式に司令を出しておく」
ルーチェスが快諾したことにより公に疑念を抱けなくなった面々は、隣り合う者同士でそれとなく耳打ちをするしかなかった。
だからこそ皆が見逃すことになる。
ルーチェスとイグレッドが、互いに含みのある目配せをしていた瞬間を。
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