没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第六十六話 聖奠(せいてん)
王都へは明後日に帰る。港街での滞在も残り少なくなっていた。
時刻は日付が変わるような時間帯であった。
ベルナールは自分の部屋に戻るなり、襟元を締めていたタイを外し、ボタンも二個ほど寛がせる。
薄暗い部屋の中、なんとなく灯りを点ける気になれず、窓から差し込む月明りを頼りに長椅子まで歩いて行き、腰かけた。
水差しの中の水をグラスに注ぎ、一気に飲み干したが――中身は酒で思わず噎せた。
口元を拭い、注意散漫だったと反省。
早く寝た方がいいと思い、寝室まで移動する。
ふと見れば、隣の部屋の扉から灯りが漏れていた。アニエスはまだ起きているということになる。
港街での滞在期間が延びることや、その他諸々も話しておいた方がいいかと考え、扉を叩いた。
アニエスはすぐに返事をして、扉が開かれる。
帰って来ていたベルナールを見て、ホッとしたような表情を浮かべ、「おかえりなさいませ」と言った。
「少しいいか? 話がある」
「話、ですか?」
「ああ」
雰囲気から良い話ではないと読み解いたアニエスは、胸の前で手を握り締め、誘われた部屋への一歩を踏み出す。ミエルも起きていたようで、あとに続いていた。
扉が閉まれば、部屋は薄暗くなった。
ベルナールは寝台近くにある円卓より手探りでマッチを探し、火を点けると角灯の中へと入れた。
ぼんやりと明るくなった寝室。
居心地悪そうに佇んでいるアニエスに、寝台に座るよう勧めた。
「どうした?」
「いえ、なんでも。話を、お聞かせ下さいませ」
「ああ」
ベルナールは寝台に上がろうと四苦八苦しているミエルの首根っこを掴み上げ、布団の上に下ろす。それから、予定の変更をアニエスに報告した。
「明後日、俺は王都に帰るが、お前はこのままここに居て欲しい」
「!」
目を見開き、咄嗟にベルナールの顔を見たアニエスであったが、王都で起きた事件のことを振り返ってすぐに顔を伏せる。
今、共に帰っても、足手まといになる可能性が大いにあることを、彼女は理解していた。なので、一度だけ頷き、言われたことを受け入れた。
「騒動の解決とか、あと始末とか、いろいろな処理を含めて半年はかかると思う」
「……はい」
「落ち着いたら迎えに来るが、正直いつとは言えない」
「……はい」
「俺自身、いくつかやらかしていて、処罰を受けるだろう。それに、騎士として復職できるかも分からない。そうなれば、屋敷の維持も難しくなる」
「……はい」
「それでも――お前は俺について来てくれるのか?」
アニエスは、ハッとなって顔をあげる。
ベルナールの熱い眼差しを目の当たりにして、思わず息を呑んでいた。
返事が出来ずにいるアニエスの頭を、ベルナールはそっと撫でる。
「アニエス、俺は、お前に幸せになって欲しい。この先、苦労をさせたくない。だから、祖父に頼んで、立派な相手に添い遂げられるよう頼もうともした――」
この一ヶ月、冷静になって自分自身と向き合い、将来について考えていたことを語り出す。何度だって出てくる答えは、アニエスと一緒になれば、必ず苦労をかけてしまうというものだったのだ。
相手の幸せを想い、身を引くのも一つの手だとも考えていた。
「でも、嫌だった。お前を誰かに渡したくない」
事件が解決し、自らの罪を贖い、職が安定したら求婚しよう。そんな風に考えていた。けれど、それではいけないと、祖父に叱咤激励されてしまった。
自分が頑張っている間に、誰かに盗られてしまうのは、許せないことである。
だがしかし、それを決めるのはアニエスだと思っていた。
ベルナールは寝台の縁から立ち上がって床に跪く。片膝を突き、アニエスの白い指先を手に取った。
「一生の願いがある」
どうにもできない様々な事情があった。将来も、明るいという確証はどこにもない。けれど、それを溢れる想いで包み込む。
二人なら、この先もどうにかなるだろうと彼は思っていた。
かねてより温めていたことを、ついに口にする。
「――アニエス・レーヴェルジュさん、どうか、私と結婚をしてください」
ベルナールの求婚を聞いた刹那、アニエスは眦から涙を浮かべる。目頭の熱さに耐えきれずに瞬きをすれば、それは頬を伝って流れていった。
そして、今度はすぐに返事をする。
「喜んで、お受け、いたします」
アニエスの言葉を聞いたベルナールは立ち上がり、震える細い肩を抱きしめる。
ありがとうと耳元で囁き、喜びを噛みしめていた。
それから目と目と合わせ、静かに唇を重ね合わせる。
幸せな時を、二人で過ごすことになった。
◇◇◇
アニエスは立ち上がってお礼を言い、深々と頭を下げた。
「なんの礼だ?」
「わたくしを娶ってくださるベルナール様への感謝の気持ちです」
「あのなあ、お前は引く手数多で、重ねて礼を言わなければいけないのは俺の方だ」
「貴族ではないわたくしを、妻として迎えたいと思う方は居るのでしょうか?」
「居る。それも大勢」
いまいちピンときていないようで、小首を傾げていた。
ベルナールはその様子を見ながら、ここを発つ前に結婚を申し込んでおいて良かったと、心の底から思う。でないと、離れている間に誰かに盗られないかと悶々とした日々を過ごすことになりそうだった。
「まあ、自覚していないのがらしいと言えばらしいが」
「?」
話をしながら、ポケットに入れていた懐中時計を取り出し、指先で弾いて蓋を開ける。
時刻は日付が変わってから一時間半が経過していた。
「もう時間も遅い、寝ろ」
「あ、あの、その前に、わたくしからもお話が」
「なんだ?」
言いにくいことなのか、口を開いては閉じるということを何度か繰り返している。
ぎゅっと眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情で居た。
ベルナールは言葉を待つ間、傍で跳ねまわっていたミエルを捕獲し、部屋に持って帰るように差し出していた。宙ぶらりんになった猫は、楽しそうに尻尾を振っている。
その姿を見て、アニエスの強張っていた表情が解れる。
決心を固め、思いの丈を口にした。
「――わたくしは、ベルナール様と、強い繋がりが欲しいと、願っております」
「ん?」
繋がりと聞いて、ベルナールはピンとこなかった。ミエルを手にしたまま、どういうことかと、詳しい説明を求める。
「えっと、それは、夫婦にのみ許されているものを言いますか、夜の契りと言いますか」
「はあ!? ちょっと待て!!」
やっとのことで、アニエスが望んでいるものを理解することになる。
解ったその瞬間、ミエルを手から離した。
猫は華麗な着地を見せ、どうだとばかりに「ニャア!」と鳴く。
呆然とするベルナールに、追い打ちをかける言葉をアニエスは願った。
「ここに残る間、きっと不安になると思うのです。だから、どうか叶えて頂けないでしょうか?」
今までずっと我慢をしていたのに、最後の最後でなんてことを言いだすのかと、ベルナールは頭を抱え込んだ。
きっと、意味を解っていないに違いない。そう確信をする。
「ベルナール様?」
「お、お前、夫婦の契りが何か解っていないだろう!」
「存じております。母に教わりました」
「嘘だ!」
「本当です」
「だったら、どういうことをするのか言ってみろ!」
アニエスは母親より授かった知識を言葉にする。
夫婦の契りとは、夫となる者と強い繋がりを持つ行為で、夜の神聖な儀式であると。
「――とのことです」
「お前、ちょっとここに座れ」
アニエスは夫婦の契りについて、まったく解っていなかった。
ベルナールはしっかりと知識を叩き込んでおこうと、覚悟を決める。
「お前の母親の言っていたことは、まあ、間違いではない。だが、いろいろ端折り過ぎている。いいか、夫婦の契りとは――」
すべてを口で説明するのは難しいので、傍にあった円卓の上にあるメモ紙に図を描きながら、順を追って解説をする。
「最初はこれがこうなって――」
「!」
「それから、こう」
「……」
「そのあと、これがこうで」
「!?」
「途中、こうして――」
「!!」
「おい、聞いているのか?」
「えっ、あ、あの、はい」
アニエスは顔を真っ赤にしていた。
彼女は本当に、何もかも分かっていなかったのだ。
「最後はこうなる」
「そ、そんな、ことを、毎回……?」
「する」
「……」
頬に手を当て、羞恥と困惑の表情を浮かべていた。
その様子を見て、ベルナールは深い溜息を吐く。
「不安だったら、母上かジジルに心構えとかを聞いて――」
話はこれで終わりだと思っていた。
だがしかし、アニエスはベルナールの服の袖を掴み、じっと潤んだ顔で見上げてくる。
「お、お前、まさか――」
「はい」
「嘘だろ!」
「本当です」
本日二回目の、同じ内容の質疑応答を繰り返すことになった。
「わたくしは、未熟者です。ベルナール様が娶るとおっしゃってくださったのに、結婚を待てず、こんなお願いをするなんて。……個人の感情とは、時に理性では抑えつけられないものだと、思っております」
「それは――まあ、そうだな」
「がっかりしましたか?」
「がっかりは、していない」
ただの欲求不満でないことは分かっていた。
この先、絶対に危険がないとも言えない。
脚を負傷した事件のこともあって、強く望んでいるのだろうと思っていた。
「分かった」
「!」
「でも、その前に――」
ひとまず先に神に夫婦として認めてもらおうと、ベルナールは言う。
「神様に、ですか?」
「ああ、結婚式の時に神前で誓うやつがあるだろう」
ベルナールは証人が必要だと言って、床をうろついていたミエルの首根っこを掴み、アニエスとの間に座らせた。
「なんて言うんだったか?」
「それは……」
――健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、病の時も、その人を愛し、敬い、慰め、助け、命が続く限り変わることなく、真心をもって尽くすことを誓いますか?
ベルナールはアニエスの額に自らの額を合わせ、静かな声で誓約を口にする。
「誓います」
アニエスも、同じように誓うと言う。その瞬間、二人は夫婦となりましたと言わんばかりに、ミエルが「ニャー!」と鳴いた。
ベルナールはアニエスを横抱きにして持ち上げ、そっと優しく寝台に寝かせる。
そして、ミエルの方を見て、一言。
「お前、そこに居てもいいが、絶対に邪魔すんなよ!」
空気を読んだミエルは、寝台から床へぴょこんと下りて行った。
ベルナールは横たわるアニエスの胸元のリボンを解いたあと、ぴたりと動きを止める。
そして、真顔になって一言。
「これ、本当にすんの?」
そう、アニエスに聞けば――
「よろしくお願いいたします」
丁寧に頼まれてしまった。
時刻は日付が変わるような時間帯であった。
ベルナールは自分の部屋に戻るなり、襟元を締めていたタイを外し、ボタンも二個ほど寛がせる。
薄暗い部屋の中、なんとなく灯りを点ける気になれず、窓から差し込む月明りを頼りに長椅子まで歩いて行き、腰かけた。
水差しの中の水をグラスに注ぎ、一気に飲み干したが――中身は酒で思わず噎せた。
口元を拭い、注意散漫だったと反省。
早く寝た方がいいと思い、寝室まで移動する。
ふと見れば、隣の部屋の扉から灯りが漏れていた。アニエスはまだ起きているということになる。
港街での滞在期間が延びることや、その他諸々も話しておいた方がいいかと考え、扉を叩いた。
アニエスはすぐに返事をして、扉が開かれる。
帰って来ていたベルナールを見て、ホッとしたような表情を浮かべ、「おかえりなさいませ」と言った。
「少しいいか? 話がある」
「話、ですか?」
「ああ」
雰囲気から良い話ではないと読み解いたアニエスは、胸の前で手を握り締め、誘われた部屋への一歩を踏み出す。ミエルも起きていたようで、あとに続いていた。
扉が閉まれば、部屋は薄暗くなった。
ベルナールは寝台近くにある円卓より手探りでマッチを探し、火を点けると角灯の中へと入れた。
ぼんやりと明るくなった寝室。
居心地悪そうに佇んでいるアニエスに、寝台に座るよう勧めた。
「どうした?」
「いえ、なんでも。話を、お聞かせ下さいませ」
「ああ」
ベルナールは寝台に上がろうと四苦八苦しているミエルの首根っこを掴み上げ、布団の上に下ろす。それから、予定の変更をアニエスに報告した。
「明後日、俺は王都に帰るが、お前はこのままここに居て欲しい」
「!」
目を見開き、咄嗟にベルナールの顔を見たアニエスであったが、王都で起きた事件のことを振り返ってすぐに顔を伏せる。
今、共に帰っても、足手まといになる可能性が大いにあることを、彼女は理解していた。なので、一度だけ頷き、言われたことを受け入れた。
「騒動の解決とか、あと始末とか、いろいろな処理を含めて半年はかかると思う」
「……はい」
「落ち着いたら迎えに来るが、正直いつとは言えない」
「……はい」
「俺自身、いくつかやらかしていて、処罰を受けるだろう。それに、騎士として復職できるかも分からない。そうなれば、屋敷の維持も難しくなる」
「……はい」
「それでも――お前は俺について来てくれるのか?」
アニエスは、ハッとなって顔をあげる。
ベルナールの熱い眼差しを目の当たりにして、思わず息を呑んでいた。
返事が出来ずにいるアニエスの頭を、ベルナールはそっと撫でる。
「アニエス、俺は、お前に幸せになって欲しい。この先、苦労をさせたくない。だから、祖父に頼んで、立派な相手に添い遂げられるよう頼もうともした――」
この一ヶ月、冷静になって自分自身と向き合い、将来について考えていたことを語り出す。何度だって出てくる答えは、アニエスと一緒になれば、必ず苦労をかけてしまうというものだったのだ。
相手の幸せを想い、身を引くのも一つの手だとも考えていた。
「でも、嫌だった。お前を誰かに渡したくない」
事件が解決し、自らの罪を贖い、職が安定したら求婚しよう。そんな風に考えていた。けれど、それではいけないと、祖父に叱咤激励されてしまった。
自分が頑張っている間に、誰かに盗られてしまうのは、許せないことである。
だがしかし、それを決めるのはアニエスだと思っていた。
ベルナールは寝台の縁から立ち上がって床に跪く。片膝を突き、アニエスの白い指先を手に取った。
「一生の願いがある」
どうにもできない様々な事情があった。将来も、明るいという確証はどこにもない。けれど、それを溢れる想いで包み込む。
二人なら、この先もどうにかなるだろうと彼は思っていた。
かねてより温めていたことを、ついに口にする。
「――アニエス・レーヴェルジュさん、どうか、私と結婚をしてください」
ベルナールの求婚を聞いた刹那、アニエスは眦から涙を浮かべる。目頭の熱さに耐えきれずに瞬きをすれば、それは頬を伝って流れていった。
そして、今度はすぐに返事をする。
「喜んで、お受け、いたします」
アニエスの言葉を聞いたベルナールは立ち上がり、震える細い肩を抱きしめる。
ありがとうと耳元で囁き、喜びを噛みしめていた。
それから目と目と合わせ、静かに唇を重ね合わせる。
幸せな時を、二人で過ごすことになった。
◇◇◇
アニエスは立ち上がってお礼を言い、深々と頭を下げた。
「なんの礼だ?」
「わたくしを娶ってくださるベルナール様への感謝の気持ちです」
「あのなあ、お前は引く手数多で、重ねて礼を言わなければいけないのは俺の方だ」
「貴族ではないわたくしを、妻として迎えたいと思う方は居るのでしょうか?」
「居る。それも大勢」
いまいちピンときていないようで、小首を傾げていた。
ベルナールはその様子を見ながら、ここを発つ前に結婚を申し込んでおいて良かったと、心の底から思う。でないと、離れている間に誰かに盗られないかと悶々とした日々を過ごすことになりそうだった。
「まあ、自覚していないのがらしいと言えばらしいが」
「?」
話をしながら、ポケットに入れていた懐中時計を取り出し、指先で弾いて蓋を開ける。
時刻は日付が変わってから一時間半が経過していた。
「もう時間も遅い、寝ろ」
「あ、あの、その前に、わたくしからもお話が」
「なんだ?」
言いにくいことなのか、口を開いては閉じるということを何度か繰り返している。
ぎゅっと眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情で居た。
ベルナールは言葉を待つ間、傍で跳ねまわっていたミエルを捕獲し、部屋に持って帰るように差し出していた。宙ぶらりんになった猫は、楽しそうに尻尾を振っている。
その姿を見て、アニエスの強張っていた表情が解れる。
決心を固め、思いの丈を口にした。
「――わたくしは、ベルナール様と、強い繋がりが欲しいと、願っております」
「ん?」
繋がりと聞いて、ベルナールはピンとこなかった。ミエルを手にしたまま、どういうことかと、詳しい説明を求める。
「えっと、それは、夫婦にのみ許されているものを言いますか、夜の契りと言いますか」
「はあ!? ちょっと待て!!」
やっとのことで、アニエスが望んでいるものを理解することになる。
解ったその瞬間、ミエルを手から離した。
猫は華麗な着地を見せ、どうだとばかりに「ニャア!」と鳴く。
呆然とするベルナールに、追い打ちをかける言葉をアニエスは願った。
「ここに残る間、きっと不安になると思うのです。だから、どうか叶えて頂けないでしょうか?」
今までずっと我慢をしていたのに、最後の最後でなんてことを言いだすのかと、ベルナールは頭を抱え込んだ。
きっと、意味を解っていないに違いない。そう確信をする。
「ベルナール様?」
「お、お前、夫婦の契りが何か解っていないだろう!」
「存じております。母に教わりました」
「嘘だ!」
「本当です」
「だったら、どういうことをするのか言ってみろ!」
アニエスは母親より授かった知識を言葉にする。
夫婦の契りとは、夫となる者と強い繋がりを持つ行為で、夜の神聖な儀式であると。
「――とのことです」
「お前、ちょっとここに座れ」
アニエスは夫婦の契りについて、まったく解っていなかった。
ベルナールはしっかりと知識を叩き込んでおこうと、覚悟を決める。
「お前の母親の言っていたことは、まあ、間違いではない。だが、いろいろ端折り過ぎている。いいか、夫婦の契りとは――」
すべてを口で説明するのは難しいので、傍にあった円卓の上にあるメモ紙に図を描きながら、順を追って解説をする。
「最初はこれがこうなって――」
「!」
「それから、こう」
「……」
「そのあと、これがこうで」
「!?」
「途中、こうして――」
「!!」
「おい、聞いているのか?」
「えっ、あ、あの、はい」
アニエスは顔を真っ赤にしていた。
彼女は本当に、何もかも分かっていなかったのだ。
「最後はこうなる」
「そ、そんな、ことを、毎回……?」
「する」
「……」
頬に手を当て、羞恥と困惑の表情を浮かべていた。
その様子を見て、ベルナールは深い溜息を吐く。
「不安だったら、母上かジジルに心構えとかを聞いて――」
話はこれで終わりだと思っていた。
だがしかし、アニエスはベルナールの服の袖を掴み、じっと潤んだ顔で見上げてくる。
「お、お前、まさか――」
「はい」
「嘘だろ!」
「本当です」
本日二回目の、同じ内容の質疑応答を繰り返すことになった。
「わたくしは、未熟者です。ベルナール様が娶るとおっしゃってくださったのに、結婚を待てず、こんなお願いをするなんて。……個人の感情とは、時に理性では抑えつけられないものだと、思っております」
「それは――まあ、そうだな」
「がっかりしましたか?」
「がっかりは、していない」
ただの欲求不満でないことは分かっていた。
この先、絶対に危険がないとも言えない。
脚を負傷した事件のこともあって、強く望んでいるのだろうと思っていた。
「分かった」
「!」
「でも、その前に――」
ひとまず先に神に夫婦として認めてもらおうと、ベルナールは言う。
「神様に、ですか?」
「ああ、結婚式の時に神前で誓うやつがあるだろう」
ベルナールは証人が必要だと言って、床をうろついていたミエルの首根っこを掴み、アニエスとの間に座らせた。
「なんて言うんだったか?」
「それは……」
――健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、病の時も、その人を愛し、敬い、慰め、助け、命が続く限り変わることなく、真心をもって尽くすことを誓いますか?
ベルナールはアニエスの額に自らの額を合わせ、静かな声で誓約を口にする。
「誓います」
アニエスも、同じように誓うと言う。その瞬間、二人は夫婦となりましたと言わんばかりに、ミエルが「ニャー!」と鳴いた。
ベルナールはアニエスを横抱きにして持ち上げ、そっと優しく寝台に寝かせる。
そして、ミエルの方を見て、一言。
「お前、そこに居てもいいが、絶対に邪魔すんなよ!」
空気を読んだミエルは、寝台から床へぴょこんと下りて行った。
ベルナールは横たわるアニエスの胸元のリボンを解いたあと、ぴたりと動きを止める。
そして、真顔になって一言。
「これ、本当にすんの?」
そう、アニエスに聞けば――
「よろしくお願いいたします」
丁寧に頼まれてしまった。
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