なんと平和な(非)日常 ~せっかく異世界転生したのに何もやることがない件~

からぶり

頼む……合法であってくれ……っ!

「さ、サンゴさん! ボクがパフパフをしてあげましゅ!!」

「ああ! ――――――――あい?」

 ……ん、んんんん?

 あれ、今なんか手をつなぐとか肩車よりも、もっとすごい言葉がサリエルちゃんの口から飛び出したような。い、いやいやまさか。きっと俺の耳がおかしくなっただけだそうに違いない。

「ごめんサリエルちゃん。どうやら聴覚が職務放棄してたみたいでさ。もう一度言ってもらっていいかな?」

「うぇええええ!? も、もう一度ですかぁ!?」

 サリエルちゃんは顔どころか耳や首までも真っ赤にして目を見開く。どうやらかなり恥ずかしいことを言ったらしい。

「ううううう……い、一回だけですよ? ボクすっごく恥ずかしかったんですからね!」

「ご、ごめん」

 い、いかん、なんか俺の中の嗜虐心がくすぐられてきた。俺のせいでサリエルちゃんが恥ずかしい思いをしているというのに、なんて最低なんだ俺は。

「よ、よし! 次は絶対に聞き逃さないから大丈夫! バッチコイ!」

「は、はいです! 行きますよ!」

 よし、集中だ! 一言一句聞き逃さないぞ!

 覚悟を決めた顔で、サリエルちゃんは大きな声で言い放った。

「ボクがパフパフしてあげますっ!!」

「ごめん聞き逃しちゃった!!」

「サンゴさんっ!?」

 くそぅ! 俺のバカ! 難聴系転生者! またしてもサリエルちゃんの言葉を聞き逃してしまうだなんて! 彼女がパフ――いやあんなこと言ってるわけないだろ!

「あの、あのあの! サンゴさん、本当は聞こえてますよね? わざと聞こえてないふりをしてるんですよね?」

「そ、それはだね……」

 ど、どうしよう。どうしたらいいんだ。

 サリエルちゃんにこれ以上恥ずかしい思いなどさせたくないのは本心ではあるが、しかしだからといって、さっきまで俺のポンコツイヤーが認識していたことをそのまま言ってもいいのだろうか。サリエルちゃんのような子供に対してパフパ――あんなことを言うのは、手に輪っかをかけられることを覚悟しなきゃいけない気がする。

 仕方ない、サリエルちゃんには悪いが、もう一度言ってもらうとしよう。

「ううう~……」

「んぐっ」

 そう思ってサリエルちゃんに目を向けると、彼女は懇願するような、祈るような目でこちらを見ていた。

 そ、そんな目で見ないでくれサリエルちゃん! とても『もう一度言ってくれ』なんて頼めるようなアレじゃない!

 腹を……くくるかぁ。

「えっとね、サリエルちゃん。もし間違いであったなら笑ってくれて構わないのだけれども、俺にはなぜかさっきから、サリエルちゃんが……その、パフパフをしてくれると聞こえてしまっているんだ」

 ……なんかすごく悲しい気持ちになってきた。俺は子供相手に何を言ってるんだろう。

「すまない、忘れてくれ。サリエルちゃんがそんなことを言っているわけがないっていうのは十分わかってる。願わくはこのことはほかの誰にも言わないでほしい。特に神様とか小林とか」

 ああ、やっぱり言わなければよかった。サリエルちゃんに変態だと思われてしまう。そして万が一にも嫌われていたら、俺は明日からどうやって生きていけばいいんだ。

 軽く絶望しながらサリエルちゃんの様子をうかがう。だがしかし、どうも彼女の様子がおかしい。おかしい、というのは俺を気持ち悪がってよそよそしい態度になったわけではない。
 サリエルちゃんは赤くなった頬を隠すように顔を背け、時折ちらちらとこちらを見てくる。それに加えて、自分の髪先を指でくしくしともてあそぶ、いじらしい仕草。

 それはまるで……そう、恥ずかしがっているかのような態度だった。

「さ、サンゴさん。あのですね。そう……なのですよ」

「そう、とは?」

「ええ、ですからその、間違いではないのです」

「間違いでは、ない」

「……はいです」

 ふむ。なるほど。
 間違いではないのです、か。

 なるほどなるほど……つまり。

「つまりそれは、まさか?」

「ええと、はい。そのまさかなのです。あ、あはははは……ふぅ」

 一息いれたサリエルちゃんは、赤い頬をそのままに俺をまっすぐと見つめてきた。

 そんなサリエルちゃんは堂々をした立ち姿ではあるが、さっきまでの恥ずかしさがなくなったわけではないのだというのは見てわかる。だがそれ以上にこう、なんていうか……言ってしまえばやけくそになったような、なんか『もうどうにでもなーれ』と聞こえてきそうな顔をしていた。

 そして、やけくそな顔で、やけくそにこう言い放った。


「じゃ、じゃじゃーん! サンゴさんを元気にするお手伝いとは! ボクがぱ、パフパフをすることでーす!」


 ついに俺の時代が来たかもしれない。

「ってサンゴさん? 何か言ってくれないとさすがに恥ずかしいのですが。顔を押さえながら空を見るなんて、一体どうしたのですか?」

「ごめんサリエルちゃん、少し待ってね。ちょっと熱いリビドーが溢れそうになって」

「は、はい……? よくわかりませんがわかりました」

 滾るような熱い情熱を鼻の奥に押しとどめ、見た目だけでも冷静さを取り戻す。

「と、ところでさ、どうして俺を元気にするお手伝いがパフパフなんだい?」

「え、えっとえっと、ボク、どんなことをすればサンゴさんをリフレッシュして元気になってもらえるのか、よくわからなかったのです。でも、そこである人から教えてもらえまして」

 なるほど、つまりパフパフは誰かの入れ知恵ということか。教えた内容が内容だけにろくでもない奴であろうことは確かだろうが、今だけはその誰かさんに感謝をしよう。

「男の人はパフパフしとけば簡単に元気になる――って神様が!」

「神様ぁ!!」

 やっぱり犯人はお前かぁ!
 サリエルちゃんのような子にそんなくだらないことを教えるのはあんたぐらいだと思ってたよ!
 ああくそっ! これどっちだ! この気持ちは一体どっちだ!? サリエルちゃんに変なことを教えたことに対する怒りか、それとも純粋な感謝か!

 どっちにしろこれだけは言っておこう……グッジョブ!

「まあまあまあしょうがない。これは俺をリフレッシュさせようという善意で教えられたこと。断るのも忍びないことだ。なんたって善意だから! そうと決まればサリエルちゃん! 早速俺を元気にしてくれ!」

「な、何故でしょう、サンゴさんからよくないオーラを感じるのです……!」

 何のことやら。俺は純粋に元気にしてもらおうとしているだけ。決してそれ以外に邪な考えなど持っていない。

「でもサリエルちゃん、もうそろそろ日も沈んでしまうし、やるなら早くしたほうがいいだろう?」

「そ、それもそうですね。わかりました。ボクも恥ずかしいですけど、頑張ります!」

 決心した表情でそう言うサリエルちゃん。なんかあれだ、言葉巧みに女の子を騙しているようにも見えるな。通報されないことを祈ろう。

「で、ではサンゴさん。ひ、一思いに、どど、どうぞです!」

 と言ってサリエルちゃんは俺の隣に座ると、こちらに両手を広げて差し出した。なんか本当に悪いことをしている気分だ。

 しかしここまで来たらもうそんな些細なことなど気にしていられない。サリエルちゃんがこんなに頑張ってくれているんだ。俺もその気持ちにこたえるべきだろう。据え膳食わぬは何とやら、ではないけれども、男たるもの、女の子に恥ずかしい思いをさせたままというわけにもいかない。


 そっと、倒れこむように、頭を傾ける。

 向かう先はサリエルちゃんの胸元。スローモーションのようにゆっくりと眼前に来た俺の頭を、サリエルちゃんは両腕でそっと包み込んだ。そのまま幼子を抱きかかえるように、優しく、しかししっかりと抱きしめる。俺の頭はサリエルちゃんの体に密着し、どことなく甘い香りが鼻孔をくすぐる。顔には慎ましくも柔らかい感触が伝わってきて、こうしているとサリエルちゃんを一つになったかのように錯覚する。


 顔から伝わる柔らかさ。鼻孔をくすぐる香り。なんだか頭がくらくらとするようだ。体の芯からは徐々に力が抜けていくような感覚がして、手と足の先はジンジンと痺れ、骨が軋むような気がすると思ったら全身がカッと熱くなり、体中の神経に痛みが――――


 ――――あ、ア……レ?


「う、ぐ……あがが!?」

 とてつもない激痛が体を駆け巡り、俺の目の前が黒く染まっていく。


「や……やっぱり恥ずかしいですぅぅううううううううっ!!!!」


 今にも飛びそうな意識の中で最後に見たのは、そんな恥ずかしがるサリエルちゃんの姿であった。

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