亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第25話 聖女と黒騎士 運命が交わる時②


「ヴァイデル! 今の話の詳細を教えてください……いえ、教えなさい! 命令です。それは私の――」

 ヴァイデルに詰め寄ろうと前に出たのは聖女セリアであった。
 しかし隣に並ぶ者に腕を掴まれ歩みを止められる。
 その手に込められた必要以上の力により、セリアは思わず顔をゆがめてしまった。

「セリア、ヴァイデルが順番に説明しているだろう。陛下の前で立て続けに醜態を晒すなんて君らしくもない。それとも……そこまで取り乱すことなのかい?」

 穏やかな表情と口調でイグレッドは引き止める。
 だがその目の奥に微かな怒りを感じ、セリアは大人しく後退した。

「出過ぎたことをしました……申し訳ございません」

「いえ、それも報告の範囲のことです。セリア様、私が頭に浮かべる顔と貴女様が浮かべる顔は相違ないかと」

 セリアは口元を手で覆いながら驚愕の表情を浮かべる。
 かろうじて声を上げなかったのはイグレッドを考慮してのことだろう。

「そのエルトなる冒険者、実力を聞けば金剛アダマスか……いや、世界に12人しかいない等級だ。全ての名を覚えているが、そのような者はいないはず」

「はい。それに魔人を一撃で沈めるなど金剛の冒険者にも不可能なことです」

「ヴァイデルよ、その男は一体どういう人物なのか。他に知っていることはないか」

 皇帝とその側近が自らの考察は時間の無駄と判断し、眼下の士官へ問うた。

「帝都へ帰還する道中に冒険者ギルドへ赴いて共有する情報を開示させました。それによると初めて登録をしたのは3年前、どちらも等級は青銅とのことです」

 ヴァイデルの言葉に周囲は騒がしくなる。
「聖魔道士は青銅の冒険者に敗れたのか」と。

「レイナなる魔術士が聖魔道士様の前でプレートを掲げていたので、信憑性は十分に」

「お待ちください、陛下! それについて申し上げたいことがあります! 戦闘に参加していた者だけが知り得たことを」

 このタイミングでは傍から見れば言い訳にしか受け取られない。
 自分の地位を守る為の繕いであると。
 だが既に冒険者に深い興味を抱いていた皇帝はルナの発言を許した。

「そのエルトという男、魔人を葬る直前に姿を変えました。黒い甲冑に、黒い大剣――」

「前置きはいい。結論を言え」

「おそらく、近年各地で噂が立っている黒騎士かと……」

 この空間に飛び交う声は一際大きくなる。
 そんな中でルーチェスは歩み寄る1人の諜報員から、即席で作成した一冊の報告書を受け取った。

「初めて黒騎士の存在が報告されたのは3年前。件の冒険者が登録した時期と重なります。その他にも最も黒騎士の目撃情報が多発してた場所がレマリノ周辺、これはこの者が活動拠点にしていた街となっております」

 ルーチェスが抜き出して読み上げる重要な情報を、クルテュヌスは背もたれに体を預けながら黙って聞いている。

「最近になってフィルモスへ登録を移したようですが、その数日前にレマリノで奇妙な事件が起きておりました。賊が街中でサラマンドラを召喚するも、それを一刀両断にした者がいたと」

「そして……私が最後に顔を合わせたのも3年前。エルト、その間あなたに一体何が……」

 口を挟んだのは焦点の合わない目で床を見つめるセリアであった。
 誰かに話すというよりは、無意識に出た独り言のようなものだ。

「話してみよ。聖女セリア」

 クルテュヌスに声をかけられて、初めてセリアは自分の思いが外に漏れていたことに気付いた。

「私と剣聖様の婚約記念パレードが行われた時に乱入してきたのがエルトなのです。彼は私と同郷の者で、私の……」

 そこで言葉に詰まる聖女に皇帝は促す。

「貴様の色恋沙汰などどうでもいい。同郷と申すが、その男は昔から武に長けておったのか?」

「いえ、主には農業や狩猟にて生計を立てておりましたので、剣を握ったところは見たことがありません。幼き頃より常々共に過ごして参りましたので確かなことです」

 セリアの証言に、皇帝は顎に手を当てて考え込む。
 それから煮詰まった思考による熱を放出するように、大きく息を吐いた。

「理解できんな。全ての情報に整合性があると思えば矛盾が生じる。一度詳しく調査をする必要がありそうだ。そしてこの場に居合わせた者には箝口令を敷かねばなるまい」

「箝口令を? 調査を開始するのであれば多くの者と情報を共有した方がいいのでは?」

「魔人を討伐する個人なのだ。広く知れ渡ればどんな国、どんな勢力が接触してくるかも分からん。本当に世界の情勢を左右するほどの力ならば、何としても我が国が引き入れなければならんのだ」

 元は資源の乏しい小国であったこの国は、軍事力に全てを捧げ少しずつ周辺国を領土にしていった。
 だが国境が他の大国に隣接するようになった頃から膠着状態が続き、長い間、侵略戦争を行っていない。
 だが聖者たちの参入による積極的な軍事行動の再開、加えて皇帝の黒騎士を迎え入れるという発言に、軍人も公職の者も期待に胸を躍らせる。
 だがそれが総意ではないというのもまた事実であった。

「陛下、お言葉ですがその考えは少々早計かと」

 異議を唱えたのはイグレッドだった。
 それだけに留まらず、あろうことか許可もなくルナやヴァイデルを差し置いて前へそびえ立つ。

「聞こう。イグレッド」

「文書に記載された情報のみで、陛下は既にエルトという者が規格外の力を持っていると信じ込んでいらっしゃる。これこそがルナの策かもしれないというのに」

「はぁ!? 何寝ぼけたこと言ってんのよ!」

 脈絡のない話にルナは状況も弁えずムキになって大声を張り上げる。

「そもそも聖魔道士に謀反の意思がないと決めるのが早計だと具申いたします。今回の戦自体が2人で共謀したものという可能性も考えられるのです。内部深くへと招き入れ、陛下の、この国の安寧を脅かそうと」

 ルナにとっては覚えのないこと、濡れ衣もいいところだ。
 当然のことながら必死に反論するものの、途中でその意図を推測することで口元に笑みを浮かべる。

「あぁ分かった。イグレッド、あんた怖いんでしょ。同じ場所に立たされるのが。イフリートを軽くあしらう程の男と比べられたら堪らないものね。お気に入りの女も奪い返されちゃうかもしれないし」

 嘲笑混じりの侮辱を背中に浴びせられていたイグレッドは、振り返ってルナの元へと近づいた。
 そして髪を鷲掴みにすると、強引に彼女の顔を自分へと向けるのだった。

「怖がってるって? 面白い冗談だ。僕はあの男が……いや、人間がこんな短期間でそこまでの成長を果たすとは思っていない。つまりお前の言うことなど何ひとつ信じちゃいないよ。仮にそうだとしても、セリアは心から僕を愛している。力でどうにかなるものではないんだ」

「あれあれぇ、いつもより随分と口数が多いじゃない。何をそんなに焦ってるの? また母親共々お払い箱にされるかもしれないから? 『廃棄物』って言われてね」

 言い切ると自由を許されていないルナは相手の顔に唾を吐きかける。
 イグレッドは感情の見られない表情のまま動きを止めると、いきなりルナの頭を床に叩きつけた。
 鈍い音が響き渡った後には、部屋中がしんと静まり返る。
 手で掴んだままの髪を引っ張り上体を起こすと、聖魔道士は額から流血していた。

「お前のことだから、それが僕にとっての禁句だと分かっていて口にしたんだろう? ならば命の保証は捨てたと解釈してもいいわけだな」

「両者共! そこへなおれ!!」

 ルーチェスの怒号によりイグレッドはルナから手を離し、玉座の方へ向き直って跪く。

「イグレッド、よもや貴様までも場を乱すとはな。聖者たちがその体たらくだから、戦力がいくらあっても心許ないのだ」

 落胆したように頬杖をついて体を傾ける皇帝に、イグレッドは深々と頭を下げた。

「貴様たちはルーチェスの予言による厄災からこの国を守る目的で集められたということを忘れるな。やがて来る闇の国の女王の復活という厄災からだ。その為には他のことなど一切躊躇うでないぞ」

 脳震盪のうしんとうを起こし朦朧とするルナを除き、聖者たちは改めて姿勢を正して一礼する。
 自分たちに課せられた使命を、存在意義を再確認するように。

「審問は以上だ! 聖魔道士は下士官へ降格、並びに聖騎士の部隊へ編入。その他の処遇については精査した上で後日言い渡すこととする。それまでは地下牢へ収監しておけ」

 ルーチェスの裁定に眉をしかめて、あからさまに嫌そうな顔をするグラドだった。
 しかしそれにも構わず軍人たちが両脇から抱え、さらに前後から数名で挟むように連行していく。
 クルテュヌスは重い音を立てて閉まる扉に向けていた目を足元へ向けると、視界には未だに体勢を変えぬまま跪くヴァイデルの姿が入ってきた。

「まだ何かあるか。ヴァイデルよ」

「聖魔道士の身柄を引き取る際に、例の冒険者やイルサン王には相応の対価を約束しました。担保として大切なものたちを残さざるを得ませんでしたので、恐れながら……応えていただきたく」

 ヴァイデルは気丈に振る舞っているつもりであった。
 しかし一介の士官が国のトップに申し出る緊張、皇帝に対応を拒否される可能性への恐怖。
 それらが混ざり合い、体の震えを隠せずにいた。

「当然だ。敗戦した上にこれを反故にすれば余の名誉に傷がつく。臨時の使節団を編成し早急に派遣せよ」

「陛下、それについてお願いしたいことが」

 ヴァイデルが安堵して胸を撫で下ろす間もなく、イグレッドが会話に割って入る。
 少し前には失態を痛罵されたばかりだというのに、なかなかに腹が据わっているようだ。

「冒険者の元へ派遣する人材の選出を任せていただきたいのです」

「ほう、貴様がか?」

「はい、先ほど失墜した信用を取り戻す為にも、必ずや打って付けの者を用意いたします」

「ふむ……よかろう。そちらの件に関しては一任するとしよう」

 イグレッドは満面の笑みを浮かべ、深いお辞儀をしてから踵を返す。
 そしてその先に待つセリアの肩を抱くと、耳元で何かを囁いていた。



 ◇



 俺とスクレナが簡単な依頼をこなしてギルドに帰還すると、何やら建物の中が忙しなかった。
 職員の人たちは右往左往して、冒険者たちの会話は騒がしいほどに盛り上がっている。

「ああ! エルトさん! レイナさん!」

 職員のお姉さんが1人、俺たちの存在に気付くと慌てて駆け寄ってきた。
 それと同時に全ての視線が一斉にこちらへ集まる。

「あ、あの! おちゅ……おちゅちゅ……おちゅちぇいてくだしぇい!」

 いや、こっちはずっと平常心だから。
 まずはあなたが落ち着いてくれ。
 お姉さんは何度も深呼吸をして、「よし!」と自分に喝を入れてから口を開いた。

「実はお二人と面会したいから、ここの会議室を借してほしいという要請がありまして」

 面会? 誰だろうか?
 酒場にツケなんかないし、俺だけではなく2人と言ってたしな。

「あれではないか? モンテス山での戦の……」

 スクレナに言われて思い出した。
 ルナの行動を止めた謝礼と、代わりに預かった人質を交換する為の話し合いか。
 確かに帝国軍が何か目的を持って急にやって来るとなれば、皆の心中は穏やかではないだろう。

「でもそれにしては大袈裟すぎやしませんか? まるで天災に備えるみたいに」

「天災の方がまだマシですよ! あなた達、一体何をやらかしたんですか? だって……あの剣聖イグレッド様と聖女セリア様が揃って訪問されるなんて!」

 言うまでもなく、俺の平静は一瞬にして失われた。
 まさか唐突にあいつらの名前を耳にすることになるなんて。
 思えばルナやヴァイデルとの再会がその前触れだったのだろうか。

 交渉の場ではどんな会話が展開されるのか想像もつかないが、せっかくの席を台無しにすればケット・シーたちにも迷惑がかかってしまう。
 となれば、何としても自制心を保つように努めなければなるまい。



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