神様、別にアンタにゃ何も望むまい。でもどうか、煙草くらいは、吸わせてくれよ。

椋畏泪

身支度をする。

「クソ! バカにしやがって!!」
 もはや近隣住民への配慮も出来ずに怒りのまま立ち上がり、地団駄を踏んだ。無性に腹が立つのも、ニコチンへの依存なのか、現状への不満なのか、後悔なのかなど、分からなかった。

 地団駄の勢いのまま、俺は洗面所の方へ向かい、蛇口を全開にして頭を突っ込んだ。やや怒りは治り、頭皮の不快感も幾分かマシになった。どうせ濡れて困るようなものもないので、そのままワシワシと頭を洗った。濡れたままでも良いかと思っていたが、まだ春先ということで肌寒くなり、仕方なしに部屋に吊っていたタオルで水気を拭った。

 蛇口を閉める際、無意識にコップに水を汲んでいた。別段喉が乾いている訳でなかったが、飲まなくてはならないような気がして、煽るように飲んだ。

 体温よりも遥かに低い温度の液体が喉を流れる感覚が、これまでで一番激しい。同時に、舌の奥が猛烈に煙草を求めるのも、強く感じた。

 洗面所から歯ブラシを取って、歯を磨く。着替えもしようとベランダへ出て適当な衣服を見繕う。ベランダの肌寒さには、まだ少し冬の残滓を感じる。鼻だけで深呼吸すると、鼻先が冷えて痛いくらいだった。

 部屋に戻ってうがいをし、歯ブラシを戻して着替えを済ませると、やるべきことがあるような、妙に何かに急かされるような感情になった。

「だが、予定はない。暇つぶしも、無理。とりあえず、煙草が欲しい」

 床に無造作に置かれている財布に目をやるが、俺の記憶が正しければ札は一枚もなく、五百円玉も酒代に消えたはずなので、どんなに希望的に見積もっても二百円あるかないかであった。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品