没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第二十七話 アニエスの残念な変装?
ベルナールは若干落ち込みながら、薄暗い街並みを歩いて行く。
無理もない。
自らが望むような女性を見つけ出すことは難しいとはっきり言われたからだった。
思えば、物心ついた頃から、彼の周囲に居る女性は気が強く、自己主張の激しい者ばかりだった。
ジジルや母親のような女性が家に一人増えたと考えるだけでゾッとする。
結婚相手は慎重に選ばなければならない。
世の中には、結婚前は可愛らしい猫の皮を被り、結婚後に真なる姿を現す恐ろしい女性が居ると言う。そんな女性と結婚をすれば、男は家庭内で身を小さくして過ごすことになると聞いていた。
仕事で疲れ、家でも心休まる時がなく、息苦しい生活を送る。そんな既婚男性は少なくない。
先輩騎士達の愚痴を聞きながら、少年時代のベルナールは結婚なんかしなければいいのにと、疑問に思っていた。
けれど、大人になって分かる。
騎士は民の模範となるべき存在でなくてはならない。
その理想の形の一つとして、結婚をして家族を守りながら暮らすということが重んじられているのだ。
誰かがはっきりと口にしていることではないが。
しかしながら、現に、三十を過ぎた独身の騎士達は職場で肩身の狭い思いをしていた。
そういう者達は大抵出世の道から外れている。
そのうち自らもああなってしまうのではと考え、肩を落としてしまうベルナールであった。
重たい気分を引きずりながら馬車に乗り込み、帰宅をする。
「お帰りなさいませ、旦那様」
出迎えたのはジジルだった。ただいまも言わずに、ため息を吐く。
「どうかされましたか?」
「……なんでもない」
ジジルはとぼとぼと執務室に歩いて行く主人の後ろ姿を、首を傾げながら見送ることになった。
夕食後、ドンドンと部屋の扉を元気よく叩く者が訪れる。
どうせキャロルとセリアだろうと思い、うんざりしながら返事をした。
双子は注文していた新しい仕着せを着て、ベルナールの前に現れた。
「旦那様、お仕着せ、出来ました!」
「買ってくれて、ありがとうございます!」
興奮した様相を見せている双子を適当に相手にして、部屋から追い返そうとする。
「あ、あとでアニエスさんも来るって」
「お仕着せのお礼、言いたいって」
「ああ……」
別にいいのにと思ったが、変装した姿を確認しなければならない。
今すぐ来るように伝えろと命じる。
三分後、扉が控えめに叩かれた。入るように言う。
「失礼いたします」
「入れ」
部屋に入って来たアニエスは頬を染め、羞恥に耐えるような表情で居た。
ベルナールは一体どうしたのかと、疑問に思う。老婆が纏うような、時代錯誤の仕着せを着るのが恥ずかしいのか、あるいは、せいぜい十代前半の少女がするような三つ編みのおさげ姿に照れているのかと考えていた。全身を確認しようとすれば、ふと、ある部位に目が留まる。
「――ん?」
ベルナールは目を凝らし、そこを注視した。
見られていることに気付いたアニエスは、耐えきれずに両手で顔を覆う。
「お、お前――」
「す、すみません!」
指摘をされる前に、アニエスは謝る。地面に膝を突き、胸の前で祈るように手を重ね合わせていた。
「使用人は矯正下着を着けないというので、あ、新しく、仕着せを作って頂きました。ありがとう、ございます。で、ですが、そ、その、このような姿をさらしてしまい――」
「お前、太っているって、あー、なんだ。今まで、胸を潰していたのか?」
「……はい、申し訳ありません」
体に合う形で作られた仕着せは、矯正下着で締め上げていない上半身の体つきが、はっきりと分かるようになっていた。
彼女は太っているのではなく、単に胸が他の女性よりも大きいだけだった。
「……いや、なんと言えばいいのか」
アニエスの悩ましい体つきに驚けばいいのか、あんなに大きな胸を常日頃から押し潰していたことを気の毒に思えばいいのか、分からなくなっていた。
自身を恥じるような様子でいるが、胸元以外に変化はなかった。
世の女性の美の追求や理想の体型など、一生理解出来ないものであると、ベルナールは思う。
それよりも問題があることに気付いた。
あどけない三つ編みのおさげをした、豊かな体つきをした女中。
子どもっぽい姿に、大人の女性の体を持つという、なんとも言えない魅力がある。地味な仕着せを纏っているのが、逆に色気を際立たせていた。
「――どうしてこうなった!」
頭を抱えて叫ぶ。作戦は大失敗。
以前の仕着せ姿よりも注目を集めてしまいそうな結果となってしまった。
「おい」
「は、はい」
「ちょっと座れ」
「……はい」
アニエスは盛大に落ち込んでいる。
まずは勘違いから正さなければと思った。
「お前は、自分のことを太っていると言っていたな?」
「はい」
しゅんとするアニエス。いつも綺麗に伸びている背筋は、すっかり曲がっていた。
体型ごときでよくもここまで落ち込むことが出来るものだと、呆れながら言う。
「まあ、なんだ。……俺から見れば、全く太っていない」
「え?」
「だから、しようもないことで落ち込むのは止めろ」
「太って、いない……? わたくしが?」
「そうだ。だから、堂々としていろ。びくびくしていたら、逆に注目を集める」
「は、はい。ありがとう、ございます」
アニエスは信じがたいという表情でいた。念のために、ジジルにも確認しておくようにと言っておく。
「もう一つ、聞きたいことがある」
ずっと聞こうか聞くまいかと躊躇っていることであった。
それは、アニエスの手のひらのまめのこと。
看病をしてもらっていた時に気付いていたが、勝手に手を握ったことが恥ずかしかったので、今まで言えずにいた。
いい機会だと思い、ついでに聞いておく。
どうしたのかと聞けば、いつの間にか出来ていたと話す。
ジジルにたくさん仕事をやらされて作ったのかと聞いても、首を横に振るばかりだった。
「理由が分からないだと?」
「はい。下働きは、少ししか」
「例えば、何をしている?」
「箒で玄関を掃いたり、ブラシで床を磨いたり」
「原因はそれしかないだろう」
「で、ですよね……」
箒の柄などを強く握り過ぎていたので、まめが出来てしまったのだ。
ベルナールは掃除は力を入れたらいいというものではないと、指導する。
「ジジルに力任せに掃除をしろと習ったのか?」
「いえ、違います。悪いのは、わたくし、です」
「?」
もじもじしていたので、いいから理由を言えと急かす。
アニエスは申し訳なさそうに言った。
「目が、見えなくて、きっと、掃除に力が入ってしまっていたのだと」
「ああ、そういうことか」
目が悪いアニエスには、床の埃や塵が見えない。なので、綺麗になったかどうかも分からず、その不安感から箒やブラシを持つ力が無意識のうちに強くなっていたことが発覚した。
「分かった」
「はい?」
「お前、眼鏡を掛けろ」
「え!?」
アニエスの近視は生活に支障をきたしている。このままでは使用人としての仕事も儘ならないだろうとベルナールは言う。
「で、ですが、眼鏡はとても高価で、わたくしにはとても」
「だったら、金を貸してやる」
ベルナールはアニエスに、少しずつ返済すればいいと勧めた。
「お言葉に甘えても、よろしいのでしょうか?」
「別に構わない。それに、眼鏡は変装にもなる」
そう言えば、アニエスも眼鏡を買う決意が固まる。
問題はどうやって眼鏡を作るかだ。
訪問販売などは顔なじみの上客との間で行われる。誰にでもしてくれるわけではない。
「その辺はエリックやジジルと相談だな」
「はい。よろしくお願いいたします」
とりあえず、次なる作戦は決まった。
◇◇◇
ベルナールはラザールに頼まれていた書類を事務局に提出し、帰ろうとしているところに、眼鏡をかけている事務員を発見して声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるのですが――」
「はい?」
眼鏡をどこで買ったのか聞いてみる。
「ああ、これですか? 下町にある虹色堂というお店ですよ」
「下町なんかに眼鏡屋が?」
「はい。中央街に出せば家賃が倍以上かかるらしくて」
「なるほど」
その代わり、値段もそこまで高価ではないと言っていた。中央街にも貴族御用達の眼鏡屋があるが、二倍以上の値が付いていることを教えてもらった。
虹色堂の眼鏡の値段は、金貨一枚から五枚。形によって差があると言う。
「鼻にかける眼鏡は安いものですが、長時間かけておくには負担が大きいですね。なので、私はこれです」
事務員が外して見せてくれたのは、耳にかけるつるの付いた眼鏡。値段は金貨三枚ほどだと言う。
アニエスの一ヶ月の給料は金貨一枚。返済に時間がかかりそうだと思った。
無理もない。
自らが望むような女性を見つけ出すことは難しいとはっきり言われたからだった。
思えば、物心ついた頃から、彼の周囲に居る女性は気が強く、自己主張の激しい者ばかりだった。
ジジルや母親のような女性が家に一人増えたと考えるだけでゾッとする。
結婚相手は慎重に選ばなければならない。
世の中には、結婚前は可愛らしい猫の皮を被り、結婚後に真なる姿を現す恐ろしい女性が居ると言う。そんな女性と結婚をすれば、男は家庭内で身を小さくして過ごすことになると聞いていた。
仕事で疲れ、家でも心休まる時がなく、息苦しい生活を送る。そんな既婚男性は少なくない。
先輩騎士達の愚痴を聞きながら、少年時代のベルナールは結婚なんかしなければいいのにと、疑問に思っていた。
けれど、大人になって分かる。
騎士は民の模範となるべき存在でなくてはならない。
その理想の形の一つとして、結婚をして家族を守りながら暮らすということが重んじられているのだ。
誰かがはっきりと口にしていることではないが。
しかしながら、現に、三十を過ぎた独身の騎士達は職場で肩身の狭い思いをしていた。
そういう者達は大抵出世の道から外れている。
そのうち自らもああなってしまうのではと考え、肩を落としてしまうベルナールであった。
重たい気分を引きずりながら馬車に乗り込み、帰宅をする。
「お帰りなさいませ、旦那様」
出迎えたのはジジルだった。ただいまも言わずに、ため息を吐く。
「どうかされましたか?」
「……なんでもない」
ジジルはとぼとぼと執務室に歩いて行く主人の後ろ姿を、首を傾げながら見送ることになった。
夕食後、ドンドンと部屋の扉を元気よく叩く者が訪れる。
どうせキャロルとセリアだろうと思い、うんざりしながら返事をした。
双子は注文していた新しい仕着せを着て、ベルナールの前に現れた。
「旦那様、お仕着せ、出来ました!」
「買ってくれて、ありがとうございます!」
興奮した様相を見せている双子を適当に相手にして、部屋から追い返そうとする。
「あ、あとでアニエスさんも来るって」
「お仕着せのお礼、言いたいって」
「ああ……」
別にいいのにと思ったが、変装した姿を確認しなければならない。
今すぐ来るように伝えろと命じる。
三分後、扉が控えめに叩かれた。入るように言う。
「失礼いたします」
「入れ」
部屋に入って来たアニエスは頬を染め、羞恥に耐えるような表情で居た。
ベルナールは一体どうしたのかと、疑問に思う。老婆が纏うような、時代錯誤の仕着せを着るのが恥ずかしいのか、あるいは、せいぜい十代前半の少女がするような三つ編みのおさげ姿に照れているのかと考えていた。全身を確認しようとすれば、ふと、ある部位に目が留まる。
「――ん?」
ベルナールは目を凝らし、そこを注視した。
見られていることに気付いたアニエスは、耐えきれずに両手で顔を覆う。
「お、お前――」
「す、すみません!」
指摘をされる前に、アニエスは謝る。地面に膝を突き、胸の前で祈るように手を重ね合わせていた。
「使用人は矯正下着を着けないというので、あ、新しく、仕着せを作って頂きました。ありがとう、ございます。で、ですが、そ、その、このような姿をさらしてしまい――」
「お前、太っているって、あー、なんだ。今まで、胸を潰していたのか?」
「……はい、申し訳ありません」
体に合う形で作られた仕着せは、矯正下着で締め上げていない上半身の体つきが、はっきりと分かるようになっていた。
彼女は太っているのではなく、単に胸が他の女性よりも大きいだけだった。
「……いや、なんと言えばいいのか」
アニエスの悩ましい体つきに驚けばいいのか、あんなに大きな胸を常日頃から押し潰していたことを気の毒に思えばいいのか、分からなくなっていた。
自身を恥じるような様子でいるが、胸元以外に変化はなかった。
世の女性の美の追求や理想の体型など、一生理解出来ないものであると、ベルナールは思う。
それよりも問題があることに気付いた。
あどけない三つ編みのおさげをした、豊かな体つきをした女中。
子どもっぽい姿に、大人の女性の体を持つという、なんとも言えない魅力がある。地味な仕着せを纏っているのが、逆に色気を際立たせていた。
「――どうしてこうなった!」
頭を抱えて叫ぶ。作戦は大失敗。
以前の仕着せ姿よりも注目を集めてしまいそうな結果となってしまった。
「おい」
「は、はい」
「ちょっと座れ」
「……はい」
アニエスは盛大に落ち込んでいる。
まずは勘違いから正さなければと思った。
「お前は、自分のことを太っていると言っていたな?」
「はい」
しゅんとするアニエス。いつも綺麗に伸びている背筋は、すっかり曲がっていた。
体型ごときでよくもここまで落ち込むことが出来るものだと、呆れながら言う。
「まあ、なんだ。……俺から見れば、全く太っていない」
「え?」
「だから、しようもないことで落ち込むのは止めろ」
「太って、いない……? わたくしが?」
「そうだ。だから、堂々としていろ。びくびくしていたら、逆に注目を集める」
「は、はい。ありがとう、ございます」
アニエスは信じがたいという表情でいた。念のために、ジジルにも確認しておくようにと言っておく。
「もう一つ、聞きたいことがある」
ずっと聞こうか聞くまいかと躊躇っていることであった。
それは、アニエスの手のひらのまめのこと。
看病をしてもらっていた時に気付いていたが、勝手に手を握ったことが恥ずかしかったので、今まで言えずにいた。
いい機会だと思い、ついでに聞いておく。
どうしたのかと聞けば、いつの間にか出来ていたと話す。
ジジルにたくさん仕事をやらされて作ったのかと聞いても、首を横に振るばかりだった。
「理由が分からないだと?」
「はい。下働きは、少ししか」
「例えば、何をしている?」
「箒で玄関を掃いたり、ブラシで床を磨いたり」
「原因はそれしかないだろう」
「で、ですよね……」
箒の柄などを強く握り過ぎていたので、まめが出来てしまったのだ。
ベルナールは掃除は力を入れたらいいというものではないと、指導する。
「ジジルに力任せに掃除をしろと習ったのか?」
「いえ、違います。悪いのは、わたくし、です」
「?」
もじもじしていたので、いいから理由を言えと急かす。
アニエスは申し訳なさそうに言った。
「目が、見えなくて、きっと、掃除に力が入ってしまっていたのだと」
「ああ、そういうことか」
目が悪いアニエスには、床の埃や塵が見えない。なので、綺麗になったかどうかも分からず、その不安感から箒やブラシを持つ力が無意識のうちに強くなっていたことが発覚した。
「分かった」
「はい?」
「お前、眼鏡を掛けろ」
「え!?」
アニエスの近視は生活に支障をきたしている。このままでは使用人としての仕事も儘ならないだろうとベルナールは言う。
「で、ですが、眼鏡はとても高価で、わたくしにはとても」
「だったら、金を貸してやる」
ベルナールはアニエスに、少しずつ返済すればいいと勧めた。
「お言葉に甘えても、よろしいのでしょうか?」
「別に構わない。それに、眼鏡は変装にもなる」
そう言えば、アニエスも眼鏡を買う決意が固まる。
問題はどうやって眼鏡を作るかだ。
訪問販売などは顔なじみの上客との間で行われる。誰にでもしてくれるわけではない。
「その辺はエリックやジジルと相談だな」
「はい。よろしくお願いいたします」
とりあえず、次なる作戦は決まった。
◇◇◇
ベルナールはラザールに頼まれていた書類を事務局に提出し、帰ろうとしているところに、眼鏡をかけている事務員を発見して声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるのですが――」
「はい?」
眼鏡をどこで買ったのか聞いてみる。
「ああ、これですか? 下町にある虹色堂というお店ですよ」
「下町なんかに眼鏡屋が?」
「はい。中央街に出せば家賃が倍以上かかるらしくて」
「なるほど」
その代わり、値段もそこまで高価ではないと言っていた。中央街にも貴族御用達の眼鏡屋があるが、二倍以上の値が付いていることを教えてもらった。
虹色堂の眼鏡の値段は、金貨一枚から五枚。形によって差があると言う。
「鼻にかける眼鏡は安いものですが、長時間かけておくには負担が大きいですね。なので、私はこれです」
事務員が外して見せてくれたのは、耳にかけるつるの付いた眼鏡。値段は金貨三枚ほどだと言う。
アニエスの一ヶ月の給料は金貨一枚。返済に時間がかかりそうだと思った。
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