シャボン玉だっていいじゃない。

城内 夕刻

ヒナとツバサの交通事故

「ツバサ先輩~。それじゃ行ってきますね~」
 グラウンドの端から陽菜ひながこちらに向かって大きく手を振っている。
「ああ、悪いな。たのむわー」
 声をかけられた俺はわざとぶっきらぼうに答える。

 雪が降るにはまだ少し早い季節。
 陽菜はサッカー部を陰で支えるマネージャーだ。今年入ってきた可愛い後輩である。
 そして俺は先輩である。さらにかわいいものが大好きである。
 今日も何かしら理由をつけてかわいい後輩におつかいを頼んでしまった。

 陽菜は俺の貸した自転車に跨ると、つま先でちょん、ちょんと地面を蹴るようにして自転車を加速させていく。やがて真っすぐな通りの先までたどり着くとその小さな影は建物の影に消えていった。
(俺の自転車で買い物をする陽菜か・・・なんかいいな)
 口元が緩んでだらしない表情になっている事に気づいた俺は無理やり表情を引き締めてストレッチを続けた。

 *

 ざわ、ざわ。
 グラウンド端の部室の前に部員数人と顧問の先生が集まって何か話している。
 ――何かあったのだろうか。
 妙な胸騒ぎがした俺は立ち上がるとその輪に向かって足早に近づく。

 ――マネージャーが車に跳ねられた――
 確かに、そう聞こえた。
 ――まさか、俺のせいで。
 部室の横で軋む音を立てて動いている古い洗濯機の音が耳の奥の方でごうごうと鳴り響いていた。

 *

「とにかく、ひとまずは無事だっていうし、後で一緒に見舞いに行こうか」
 チームメイトのとおるが話しかけてきた。
 練習を続けろって言うぐらいだからきっと大したことないよ、と俺の背中をポンポンと軽く叩く。落ち込んでいる仲間を元気づけようという心配りだろうか。

 ――それじゃだめだ。
「俺、行ってくるわ。ごめんトオル、今日サボる」
 それだけ伝えると足早にグラウンドを後にした。

 俺は普段履きのスニーカーに履き替えると、耳にした病院名を頼りにスマートフォンで地図を調べた。
「ここなら・・・行けるか」
 部室を出てそのまま病院に向けて走り出す。

 途中、隣接する大学の正門前を横切ったところで、はっとして立ち止まった。原型を留めないほどぐしゃぐしゃにひしゃげた自転車が道路わきに寄せられていた。
 あれは俺の――陽菜がさっきまで乗っていた自転車だ。
 慌てて辺りを見渡す。車道を挟んだ反対側の道端には、ボンネットの歪んだ軽自動車が停められていた。フロントガラスにも大きなヒビが見える。改めて正門の方に目をやると、何かが衝突した後だろうか。ゆがんだ大学の案内板が衝撃の凄さを物語っている。

 ――無事なわけがない。最悪のシナリオが頭の中をよぎる。
 鼓動が足早に脈打つのを感じながら、俺は全力疾走で病院へと向かった。

 *

「あれ~?先輩どうしたんですか?先輩も怪我したんですか~?」
 緊張感の欠片もない間延びした声で、陽菜は病室のベッドの上で身体を起こしていた。頭には包帯を巻いている。
「その怪我・・・でも良かった・・・無事だったんだ」
「ん~。そうですよ~。大丈夫って言ったのに。恥ずかしいなぁ~」
 安心して緊張の糸が切れたからなのか、俺はそのまま膝から病室の床に崩れ落ちる。
「あ~!先輩だめですよ~!病院で座るのは、メッ!です」
「だって・・・あの自転車見たら誰だって思うだろうよ」
 そこで初めて、陽菜は思い出したように声を上げた。
「あっ!ごめんなさいっ!先輩の自転車壊しちゃいましたっ!」

 聞くと、陽菜は買い物帰りに通りがかったあの場所で道端の草むらにいた捨て犬に気づき、自転車を降りていたらしい。そうして少し離れたところで、停めていた自転車に暴走車が衝突、自転車を弾き飛ばした。加えて、陽菜本人は驚いた拍子に転んで地面に頭をぶつけただけだという。
「それにね、先輩のお母さんも慌てて来てくれて。さっきまでここに居たんですよ~」
 ――は?母さんが?なんで?
 突然の身内の登場に困惑する俺を見て気づいたのか、陽菜は一言、
「先輩聞いてないんですか~?先輩のお母さん、私のお父さんと結婚するんですよ~?」
 はあああああああ?
 俺は頭の中をハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。
「ちょ、ちょっと待って。その話どういう」
 ――いったいいつから?しかも知らないのは俺だけ??
 ふと、重要な事に気づく。おそるおそる、ゆっくりと陽菜を指さす。
「ということは・・・俺たち、兄妹?」
「そうで~す!よろしくね、ツバサおにいちゃんっ。えへへ」
 陽菜は少し顔を赤らめる。思わず、自身の顔がつられて紅潮するのが分かる。
 なんだよ。こっちの方がよっぽど重症だよ。何なのこの交通事故。
 そんな俺の気持ちに気づく様子もなく、陽菜は最高に無邪気な笑顔を俺に向けてくる。
 ――まあ、いっか。

 病室の窓際に穏やかな日差しが差し込む。
 始まったばかりの冬の寒さが少しだけ和らいだ様な気がした。

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