没落令嬢、貧乏騎士のメイドになります
第四話 残念な子熊ちゃん
アニエスは片手で目元を覆い、泣き出してしまった。
ベルナールは周囲からの視線に気付く。
チラチラと、好奇の目が向けられていた。
迷ったのは一瞬だった。
ベルナールはアニエスが手にしていた籠を取り上げ、手首を掴んでその場から離れる。
手を引きながら、つかつかと歩いて行く。
幸い、動きにくいドレスと踵の高い靴も履いていないので、小走りでベルナールの歩みについて行っていた。
ベルナールは辻馬車で通勤している。
王都の郊外にある屋敷へは、隣街行きの馬車に乗って帰るのだ。
だが、このまま連れて帰るわけにはいかないと気付き、歩きながら話しかける。
「おい、荷物は?」
「や、宿屋に」
「どこの?」
「野山の山羊亭、です」
宿屋の名前を聞いたベルナールは歩みを止め、驚いた顔で振り返る。
野山の山羊亭。それは下町にある王都で一番ボロと言われている安宿だった。
「な、なんで、そんなとこに!?」
「安かったので……」
てっきり中央区のそこそこ綺麗な宿屋に泊まっていると思い込んでいた。
家を追い出されてから、宿で皿洗いや部屋掃除などをして日銭を稼ぎつつ、暮らしていたらしい。かなり切り詰めた生活をしていたことを知る。
涙は止まっていたが真っ赤になった目で、アニエスはこれまでの暮らしを話した。
「……まだ、お皿洗いも部屋のお掃除も慣れていなくて、失敗したりしていましたが」
――あの煌びやかな社交界に居たアニエス・レーヴェルジュが、皿洗い? 部屋掃除だって?
数分前、自らも同じようなことをしろと命じたにも拘らず、彼女が実際に下働きをしていたという事実に驚愕してしまう。
「オルレリアン様?」
「!」
アニエスに呼ばれ、我に返るベルナール。
とりあえず馬車で下町まで行くことになった。
世話になったらしい宿屋で挨拶を済ませ、大きな旅行鞄と小さな鞄を持って出てくるアニエス。
引きずるように持っていた大きい方の鞄をベルナールは奪い取るように手に取った。
「あの、わたくし、自分で持てま……」
「お前がこれを持って、ちまちま歩くのを待っていたら、家に帰るのが夜中になってしまう」
「あ、えっと、はい……」
おろおろとしていたアニエスであったが、ずんずんと前を進むベルナールに近づき、「ありがとうございます」とお礼を言った。
隣街行きの辻馬車に乗ってすぐに、ベルナールの屋敷前に到着する。
二人分の乗車賃を払って降りた。
「馬車代を」
「いらん」
小さな鞄の中から財布を取り出そうとしていたアニエスの行動を制す。
「あの、お屋敷は、こちらに?」
「そうだ」
馬車が停まったのは森の真ん中。
この辺りは大規模な養蜂園があり、労働者が乗り降りをするのだ。
先ほども、仕事終わりの男達が馬車に乗りこんでいた。
アニエスは周囲の深く生い茂った木々を不思議そうに見渡している。
そんな様子を気にも留めず、ベルナールは荷物を持って一人でどんどんと歩いて行った。
歩くこと十分。開けた場所に辿り着く。
森の奥にあったのは、白亜のお屋敷。
屋根は青く、おとぎ話に出てくるような外観で、庭にはささやかな薔薇園がある。
「――まあ、とても可愛らしい!」
「そりゃお前の家よりは可愛い規模だろうよ」
女性の言う可愛いを理解出来ないベルナールは、屋敷を見たアニエスの感想を嫌味として受け止めた。
玄関に近づけば、使用人の名を叫ぶ。
「ジジル、おい、ジジル!!」
「はあい」
屋敷から出て来たのは、金髪碧眼の美しい中年女性であった。
彼女の名前はジジル・バルザック。
ベルナールの元乳母で、現在は屋敷で使用人として働く女性だ。
「旦那様、そのお荷物は……」
さっそく、ベルナールの大きな荷物に気付き、それから三歩後ろに居た女性の姿に気付いた。
照れたような顔で佇むアニエスを見て、喜びを爆発させる。
「――き、奇跡が起きたわ!」
ジジルは嬉しそうにベルナールから荷物を受け取ると、息子の名を呼んだ。
後から出て来た二十代後半の黒髪の男性、ジジルの長男は母親似の麗しい容姿をしている。
「旦那様、おかえりなさいませ」
正装で現れたジジルの息子は執事をしている。名前はエリック。
事務的な笑顔を浮かべ、アニエスの荷物を屋敷の中へ運んで行った。
突然やって来た女性には一切興味を示さないでいる。愛想の良い表情を浮かべるものの、性格は淡泊な青年であった。
ジジルは我慢出来ずに、謎の女性について質問をする。
「それで、旦那様、そちらのお嬢様を紹介して頂けますか?」
「お嬢様じゃない」
「え?」
「新しい使用人だ」
「え、そ、そんな~~!」
「何がそんな、だ」
ジジルはベルナールがついに女の子を連れて来たと喜んでいたが、期待は大きく外れてしまった。がっくりと肩を落としている。
「おい」
「は、はい」
「こいつは使用人頭のジジル・バルザックだ」
ジジルは眉尻を下げながら、初めましてと挨拶をする。
「はじめまして、わたくしはアニエス・レーヴェルジュと申します」
アニエスはスカートの裾を持ち、膝を曲げて完璧な角度でお辞儀をした。
それは、貴族令嬢の行う優雅な挨拶であった。
「アニエス・レーヴェルジュさん、ね」
名前を聞き、ジジルは「そういうわけか」と内心で納得する。
アニエスの父、シェラード・レーヴェルジュの不祥事は新聞でも大々的に報じられていた。
思わず同情してしまう。
しかしながら、どうして元令嬢を使用人として雇い入れるなんて考えたのか、主人の意図を理解出来ずにいた。
アニエスは絶世の美女であるが、それを鼻にかける様子もなく、控えめで大人しい女性に見えた。下働きなどしたこともないだろうにと、気の毒に思う。
どうして「嫁に来い!」との一言が言えないのか。
ジジルはいつまでも子どもな主人に冷ややかな視線を向ける。
ベルナールは責められているような圧力を感じていたが、我関せずといった態度を崩さずにいた。
そんな二人の無言のやり取りに気付かないアニエスはぺこりと頭を下げた。
「ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
「ええ、ええ、アニエスさん、よろしくお願いいたします、旦那様を!」
「何余計なことを頼んでんだよ!」
賑やかにしていたら、屋敷の裏に居たジジルの夫が出てくる。
背はベルナールよりも高く、がっしりとした体型だった。黒い髪は目元まで覆い、髭も輪郭を覆うように生やしている。
「あれ、うちの人、ここで庭師をしているドミニクっていうの。熊みたいでしょう?」
「!」
熊と聞いて、アニエスの目が輝いた。
ドミニクは軽く会釈をして、再び仕事へ戻って行く。
アニエスはその後ろ姿を、胸の前で手を握り締めながら見送っていた。
「昔は、夫が大熊さんで、旦那様が子熊ちゃんって呼ばれていて――」
「まあ!」
「おい、余計なことを言うな!!」
怒られたジジルはベルナールに見えないようにおどけた顔で肩をすくめていた。
その様子を見て、アニエスは控えめに微笑む。
今まで暗い顔を見せていたが、やっと笑ってくれた。ジジルは可憐な笑顔を見たかとベルナールを振り返ったが、すでにその姿はなかった。どうやら知らぬ間に家の中に入っていたようである。
「……その、ごめんなさいね。うちの旦那様、まだ、子どもなの」
「いえ、そんなことありません」
ぶんぶんと大袈裟に首を振るアニエスに頭を下げるジジル。
なんていい娘なのかと、胸が熱くなった。
「わたくし、頑張ります」
「ええ、応援をしているわ!」
ジジルはこの家で行うアニエスの方針を、心の中で勝手に決定する。
「――さっさと結婚してもらうから」
「え?」
「いいえ、こっちのお話!」
なんでもないと言いながら、アニエスを屋敷の中へと案内する。
元令嬢の使用人生活が始まろうとしていた。
ベルナールは周囲からの視線に気付く。
チラチラと、好奇の目が向けられていた。
迷ったのは一瞬だった。
ベルナールはアニエスが手にしていた籠を取り上げ、手首を掴んでその場から離れる。
手を引きながら、つかつかと歩いて行く。
幸い、動きにくいドレスと踵の高い靴も履いていないので、小走りでベルナールの歩みについて行っていた。
ベルナールは辻馬車で通勤している。
王都の郊外にある屋敷へは、隣街行きの馬車に乗って帰るのだ。
だが、このまま連れて帰るわけにはいかないと気付き、歩きながら話しかける。
「おい、荷物は?」
「や、宿屋に」
「どこの?」
「野山の山羊亭、です」
宿屋の名前を聞いたベルナールは歩みを止め、驚いた顔で振り返る。
野山の山羊亭。それは下町にある王都で一番ボロと言われている安宿だった。
「な、なんで、そんなとこに!?」
「安かったので……」
てっきり中央区のそこそこ綺麗な宿屋に泊まっていると思い込んでいた。
家を追い出されてから、宿で皿洗いや部屋掃除などをして日銭を稼ぎつつ、暮らしていたらしい。かなり切り詰めた生活をしていたことを知る。
涙は止まっていたが真っ赤になった目で、アニエスはこれまでの暮らしを話した。
「……まだ、お皿洗いも部屋のお掃除も慣れていなくて、失敗したりしていましたが」
――あの煌びやかな社交界に居たアニエス・レーヴェルジュが、皿洗い? 部屋掃除だって?
数分前、自らも同じようなことをしろと命じたにも拘らず、彼女が実際に下働きをしていたという事実に驚愕してしまう。
「オルレリアン様?」
「!」
アニエスに呼ばれ、我に返るベルナール。
とりあえず馬車で下町まで行くことになった。
世話になったらしい宿屋で挨拶を済ませ、大きな旅行鞄と小さな鞄を持って出てくるアニエス。
引きずるように持っていた大きい方の鞄をベルナールは奪い取るように手に取った。
「あの、わたくし、自分で持てま……」
「お前がこれを持って、ちまちま歩くのを待っていたら、家に帰るのが夜中になってしまう」
「あ、えっと、はい……」
おろおろとしていたアニエスであったが、ずんずんと前を進むベルナールに近づき、「ありがとうございます」とお礼を言った。
隣街行きの辻馬車に乗ってすぐに、ベルナールの屋敷前に到着する。
二人分の乗車賃を払って降りた。
「馬車代を」
「いらん」
小さな鞄の中から財布を取り出そうとしていたアニエスの行動を制す。
「あの、お屋敷は、こちらに?」
「そうだ」
馬車が停まったのは森の真ん中。
この辺りは大規模な養蜂園があり、労働者が乗り降りをするのだ。
先ほども、仕事終わりの男達が馬車に乗りこんでいた。
アニエスは周囲の深く生い茂った木々を不思議そうに見渡している。
そんな様子を気にも留めず、ベルナールは荷物を持って一人でどんどんと歩いて行った。
歩くこと十分。開けた場所に辿り着く。
森の奥にあったのは、白亜のお屋敷。
屋根は青く、おとぎ話に出てくるような外観で、庭にはささやかな薔薇園がある。
「――まあ、とても可愛らしい!」
「そりゃお前の家よりは可愛い規模だろうよ」
女性の言う可愛いを理解出来ないベルナールは、屋敷を見たアニエスの感想を嫌味として受け止めた。
玄関に近づけば、使用人の名を叫ぶ。
「ジジル、おい、ジジル!!」
「はあい」
屋敷から出て来たのは、金髪碧眼の美しい中年女性であった。
彼女の名前はジジル・バルザック。
ベルナールの元乳母で、現在は屋敷で使用人として働く女性だ。
「旦那様、そのお荷物は……」
さっそく、ベルナールの大きな荷物に気付き、それから三歩後ろに居た女性の姿に気付いた。
照れたような顔で佇むアニエスを見て、喜びを爆発させる。
「――き、奇跡が起きたわ!」
ジジルは嬉しそうにベルナールから荷物を受け取ると、息子の名を呼んだ。
後から出て来た二十代後半の黒髪の男性、ジジルの長男は母親似の麗しい容姿をしている。
「旦那様、おかえりなさいませ」
正装で現れたジジルの息子は執事をしている。名前はエリック。
事務的な笑顔を浮かべ、アニエスの荷物を屋敷の中へ運んで行った。
突然やって来た女性には一切興味を示さないでいる。愛想の良い表情を浮かべるものの、性格は淡泊な青年であった。
ジジルは我慢出来ずに、謎の女性について質問をする。
「それで、旦那様、そちらのお嬢様を紹介して頂けますか?」
「お嬢様じゃない」
「え?」
「新しい使用人だ」
「え、そ、そんな~~!」
「何がそんな、だ」
ジジルはベルナールがついに女の子を連れて来たと喜んでいたが、期待は大きく外れてしまった。がっくりと肩を落としている。
「おい」
「は、はい」
「こいつは使用人頭のジジル・バルザックだ」
ジジルは眉尻を下げながら、初めましてと挨拶をする。
「はじめまして、わたくしはアニエス・レーヴェルジュと申します」
アニエスはスカートの裾を持ち、膝を曲げて完璧な角度でお辞儀をした。
それは、貴族令嬢の行う優雅な挨拶であった。
「アニエス・レーヴェルジュさん、ね」
名前を聞き、ジジルは「そういうわけか」と内心で納得する。
アニエスの父、シェラード・レーヴェルジュの不祥事は新聞でも大々的に報じられていた。
思わず同情してしまう。
しかしながら、どうして元令嬢を使用人として雇い入れるなんて考えたのか、主人の意図を理解出来ずにいた。
アニエスは絶世の美女であるが、それを鼻にかける様子もなく、控えめで大人しい女性に見えた。下働きなどしたこともないだろうにと、気の毒に思う。
どうして「嫁に来い!」との一言が言えないのか。
ジジルはいつまでも子どもな主人に冷ややかな視線を向ける。
ベルナールは責められているような圧力を感じていたが、我関せずといった態度を崩さずにいた。
そんな二人の無言のやり取りに気付かないアニエスはぺこりと頭を下げた。
「ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
「ええ、ええ、アニエスさん、よろしくお願いいたします、旦那様を!」
「何余計なことを頼んでんだよ!」
賑やかにしていたら、屋敷の裏に居たジジルの夫が出てくる。
背はベルナールよりも高く、がっしりとした体型だった。黒い髪は目元まで覆い、髭も輪郭を覆うように生やしている。
「あれ、うちの人、ここで庭師をしているドミニクっていうの。熊みたいでしょう?」
「!」
熊と聞いて、アニエスの目が輝いた。
ドミニクは軽く会釈をして、再び仕事へ戻って行く。
アニエスはその後ろ姿を、胸の前で手を握り締めながら見送っていた。
「昔は、夫が大熊さんで、旦那様が子熊ちゃんって呼ばれていて――」
「まあ!」
「おい、余計なことを言うな!!」
怒られたジジルはベルナールに見えないようにおどけた顔で肩をすくめていた。
その様子を見て、アニエスは控えめに微笑む。
今まで暗い顔を見せていたが、やっと笑ってくれた。ジジルは可憐な笑顔を見たかとベルナールを振り返ったが、すでにその姿はなかった。どうやら知らぬ間に家の中に入っていたようである。
「……その、ごめんなさいね。うちの旦那様、まだ、子どもなの」
「いえ、そんなことありません」
ぶんぶんと大袈裟に首を振るアニエスに頭を下げるジジル。
なんていい娘なのかと、胸が熱くなった。
「わたくし、頑張ります」
「ええ、応援をしているわ!」
ジジルはこの家で行うアニエスの方針を、心の中で勝手に決定する。
「――さっさと結婚してもらうから」
「え?」
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