没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第六十二話 お嬢様と従僕
滞在先は街で一番大きな宿をカルヴィンが押さえてくれていた。
船の中で購入した品や、手荷物なども宿に持ち込むよう手配されていると、オセアンヌより説明を受ける一行。
宿の支配人に言えば、カルヴィンと連絡が取れるようになっているが、なるべくこちらから接触は図らないようにとも言われた。
港は人の往来が忙しない。
外来商人達の話す異国語が周囲より聞こえてきて、国内とは思えない雰囲気となっている。
朝を知らせる時計塔の鐘が聞こえ、オセアンヌは提案した。
「さて、移動をしましょうか」
大通りまで歩けば、迎えの馬車がやって来ていた。それに乗り込み、宿まで移動する。
五階建ての宿に到着すれば、一行を支配人が恭しく出迎える。
アントワーヌ夫妻――ジジルとドミニクは最上階に部屋を取り、侍女役のオセアンヌは奥方の世話をするため、近くに滞在することになる。
エリックは二階で、アレンは向かいの部屋となる。
アニエスは一階で、ベルナールは隣の部屋で過ごすようにとオセアンヌに言われた。
「母上、何故、皆、バラバラなんですか?」
「お祖父様の采配ですよ」
オセアンヌはちらりとベルナールの脚を見る。
階段の上り下りをしなくてもいいようにしてくれたことに気付き、祖父の心遣いに胸が熱くなっていた。
「それでは、二人共、ごゆっくり」
「はい、ありがとうございます」
ベルナールは母親に頭を下げた。
この場で解散となる前に、ジジルが一家の奥方らしく、皆に言う。
「では、これから各々自由に行動をするように。行き先は受付に伝えるのを忘れずね」
滞在は一ヶ月。
暇を持て余さないように、計画的な行動を推奨された。
ベルナールとアニエスは、宿の従業員の案内で部屋まで向かう。
まず、アニエスの部屋に一緒に入り、ミエルの入った籠を窓際にあった円卓の上に置いた。
蓋を開けば、好奇心旺盛な猫がひょっこりと顔を出す。
「ミャア!」
元気よく鳴き、円卓からぴょこんと跳んで床に下り立った猫。カーテンに飛び移ろうとするミエルの首根っこを、ベルナールはさっと素早く掴んで持ち上げた。
「お前、部屋の内装傷つけたら、弁償だからな」
「ミャン!」
尻尾を振り、鳴き声が返事をしたようにも聞こえたので、分かればいいと言って床に下ろす。その様子を、アニエスは目を細めながら眺めていた。
「アニエス、今日はどうする?」
まだ一日は始まったばかりで、天気もいい。部屋に居るのも勿体ないような気がして、ベルナールは訊ねる。
「そうですね。植物園、なんかに行けたらいいな、と」
「分かった。出発は二時間後くらいでいいか?」
「一緒に、行って下さるのですか?」
「当たり前だ、アニエスお嬢様」
「!」
すっかり設定を忘れていたのか、口元に手を当て、恥ずかしそうにするアニエス。
念のため、街中でベルナールを呼び間違えないよう、注意をしておいた。
「身支度をするのであれば、母を呼ぶが?」
「いえいえ、滅相もありません。軽い外出程度の服装なら、自分で出来ますので」
「分かった」
ミエルは部屋でお留守番となる。
部屋の豪華な内装を見て、やんちゃをされたら困るなと思ったベルナールは、ジジルに預けに行くことに決めた。アニエスもそれがいいと、眉尻を下げながら同意を示す。
跳ね回る猫の体を持ち上げ、籠の中に入れた。ジジルの元へ連れて行くのは出発前でいいだろうと思って部屋に持って行く。
扉に鍵を差し、中へと入る。
アニエスの部屋同様、居間に洗面所、風呂場、寝室と、一人で使うには広すぎる部屋が用意されていた。
使用人のきっちりとした服装から、昼間用の服装に着替えようと寝室に移動する。
すでに荷物は運びこまれていた。
部屋はカーテンが閉ざされ、薄暗い。開きに行こうと思えば、ミャアミャアと鳴くミエルが気になったので、籠を開いて自由にさせた。
猫は夜行性ではなく、薄明性と聞いたことがあった。
よって、朝の今が、活動的な時間と言える。
ベルナールの監視の下、自由にさせておいて、外出中は大人しくしてもらおうと考える。
上着を脱ぎ、タイを取り外してボタンを上から二個ほど寛がせる。
鞄の中から服を取り出そうとすれば、ミエルが激しく鳴き出したので、不審に思って様子を見に行った。
「どうした?」
「ミャア!」
世紀の発見をしましたとばかりに、ベルナールを振り返って鳴くミエル。
そこには、一枚の扉があった。
部屋が薄暗かったので、気付かなかったのだ。
「この先、なんの部屋が――」
ベルナールはなんの疑問も持たずに取っ手を捻り、扉を開いた。
すると先に見えたのは、乙女の白い背中。
「――は?」
「――え?」
驚いた顔をしたアニエスが振り返る。
二人は目が合った状態で、呆然としていた。
幸い、前は服を当てていて見える状態ではなかった。
二つの部屋は、寝室を通して繋がっていたのだ。
「な……なんで」
「ベルナール様、これは――」
「!」
声をかけられてハッと我に返り、ベルナールは慌てて扉を閉めた。
突然の出来事に、疑問符が頭の中にいくつも浮かぶ。
それと同時に、母親の言葉も蘇った。
――二人共、ごゆっくり
(ごゆっくりって、そういう意味かよ!)
ここには居ない母親に向かって、なんて部屋を用意してくれたのかと文句を言う。
しばらく頭を抱えていれば、トントンと控えめに扉を叩く音が聞えた。
「ベルナール様、いらっしゃいますか?」
「……居る」
「そちらへ行っても?」
「服は着ているな?」
一応、大切なことなので聞いておく。アニエスは「もちろんです」と返事をした。
扉を開けば、白いワンピース姿のアニエスと目が合う。
髪は結ぶ前なのか下ろされており、いつもと違う雰囲気にドキリとする。
見惚れているのに気付いて、ぶんぶんと首を横に振った。
アニエスにどうかしたのかと聞かれ、さらに首を横に振ることになる。
「それにしても、なんなんだ、この部屋は」
「えーっと、面白いお部屋、ですね?」
「いや、よくある造りだと思う」
夫婦などが利用する部屋だったが、敢えて口にしないでおいた。
はあと盛大な溜息を吐くベルナール。
着替え中、突然入ってしまったことを詫びる。
「どうか、お気になさらずに」
「逆に、お前は大いに気にしろ」
先ほど見た、白い背中を記憶から消そうと努力をしていたが、なかなか難しいことであると、小首を傾げるアニエスを見ながら思う。
「あの人達は、いったい何を考えているんだか」
脚を気遣って部屋を取ったのではないことは確実だと思った。
「お茶を淹れましょうか? 気分が落ち着きますよ」
「いや、いい」
そのあとに続いた言葉は、アニエスが想像もしていないことであった。
「俺が淹れる」
「ベルナール様が、ですか?」
「ああ」
ベルナール側の居間に来るように言い、長椅子を勧めた。
「あ、あの、わたくしも、お手伝いを」
「お嬢様はそこで大人しく座っていろ」
ベルナールは厨房で湯と茶器一式をもらいに行き、紅茶の用意をする。
数分後、アニエスの前にソーサーとカップが置かれる。
ベルナールはポットを手に取り、カップに向けて傾けて紅茶を注ぐ。ふわりと、柑橘類のような爽やかな香りが漂っていた。
「お待たせいたしました、アニエスお嬢様」
「あ、ありがとう、ございます」
アニエスは緊張の面持ちでソーサーとカップを手に取り、口元まで運んだ。
「あ、美味しい、です」
「それは良かった」
珍しく、晴れやかな笑顔を見せるベルナール。
アニエスは頬を紅く染めながら、どうしてお茶の淹れ方を知っているのかと聞く。すると、意外な答えを聞くことになった。
「二番目に配属された先の上司がとんでもないお気楽貴族野郎で、一年のほとんどをお茶汲みに費やしたことがあったんだよ……」
「まあ!」
嫌がらせの目的もあったからか、何度も淹れ直させられた思い出を語る。
「一年後、やっと飲めるようになったと言ったかと思えば、すぐに異動になった」
「大変だったのですね」
「でもまあ、こうしてお前に飲ませることも出来たから、今となっては別にいいかなと」
「ありがとうございます、とても嬉しいです」
アニエスはもう一口、紅茶を飲む。
ホッとするような、優しい味わいであった。
船の中で購入した品や、手荷物なども宿に持ち込むよう手配されていると、オセアンヌより説明を受ける一行。
宿の支配人に言えば、カルヴィンと連絡が取れるようになっているが、なるべくこちらから接触は図らないようにとも言われた。
港は人の往来が忙しない。
外来商人達の話す異国語が周囲より聞こえてきて、国内とは思えない雰囲気となっている。
朝を知らせる時計塔の鐘が聞こえ、オセアンヌは提案した。
「さて、移動をしましょうか」
大通りまで歩けば、迎えの馬車がやって来ていた。それに乗り込み、宿まで移動する。
五階建ての宿に到着すれば、一行を支配人が恭しく出迎える。
アントワーヌ夫妻――ジジルとドミニクは最上階に部屋を取り、侍女役のオセアンヌは奥方の世話をするため、近くに滞在することになる。
エリックは二階で、アレンは向かいの部屋となる。
アニエスは一階で、ベルナールは隣の部屋で過ごすようにとオセアンヌに言われた。
「母上、何故、皆、バラバラなんですか?」
「お祖父様の采配ですよ」
オセアンヌはちらりとベルナールの脚を見る。
階段の上り下りをしなくてもいいようにしてくれたことに気付き、祖父の心遣いに胸が熱くなっていた。
「それでは、二人共、ごゆっくり」
「はい、ありがとうございます」
ベルナールは母親に頭を下げた。
この場で解散となる前に、ジジルが一家の奥方らしく、皆に言う。
「では、これから各々自由に行動をするように。行き先は受付に伝えるのを忘れずね」
滞在は一ヶ月。
暇を持て余さないように、計画的な行動を推奨された。
ベルナールとアニエスは、宿の従業員の案内で部屋まで向かう。
まず、アニエスの部屋に一緒に入り、ミエルの入った籠を窓際にあった円卓の上に置いた。
蓋を開けば、好奇心旺盛な猫がひょっこりと顔を出す。
「ミャア!」
元気よく鳴き、円卓からぴょこんと跳んで床に下り立った猫。カーテンに飛び移ろうとするミエルの首根っこを、ベルナールはさっと素早く掴んで持ち上げた。
「お前、部屋の内装傷つけたら、弁償だからな」
「ミャン!」
尻尾を振り、鳴き声が返事をしたようにも聞こえたので、分かればいいと言って床に下ろす。その様子を、アニエスは目を細めながら眺めていた。
「アニエス、今日はどうする?」
まだ一日は始まったばかりで、天気もいい。部屋に居るのも勿体ないような気がして、ベルナールは訊ねる。
「そうですね。植物園、なんかに行けたらいいな、と」
「分かった。出発は二時間後くらいでいいか?」
「一緒に、行って下さるのですか?」
「当たり前だ、アニエスお嬢様」
「!」
すっかり設定を忘れていたのか、口元に手を当て、恥ずかしそうにするアニエス。
念のため、街中でベルナールを呼び間違えないよう、注意をしておいた。
「身支度をするのであれば、母を呼ぶが?」
「いえいえ、滅相もありません。軽い外出程度の服装なら、自分で出来ますので」
「分かった」
ミエルは部屋でお留守番となる。
部屋の豪華な内装を見て、やんちゃをされたら困るなと思ったベルナールは、ジジルに預けに行くことに決めた。アニエスもそれがいいと、眉尻を下げながら同意を示す。
跳ね回る猫の体を持ち上げ、籠の中に入れた。ジジルの元へ連れて行くのは出発前でいいだろうと思って部屋に持って行く。
扉に鍵を差し、中へと入る。
アニエスの部屋同様、居間に洗面所、風呂場、寝室と、一人で使うには広すぎる部屋が用意されていた。
使用人のきっちりとした服装から、昼間用の服装に着替えようと寝室に移動する。
すでに荷物は運びこまれていた。
部屋はカーテンが閉ざされ、薄暗い。開きに行こうと思えば、ミャアミャアと鳴くミエルが気になったので、籠を開いて自由にさせた。
猫は夜行性ではなく、薄明性と聞いたことがあった。
よって、朝の今が、活動的な時間と言える。
ベルナールの監視の下、自由にさせておいて、外出中は大人しくしてもらおうと考える。
上着を脱ぎ、タイを取り外してボタンを上から二個ほど寛がせる。
鞄の中から服を取り出そうとすれば、ミエルが激しく鳴き出したので、不審に思って様子を見に行った。
「どうした?」
「ミャア!」
世紀の発見をしましたとばかりに、ベルナールを振り返って鳴くミエル。
そこには、一枚の扉があった。
部屋が薄暗かったので、気付かなかったのだ。
「この先、なんの部屋が――」
ベルナールはなんの疑問も持たずに取っ手を捻り、扉を開いた。
すると先に見えたのは、乙女の白い背中。
「――は?」
「――え?」
驚いた顔をしたアニエスが振り返る。
二人は目が合った状態で、呆然としていた。
幸い、前は服を当てていて見える状態ではなかった。
二つの部屋は、寝室を通して繋がっていたのだ。
「な……なんで」
「ベルナール様、これは――」
「!」
声をかけられてハッと我に返り、ベルナールは慌てて扉を閉めた。
突然の出来事に、疑問符が頭の中にいくつも浮かぶ。
それと同時に、母親の言葉も蘇った。
――二人共、ごゆっくり
(ごゆっくりって、そういう意味かよ!)
ここには居ない母親に向かって、なんて部屋を用意してくれたのかと文句を言う。
しばらく頭を抱えていれば、トントンと控えめに扉を叩く音が聞えた。
「ベルナール様、いらっしゃいますか?」
「……居る」
「そちらへ行っても?」
「服は着ているな?」
一応、大切なことなので聞いておく。アニエスは「もちろんです」と返事をした。
扉を開けば、白いワンピース姿のアニエスと目が合う。
髪は結ぶ前なのか下ろされており、いつもと違う雰囲気にドキリとする。
見惚れているのに気付いて、ぶんぶんと首を横に振った。
アニエスにどうかしたのかと聞かれ、さらに首を横に振ることになる。
「それにしても、なんなんだ、この部屋は」
「えーっと、面白いお部屋、ですね?」
「いや、よくある造りだと思う」
夫婦などが利用する部屋だったが、敢えて口にしないでおいた。
はあと盛大な溜息を吐くベルナール。
着替え中、突然入ってしまったことを詫びる。
「どうか、お気になさらずに」
「逆に、お前は大いに気にしろ」
先ほど見た、白い背中を記憶から消そうと努力をしていたが、なかなか難しいことであると、小首を傾げるアニエスを見ながら思う。
「あの人達は、いったい何を考えているんだか」
脚を気遣って部屋を取ったのではないことは確実だと思った。
「お茶を淹れましょうか? 気分が落ち着きますよ」
「いや、いい」
そのあとに続いた言葉は、アニエスが想像もしていないことであった。
「俺が淹れる」
「ベルナール様が、ですか?」
「ああ」
ベルナール側の居間に来るように言い、長椅子を勧めた。
「あ、あの、わたくしも、お手伝いを」
「お嬢様はそこで大人しく座っていろ」
ベルナールは厨房で湯と茶器一式をもらいに行き、紅茶の用意をする。
数分後、アニエスの前にソーサーとカップが置かれる。
ベルナールはポットを手に取り、カップに向けて傾けて紅茶を注ぐ。ふわりと、柑橘類のような爽やかな香りが漂っていた。
「お待たせいたしました、アニエスお嬢様」
「あ、ありがとう、ございます」
アニエスは緊張の面持ちでソーサーとカップを手に取り、口元まで運んだ。
「あ、美味しい、です」
「それは良かった」
珍しく、晴れやかな笑顔を見せるベルナール。
アニエスは頬を紅く染めながら、どうしてお茶の淹れ方を知っているのかと聞く。すると、意外な答えを聞くことになった。
「二番目に配属された先の上司がとんでもないお気楽貴族野郎で、一年のほとんどをお茶汲みに費やしたことがあったんだよ……」
「まあ!」
嫌がらせの目的もあったからか、何度も淹れ直させられた思い出を語る。
「一年後、やっと飲めるようになったと言ったかと思えば、すぐに異動になった」
「大変だったのですね」
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