怪力乱神の魔女が異世界を往く

たっさそ

第9話 ててーん。仲間に加わった!

              第9話


 挨拶運動をイグニラとフリームに任せて、わたしは厨房でフリームと一緒に起きてきたフルーダさんと共に朝ごはんの仕込みを始めていたところ


「おふぁよ〜」


 みっちゃんが目元をこすりながら覚束ない足取りで二階から降りてきた


「………おはよ。今日のみっちゃんはねぼすけさん?」




「んー、そうかも。でもよかった。朝起きたらチーちゃんがいなかったから、すごく焦ったよ。鎖は外れてたの?」


「………気づいたら外れてた」


「そっかぁ。今度はもうちょっと強い鎖で縛っとくね」


「………お願い。」


 そうでもしないと、そのうち無意識に人を殴り殺してしまいそうだから。
 今日だって目を覚ましたらイグニラを殴り倒していたのだから、自分に意識がないゆえに怖くて仕方ない。
 今のところはみっちゃんやあつしくんを殴ってしまったということはないけれど、いつまでもそれが続くとは思えない。
 いつかみっちゃんたちを傷つけてしまわないように、より強力な鎖でわたしを縛ってもらわなければなるまい


「あんた達、そこだけ聞いてたら凄く怪しい関係に聞こえるよ」


 一緒に厨房で仕込みをしていたフルーダさんにツッコミを入れられた。
 むむ、わたしたちにSMプレイを興じる趣味はない。とんだ言いがかりだ。
 だが、ナイスツッコミ!


 ぐっとフルーダさんに親指を立てる


 ちなみに、フリーム経由でわたしたちの能力や特異性はフルーダさんにも知られてしまっている。
 まあ、あんなに大々的に宿屋を個人で改築改装してしまえば嫌でも目立つから、街の住人のほとんどがみっちゃんが“浮ける”ということもあつしくんの“頭がいい”ということも知られている。


 能力の詳細は知らないだろうけどね。


 どうやらわたしの能力は目立っていないようで、“受付の子”として覚えられているみたい


「さてー、やりますか!」


 みっちゃんは肩甲骨までかかる髪をひとまとめにしてキュッとリボンで結ぶと、手を洗ってからわたしの隣に並ぶ。


「フルーダさんは宿の受付の机に戻っておいてください。ここは私達がやりますから。」


「しかしねえ………」


「妊婦さんは休んで体力を付けるのが仕事ですよ!」
「…………(こくり)」


 尚も手伝おうとするフルーダさんに休んでいるように申し付けるみっちゃん。それに同意するように私もうなずいた。


「さあどいたどいた。」


 やさしくフルーダさんの背中を押して部屋を移るように催促するみっちゃん


「すまないね、ミウちゃんにチカちゃん」


「………構わない。私たちがやりたいからしているだけ」
「そういうこと。フルーダさんが休んでいると、安心できるんです。はやく元気な子どもを産んで私達に安心させてください。」


「ありがとう、本当に助かるよ」


 フルーダさんのお腹は大きい。
 いつ産まれてもおかしくないくらいに


 そんな状態で働かれても、こっちが落ち着かない。
 そろそろ助産師を呼ぶ必要があるかもしれない


 よっこらしょっと。鍋を移動させた。このくらいなら能力を使用せずともできる。
 フルーダを宿の奥に押しやって、厨房はわたしとみっちゃんでなんとかする
 わたしたちには、なんとかできるだけの力量がある。


「チーちゃんはスープの方をお願い」


「………ん」


「私はメインの方をするわ」


 やや明るくなってきた朝方。起床する人も多くなり、早い人はもう仕事に出かけている時間帯だろう。
 ポツポツと宿屋の2階、3階から人が降りてきた


 朝はみんな忙しい。
 それは宿屋も然り。


 というわけで問答無用でみんな同じメニューだ。


 パンは天然酵母を使っているふんわりパンで、おそらく王城ですらここまでふんわりとしたパンは作られていないだろう。だから出すわけにはいかない


 原価は安いからそのうち広めようとは思うけどね。


 基本的なメニューはフルーダさんから教わっているし、あとはより美味しくなるように下拵えと一工夫を加えに加えて美味しい朝食を召し上がれ


 配膳はわたしとみっちゃんが隙を見て配って行く。


 この宿屋の格があがったならビュッフェ形式でもいいかもしれない
 早いところ、新しい従業員を見つけてほしいものだ。


 この宿屋は食事処も兼ねているようだし、時間帯によってはこの上なく忙しいのだ


「おはよー」


 と、こちらが忙しなく動いている間に、あつしくんが二階から降りてきた。
 昨日は疲れていたみたいだからすこし起きるのが遅かったようだけど、まだ日が完全に上っている時間ではない。食堂の手伝いのために起きてきたようだ


「あ、敦史。おはよう。よく眠れた?」
「んあぁ。なんか朝方凄くうるさかった気がするが、まぁ久しぶりに起きるまで寝たよ」


 それは幸せな目覚めだね。わたしは朝方に一悶着あったから少し眠いくらいかしら。
 すこしボサッとした頭に軽く水をつけて整えると、厨房の隅のほうで顔を洗うあつしくん


「なんか今朝は客が多いな」


 布で顔をぬぐって顔を上げると、チラリとホールをうかがうあつしくん。


 あつしくんも手を洗ってから厨房で仕事を行うが、ホールを見渡せば席の殆どが埋まっている状態で、普段より忙しい朝に目を見開いていた


 すぐに素早くエプロンを身に着けて頭にバンダナを巻いて盛り付けるためのお皿を準備し始める


「………フリームとイグニラが呼び込みを頑張ってくれている」


「フリームちゃんと………イグニラ? 誰だったっけ」


 お皿を運びながら視線だけでこちらを振り返るあつしくん


「………昨日、わたしの唇を奪った魔族」
「ああああああ!!?」


 その瞬間。あつしくんはバリンと皿を落として奇声をあげる
 カタカタと震えながらギギギと効果音がつきそうな錆びついた動きでこちらを見るあつしくん。


「ちょっと敦史! それ木の皿じゃないんだから高いんだよ!? 弁証は敦史持ちだからね!」


「そ、それどころじゃねえよ! 美羽ねえ! チィが、キスで! 魔族が! 赤髪の!」
「聞いてたよ。とにかく敦史が落ち着きなさいよ。お客さんに聞こえちゃうよ」
「あ、ああ………」


 ゆっくりとぎこちないうごきで床に散らばった破片を慎重に手に取るあつしくん


「ちょ、刺さってる刺さってる!」
「ああ………」
「『ああ………』じゃないよー! 血が出てるじゃない!」
「ああ………」




 破片が容赦なく手に刺さり、手から血が出ても上の空の様子で生返事。
 こりゃダメだ。使い物にならないわね


「………あつしくん」
「あ?」
「………邪魔」


 ぐぼあ!? そんな叫び声が聞こえそうな表情でこちらを見上げたあつしくん


「………ショックなのはわたしも一緒。当事者のわたしよりもショックを受けてどうするの」
「そう、だよな。チィのほうがつらいよな………わかった。」


 あつしくんは「よしっ」と掛け声を掛けながら両手でバチッと顔をたたく。元気を出したつもりなのだろう。


「………あ」
「いいっ!?」


 しかしながら、その手は先ほどお皿の破片が突き刺さっていた血まみれの手である


「いった!」


 しかも手にはまだ欠片が刺さったままだったらしく、思い切りその整った尊顔を傷つけた
 頭はいいのに、ちょっとした行動がアホである。


 そのあまりの行動にみっちゃんは自分の顔を押さえてまるで自分が痛いかのように眉を寄せる


「………客の前で見せる顔じゃない。しばらくお部屋で待ってて」
「………はい」


 追い出すようにしっしとあつしくんを遠ざける。
 肩を落としたあつしくんが割れた食器を片付けてからしょんぼりとした足取りで二階に上がっていった。
 下りてくる宿泊客がぎょっとした様子であつしくんの血まみれの顔を見るが、そんなのは1時間あったら完治してる。


 わたしやみっちゃんもしかりだ。


 わたしがこの世界に来た時に受けたワイバーンに食いちぎられかけた腕も、3日で完治した。傷跡さえないのよね。
 その腕の傷でさえ、私の場合は激痛を覚悟で怪力乱神を発動したら2分で収まるレベルの傷なの。


 身体能力の爆発的向上が能力であるわたしは、回復力も優れているのだから、当然の結果ね。




「もう、敦史ってば取り乱しすぎだよね」
「………(こくり)」


 苦笑しながらみっちゃんは敦史君を見送ってわたしを肘でつつく。
 そんなみっちゃんを見上げると、先ほどのわたしの言葉に対する疑問をぶつけてくる


「それで、そのイグニラって子が呼び込みをしているっていうのはどういうこと? なんでその子がいるの?」
「………今朝、イグニラが部屋に侵入してきて、わたしが寝てる間にいつのまにかっちゃった」


 ぐっと拳を突き出すと、みっちゃんがすべてを悟ったような表情でため息をついた


「ああ~………本当にチーちゃんの寝相は夜襲除けにぴったりだね。だから鎖も外れてたのかな」


 うん。なぜか敵だとわかる相手にだけ寝ている間に殴りかかっている。
 不思議だ。


 敵さえいなければ、単に寝相が悪いだけなのに。


 おっと、「チカちゃん、こっちも一人前お願い」と先ほど下りてきた宿泊客から注文を受けた。急いでそちらの盛り付けとスープの準備を済ませてはいどーぞ。


「………わたしが夜明け前に目を覚ましたら、わたしがいつのまにか殴って気絶していたイグニラも気が付いたらしくて、みっちゃんたちを起こさないようにロビーで話をしたんだけど、どうやらこの宿屋が気に入ったらしい。早朝に起きてきたチヒロと一緒にトーストを食べて、コロッと『この宿屋に泊まる』と言ってくれた。集客集客。」
「ま、魔族なのに勇者と一緒に朝食………? 大丈夫なのかしら、世間体的に………」


 冷や汗を流しながらお皿に盛り付けていくみっちゃん。
 わたしも朝食にふさわしい野菜スープを器に注いで、注文を受けるそばからそれを捌いていく。


 朝食は問答無用で同じメニューだから楽でいい。


「………それから、イグニラはわたしの手伝いをするといって、起きてきたフリームと一緒に挨拶運動中」
「ふむふむ………なるほどねえ」


 うなずいて食堂前の入り口に視線を向けるみっちゃん。
 そこにはフリームとイグニラらしき影が「おはようございます、今日もお仕事頑張ってくださいっ!」「お、おはようございます」と道行く人々に頭を下げるのが見え、初々しい声が聞こえてくる。


 最初の頃はわたしも挨拶運動をしていたけれど、フルーダさんの朝食の仕込みがひと段落したところでわたしは二人に任せて厨房に来たのよね。


 その後も、イグニラから話してもらったことをみっちゃんには余すことなく伝えた。
 ロクバンと呼ばれる超能力者がこちらの世界にいること。
 イグニラはそいつの命令でわたしを殺そうとしてきたけど、わたしの寝相が悪かったせいで失敗し、魔界に帰ろうにも帰れなくなったこと。


 だからこの宿屋に泊まろうとしていることなど。
 報連相をしっかりしておくことは大事だから、年長者であるみっちゃんにはしっかりと相談しておかなくちゃね。


 くるくると厨房とホールで働くわたしたちが2時間くらい客の対応をしながら料理を作って料理を運んでとしていると、出勤ラッシュが終わったのか、食堂には誰もいなくなった。




                ☆




 さて、これで午前の食堂の営業時間は終了である。
 あとはお昼に向けてちょこっと仕込みをしたら自由時間。


 フリームかフルーダさんが受付の机に座って接客をすることになるから仕事は少ない。


 食堂の営業時間終了のため、テーブルを一つ一つ丁寧に拭いてゆく。その間に傷を完治したあつしくんとみっちゃんが二人並んでお皿を洗っていると―――
 カランカランと玄関口から来客を知らせる鐘の音が聞こえた


「ただいまー」
「笑顔で挨拶も意外と疲れるわね………」


 違った。来客じゃなくてフリームとイグニラが挨拶運動を終えて戻ってきたところだったみたいね




「おかえりなさい、フリームちゃん」
「おう、おかえり。そっちの人は?」


 ふぅむ、上機嫌のフリームと疲れた表情のイグニラが対照的ね。
 真紅のカールした髪と、これまたカールした角をうさ耳で隠しているイグニラ。


 よく見れば変な形の耳ね。うさ耳がカールしているし………。
 そんなんでよく魔族だとばれなかったわね。
 あつしくんもまだイグニラの存在には気づいていないようだ。


 みっちゃんは先ほど話していたから予想はついているはず。
 あつしくんに説明する手間を省くために、わたしがイグニラに話しかけた。


「………イグニラ。笑顔は大事よ。人や宿屋の評判、その第一印象は顔で決まるの」
「チカが一番表情が少ないじゃない」
「………心外」


 バッサリと切り返された。心外だ。
 わたしはちゃんと表情豊かよ。
 ボケにもツッコミにも対応した、さいきょーの表情マシーン『チカぽん』とはわたしのことよ。




 ね、みっちゃん


「………(→)」


 あ、あれ? 視線をそらされた?


 ね、あつしくん


「………(↑)」


 あれれ?




「まぁいいわ。客もいなくなったことだし、これはもういらないわね」


 そんなに表情が少なかったかしらとおろおろしていると、イグニラが指先さえ見えない長い袖でうさ耳を掴むと、『スポン』という音とともに、うさ耳を引っこ抜いた


「あっ!」
「やっぱり」
「お前は!」




 うさ耳を取り除けば、そこに残るのはカールした黒い角。
 そして、黄色いリボン。


 黄金色の瞳を備えた真紅の魔族。イグニラがそこにいた。




 ずっと自分の隣で挨拶運動を手伝っていた女性が昨日の魔族だと知り、青ざめるフリーム。
 さらにはわたしから話を聞いていたおかげであたりをつけていたみっちゃんは頷き
 あつしくんにいたっては、敵愾心丸出しでイグニラをにらみつけた


「改めまして、初めまして、チカのご友人の方々」


 袖の長い手を胸元に持ってきて一礼するイグニラ。
 その動きは洗練された優雅な動き。


「魔王の娘、四天魔将第3位。イグニラ・イフリートと申します」


 顔を上げると、ギラリとこちらを値踏みするような鋭い眼光がわたしたちを射抜いた


 フリームを見て、あつしくんを見て、わたしを見て、みっちゃんを見る。


 みっちゃんを視界の中心に捉えた途端、イグニラの表情が険しくなる


「………チカもそうだけど………あなた、とんでもない化け物ね」
「えへへ、そんな照れるよー」


 てれてれと左手で頭をさすりながらにんまりと笑顔を浮かべてイグニラに返すみっちゃん


「勇者なんかよりよっぽど厄介そうだわ」


 どうやらみっちゃんの持つ能力はわからぬまでも、その能力の危険性は天性の勘で察知したようね
 勇者の力はこの目で見たから理解した。みっちゃんやあつしくんを超える速度。筋力もしかり。
 だけど、だけどだ。


「えへへ、チヒロくん程度と私たちを比べられても困るな。あんなやせ男君よりも私たちの方がよっぽど―――生への執着心が強いからね」


 今度はみっちゃんが眼光を鋭くしてイグニラをにらみ返した。


 チヒロとは、一度死を経験したわたしたちと、覚悟が違う。
 どんな手を使っても、どう無様にあがいても。生き抜こうという意思がわたしたちにはある。
 のんきな勇者とは、根本的に考え方が違うのだ。




「ッ―――!?」


 みっちゃんからどっとあふれ出たグレーの魔力に、わたしの時と同様に屋敷全体が悲鳴を上げる


「あんまりチーちゃんにちょっかいを掛けすぎないようにね。あんまり度が過ぎるようなら―――私があなたを殺しちゃうから♪」


 胸に手を当てながら、とてもさわやかな笑顔で言うべきではないセリフが、その形のいい小さな口から飛び出す。


「あなたが私たちの家族に手を出そうとするなら、私たち3人は全力でもってあなたを排除しにかかるよ。それはあなたが人間だろうが魔王の娘だろうが関係ない。比喩でもなんでもなく、私たちはそれができるだけの能力チカラがある」




「………そうみたいね。当分はおとなしくさせてもらうわ。あなたたちに手を出したら本当に私はただじゃすまなそうだもの」


 冷や汗を流しながら一歩だけ下がるイグニラ。「私は四天魔将なのよ、魔王の娘なのよ………何臆してるのよ」などとブツブツとつぶやいているが、わたしたちの知ったことではない。
 ふむ。これで釘をさすことはできたみたいね。これならイグニラはわたしたちに対してとくに行動を起こせないでしょう。


 こっそりと親指を立ててぐっじょぶとみっちゃんにサインを送ると、みっちゃんは背中に回した右手でサムズアップを返してくれた。


「そうだ、イグニラちゃん」


 魔力と殺気をひっこめたみっちゃんは、先ほどとはうってかわって、ポンと両手を合わせながらイグニラを呼ぶ


「イグニラちゃん!? もうちょっと呼び方はなんとかならないわけ!?」
「だって私よりも年下でしょう? もしかしてもっと年取ってた?」
「う、14歳よ」
「なんだ、チーちゃんと同い年じゃない。だったらやっぱりイグニラちゃんね。あなた、ここの従業員にならない? 丁度人を探していたのよ」


 唐突にそう切り出した。


「ふええ!?」


 それに対して、フリームが驚きに声を上げてしまうのも無理はなかった
 当然よね。人間全体の敵である魔族を従業員として雇うなど、正気の沙汰ではないのだろう
 この世界において、わたしたち異世界人のほうが異常なのだから。


「チカちゃんって年上だったの!?」
「………今頃?」


 って驚いていたのはそっちかい!
 わたしは13歳。フリームは9歳。身長は同じくらい。だというのに胸は負けているのよね。
 くぅ………。なんだろう、目から汗が………。




「フルーダさんのお子さんが産まれるまではわたしたちもこの宿屋につきっきりにならないといけないし、産まれてからもフルーダさんはしばらくは子育てで動けないし、私と敦史は毎日じゃないけど冒険者として稼ぎに出ないといけない。チーちゃんならこの宿にいるからずっとお手伝いできるけれど、チーちゃん一人じゃ大変だし、あなたさえ良ければみんなのためになるんだけど、どうかな?」


「で、でも私は魔族で」
「私は魔族がどんな人か知らないもん。それに、私はイグニラちゃんがそんなに悪い子には見えないのよね。」


 みっちゃんは腰を落として小さい子に言い聞かせるように笑顔を向けながら語り掛け、
 ポンとイグニラの頭に手を乗せて、優しく撫でる


「悪い子だったら、こんなところで話し込んでないで、もうすでに暴れているはずだもの」


 165㎝はあるみっちゃんに比べてイグニラは一回り小さい。胸も身長も。
 そんなイグニラよりわたしはもう一回り小さい………胸も、身長も………。


「でも、私、働いたことなんて………」


 それでも頷こうとはしないイグニラに業を煮やしたのか―――


「ふーむ、それじゃ………」
「………???」


 みっちゃんはわたしの肩を抱きよせた。


 え、なに? 何するの?


 抱き寄せた拍子にふにょんとみっちゃんの横チチが側頭部にあたり、なんとも柔らかい感触でわたしの中の嫉妬心をくすぐられる。
 ってか、なんでみっちゃんはわたしを抱き寄せたの?
 そう疑問に思ったのもつかの間。


「今、従業員になることを決めてくれたら、チーちゃんを午後から自由にしていい権利を差し上げよう」
「………謹んで差し上げられよう。大事にするのよ」


 みっちゃんにグイッと前に押し出されちゃった。
 なんか勝手にわたしをダシにされてしまったけれど、『ここはボケるタイミングだぞい』とわたしの中のおヒゲの神様がおっしゃったから、とっさの判断で胸を張ってイグニラに差し出されることにした。


「よし、その話乗ったわ!」


 イグニラも生贄にされたわたしの手を取って即決でうなずいた。
 なんでやねん。


 ノリで差し出されたけど、午後からイグニラに何されちゃうのかしら。
 エッチなことは避けてほしいところだけど、はたしてこの願いを聞き入れてくれるだろうか


 というかイグニラはなんでそんな条件であっさりとうなずいちゃうのよ。
 そもそも、イグニラがツッコミをしてよ! ツッコミが足りない! ツッコミ不足! ギブミー!




「乗らせるわけねぇだろ馬鹿野郎! チィもノリだけで自らを差し出してんじゃねえよ、バカ!」


 と、そこへあつしくんがイグニラの手を払うようにしてわたしを抱き寄せる。
 ツッコミの救世主メサイア


「美羽ねえもチィを差し出すような真似を冗談でもしてほしくねぇよ!」
「はぁい。ごめんね、チーちゃん、敦史」
「………(ふるふる)」


 これはわたしも悪乗りしたのがいけない。あつしくんが怒るのも仕方のないことだ。


「ちょっと! なによ貴方、私のチカを返しなさいよ!」
「お前のじゃねえよ、俺のチィだ! 諦めろ!」




 手をたたかれてわたしを引きはがされたイグニラはなぜか怒った様子であつしくんに詰め寄る。
 あつしくんも渡さんとばかりに左手で抱くわたしの肩に力を籠め、イグニラから隠すように体の向きを変える。
 ああ、美少女と美少年がわたしを取り合って争っている。


 こんなときに「やめて二人とも。私のために争わないで!」って言いたくなるわたしは、どこか頭のねじがぶっ飛んでいるのでしょうね。




「まぁ、チーちゃんの件は置いておくとして、イグニラちゃん、どうする? さっきチーちゃんに聞いた話だと、暗殺任務に失敗して魔界に戻るに戻れなくなったって聞いたけど、泊まる場所はあるの? お金は? ほら、ここなら全部あるじゃない」


 フルーダさんに雇われる形でここに泊まれば、宿代は自分持ちだとして、フルーダさんは雇用のお金はちゃんと支払ってくれるはずだ。
 この宿屋は、十分に儲かる宿屋なのだから。


「そうね………それじゃ、ここで働かせてもらうわ。よろしくね、チカ、ミウ。アツシ。」
「………ん」
「うんっ!」
「ふんっ………」




 どうやら決めてくれたようだ。
 よかったよかった。イグニラが目に見える範囲に居てくれるなら、わたしたちも御しやすいわね。


「そ、そんな………困るよぉ………」


 涙目のフリームには申し訳ないけれど、いきなり襲い掛かられるよりはずっと目に見える範囲にいたほうが安心できるのよね。


「………イグニラ」
「なによ」


 イグニラを呼ぶと、あつしくんはわたしの肩から手を放して解放してくれた。
 あつしくんの陰から顔をだすと、イグニラが黄金色の瞳をこちらに向ける。


 そんなイグニラから少し離れていた場所にいた、びくびくしているフリームを手招きしてわたしの隣に立たせると


「………紹介するわ。この子はフリーム。宿屋の店主の娘さん」
「フ、フ、フリームです!」
「イグニラよ。そんなに身構えなくても、何もしないわ。ほら、これつけたら平気かしら?」


 フリームがあまりにもびくびくとしているから、イグニラは先ほど引っこ抜いたうさ耳を再び角に装着する。
 とはいえ、時すでに遅し。魔族だとばれているし、つけうさ耳程度でごまかされるわけない。


 だが、フリームも危険はないと判断してくれてようで、少しばかり肩の力を抜いた。


「………フリームはここの店主の娘さんだから、イグニラの上司に当たる。失礼のないように」
「えええ!?」
「わかったわ。よろしくね、フリーム。これからお世話になるわ」
「ええええええええええ!!?」




 フリームは突然の事態に頭がついて行っていないようだ。
 イグニラは魔王の娘という高貴な血の女の子だ。だからといってここは職場。
 血など何の関係もない話。人間だから、年下だから、魔族だから、百合だから。そんなものは関係ない。職場での上下関係はしっかりとイグニラに釘をさしておく。




「さ、それじゃあ新しい従業員が増えたことをフルーダさんに報告してから、チーちゃんの腕輪の改良に行きましょうか!」


 ポンと手を打ってそう提案するみっちゃん。
 わたしも全面的に賛成だ。いつまでも宿屋でグダグダやっている時間がもったいない。


「………その後に聖剣………!」
「はいはい、わかってるよ」
「この街の結界を施している魔剣はどんな剣かしら。勇者が抜こうとしていることは知ってるけど、私も見ておきたいわね」




 こうして、イグニラが私たちの仲間に加わることになる。
 ふふん、イグニラとは仲良くやっていけそうだ。




















 まさかこの結果が、あんなことになるなんて、この時は誰も想像すらできなかった。





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