没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第四十三話 正体不明の感情
家に帰れば、居間の方で何やら盛り上がっているような声が聞こえる。
中に入れば、アニエスと母オセアンヌ、義姉イングリトに子ども達とで、遊戯盤をして遊んでいたのだ。
意外なことにアニエスが今のところ一番多く勝利を収めているらしい。
エクトルがベルナールの傍にやって来て解説してくれた。
「母上がルールを教えるためにアニエスお姉様と対戦することになったのですが、何度やっても勝てなくて、ずっと挑んでいる状態です」
「それは困ったな」
「はい。母上は負けず嫌いなんです」
対戦は異様な盛り上がりを見せていた。駒を一つ動かす度に、ワッと声が上がる。
イングリトは血走った目で戦略を考え、アニエスはいつも通りの落ち着いた様子で駒を進める。オセアンヌは盤の上を、楽しそうに目で追っていた。
マリーは応援に徹していたが、途中で「ふわ~」と欠伸をする。その様子に、アニエスは気付く。
「あら、もうこんな時間なのですね」
「そろそろお開きにしなきゃいけないわね」
「片づけはわたくしがしておきます」
「ありがとう、アニエスさん」
そう言って、イングリトは眠そうなマリーを抱き上げた。
オセアンヌはエクトルの手を取り、部屋から出て行った。
アニエスは盤の上から駒を取り、皮張りのケースに詰めていく。
二人きりになった部屋で、ぽつりとベルナールが話しかける。
「……意外だな」
「そうですか?」
「ああ」
その昔、家族で遊戯盤を興じることがあったと彼女は話す。
「わたくしが子どもの頃、まだ父の仕事もそこまで忙しくない時期で……」
「そう、か」
聞いてはいけないことだったと、気まずい気分になるベルナール。
言葉を探していたら、顔を上げたアニエスと目が合う。その表情は、明るいものであった。
「今日はとても楽しかったです。家族で遊んだことを思い出して、幸せな気分に浸れました」
そう言われて、ベルナールも気付く。
家の中がワイワイと賑やかなのは、ここに来てからは初めてだったと。
長年、使用人達と静かに暮らしていたが、実家に居た頃は兄弟で騒がしくしていたのだ。
アニエスは胸に両手を当て、夢現で語る。
「家族が居ることは、素晴らしいことだと思いました」
いろいろと罪悪感が伴う婚約者役だったけれど、良いこともあったと言ってアニエスは喜んでいた。
ベルナールはその様子を見ながら、どうしてか胸が締め付けられる。
突然、彼女にも家族を作ってやらなければと、使命感が湧いてくる。
だが、外に嫁に出すと考えた時、なんとも言えない複雑な思いが浮かんできた。
一生懸命その理由について考える。そしてあっさりと気付いた。その感情の正体に。
――これは、自分の娘を嫁に出す父親の心境だ! と。
うちのアニエスは他所へはやらん。
そんな思いが浮かんできたのだと、ベルナールは決め込んでいた。
嫁にはやりたくないし、彼女のことはこの先も守りたいと思っていた。
だけれど、それでは根本的な問題が解決しない。
どうすればいいのか悩む。
先日より、わけの分からない感情に翻弄されていた。
いくら考えても分からなかったので、ジジルに相談をしてみることにした。
◇◇◇
アニエスが寝入ったのを確認すると、私室にジジルを呼び出す。
相談があるので椅子に座るように命じた。
今までにないくらい真剣な表情で居たので、ジジルも内容が想像出来なくて、若干緊張している。
「相談というのは――」
ベルナールの話をジジルは最後まで聞いて、椅子から転げ落ちそうになった。
「旦那様」
「なんだ?」
「その問題、解決はとても簡単です」
ベルナールは教えてくれと、頼み込む。
ジジルの口から発せられた内容は、彼が思いつきもしないようなことだった。
「簡単ですが、私の口からは言えません。旦那様ご自身が気付かないと意味がないので」
「!?」
あらぬ方向に考えがいかないように念のため、誤解を解いておく。
「旦那様の言う、娘を嫁にやりたくない父親の心境は勘違いです」
「だ、だったらなんなんだ!?」
「心に手を当て、じっくりと考えてみて下さい」
「は?」
「それは特別な感情です。世界で一人だけに感じる、尊いもの」
ベルナールは頭のてっぺんに疑問符を浮かべていた。
「このままゆっくりと見守って行きたいところでしたが、旦那様は鈍すぎて……」
「な、それ、どうしてお前が分かって、当人である俺が分からないんだ!?」
しどろもどろになって言葉に出来なかったものを、ジジルは容易く感じ取って返事をする。
「旦那様のことはお生まれなった日より存じております。ささいな変化も見逃しませんよ」
「なっ!」
助言はここで終わりではなかった。
ジジルはアニエスについて、情報提供する。
「言っておきますが、婚約者役なんて面倒なこと、普通の人はしてくれませんからね」
「そ、そうなのか?」
「ええ。一緒に寝台に眠ることだって、普通は言われても拒否します」
そこから、彼女の気持ちも読み取って欲しいと願う。
鈍いベルナールも言われてみればと、彼女から感じる特別な想いにいくつか思い当たる節があった。
「早くお気付きになって下さい。それから男らしく、決心して下さい。アニエスさんも、きっとオセアンヌ様やイングリト様に嘘を吐いているのは、心苦しいはずです」
「それは、本人も言っていたが」
「誰かを大切に想う特別な感情には、様々な種類があるのですよ」
「!」
ベルナールは急に、もやもやとしていたものの正体が、晴れてきたような気になる。
ジジルに礼を言って、下がらせた。
まだ、考えは纏まっていない。
とにかく今日は疲れたので休もうと、寝室に向かう。
だが、寝台に辿り着く前に、ベルナールは膝から崩れ落ちた。
「――試されているのかよ!」
何故かと言えば、寝台を二つに分けていたはずのカーテンが、ミエルのいたずらによって引っ張られ、布団の上に落とされていたのだ。
アニエスの、無防備な仰向けの寝姿をばっちりと見てしまう。
ミエルは落としたカーテンの上にちょこんと座っていた。
目が合えば、ミャンと鳴く。
「いや、ニャンじゃねえよ!」
ベルナールは布団の上に立ち、カーテンを付けようとしたが、構造を理解していなかったので、取り付けることが出来なかった。
遊んでくれると勘違いしたミエルも、作業の妨害をしてくれる。
「――くそ!」
結局、ベルナールは諦めて眠ることにした。
視界の端にアニエスが映るので、精神を統一するために剣を胸に抱いて眠ることにする。
横になれば、今朝の出来事――ミエルだと思ってアニエスの胸を掴んでしまったことについても思い出してしまった。
「~~~~!!」
声にならない悲鳴を上げながら、ベルナールは眠る努力をする。
もぞりとアニエスが動くたびにシーツから聞こえる音を聞きながら、ぎゅっと胸の中の剣を抱き締め、瞼を強く閉じることになる。
◇◇◇
朝、ベルナールは絨毯の上で目を覚ました。
剣はしっかりと握っている。
なんとか乗り越えることが出来たのかと、歓喜に震えていた。
否、朝の冷え込みに震えているだけだった。
起き上がって後頭部を掻く。
ベルナールの寝ていた場所には、ミエルが腹を上にした状態で眠っていた。
「……お前、なんでだよ」
ふっくらお腹を上下に動かしながら眠る猫に文句を言う。
その先に眠るアニエスは、見なかったら良かったと後悔した。
天使のような寝顔に、開けた衣服。チラリと覗く、清楚な下着。
ここは地獄なのかと、ベルナールは呟いてしまった。
中に入れば、アニエスと母オセアンヌ、義姉イングリトに子ども達とで、遊戯盤をして遊んでいたのだ。
意外なことにアニエスが今のところ一番多く勝利を収めているらしい。
エクトルがベルナールの傍にやって来て解説してくれた。
「母上がルールを教えるためにアニエスお姉様と対戦することになったのですが、何度やっても勝てなくて、ずっと挑んでいる状態です」
「それは困ったな」
「はい。母上は負けず嫌いなんです」
対戦は異様な盛り上がりを見せていた。駒を一つ動かす度に、ワッと声が上がる。
イングリトは血走った目で戦略を考え、アニエスはいつも通りの落ち着いた様子で駒を進める。オセアンヌは盤の上を、楽しそうに目で追っていた。
マリーは応援に徹していたが、途中で「ふわ~」と欠伸をする。その様子に、アニエスは気付く。
「あら、もうこんな時間なのですね」
「そろそろお開きにしなきゃいけないわね」
「片づけはわたくしがしておきます」
「ありがとう、アニエスさん」
そう言って、イングリトは眠そうなマリーを抱き上げた。
オセアンヌはエクトルの手を取り、部屋から出て行った。
アニエスは盤の上から駒を取り、皮張りのケースに詰めていく。
二人きりになった部屋で、ぽつりとベルナールが話しかける。
「……意外だな」
「そうですか?」
「ああ」
その昔、家族で遊戯盤を興じることがあったと彼女は話す。
「わたくしが子どもの頃、まだ父の仕事もそこまで忙しくない時期で……」
「そう、か」
聞いてはいけないことだったと、気まずい気分になるベルナール。
言葉を探していたら、顔を上げたアニエスと目が合う。その表情は、明るいものであった。
「今日はとても楽しかったです。家族で遊んだことを思い出して、幸せな気分に浸れました」
そう言われて、ベルナールも気付く。
家の中がワイワイと賑やかなのは、ここに来てからは初めてだったと。
長年、使用人達と静かに暮らしていたが、実家に居た頃は兄弟で騒がしくしていたのだ。
アニエスは胸に両手を当て、夢現で語る。
「家族が居ることは、素晴らしいことだと思いました」
いろいろと罪悪感が伴う婚約者役だったけれど、良いこともあったと言ってアニエスは喜んでいた。
ベルナールはその様子を見ながら、どうしてか胸が締め付けられる。
突然、彼女にも家族を作ってやらなければと、使命感が湧いてくる。
だが、外に嫁に出すと考えた時、なんとも言えない複雑な思いが浮かんできた。
一生懸命その理由について考える。そしてあっさりと気付いた。その感情の正体に。
――これは、自分の娘を嫁に出す父親の心境だ! と。
うちのアニエスは他所へはやらん。
そんな思いが浮かんできたのだと、ベルナールは決め込んでいた。
嫁にはやりたくないし、彼女のことはこの先も守りたいと思っていた。
だけれど、それでは根本的な問題が解決しない。
どうすればいいのか悩む。
先日より、わけの分からない感情に翻弄されていた。
いくら考えても分からなかったので、ジジルに相談をしてみることにした。
◇◇◇
アニエスが寝入ったのを確認すると、私室にジジルを呼び出す。
相談があるので椅子に座るように命じた。
今までにないくらい真剣な表情で居たので、ジジルも内容が想像出来なくて、若干緊張している。
「相談というのは――」
ベルナールの話をジジルは最後まで聞いて、椅子から転げ落ちそうになった。
「旦那様」
「なんだ?」
「その問題、解決はとても簡単です」
ベルナールは教えてくれと、頼み込む。
ジジルの口から発せられた内容は、彼が思いつきもしないようなことだった。
「簡単ですが、私の口からは言えません。旦那様ご自身が気付かないと意味がないので」
「!?」
あらぬ方向に考えがいかないように念のため、誤解を解いておく。
「旦那様の言う、娘を嫁にやりたくない父親の心境は勘違いです」
「だ、だったらなんなんだ!?」
「心に手を当て、じっくりと考えてみて下さい」
「は?」
「それは特別な感情です。世界で一人だけに感じる、尊いもの」
ベルナールは頭のてっぺんに疑問符を浮かべていた。
「このままゆっくりと見守って行きたいところでしたが、旦那様は鈍すぎて……」
「な、それ、どうしてお前が分かって、当人である俺が分からないんだ!?」
しどろもどろになって言葉に出来なかったものを、ジジルは容易く感じ取って返事をする。
「旦那様のことはお生まれなった日より存じております。ささいな変化も見逃しませんよ」
「なっ!」
助言はここで終わりではなかった。
ジジルはアニエスについて、情報提供する。
「言っておきますが、婚約者役なんて面倒なこと、普通の人はしてくれませんからね」
「そ、そうなのか?」
「ええ。一緒に寝台に眠ることだって、普通は言われても拒否します」
そこから、彼女の気持ちも読み取って欲しいと願う。
鈍いベルナールも言われてみればと、彼女から感じる特別な想いにいくつか思い当たる節があった。
「早くお気付きになって下さい。それから男らしく、決心して下さい。アニエスさんも、きっとオセアンヌ様やイングリト様に嘘を吐いているのは、心苦しいはずです」
「それは、本人も言っていたが」
「誰かを大切に想う特別な感情には、様々な種類があるのですよ」
「!」
ベルナールは急に、もやもやとしていたものの正体が、晴れてきたような気になる。
ジジルに礼を言って、下がらせた。
まだ、考えは纏まっていない。
とにかく今日は疲れたので休もうと、寝室に向かう。
だが、寝台に辿り着く前に、ベルナールは膝から崩れ落ちた。
「――試されているのかよ!」
何故かと言えば、寝台を二つに分けていたはずのカーテンが、ミエルのいたずらによって引っ張られ、布団の上に落とされていたのだ。
アニエスの、無防備な仰向けの寝姿をばっちりと見てしまう。
ミエルは落としたカーテンの上にちょこんと座っていた。
目が合えば、ミャンと鳴く。
「いや、ニャンじゃねえよ!」
ベルナールは布団の上に立ち、カーテンを付けようとしたが、構造を理解していなかったので、取り付けることが出来なかった。
遊んでくれると勘違いしたミエルも、作業の妨害をしてくれる。
「――くそ!」
結局、ベルナールは諦めて眠ることにした。
視界の端にアニエスが映るので、精神を統一するために剣を胸に抱いて眠ることにする。
横になれば、今朝の出来事――ミエルだと思ってアニエスの胸を掴んでしまったことについても思い出してしまった。
「~~~~!!」
声にならない悲鳴を上げながら、ベルナールは眠る努力をする。
もぞりとアニエスが動くたびにシーツから聞こえる音を聞きながら、ぎゅっと胸の中の剣を抱き締め、瞼を強く閉じることになる。
◇◇◇
朝、ベルナールは絨毯の上で目を覚ました。
剣はしっかりと握っている。
なんとか乗り越えることが出来たのかと、歓喜に震えていた。
否、朝の冷え込みに震えているだけだった。
起き上がって後頭部を掻く。
ベルナールの寝ていた場所には、ミエルが腹を上にした状態で眠っていた。
「……お前、なんでだよ」
ふっくらお腹を上下に動かしながら眠る猫に文句を言う。
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コメント
ノベルバユーザー430506
歓喜に震えた。否、朝の冷え込みに震えていただけだったがツボです。笑