怪力乱神の魔女が異世界を往く

たっさそ

第3話 “宥和の宿”の現状

                   3


 お腹も膨れたし服もきがえた。
 ということで、わたしは市民権を買うために町の役場まで歩いていた。


 町を歩けば『竜殺しだ!』『今度は小さい女の子を連れているぞ!』『アツシ様、かっこいい!』とあつしくんが噂されているのが聞こえていた


「………モテモテ?」
「かもな。でも今はチィの市民権を買う方が大事だ。ミーハーに構う時間がもったいない」


 鈍感ハーレム主人公のように都合のいい時だけ難聴になるでもなく、あつしくんは女性から好意を寄せられてもバッサリとシャットアウトしていた。


 若さにしては背が高く、勝気な眼に、左目の下には泣き黒子。甘いマスク。
 そして、お金持ち、且つAランク冒険者。
 15歳という若さだが、あつしくんは優良物件だ。女性が群がらない方がおかしい。


 わたしは、そんなあつしくんに手を引かれて町を歩いているものだから、さすがに少し目立っていた。
 怪力乱神を使用していないわたしなんて、平均的な13歳よりもひ弱なのだ。
 手を引かれなければ、人通りの多い所を通ればたちまち迷子になってしまうだろう。
 道もわかんないし。


 ようやく到着した町役場にて、番号らしきものが書かれた木札を渡されてしばらく待つ。
 あつしくんの持つ木札の番号を読み上げられて、受付に行くことが出来たのは、役場についてからだいたい15分くらい経ってからだった。


 人多いな。


「ようこそいらっしゃいました。本日はどんな御用件でしょうか?」
「………市民権をもらいに」


 受け付けが高い。
 背伸びをしないといけないとはどういうことだ。


「かしこまりました。窓口はあちらになります」


 うーむ、このたらいまわし感。見事にお役所仕事である。
 受付に示された場所まであつしくんに手を引かれて歩いていくと、すぐに到着した。


 ………そこには、なんかすごいのが居た。


 金髪にごてごてした髪型。そして特徴的なドリルロール。
 お嬢様なのかしら。


「はぁい、なにか御用ごよおですかあ? わたくし、プティロートが担当しまあす」


 あ、ウザそうなタイプだ。
 金髪をクルクルに巻いたドリルロール。
 整った顔立ちながら、香水の匂いのせいで自ら望んで近づこうとは思いにくい女性だ。


「………チェンジで」
「こら、チィ」


 人差し指と親指を立ててクリンと裏返す。
 こつんとわたしの頭を叩くあつしくん。


「いえいえー、気にしてませんよお。生意気そぉなクソガキのことなんてえ」


 指先で金髪をクルクルといじりながらこちらをにこやかに見下ろす受付嬢。
 わたしも人の事言えないけど、態度悪いわね。
 まぁいい。今回はわたしが悪かった。


「………ごめんなさい」
「はあい」
「………市民権が欲しい。頂戴」


 素直に頭を下げて謝罪と同時にこちらの要件を単刀直入に伝える


「市民権は厳正な審査をしてからになりますけどよろしいですかあ? 犯罪歴があったりなにかしらの問題があったらあ多額の罰金の上にい牢獄行きー、もしくは町からの追放になりますう」


「………問題ない。ハリアップ」


「市民権を購入するにあたってえ、手数料税金等を含めて金貨1枚がかかりまあす。あなたに払えますかあ?」


 払えるわけないでしょう、ふふん。と見下すような視線。
 うぬ、金貨、とな?
 そもそも“お金”というものを見たことないし、通貨がどうなっているかもわからない。
 市民になるためにもお金は必要。おそらく親が市民だった場合は書類を提出するなり半額で請け負ったりしているんだろうな。市民権を手に入れるだけでも大変そうだ。


「………あつしくん」
「ああ、あるぞ」
「………ありがと。いつか返す」
「いいよ、返さなくても。俺達は家族で運命共同体だ。俺が困ったらチィが助けてくれよ」


 巾着袋の中からポンと金貨を取り出してピンと上に弾く。
 受付嬢も驚いた様子でそれを見上げた。


「………当然」


 パシッとそれを受け取り、受付に叩きつける。動きはさながら役満ツモ。
 格好つけた意味はとくにない。


「それじゃ、プティロートさん」
「………手続き、よろしく」


 金髪ドリルはポカンと口を開けてから


「は、はあい」


 頷くしかないのであった。


                 ☆




 女性職員に体中をまさぐられて異常がないかの確認と、なんやかんやの質疑応答とあつしくんを交えた3者面談を適当にこなして、なんか羊皮紙っぽい契約書みたいなのに右腕の包帯を取っ払って血を一滴垂らしたところ、無事市民権を手に入れることが出来た。


 もしも別の街に行くときは、その羊皮紙を持って行けばがわたしの身分を証明してくれるらしい。
 戸籍みたいなものかしら?


「その市民証書であなたの身分は保証されまあす。市民になるにあたって、土地の領主さまに税金を納めなくてはならなくなりますが、あなたを守るためでもあるので滞納することのないようにしてくださあい」
「………了解」
「こちらがチカさまの身分証となりまあす。再発行には大銀貨3枚いただきまあす。おきをつけくださいー」


 ごてごてしい髪型と強いにおいの香水で喋り方も拒否反応のある職員だけど、仕事はできるようでテキパキと終わらせてくれた。


「それとアツシさあん」
「はい?」
「あなた優良物件なので唾付けさせといてくださあい」
「え、汚いので嫌です」


 そういう意味じゃないことはあつしくんだってわかっている。
 ただ、そういうことにあつしくんはもとより、わたしもみっちゃんも興味がない。


 しかし、あつしくんが見知らぬ誰かといちゃこらするのもなんか嫌だ。
 というわけで、あつしくんの腰にしがみついて


「………あつしくんはわたしの。誰にもあげない」
「そういうことなんで、それじゃ」


 女性職員に面倒臭そうに手を振ってからわたしの手を握り、あつしくんは役場から出て行った。


 女性職員たちの男に飢えたぎらついた視線を受けて身震いしながら。




「………どこいくの」


 市民権を手に入れたあと、この後の動きをわたしは知らない。
 何かするのだろうか。そう思いつつあつしくんに聞いてみた


「ん? チィを家に送った後は森で薬草採取でもしようかと考えてるぞ」
「………そう」


 わたしの足りない言葉を、あつしくんならちゃんと理解して返してくれる。
 そっか。それじゃあわたしはフリームと宿屋でお留守番か




「そう心配すんなって。お金がたまったらお風呂のある家に引っ越して畑でも耕しながらのんびりしようぜ。それまでの辛抱だ」


 ぐしっとわたしの頭を撫でる。せっかく整えた髪が乱れるからやめてほしい。


「よっと」
「ひわっ!」


 後ろからわきの下を持ち上げられて情けない悲鳴を上げながら持ち上げられる
 そのままポスッと肩の上に座らされる。


 身長差がありすぎる………


 わたしはあつしくんにとっては小さい子供でしかないのだ。
 2歳しか違わないのに。


 子ども扱いに頬を膨らませつつ、歩くのが疲れてきていたのであつしくんの頭に捕まっていつもより倍近く高い視点で町を見る。


 周囲の人が肩車なんかしているわたしたちを珍しそうに見ていたが、そんなのは今更だ。
 なんせ、1週間でAランク冒険者にのし上がったあつしくんが居るのだから。


「………あ、あれ食べたい」


 下町を歩いていると、パン屋を見つけた。
 識字率はどうなっているのか、文字は書いておらず、看板には絵が描いてあるだけであった。
 パンの絵だけだ。




「パン屋ぁ? やめとけ。硬いし下町のパン屋なんて何が混ざってるかわかったもんじゃねえって。俺達は一通りの自炊はできるし、自分で採ったものを自分で作ってを食う方が安全だ」




 たしかに下町は役場のある場所に比べると汚い場所だ。役場は貴族街への門と隣接しているもの。


 ロバが馬車を曳いていて、ロバが糞尿を垂れ流しながら道を闊歩しているし、道端にうんちが落ちているのなんてざらだ。
 悪臭もひどい。


 衛生面で言えば研究施設の方が億倍もマシなのかな。菌の数を調べたら億倍程度じゃ足りないかも。
 研究施設内の菌の総数と、この町のその辺で1㎡の菌数を比較したらどちらが多いんだろう。
 そんなレベルだ。


 わたしがこの世界に来て食べた料理はどんぶりだけ。つまり


「………今日のどんぶりも、全部あつしくんの手作り?」
「俺と美羽姉のな。米は数は少ないけどジャポニカ米に近いものがあったから使わせてもらっているよ。食料品は関税が高いせいで高価だけど、やっぱりパンよりは米の方がいいし―――」
「………そこを妥協したら、日本人じゃない」
「だよな!」


 ここが地球で言ったらどのくらいの文化なのかは全くわからない。
 下水道が完備されていない時点であまり衛生的ではないのだろう。


「間食用のおにぎりなら用意してあるから、これでも齧ってろ」
「………ありがとうあつしくん。大好き」


 どんぶり4杯なんて、もう消化してしまった。
 あの程度ではおやつにしかならない。道具袋の中から大きな大きなおにぎりを取り出して上に放るあつしくん。
 放り投げられた巨大おにぎりをパクリと口でキャッチして左手で押さえながらもしゃもしゃと芋虫のように顔をつっこんでいく。塩むすび。うまーい!
 これもあつしくんが握ってくれたからこそ食べられるおむすびなのだ。


 衛生面がやばいのだとしたら、素手で練らないといけないパンに対して、トイレの後に手を洗うかも怪しい世界のパンなどは食べられないな。
 うーむ、あぶないあぶない。わたしにスカトロの趣味はない。


 ごちそうさま。指についた米を一つずつ口に含んでゆく。ふぅ、まんぞく。




「………宿屋では」
「おう、俺か美羽姉が常に宿屋に居るから日本食は食べ放題。衛生面もバッチリだ」


 それなら安心だ。あつしくんの肩の上でホッと息を吐く。
 日本食が食べられるだけで安心した。


「………ほかの客に対しては」
「料理のグレードを上げる代わりに料金設定を2割ほど高くしてある。当然だ。朝夕の二回、誰の飯を食っていると思ってやがる」


 他の宿泊客は料金に対して言いたいこともあるかもしれないが、食べればそのうまさに料金も納得だろう。
 そもそも、お米が高いから料理の分を値上げするのは当然か。


「そんじゃあな。宿屋の手伝い、頑張ってくれ」
「………うん」


 宿屋の前でわたしをおろし、あつしくんは冒険者ギルドへと向かって行った
 あつしくんを見送ってからわたしは宿屋の戸を開いて中に入る




「………ただいま」
「あ、チカちゃん! どうだった? 市民権はもらえた?」
「………バッチリ」
「そっかあ、よかったぁ」


 宿屋に入ると、フリームが駆け寄ってきた。
 本当は床に伏せる母親の元についておきたいだろうに。
 律儀な子だ。でも、みっちゃんやあつしくんが宿屋と母親を見てくれるとわかったらあんな無茶をして森に行っちゃうのよね


 そういう無茶をさせないように


「………二人で留守番」
「うん! 頑張ろうね!」


 こんなにすぐにわたしを信用していいのだろうか。
 宿を任せるというのは、帳簿を預かっているといっても過言ではないだろう。
 銀行があるかどうかも分からない世界だ。


 子供だけが留守番をしている宿屋なんて、すぐに強盗とかが―――




―――ガラッ


「いらっしゃいま――ひぅ!?」
「………?」


 すぐ後ろに客が現れてしまったようだ。
 営業スマイルを浮かべてお客様に挨拶をしようとしたフリームだが、一瞬でその笑顔は凍りついた
 何事かと思って振り返ると


「おうおう、しけた宿屋だなぁ。嬢ちゃんたち、ここの女将さんを呼んではくれねえかい? 宿屋を建てた時に借りた借金を返してもらわんことにはおじさんたちも仕事になんねえんだわ」


 強盗ではないけれど、まっとうな世界ではなさそうな人が現れたわ。フラグ回収早いわね。
 その人たちはスーツっぽい黒服を身にまとい、サングラスは付けていないが、全員オールバックでキメていた。
 髪の色がオレンジや赤や青色だったりするから統一感は無いけれど、物々しい雰囲気は伝わる。


「お母さんは、今はいないわ! 帰って!」


「っていってもなあ。滞納してる金を返してもらわんことにはこっちの商売もあがったりなんだわ。早い所金を用意してくれねえかな」
「どうせこんな湿気た宿屋なんて誰も来やしねぇんだ。はやくたたんじまったほうが身のためだぜ」


 ぞろぞろと後ろから黒服が現れる。
 一人いたと思ったら黒いのが4人現れた。
 ゴキブリみたいな人たちね。
 これで全員黒髪のオールバックかスキンヘッドだったらもっと迫力が出たのに。




 この宿屋を開くに当たり、どこから金を借りたかは知らないし、それを返せないのは経営者の手腕による。
 これはわたしが出て行っていい問題ではない。
 宿屋と金貸しの問題だ。わたしが首を突っ込むのはお門違い。
 どちらかというと、きちんと仕事をしているのは黒服の方だと思う。


「帰ってよ! 今はウチにお金なんてないんだから!」


 計五人の黒服に囲まれてなお、怯えた表情を見せつつも黒服たちを睨み返した


「つっても、まずは先月分を払ってもらわにゃこっちも帰れないんだっつってんだろ。居るんだろ、連れてこいよ」


 黒服たちも大変なんだなぁと傍観者のわたしはしみじみと思う。


 ごめん、フリーム。力になりたいとは思うけど、お金の問題はシビアなの。
 簡単には解決できないわ。


 わたしは、研究所へ売られる前の孤児院では、お金を稼ぐのがどれだけ大変かということはよく知っている。
 信用できる筋からでないと借りてはいけないし、返す当てがないのに貸し借りは厳禁だ。


 宿屋を経営していくうちにお金がたまるだろうと思っていたのかもしれないけれど、町をぐるりと見た限り、この場所は立地が悪い。


 生活環境も悪い場所の宿屋なんかに泊まろうとする旅人はそうそう居ないだろう。


 助けを求めるようにわたし見るフリーム。
 そんな目で見てもそもそも、わたしはお金なんて持ってないわよ。今日この世界に来たばかりなのだから。


「お金はまとまったお金が入ったら必ず払うから! 今日は帰って!」
「でもなぁ、そう言ってもう1カ月だ。そろそろこっちも待てないんだわ。客も居ない宿屋にまとまった金が入るとも思えねえ。」
「お客さんならいるもん! ね、チカちゃん!」


 ちょっ!? こっちに振る!?
 反論したいからか。そして不安からか。フリームはわたしを巻き込んでしまった。


「………え、うん。一応、わたしはここに泊まっている者よ。家族連れ。」




 といっても、こんなに切羽詰まっている状況なのにわたしたちをタダで泊めていたのか。
 太っ腹というか、フリームのお母さんは人がいいのだろう。
 その優しさは美点だけど、それで自分の首を絞めていたら世話ないわね。


 せっかく客を取ったんなら、ぼったくってでもお金を稼いで借金の返済に充てないと。
 一応、わたしたち以外にもお客さんは居るんだから。


「………あなたたちの言いたいことも分かるけれど、これ以上は店の営業妨害になるし、客が居る以上、今日のところは引き下がって」


 客が居るとは思っていなかったのか、驚いた表情でわたしを見た黒服たち。


 フリームの友達だと思っていたのか、小さすぎて視えなかったかのどっちかだろうけど、後者であった場合はデストロイね


「あー………しゃーねえか。おい、帰るぞ。次こそは耳揃えて金を用意しとけよ。用意できなかったら身売りの準備でもしておくんだな」


 リーダーらしき赤い髪の男がそう宣言すると、ぐしゃっとフリームの頭を撫でてから出て行った。


「てめえも、あんまり金の問題に口を挟まない方が身のためだぜ。余計にこじれるからなぁ」
「………そうするつもり」


 最後に金貸しさんからの忠告を受け取って、出て行った後もしばらく出口を見つめた


「ふぅ………」


 フリームは危険が去ったと思ったのか安堵の息を吐いてぺたりと座り込んだ。


「………いつもあんななの?」
「うん………。ごめんね、へんなところ見せちゃって」
「………(フルフル)」


 変なところなんて何もなかったよ。
 金の問題はシビアだ。1カ月も待ってくれているところから、わりと優しい部類の金貸しだとは思うけれど(よくしらない)、借金が膨れてしまえば何をしてくるか、まったくわからない


「………くわしく聞かせて。なんで借金を返せないの」


 借金を返せないと生活ができないだろう。客が泊まれば金が入る。
 全く客が居ないというわけではないはずだし、返済する当てがないなんてありえない。


「………うん。ひと月前からお客さんがあんまり泊まってくれなくなっちゃったから、自分たちが生活する分を確保するのだけでも精一杯なの」


「………ふむ」


「なのにお母さんの体調が悪くなるし、そうするとこの宿屋が回ら無いから、お客さんなのにアツシさんとミウさんにまで手伝ってもらっている始末で」


「………なるほど」


 食うのに精一杯だから、借金をはらう事が出来なくなってしまっているわけだ。なんという自転車営業。もうちょっと考えられるでしょうに。
 タイミングも悪かったのだろう。
 女将さんが働いていられたら、ちゃんと宿の代金を稼げていたはずなのに。
 あつしくんたちが手伝っているとはいえ、宿代くらいはしっかりととっても良かったんじゃないかな。経営の仕方の問題かもしれない。


「………じゃあ、わたしは手伝いくらいしかしないけど、ちょっとだけアドバイスをあげる」
「え?」
「……‥“5S”といって、働くに当たってとても大事なことがあるの」
「5えす?」


 意味が解らず首を捻るフリーム。
 そんなフリームに見せつけるように指折りで5Sを唱える。


「………そう。整理、整頓、清掃、清潔、躾け。この5つのSさえしっかりとしていたら、お客さんが入ってくるかもしれないわ。」
「そんなことで?」


 半信半疑のフリーム。一応宿屋の食事を提供する以上、HACCPハセップを認証できるくらい清潔で管理の行きとどいた空間にしなければ、客足は遠のくばかりだ。
 そんなことで? と首をかしげるフリームだが、そんなことをできていない会社というのも意外と多いのだ。


「………むしろわたしにはなぜそんなことすらしていなかったのかと言いたいわ。」


 わたしがそう呟くと、むっとした様子でわたしを見た。
 働いてないくせに何を、と言った顔だ。
 なら、言ってあげるわ。


「………フリームは店番をするとき、頬杖をついていたわね。」
「だって暇なんだもん」


 言質を取った。
 言い訳すらない。自覚がある分、悪いと思っていないのが性質タチが悪い。


「………そう。それもいけない。例えば、そうね。フリームが八百屋さんに行ったとして。店主が頬杖をついて居眠りをしている。しかも接客態度が悪い。そんなお店は信用出来るかしら?」


 ハッとした顔でこちらをみる
 フリームがやっていたことは、それとあまり変わらないのよ


「………もっと言えば、そのお店の看板は薄汚れていて、店主も小汚い。汚い手で触っていた野菜を、フリームは食べたいって思う?」
「ううん。思わない」


 フルフルと首をふった。
 いい子だ。言葉にして伝えれば、ちゃんとわかってくれる。


「………つまり、そういう事。人に見られないなんて思わないで、常に誰かに見られている事を心がけて。実際にわたしは、フリームが頬杖をついているところを見たわ。気をつけて」


 実際に見られていたことをバツが悪そうにしながらも、頷いてわたしの意見をちゃんと聞いてくれた。


「わかったよ。でも、何からしたらいいのかも全然わかんないよ………」


 ちゃんと気づいてやる気になることが大事なのよ。
 あとは実行するのみ。


「………掃除用具を持ってきて、早朝と昼と夕方に掃除をすればいい。それだけで、印象がだいぶ違うから」


 どうせ暇なら出来る仕事をしないと。借金を返す気があるのならなおさら外観は綺麗にして宿屋の中に足を運んでもらえるようにしなければならないからね


「うん! わかったよ、ありがとうチカちゃん!」


 コクリと頷いてお礼を受け取り、これだけは言っておこうと思って言葉をつづけた。


「………あと、家のお金の問題に他人を巻き込まないように」
「うぅ、ごめんなさい」


 巻き込んだ自覚はあったのか、反省して頭を下げてくれた
 謝ったなら許そう。大人5人に囲まれて、怖くて気が動転していただけだろうしね
 早速フリームは掃除用具を持ってきて床を掃き始めた。


 その間、わたしはフロントをぐるりと歩いて見て回り、壁の汚れや景観を何とかならないか考える


 客層をどういった人達にするか。旅人か、冒険者か。それとも連れ込み宿か。
 それを考えていかないと始まらない。
 部屋とフロントがあれば宿屋ができるほど単純なものではない


 立地は森に近い町の西門前。旅人など他の町からくる客は東門から入るし、東門から出て行く。
 ならば、長期滞在の冒険者を狙ったほうがよさそうね


「ねえ、フリーム。ここのトイレはどうなっているのかしら」
「ふえ? トイレ? おトイレなら、1階廊下の突き当たりにあるよ」




 ということで、トイレを確認しに行く。
 トイレというのは、衛生上最も汚くなる場所であると同時に、最も人が立ち寄る場所でもある。
 チェックしておかないと、後々にとんでもないことになる可能性がある
 特にわたしにとってトイレとはもっともゆかりのある場所なのだから。


「………ここかしら」


 厠っぽい扉を開くと、異臭が鼻に突いた


「………鼻が曲がりそうだわ。よくこんなところで用を足せるわね。」


 ハンカチを口に当て、口呼吸を続けながらトイレを見て回る。


 女子トイレの方は、わりと和式に近い感じで床に穴が開いているトイレだった。
 覗いてみても、底は見えない。
 紙代わりの藁束を一つ落として音を聞いてみると、5秒ほどあとにボトンと着水する音が聞こえた。
 どうやら下水道に直接つながっているらしい。
 下水がきちんとあることに少し安心した。もしなかったら感染症とかパンデミックとかが恐いしね。




「………」


 喚起できる窓があるかと思ったら、窓は無く、匂いが厠にこもっているのだということが判る。
 トイレで喚起をしないのはバカなのかしら。設計した人は頭が悪いとしか言いようがないわね。


 トイレは廊下の突き当たり、レンガ造りの壁があったので、力任せにレンガを2,3個ほど抜いておいた。
 コレで喚起はできるはず。


 にあつしくんに頼んで鉄の棒を買って来てもらって、それを力任せに捻じ曲げて鉄格子みたいにして人が侵入できないようにしておこう。


 あとは下水の方から上がってくる匂い。
 これは蓋をするしか方法は無い。


 便座の蓋を開け閉めできるような設計を考えて鍛冶工房にでも依頼しておこうかな。
 宿屋を盛り上げるためには必要経費だ。


 男子トイレの方にも侵入してみると、男子トイレの方は個人用の小便器というモノは無く、共用で使う壁があった。
 田舎の公園にある公衆便所スタイルね。


 床の中央には穴が開いており、尿はそこに向かって流れていく仕組みなのだと思う。
 床や周りには飛び散って黄ばんだ痕もある。


 女子トイレよりもヒドイ惨状だ。


 それほど掃除もしている雰囲気は無い。


 女将さんが寝込んでいるから、なんて言い訳はしてはいけない。
 大便器の方はもっと大惨事だった。


 男の人は穴の中に出す方が得意のはずでしょう? なのに、なんで外しているのよ。
 便の方はともかく、尿の方が飛び散っていたり外していたりと、見ていられない惨状だった。


「………ぬぅ」


 額を人差し指で押さえて唸る。
 大便器を外して尿が飛び散っている。これは利用者も馬鹿だが、掃除しないこの宿のレベルもダメだ。


 フリームを助けるためにも、大改造をしなければならなそうだ。









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