没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第四十八話 避けられぬ悲劇
イングリトの言った衝撃的な言葉を、ベルナールは頭の中で何度も反芻させ、ようやく理解することになった。
――アニエスが攫われた。
そういう事態が起きる可能性が高いと、日頃から考えていたのにもかかわらず、大きな衝撃を受ける。
だが、彼の義姉のように動揺している場合ではなかった。すぐに向かいの長椅子に腰かけ、状況を説明するように頼み込む。
「午前中はずっと、アニエスさんはうちの子達とお菓子作りをしていて、午後からも厨房でお菓子を焼いていたみたいなんだけど――」
お菓子を焼く間、イングリトの娘マリーが庭の花を見たいと言い出したのだ。
「アニエスさんに誘われて、私も一緒に行ったの」
春の兆しが窺がえる庭には、美しい草花が芽吹いていた。
王都で窮屈な思いをしていたマリーは、故郷の庭のように走り回る。危ないからとイングリトが注意しようとした矢先に、事件は起こった。
突然庭の茂みから全身黒尽くめの男が飛び出してきて、マリーを捕まえたのだ。
首元にナイフを当て、アニエスに来るように命じる。
「マリーを人質にされて、なす術がなかったの……」
アニエスは迷うことなく、マリーにナイフを向ける男の元へと進んで行った。
もう一人男が潜伏しており、あっという間に拘束され、連れ去られる。
「ごめんなさい、私達のせいで――」
ベルナールは首を振って否定する。マリーの安否を確かめ、怪我がないと分かると安堵していた。
しばしの沈黙。互いに、気まずい時間を過ごす。
そんな中で先に口を開いたのは、ベルナールだった。
「……義姉上、一つ質問があるのですが」
「何かしら?」
「犯人のナイフの持ち方を、覚えていますか?」
「――!」
ナイフを突きつける男の様子を振り返ったイングリトは、ある異変に気付いた。
それは、とても不可解なものだった。
「犯人は、ナイフをの刃を下にして持っていたわ。その時は、動転していて、気にしなかったけれど」
犯人はナイフの背を上にした状態で、マリーに向けていた。
それを聞いたベルナールは、肩を落とす。
懐から手帳を取り出し、さらさらと文字を書いて手渡す。
紙に書かれた一文を見て、イングリトは息を呑んだ。
――そのナイフの持ち方は、騎士団で習うものです。
「なんて、ことなの……」
ナイフの刃を上にして使えば、攻撃力が増す。
騎士の規律において、取り締まる対象を必要以上に痛めつけることを良しとしないために、そのような持ち方を習うのだ。
ベルナールは二枚目の紙に文字を記す。
やはり、今回の事件は自分達に責任があると。
一度、騎士にアニエスと一緒に居たのを見られていたことがあったのだ。
それは、二人の再会の時だった。
アニエスは、ベルナールを訊ねて騎士の守衛所へと足を運び、騎士に取次ぎを願っていたのだ。情報が漏れたとすれば、そこからになる。
「なので、義姉上達は悪くありません。今回のことは、起きるべくして起こったものだと」
「そう、だったの」
気にするなと言われても、隙を見せることになったのは、彼女の娘が原因であった。
それから、守れなかった自らにも。申し訳なく思い、視線を落とす。
そんな中で、ベルナールは三枚目の紙に、これからの行動について書いていた。紙には、母親の具合が悪くなったことにして、早退すると。
「義姉上は先に帰って下さい。私は、少しだけ寄るところがあるので」
「ベルナール……」
イングリトは複雑な思いとなる。
義弟の顔を見れば、すでに腹を括ったような顔つきをしていた。
ベルナールはアニエスを助けに行こうとしていることが分かる。
アニエスを今すぐにでも助けて欲しいと願うのと同時に、危ないことに首を突っ込んで欲しくないとも思った。
「ひ、一人で、行くの?」
「いえ、お友達を誘おうと、思っています」
「そう……」
こういう状態になれば、もはや止めることも出来ない。
イングリトは目を伏せながら、見送ることを決意する。
「必ず、二人で帰って来ます」
「ええ、気を付けて……」
こうして、二人は一旦別れることになった。
◇◇◇
ベルナールは早足で執務室へと向かう。
部屋に居た上司は、顔色を悪くしている部下の異変にいち早く気づいた。
「オルレリアン、どうした?」
「たった今、義姉がやって来て、母が、倒れたと……」
「なんだって!?」
早退してもいいかと尋ねる。
上司、ラザールはすぐに帰るように言ってくれた。
ベルナールは心配する様子を見せる上司を見ながら、嘘を吐くことに対して申し訳なく思った。
ラザールのことは信頼しているが、万が一ということがある。
どこで話を聞かれているか、どこで行動を監視されているか分からない状況である。
情報は極力漏らさないことに決めていた。
一礼し、部屋を飛び出る。
周囲を警戒しつつ先を進んだが、あとを尾けられているような気配は感じられなかった。
更衣室に向かい私服に着替え、見張りの騎士が居ない特殊部隊専用の出入り口から外に出る。
途中にあった古着屋で安っぽい外套を購入した。身に纏っていた上等な上着は売り払う。
くたびれた帽子も買い、深く被った。
中央街の馬車乗り場から、貴族街へと移動する。
向かった先は、住宅街の中でもひときわ大きな屋敷。
バルテレモン侯爵家。エルネストの自宅だった。
ベルナールは裏門に回り込み、商人を装ってエルネストに取り次ぐように門番に頼み込む。
待つこと数分。
エルネストはわざわざ門まで迎えにやって来た。
初め、変装をしたベルナールに訝しげな表情を見せていたが、帽子をわずかにずらせば、正体に気付く。
「オルレリアン君!」
尻尾を振ってやって来る大型犬のようなエルネストの口を塞ぎ、大人しくするように言う。
中に案内しろと言えば、快く屋敷へと案内してくれた。
客間に通され、淹れたての紅茶と高級なお菓子をふるまわれる。
それらを勧められたが、とても口に出来るような心理状況ではなかった。
じっとエルネストの顔をみれば、きょとんとしていた。
今回の事件の関係者には、とても見えなかった。
彼は、大丈夫だと思った。
証拠はなかったが、そうだと確信していた。
険しい表情を浮かべるベルナールに、エルネストは質問をする。
「それで、どうしたんだい?」
「――お前、暇か?」
ベルナールが訊ねれば、謹慎中で反省文と剣の稽古しかしていなかったエルネストはもちろんだと言って頷く。
「少し、協力して欲しいことがある」
「私に?」
「ああ」
初めてベルナールに頼られたので、もじもじとしつつも嬉しそうにしていた。
思わず気持ち悪いと呟きそうになったが、ぐっと我慢をする。
「私に出来ることであれば、協力をするが――この通り、謹慎の身で、行動も制限されている」
「外出は可能か?」
「王都内であれば」
「十分だ」
居住まいを正したエルネストは、何をすればいいのかと尋ねる。
ベルナールは回りくどいことは言わずに、はっきりと要望を述べた。
「お前の家のコネを使いたい」
目を見開くエルネスト。
だが、すぐに元気のいい返事が返ってきた。
「それは、私の得意分野だな」
「だろう?」
ベルナールはこれから言うことを口外しないようにと注意しておく。
もしも、喋った場合は絶交だと宣言しておいた。
エルネストはしっかりと頷き、真剣な眼差しを向けていた。
「それで、私はどんなことをすればいいのかい?」
「拘束されている、アニエス・レーヴェルジュの父親に会いたい」
「元宰相の、シェラード・レーヴェルジュに?」
「ああ、そうだ」
可能か不可能かと聞けば、可能だと言う。
「オルレリアン君のその様子からすれば、騎士団にも知られたくないのだろう?」
「まあ、叶うならば」
「安心をするといい」
侯爵家の力を以てすれば、秘密裏に会うことも出来ると言っていた。
「無茶を言っているとは思うが、緊急事態で、なるべく早く手配してくれると助かる」
「分かった。まず、執事に手配を頼んでくる。少しの間、ここで待機をしてくれないか?」
「ああ、悪い」
出て行こうとするエルネストを、ベルナールは引き止めた。
気になっていることを聞いてみる。
「その……理由は聞かないのか?」
「言いたくないのだろう?」
「そうだが」
「だったら聞かないでおくよ」
「いいのか?」
「いいんだ。出来るだけ早く、面会が叶うように頼んで来よう」
そう言うと、颯爽と部屋を出て行くエルネスト。
初めて、彼が頼もしく思えた瞬間であった。
――アニエスが攫われた。
そういう事態が起きる可能性が高いと、日頃から考えていたのにもかかわらず、大きな衝撃を受ける。
だが、彼の義姉のように動揺している場合ではなかった。すぐに向かいの長椅子に腰かけ、状況を説明するように頼み込む。
「午前中はずっと、アニエスさんはうちの子達とお菓子作りをしていて、午後からも厨房でお菓子を焼いていたみたいなんだけど――」
お菓子を焼く間、イングリトの娘マリーが庭の花を見たいと言い出したのだ。
「アニエスさんに誘われて、私も一緒に行ったの」
春の兆しが窺がえる庭には、美しい草花が芽吹いていた。
王都で窮屈な思いをしていたマリーは、故郷の庭のように走り回る。危ないからとイングリトが注意しようとした矢先に、事件は起こった。
突然庭の茂みから全身黒尽くめの男が飛び出してきて、マリーを捕まえたのだ。
首元にナイフを当て、アニエスに来るように命じる。
「マリーを人質にされて、なす術がなかったの……」
アニエスは迷うことなく、マリーにナイフを向ける男の元へと進んで行った。
もう一人男が潜伏しており、あっという間に拘束され、連れ去られる。
「ごめんなさい、私達のせいで――」
ベルナールは首を振って否定する。マリーの安否を確かめ、怪我がないと分かると安堵していた。
しばしの沈黙。互いに、気まずい時間を過ごす。
そんな中で先に口を開いたのは、ベルナールだった。
「……義姉上、一つ質問があるのですが」
「何かしら?」
「犯人のナイフの持ち方を、覚えていますか?」
「――!」
ナイフを突きつける男の様子を振り返ったイングリトは、ある異変に気付いた。
それは、とても不可解なものだった。
「犯人は、ナイフをの刃を下にして持っていたわ。その時は、動転していて、気にしなかったけれど」
犯人はナイフの背を上にした状態で、マリーに向けていた。
それを聞いたベルナールは、肩を落とす。
懐から手帳を取り出し、さらさらと文字を書いて手渡す。
紙に書かれた一文を見て、イングリトは息を呑んだ。
――そのナイフの持ち方は、騎士団で習うものです。
「なんて、ことなの……」
ナイフの刃を上にして使えば、攻撃力が増す。
騎士の規律において、取り締まる対象を必要以上に痛めつけることを良しとしないために、そのような持ち方を習うのだ。
ベルナールは二枚目の紙に文字を記す。
やはり、今回の事件は自分達に責任があると。
一度、騎士にアニエスと一緒に居たのを見られていたことがあったのだ。
それは、二人の再会の時だった。
アニエスは、ベルナールを訊ねて騎士の守衛所へと足を運び、騎士に取次ぎを願っていたのだ。情報が漏れたとすれば、そこからになる。
「なので、義姉上達は悪くありません。今回のことは、起きるべくして起こったものだと」
「そう、だったの」
気にするなと言われても、隙を見せることになったのは、彼女の娘が原因であった。
それから、守れなかった自らにも。申し訳なく思い、視線を落とす。
そんな中で、ベルナールは三枚目の紙に、これからの行動について書いていた。紙には、母親の具合が悪くなったことにして、早退すると。
「義姉上は先に帰って下さい。私は、少しだけ寄るところがあるので」
「ベルナール……」
イングリトは複雑な思いとなる。
義弟の顔を見れば、すでに腹を括ったような顔つきをしていた。
ベルナールはアニエスを助けに行こうとしていることが分かる。
アニエスを今すぐにでも助けて欲しいと願うのと同時に、危ないことに首を突っ込んで欲しくないとも思った。
「ひ、一人で、行くの?」
「いえ、お友達を誘おうと、思っています」
「そう……」
こういう状態になれば、もはや止めることも出来ない。
イングリトは目を伏せながら、見送ることを決意する。
「必ず、二人で帰って来ます」
「ええ、気を付けて……」
こうして、二人は一旦別れることになった。
◇◇◇
ベルナールは早足で執務室へと向かう。
部屋に居た上司は、顔色を悪くしている部下の異変にいち早く気づいた。
「オルレリアン、どうした?」
「たった今、義姉がやって来て、母が、倒れたと……」
「なんだって!?」
早退してもいいかと尋ねる。
上司、ラザールはすぐに帰るように言ってくれた。
ベルナールは心配する様子を見せる上司を見ながら、嘘を吐くことに対して申し訳なく思った。
ラザールのことは信頼しているが、万が一ということがある。
どこで話を聞かれているか、どこで行動を監視されているか分からない状況である。
情報は極力漏らさないことに決めていた。
一礼し、部屋を飛び出る。
周囲を警戒しつつ先を進んだが、あとを尾けられているような気配は感じられなかった。
更衣室に向かい私服に着替え、見張りの騎士が居ない特殊部隊専用の出入り口から外に出る。
途中にあった古着屋で安っぽい外套を購入した。身に纏っていた上等な上着は売り払う。
くたびれた帽子も買い、深く被った。
中央街の馬車乗り場から、貴族街へと移動する。
向かった先は、住宅街の中でもひときわ大きな屋敷。
バルテレモン侯爵家。エルネストの自宅だった。
ベルナールは裏門に回り込み、商人を装ってエルネストに取り次ぐように門番に頼み込む。
待つこと数分。
エルネストはわざわざ門まで迎えにやって来た。
初め、変装をしたベルナールに訝しげな表情を見せていたが、帽子をわずかにずらせば、正体に気付く。
「オルレリアン君!」
尻尾を振ってやって来る大型犬のようなエルネストの口を塞ぎ、大人しくするように言う。
中に案内しろと言えば、快く屋敷へと案内してくれた。
客間に通され、淹れたての紅茶と高級なお菓子をふるまわれる。
それらを勧められたが、とても口に出来るような心理状況ではなかった。
じっとエルネストの顔をみれば、きょとんとしていた。
今回の事件の関係者には、とても見えなかった。
彼は、大丈夫だと思った。
証拠はなかったが、そうだと確信していた。
険しい表情を浮かべるベルナールに、エルネストは質問をする。
「それで、どうしたんだい?」
「――お前、暇か?」
ベルナールが訊ねれば、謹慎中で反省文と剣の稽古しかしていなかったエルネストはもちろんだと言って頷く。
「少し、協力して欲しいことがある」
「私に?」
「ああ」
初めてベルナールに頼られたので、もじもじとしつつも嬉しそうにしていた。
思わず気持ち悪いと呟きそうになったが、ぐっと我慢をする。
「私に出来ることであれば、協力をするが――この通り、謹慎の身で、行動も制限されている」
「外出は可能か?」
「王都内であれば」
「十分だ」
居住まいを正したエルネストは、何をすればいいのかと尋ねる。
ベルナールは回りくどいことは言わずに、はっきりと要望を述べた。
「お前の家のコネを使いたい」
目を見開くエルネスト。
だが、すぐに元気のいい返事が返ってきた。
「それは、私の得意分野だな」
「だろう?」
ベルナールはこれから言うことを口外しないようにと注意しておく。
もしも、喋った場合は絶交だと宣言しておいた。
エルネストはしっかりと頷き、真剣な眼差しを向けていた。
「それで、私はどんなことをすればいいのかい?」
「拘束されている、アニエス・レーヴェルジュの父親に会いたい」
「元宰相の、シェラード・レーヴェルジュに?」
「ああ、そうだ」
可能か不可能かと聞けば、可能だと言う。
「オルレリアン君のその様子からすれば、騎士団にも知られたくないのだろう?」
「まあ、叶うならば」
「安心をするといい」
侯爵家の力を以てすれば、秘密裏に会うことも出来ると言っていた。
「無茶を言っているとは思うが、緊急事態で、なるべく早く手配してくれると助かる」
「分かった。まず、執事に手配を頼んでくる。少しの間、ここで待機をしてくれないか?」
「ああ、悪い」
出て行こうとするエルネストを、ベルナールは引き止めた。
気になっていることを聞いてみる。
「その……理由は聞かないのか?」
「言いたくないのだろう?」
「そうだが」
「だったら聞かないでおくよ」
「いいのか?」
「いいんだ。出来るだけ早く、面会が叶うように頼んで来よう」
そう言うと、颯爽と部屋を出て行くエルネスト。
初めて、彼が頼もしく思えた瞬間であった。
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