なんと平和な(非)日常 ~せっかく異世界転生したのに何もやることがない件~

からぶり

パフパフだ! パフパフをするんだ早くしろ!



 ――――さん! サンゴさん!


 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえてくる。

「……う、うぅん」

「サンゴさんっ! うわぁぁああああん! よ、よかったですぅ!」

 目を開けたそこにいたのは、天使のような悪魔の少女。

 金色の瞳から流れる大粒の雫が、褐色の肌を撫でるように流れ落ち、口から洩れる吐息は熱っぽく、そして表情からは安堵、喜び、不安、後悔など様々な感情が感じ取れる。

 ショートカットの銀髪と頬を伝う涙が、夕日をキラキラと反射させ、神秘的な雰囲気を演出していた。

「うっぐ、ひっぐ……うう、ご、ごめんなさいですサンゴさん……ボク、こんな体質なのにサンゴさんにあんなことをして……それに結局我慢することもできなくて……う、う、うぇええええん!」

「うわっと!? さ、サリエルちゃん落ち着いて! ほら、俺は大丈夫だからさ!」

 サリエルちゃんを泣かせてしまった! か、考えろサンゴ! 脳細胞を総動員して知恵を絞りだせ! どうすればサリエルちゃんの涙を止められる!?

 くそっ! こんな時、俺がイケメン無自覚ハーレム系転生者だったらサリエルちゃんを泣かせることもなかったというのに! ああ、こんなことならそれを転生特典でお願いすればよかった! い、いや、ないものねだりをしても仕方ない。今は俺に出来ることをするんだ。そう、俺がかっこいいと思う決め台詞で――

「さ、サリエルちゃん! 君に涙は似合わないぜ! 君に似合うのはスマイルさっ!」

 お、おお……気持ち悪くて自分に鳥肌立ったわ。これで余計に泣かせてしまったらどうしよう。

「さ、サンゴさん……」

 やめて! そんな『何言ってるんだこいつ』みたいな目で俺を見ないで!

「え、えへへ……その、ありがとうございます」

 一瞬きょとんという顔をしたサリエルちゃんだったが、余計に泣くことも気持ち悪がることもなく、こちらに笑顔を見せてくれた。目じりに涙をため、口元は僅かに開き、恥ずかしそうでぎこちない、そんな笑顔。

 ……えっと、それは俺を気遣って無理して笑ってるとかじゃないよね?

「やっぱり、サンゴさんは優しいです……普通だったら、こんなボクを怒ったり、怖がったり……き、嫌ったり、するはずです」

「い、いやいや! 体質は自分じゃどうしようもない事なんだから、サリエルちゃんは悪くないって! それで怒ったり、ましてや嫌いになったりなんかするはずないって!」

 そう言ってサリエルちゃんを励まそうとするが、しかし浮かべる笑顔からぎこちなさは消えない。彼女にとってそう簡単に割り切れることじゃないようだ。

「でも、ボクがサンゴさんに酷いことをしてしまったことに変わりはありません」

「いや、だからそれは……っ」

 ああサリエルちゃん! どうかそんな悲しそうな顔をしないでくれ!

 彼女を悲しませるなんて、俺はどれだけ罪深いのだろう。何か、何か俺に出来ることはないのか。
 考えろ! 知恵を絞ってひねり出せ!

 この状況をひっくり返す、そんな天才的で悪魔的なアイディアを!

「――サリエルちゃん!」

「は、はひっ!?」

 ど、どうすればいい!? すべての問題をまるっと解決する方法……それには根本となった原因をどうにかする必要があるからだからえっとつまり俺がやるべきことは――!

「――俺にパフパフをしてくれ!」

「え、ええっ!?」

 俺は何を言ってるんだ。

 必死に考えた末に出たアイディアがこれとは、自分のことながら悲しくなってくる。

「あ、あのあのサンゴさん!? どうしたんですか急に!?」

「どうしたもこうしたもない! パフパフだパフパフ! 君の『サンゴさんを元気にしよう大作戦』はまだ最後まで出来ていないぞ!」

「あの、別にそのような作戦名をつけてはないです! そ、それより、そんなことしたらまたサンゴさんが大変なことになっちゃいます!」

 サリエルちゃんは驚きと戸惑いでいっぱいいっぱいになったようで、その顔からは悲しみが吹き飛んでいた。それは計画通りだが、これで本当によかったのだろうか。何か間違えてる気もする。ええい! ここまで来たら最後まで突っ走るしかない!

「気にするな! プラスマイナスで言えばプラスだ!」

「何がですかぁ!?」

 ごめんそれはちょっと教えられない。サリエルちゃんが知るにはまだ早いからね。

「でも、ボクにはこの体質が」

「転生者はタフだから大丈夫だ! だからさあ! パフパフを!」

 小さな少女にパフパフを強要する男の図が出来てしまっているがもう後には引けない。頼む、法律と世間の目よ、今だけ見逃してくれ。

「サリエルちゃんの気持ちはよくわかる。さっき俺にしたことを後悔している気持ちも、また同じことを繰り返してしまうんじゃないかって不安になってる気持ちも、痛いほど伝わってくる」

 そう言いながら、俺はサリエルちゃんに身体を近づける。

 サリエルちゃんに身体を預けるように、ゆっくりと身体を傾け、俺の顔と彼女の胸は距離がもうほとんどないくらいだ。

 頭上から、サリエルちゃんの戸惑う声が聞こえてくる。しかし突き飛ばされたり逃げられたりはせず、それがまるで彼女のやさしさに付け込んでいるようで、少し心が痛んだ。

「でもそれは、俺を思ってのことであり、気遣ってのことだ。つまり……優しさだ。サリエルちゃんの不安な気持ち以上に、優しい思いが俺には伝わってる」

「サンゴ、さん……」

 少し掠れた声が耳に入る。サリエルちゃんの身体は震えており、でも俺の身体に痛みは走らない。それは彼女が今、必死に恥ずかしさを堪えてくれているのがわかる。

「無理をさせてしまってごめん。でも……ありがとう。俺はサリエルちゃんのおかげで、すごく元気になったよ」

 身体の震えが止まった。サリエルちゃんに受け入れてもらえたのだと思うと、それがたまらなくうれし――

「サンゴさん……!」【喜び・既定値超過】

「あがががががッ!?」

「ああっ!? サンゴさん!?」

 痛ぁ! そ、そりゃそうか、感情の波が既定値を超えた時だから、恥ずかしさ以外でも体質は発動するか。ま、まあ、ここはそれくらいサリエルちゃんに喜んでもらえたことを光栄に思おう……でも危なかった! 転生特典がなかったら死んでた!

「ご、ごめんなさいごめんなさい! サンゴさん大丈夫ですか!?」

「ぐっ……あ、ああ……言ったろ? 転生者はタフだって」

「サンゴさん……! よ、よかったですぅ」【安堵・既定値超過】

「――――っ! ――――ッッ!!」

 またしても襲い掛かって来る激痛。ほ、本当に転生特典があってよかった……今回ばかりは神様に感謝しなければ――


『……なるほど、つまりおさわり解禁、というわけですか』
『言葉のチョイスには気を付けろ! そうじゃなくて、サリエルちゃんの体質を効かないようにしてくださいって言ったんですよ!』
『はいはい。まあ、それくらいならいいでしょう。しかし、完全に無効にすることは出来ませんよ。せいぜい、ぎりぎり死なない程度で耐えられるくらいです。痛みをなくすことはしません。防犯的な意味で』
『俺を信頼してないことはわかった』


 ――ありがとう神様。ちゃんと効果を発揮してるようで安心した。

「ほ、本当に大丈夫なのですか?」

「もちろん。だからサリエルちゃん、体質のことなんて気にしないでいいんだよ」

 強がりではなく、本心でそう言った。こちとらもう五回も死んでる男だ。ただ痛いだけなら、いくらでも我慢できる。それはこの特典を持ってなかったとしても同じことを言えると、自信をもって断言できる。

「ふふ、サンゴさんはやっぱり優しくて、そしてすごい人です。サンゴさんを元気にするつもりが、ボクのほうまで元気になりました」

「いやいや、それほどでもないよ」

「もし、またお疲れになった時は、いつでもボクに言ってください! その時もこうやって、サンゴさんを元気付けてあげるのです!」

「じゃ、その時はお願いしようかな。今日みたいにケーキも食べよう」

「はい、サンゴさん!」

「ああ、サリエルちゃん!」

「サンゴさん!」

「サリエルちゃん!」

「……ふふっ」

「ははっ」

 お互いに名前を呼び合う。
 それだけのことがなんだか可笑しくて、自然と笑みがこぼれた。

「サリエルちゃん!」

「サンゴさん!」

「サリエルちゃん!」

「サンゴさん!」

「サンゴ……」

「サリエ――え?」

 ウェイ、ウェイトウェイト、ちょっと待って。

 ん、あれ? 今、俺とサリエルちゃん以外にも誰かいなかった?
 恐る恐る顔を上げ、声の聞こえた方向を確認する。

「サンゴ……あ、あんた……」

「げぇっ! 小林!」

「あっ、エリさん!」

 振り返った先に立っていたのは、沼に落ちて泥まみれになり、しょんぼり状態で家に帰ったはずの小林であった。

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