亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

第17話 猫妖精の脅威


 丸一日休んだことでデリザイトとの戦いで傷ついた体はすっかり万全になった。
 これも一重にスクレナの魔力による自己治癒力の向上によるものだ。
 まぁ、助かると言えばそうなんだけど……もっとゆっくりしていたかったという気持ちもある。
 しかしこの世に金銭というものがある限りそれは許されないだろう。

 そんなわけで依頼を受けにギルドに来たわけだが……
 ボードから選ぶ前にもう決まりつつあるようだ。
 というか、スクレナが1枚の依頼書をしっかり抱いて離さない。
 分かったから。それにするからクシャクシャになる前に見せろ。


 内容は難度E……「ケット・シーの撃退」か。
 実際には見たことはないが確か猫の妖精だったな。
 普段は特定の地域内で生活してるのに、ここ最近は人里に現れるようになったとか。
 しかも食料などを奪って逃げるから困っているとのことだけど……
 要は野良猫退治と同じようなものだろう。
 わざわざギルドに要請することなのか?
 しかも難度もEと思ってる以上に高めだ。
 何か特別なことがあるのかと詳細を確認してみれば、気になる一文が記載されていた。

「ケット・シーが大量発生しておるのだろう? これは行くしかあるまい!」

 興奮して目を輝かせる様子を見ればこの依頼を受けたがってる意図は大体分かる。
 どうせ碌な理由ではないはずだ。

「ケット・シーに埋もれて寝るのが我の夢だったのだ! ようやく交渉できる機会が巡ってきおったわ!」

 そりゃ大層な夢だけど、俺たちには猫1匹だって飼う余裕はないんだからな。
 頼むからやるなら現地だけにしてくれよ。



 ◇



 馬車に長いこと揺られ、フィルモスからは少し距離があるグラッシという村へとやってきた。

「おぉ!冒険者殿。よくぞおいでなさった。方々の街のギルドに依頼を出しておりましたが、受けていただけたのはあなた方が初めてです」

 直角ほどに曲がった腰を杖で支えながら高速で振動する村長である老人が、村人一同と共に歓迎してくれた。
 しかし村長が言っていたことも致し方のないことだ。
 何せこの村は周辺のどの街からも離れているし、難度に対して報酬が見合っていない。
 俺だってスクレナにせがまれていなければ受注していなかっただろう。

「いやはや、お恥ずかしい。この村はもともと裕福とは言えなかったのですが、ケット・シーの被害に合うようになってからは農作物も畜産物も奪われて貧困は悪化の一途を辿っておりますのじゃ」

 なるほど、それを聞くとかなり切迫している状況だということが伺える。
 このままでは村が壊滅してしまうほどにだ。

「それで……他のパーティーの方はどちらに?」

 村長は辺りを見回しているがそれは思い違いだ。
 ここに来たのはスクレナと2人だけ。
 メンバーはこれで全員なんだ。
 その事実を告げてやると村長の体の震えは大きくなり、足下をふらつかせる。

「な、なんということじゃ……」

「あの、大丈夫ですか?」

 慌てて支えようとすると、村長の白いボサボサの眉毛がクワッと上がった。
 そしてその下の目が鋭く光り、半分ほど歯が抜け落ちた口の中を見せながらまくしたてる。

「ケット・シーを甘く見てはいかん! あれは妖精などではない! 化物なのじゃ! ただの野良猫と同じに思っておると命を落とすぞ! 奴らは……水を入れた瓶を村の周りに配置しても決して止まらんのじゃ!」

 それ猫にも効果ないやつだからね。

「だが最も恐ろしいのはそこではない。何せ奴らの群れは――」

 村長の話の途中でけたたましい鐘の音と、物見櫓の上にいた青年の声が村中に響く。

「ケット・シーだぁ! ケット・シーが来たぞぉー!!」

 途端に周囲からは悲鳴が上がる。
 女性や老人は子供を連れて各々の家の中に飛び込み、男は武器の代わりとなる農具を手に取った。

 いやいや、いくらなんでも大袈裟すぎやしないか?
 苦笑しつつ門を潜って木製の塀の外へ出てみる。
 青年が指さす方向を見てみれば、確かに平原の先に土煙が上がっていた。
 その光景から予想できる数を思えば、戦闘経験が乏しそうな村人には脅威だろう。
 だけど俺たちは違う。
 これくらいであれば軽く対処することが可能だ。

「お、御二方。一応門は閉めますが奴らは塀をも軽々とよじ登ってきます。若い衆と協力してなんとしてもここを死守してくだされ」

「うむ、任せておけ」

 おい、なんだその手にしている先端にフサフサが付いた棒は。
 お前絶対に遊ぶ気満々だろ。

 呆れた視線をスクレナからケット・シーたちが来る方向へと戻すと――

 ん? 何かおかしい。
 気のせいかと思い、一度擦ってから目を細めて遠くを凝視してみる。
 なんだか少し目を離していたうちに砂煙が広がっている気がするのだが……

 いや、気のせいなんかじゃない。
 時間の経過と共に土煙が広く、大きくなっている。
 比例してその下に見える黒い影もどんどん増えていった。
 もはや数の予想などつかない。
 後方にはさらにどれだけ続いているのか見えないくらいなのだから。
 これではまるで災害ではないか。

「う……う……うわぁあああああ! さらに増えてるぞ!」

「こんなのとても無理だ! 頼むから開けてくれ!」

 村の青年たちは1人、また1人と持ち場を離れると、固く閉じられた門を叩いて懇願した。
 すっかり戦意を喪失している。
 こうなってはもう当てにすることは出来ないか。

「スクレナ、あんな数では攻撃しようにも雲を殴るようなものだ。1発でかいのでまとめて吹っ飛ばせないか?」

「馬鹿を言うな! そんなことをすれば尊いモフモ……命を奪いかねん。我にはとても出来やしない」

 途中で何か仕様もないことを言おうとしなかったか?

「だが村全体の防御を固めることは出来るぞ。予定外の量の魔力を使ってしまうがな」

 俺は無言で頷き全てを任せると、スクレナは数歩前進して立ち止まった。
 そして両手を前に掲げ、足元の影を広げていく。

 ――【死者の泉フォーンス・デ・モルトウイ

 さらに形を変えてどんどん大きくなる影は、やがて村の周りをぐるりと囲んでしまった。
 本当にこんなので大丈夫か?
 これだけであの大群の進行を阻止することが可能なのだろうか。

 俺が疑念を抱いたまま様子を伺っているうちに、先頭を走っていたケット・シーたちがスクレナの影を踏んだ。
 すると急に消えたかと思えば、腕をばたつかせながら上半身だけの姿を地面から現す。

「うにゃー!! なんにゃこりゃ!? 地面が沼みたいになってるニャ!」

 必死にもがいているが暴れるほどに黒い影がまとわりつき、まるで何者かに引きずり込まれるように体が闇に沈んでいく。
 中には影の手前から跳躍を試みる者もいた。
 途中で下から伸びる黒い腕に体を掴まれ、同様の末路を辿ることになっただけだが。

 それを見て後続のケット・シーたちは向きを変えて、周りの影に沿って走り出す。
 しかし、しばらくすると皆一様に元の場所へと戻って来たところを見ると、スクレナの言う通り村の守りは万全のようだ。
 ケット・シーたちは困惑して右に左にウロウロしていたが、一部の者が諦めて引き返すと次々とそれに続いて行った。
 どうやら危機的状況は乗り越えられたみたいだな。

「すげぇ……あんな範囲魔法は見たことないぜ」

「あの魔術師の姉ちゃん、金……いや、白金の冒険者か? 道理であれだけ自信に満ちてるわけだ」

 スクレナの魔術を目の当たりにした村人たちが思い思いに褒め称える。
 無理もない。何度も見ている俺だって未だに感嘆の声を上げそうになってしまうんだから。
 ただ目を細めて顎を上げるこの得意げな顔のせいで喉の奥に引っ込んでしまうのだが。
 ところで沈んでいったケット・シーは一体どうなったんだ?
 まさか1匹残らず溺死してしまったのでは。

「そんな残酷なことをするか。影の中に落ちた者たちは今頃は闇の中を漂っておるだろう。さて、目的も果たしたことだし帰るとしよう」

 いや、ちょっと待て。
 それはお前の願望が叶っただけでまだ根本的に解決していないだろ。
 あれだけ多くのケット・シーが逃げていったんだ。村の危険がなくなったわけではない。

「ならばこれからどうするのだ?」

 お前の口ぶりだとその中のケット・シーの取り出しは可能なんだろう?
 だったらやることは決まっているじゃないか。



 ◇



「トムをどうするつもりニャ! さっさと縄を解くニャー!」

 影から取り出した1匹のケット・シー。
 聞くまでもなく名乗ってくれたから手間が省けた。
 胸に白い模様がある黒猫のトムを柱に縛ってみんなで囲む。
 これだけ見ればまるで動物虐待のようだ。
 しかも大群でいた時は脅威的であったが、この状況になるとなかなか胸が痛む。

「お前には聞きたいことがいろいろあるんだ」

「ふん! 人間なんかと話す舌は持たないニャ! 例えホットミルクを注ぎ込もうと無駄なことニャ!」

 やっぱり猫舌なんだ。

「そうか、じゃあ仕方がないな」

 俺はトムの目の前に立つと、1本ずつ指を鳴らす。

「ど、どうするつもりニャ!?」

「決まっている。話す気がないのならその気にさせるだけだ」

 怯えるトムに俺は冷ややかな目を向けた。
 人の道に外れていると言われようと、この村を救う為に今……悪魔にだってなってやる。



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