受難の魔王 -転生しても忌子だった件-
第86話 ☆精霊演舞 “雫の舞”
さらさらと、優しい風が泉にたたずむ二人の少女を撫でた。
精霊契約を終えたオレンジ色の髪をなびかせたダークエルフの少女、ファンはすこし疲れたように息を切らせていた。
「せいこう、したの………?」
「そう、みたい。精霊さんが、あたしの中にいるのが、わかるもの………」
精霊契約を詳しく知らないルスカの質問に対し、同じく詳しくは知らないファンは不思議そうに自分の胸を見下ろした
ぺたぺたと自分の胸を触って、精霊の存在を確認する
「それに………」
精霊は契約し魂と同化するとその魂に自身の情報を刻み付ける性質を持つ。
ファンは精霊が同化するのと同時に魂に刻みつけられたその記憶を読み取った
「『精霊演舞・“雫の舞”』」
その記憶をなぞるように、ファンは泉の舞台で舞を踊る。
それは、己に宿る精霊の力を借りるための儀式。
その美しく舞う姿を、人々は精霊円舞として、世に残した。
精霊円舞の元となった舞こそが、精霊演舞である。
「きれい………」
ルスカはその舞にしばらく目を丸くして魅入っていた。
堂に入ったその舞は見るものを魅了し、周りの草木でさえその舞の観客になったかのような静寂の中、泉の舞台の中心で洗練された舞を踊るその姿がどんなに美しかったことか。
ゆるく体を回転させ、手のひらを上に向けると、その掌の上には、水が生み出されていた。
エルフは精霊と契約を結び、人間が使うような魔法よりも高度な精霊魔法を行使することができる。
本来のファンの魔力は光属性と闇属性。
さらにそこに水の精霊との契約が加わり、強力な水の精霊魔法を行使することができるようになったのだ。
ファンは生み出したその雫に魔力を込めると、光を放ちながら徐々に雫は大きくなり、やがて人の形を作り出した。
「けんげんせよ、水の精霊っ!」
その水は大人ほどの大きさで、意思を持つかのように動き出す。
パンと光が弾け、そこに現れたのは、先ほど契約を完了させた精霊の姿があった。
『………いやー! ようやったなぁ! 精霊契約もバッチリ成功や! これでウチはいつでもファンちゃんと一緒や。』
「わぶ!」
むぎゅーっとファンを抱きしめる精霊。
精霊契約の時の実体のない魔力の水ではなく、水でできた身体にもかかわらず、人肌の温度でたしかな弾力を備えたその果実に埋もれてしまい、自分にはない胸を持っている精霊に若干の嫉妬をしつつも顔を赤くしたファンは、抵抗するように手に魔力を通して精霊を押し戻した
もちろん、手に魔力を通したのはそうしなければ人から精霊に干渉できないからだ。
というか、反射的に押し戻そうとしたときに水に手を突っ込んでしまっていたのだ
『せや、せっかく契約までしたんやし、ウチに名前つけて?』
「………なまえ?」
『そうや。いまウチは名もなき精霊やさかいファンちゃんに名前を付けてもろたら現世にもウチの存在が定着する。まぁ難しい話はおいといて、単純な話、ウチはファンちゃんに名前を付けてもらいたいんや。これからずーっと一緒やし、真剣に考えてな?』
「………うん、わかったわ」
ファンは俯き、しばらくすると顔を上げて精霊を見上げる
「………あなたは、“リャオタン”。それが、あたしと契約してくれた水の精霊である、あなたの名前。」
『リャオタン。ええ名前や。ありがとうな、ファンちゃん』
もう一度むぎゅっとファンを抱きしめるリャオタン。水でできた頬をやや朱色に染めて、ニマニマとうれしそうに笑いをこらえきれないでいた
「うん。これからも、仲良くしてね、リャオ」
☆ファンSIDE★
まさか
まさか精霊契約が成功するとは思わなかった
あたしはダークエルフだから、精霊とは仲良くなれないと思っていたし
それに、こんなに醜いあたしと、友達になってくれる人がいるとも思えなかったから。
今日はいったい何の日なのだろう。
あたしは、こんなに幸せでいいのだろうか。
今この瞬間は、夢なのではないか。そんな気さえした。
「ファンちゃんっ♪」
「ルー………?」
でも、ルーがあたしの手を握って、その感触が夢ではないと実感させてくれる
「よかったね! ちゃんとせいれいさんとなかよくなれて!」
「うん、ルーのおかげよ。ルーの言った通りだったわ、本当にありがとう」
「にへへ、どういたしましてなの!」
嬉しそうにはにかむルー。
リャオタンには、もうあたしの中に戻ってもらった。
でも、精霊演舞でいつでも呼び出すことができるし、水属性魔法の真似事もできるようになった
こんなに幸せなことってあるのだろうか。あたしは、明日にでも死んでしまうのではないか
そんなふうにさえ思ってしまう。
「あとは、ファンちゃんがリオと仲良くなるだけなの! ファンちゃんとリオが友達になってくれたら、ルーもすごくすっごくうれしいの!」
ルーがうれしそうにそんなことを言うと、あたしはびくりと肩を揺らしてしまった
「まおうの子………」
「うん♪ リオはね、ずっとファンちゃんと友達になりたいっていってたの!」
そうだ。
精霊契約を成功させるために、精霊を連れてきてくれたのは彼のはずだ。
昨日だって、怯えるあたしの手を握って、あたしを安心させてくれた彼のことを思い出すと、人と話すことの恐怖と同時に、心の中に暖かい何かが産まれた気がした
「リオのこと、まだこわい?」
「………わからないわ。でもルーが彼を慕っているのも分かるつもり。彼、いい子だから。」
「………。」
「だから、やっぱりまおうの子とも友達になりたい。」
「にへへ、よかったの!」
にぱっと笑顔であたしの両手を握る。
そういや、彼はどこにいるのだろう?
彼が精霊を連れてきてくれたわけだし、ルーをこの聖域に導いてくれたのだから、近くにいるはずなのに
キョロキョロとあたりを見回してみても、見る影もない
「ルー、まおうの子は………?」
「あれ?」
ルーも魔王の子がこの場に居ないことを今知ったのか、あたりを見回して首を捻っていた
「あれれ? りーおー! どこなのー?」
しげみに向かって「おーい」と呼びかけるルーの裾を掴んで、ルーについていく
ざばざばと泉の水を蹴って泉の縁に近づいてゆく。
『きゃははー♪』
『くるくるー!』
『すてっぷすてっぷ♪』
すると、妖精たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
何かあるのだろうか、と思って二人でそちらに近づくと、泉の縁にあたしの包帯とルーの赤いバンダナが畳んで置いてあった。
あたしとルーの靴も揃えて置いてある。
『おとこのこかえったー!』
『りおるくん、かえっちゃったおー!』
『ゆっくりかえってこいっていってたお!』
妖精たちがあたしの包帯の周りでくるくると妖精の踊りを踊りながらおじいちゃんの家の方角を指差す
「………帰えっちゃったの?」
「そうみたいなの。ファンちゃんとお話ししながらかえってきてって。おまつりをたのしんできてもいいよって言ってるの。」
念話らしきもので魔王の子と連絡が取れるルーも、そう続けた。
また、気を使わせちゃったなぁ。
………。せめてお礼を言いたかったのに。
☆
来た道を戻る。
「へくしゅ!」
「へくち!」
思い切りずぶ濡れになっちゃったし、体が冷えちゃった。
ルーが水魔法で水を吸っちゃった服の水分を蒸発させてくれたんだけど、水を蒸発させたら急に寒くなった。なんでだろう。
キカネツってやつだっけ? おかげで少し寒い。
さすがに秋の終わりに水に浸かるものじゃなかったなぁ。
あまりにも寒くなったから服は生乾きだし、髪も濡れたままだ。
もはや徹底的に乾かしてから行った方がマシだったのではと思える。
とはいえ、あたしは魔法の属性が光属性と闇属性。炎の精霊とは契約に失敗しているし、ルーは魔法の属性は光属性と水属性と風属性。
暖を取る方法がないのだ。
「にへへ、ちょっとさむいね」
「………そうね」
寒いからか、ルーの手の体温を強く感じる。森を抜け、おじいちゃんの街に着いた。
街に着いたら、お祭りの雰囲気が強くあたしたちを刺激する。
屋台のおいしそうな香りが鼻孔をくすぐり、射的矢や定番と言えば定番だけど、金魚すくいなどもある。
そんな大通りを歩いているものだから、髪から水をしたたらせているあたしたちは、ほんの少しだけ視線にさらされていた。
さらに、ルーは頭にあたしが巻いてあげた赤いバンダナを。あたしは顔に包帯を巻いている。
これで目立たない方がおかしいだろう。
だけど、そんなものは気にならない。
今は、ルーが居るから。
昨日までのあたしなら、俯いて、包帯を見られないようにして歩いていただろう。
でも、今、あたしの隣にはルーが居る。
一緒に歩いてくれる友達がいる。
「………えへへ」
こんなに素晴らしいことは無い。
お祭りを満喫しててもいいと魔王の子は言っていたみたいだけど、少しだけ。
ほんの少しだけルーと一緒にお店を回って、屋台でバロットを食べただけでお屋敷に戻ることにした。
ルーは魔王の子と一緒に屋台を回っていた時に、お金を使い切ってしまったらしく、バロットを買うことができなかった。
だから、あたしがお爺ちゃんからもらったお金で買ったバロットをルーと半分こした。
たったこれだけなのに満たされる。
大穴の空いた心の中に、暖かい気持ちが溢れる。
友達。
ああ、素敵だなぁ。
幸せだ。
あたしがこんなに幸せでいいのだろうか。
………。いいはずだ。
もう、散々な目に遭ってきた。
家族もいない。
友達だってできなかった。
でも、今日からはもう違う。
精霊とも契約ができたし、友達もできた。
これから、幸せをつかみ取ればいいんだ
「あーっ! ほうたい女!」
「あーっ! あいつの妹!」
あたしが幸せをかみしめていると、耳に障る不愉快な声が聞こえてきた
振り返ると、そこに居たのはリョク流格闘武術道場の剣術部門の最年少8歳の門下生。
アルンとリノンの二人だった。
二人と目が合った瞬間
「っ………!」
あたしは目を伏せた。
「むー! なんのようなのー!」
ルーが声を張ってあたしを庇うように前に出る
あたしは、この二人がどうしても好きになれない。
最初にアルンとリノンに会った時はすぐにあたしの包帯をバカにしてきたし、はぎ取ろうとしてきた。
それが悔しくて手を出したことはある。本当に悔しくて、それ以外、あたしは感情を伝える方法を知らなかったのだ。
いっつも、年下のあたしを見下した目で見るし、あたしをいっつもバカにして来る。
そのたびにおじいちゃん仕込みの正拳突きで追い払った。
師範代からではなく、生きる伝説であるおじいちゃんに直接指導してもらい、魔力を使った戦闘を意識しているせいか、まだ魔力で身体能力を強化する術を知らないアルンとリノンを撃退するのは容易ではなかったが勝つことは可能だったのだ。
だけど、たとえ追い払えても、馬鹿にされるたびにあたしの心は抉れそうなほど深く傷つくのだ。
さっきだって、彼女たちはその性格のせいでBランクの冒険者にやられそうになっていた。
あのあと、アルンは魔王の子におしりを叩かれて………って何を思い出しているのよ!
たしか、魔王の子がアルンをオシオキしたあと、二人とも寄宿舎に帰ったはずじゃ………
「いやまぁ、用はないわよ! ただ、あの後アルンがずっとリオルってやつを隠れてチラチラと見てるから、なんかむかつくのよ!」
「リノン。さっきあの子がシゲ爺様の屋敷に入ったのを見たけど、こんな奴らほっといて行こうよ」
「なんでアルンはあいつにおしり丸出しにされておしりを叩かれて! 恥かかされたのにそんなにヘラヘラしてられるのよ! どうかしちゃったの!?」
「ど、どうもしてないわよ!」
顔を真っ赤にしてリノンをポカポカと叩くアルン。
なるほど。ピンときた。
才能に溢れたアルンのことだ。
8歳児にしては驚異の身体能力と剣術の腕。舞い上がって天狗になっていた。
それに、普段はその才能のおかげで褒められることしか知らなかった。
そんな彼女だから、自分の失敗を叱ってくれた魔王の子に惹かれちゃったのかしら。
「………。」
意味わかんない。
「ようないならどいてほしいの! ルーたち、もうシゲじいのおやしきにもどるんだから!」
ルーがイライラしたようにアルンとリノンに言う。
ルーもアルンとリノンのことが苦手のようだ。
それに、あたしもおじいちゃんのところに戻って報告したい。
ルーと友達になったこと。精霊と契約ができたことを。
「用ならできたわよ、たった今! やい、ほうたい女! シゲ爺さまのお屋敷のメイドさんに聞いたわ! ふふふっ、あんた、その包帯の下には醜~い火傷の痕があるらしいわね!」
リノンがあたしの顔を指差して高らかに叫んだ
「………っ!!?」
「………。」
その瞬間。あたしは息を詰まらせる。
得体のしれない恐怖に身体が震える
知られてしまった。よりによって、こんなやつらに!
「いきなり私達に殴り掛かってきた怨み、その包帯を引っぺがして火傷の痕を拝んで晴らしてやるわ!」
いきなり殴りかかったって………確かにあたしから手を出したけど、包帯を巻いていることをバカにしてきたのはアルンとリノンからだった。
先に手を出したのは悪かったとは思うけど………その言葉に、あたしが………どれだけ、傷ついたと………
俯いて拳を握りこんだ。
いいように言われて言い返せない。怖くて手が震えた。
―――パァン!!
音が、響いた。
顔を上げると、ルーが右手を振りぬいた状態で動きを止めていた
「ルー………?」
「………。」
ルーに叩かれたリノンは呆然と言った表情でゆっくりと叩かれた左頬に指をなぞる
「リノン! 大丈夫!? この女、あの子の妹だからって、容赦しないわ! 先に手を出してきたのはあんたなんだからね!」
ルーはその言葉には反応せず、キッとリノンを睨みつけ、その後は何の興味もなくなったかのような表情でアルンを一瞥。
「ファンちゃん、いこ。」
「あ………うん………」
そして、ルーはあたしの手を引いて歩き出す。
あたしの前を歩くルーの顔は、見えなかった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
口ではそういうものの、ルーに叩かれたリノンはその場に縫い付けられたかのように動きが止まっていたため、アルンは一人で追いかけてくることは無かった。
それに、さっきの今で問題を起こしたばかりだ。
「いつか絶対あんた達を倒してやるんだからー!」
容赦をしないと言ってはいたが、問題につながりそうなことは起こさないだろう。
ルスカにも、ファンにも一度負けているアルンは一人では敵わないと悔しそうにルスカとファンを見送った
大声で叫ぶアルンを無視してルーはあたしを引っ張ってくれた。
「ルー………」
「ん。」
ルーを呼ぶと、振り返らずに返事だけ返す。
かばってくれたんだ。
最初から最後まで、ずっと。あたしを守ってくれた。
「ありがとう」
その言葉は、するりと言うことができた。
「………にへへ」
恥ずかしそうに笑うルーの耳は赤く染まっていた。
☆
――― 一方その頃のアルンとリノン。
「リノン! リノン、大丈夫!? まだ痛いの!?」
アルンはリノンをカクカクとゆさぶり、正気に戻す
リノンはどこかボンヤリとした目線を遠くの方に向けると
「………。ルスカ………素敵」
「リノン!!?」
左手を頬に当て、愛おしそうに撫でていた
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