神様、別にアンタにゃ何も望むまい。でもどうか、煙草くらいは、吸わせてくれよ。

椋畏泪

『今日』を始める。

 昨日風呂に入っていないからか、言いようのない不快感がつむじのあたりに走った。無造作に掻き毟ると、鋭い痛みがして何事かと手を確認すると、頭皮にあった出来物を潰してしまったらしく、どろっとした、黄色味がかった血が付いていた。

「あぁー! クソっ!!」

 全くもってツイていない。とにかく枕元に置いたティッシュと三枚ほど素早く取り出して、入念に両手を拭いた。普段、部屋が汚れたり服に何か溢してしまったりしても特別気にするようなことはないのに、両手の汚れだけは常々無性に気になる。

 両手をゴシゴシ爪の間の汚れまで拭き取っていると、お金が無い不安感や「これからどうしようか?」というような、昨日感じた慌てる気持ちを、頭がハッキリしてくるにつれて思い出した。

「慌てるな、慌てるな。冷静に、冷静に……」

 誰が近くにいるわけでも無いが、俺は努めて冷静そうな表情を作りながら呟く。しかし、そんな表情や言葉とは裏腹に、「どうしようもない」「博打でスルなんて、愚かな人間だ」などの考えが、頭の中に煩いくらいに増殖した。

 手を拭いたティッシュをゴミ箱に投げ入れようとしたが、それすらも明後日の方向に飛んでいき、余計に俺の神経を苛つかせた。

「はぁー……」

 吸った空気よりも多くの空気を吐き出すような深呼吸をすると、とにかく今日をなんとかしのぐための算段を考えようと、建設的な思考が少し蘇った。

 そのためにも煙草でも吸って一度気分をリセットしようとズボンのポケットに手をやる。

「ん……?」

 普段は左ポケットに入れているはずの煙草がなく、代わりにオイルの少なくなった百円ライターだけが見つかった。

 まさか煙草すら無いなんて……、と、絶望しような、余計焦り出すような感情をなんとか理性で押さえつけて、もしかすると上着のポケットの方に入れたのかもしれないと、一縷の望みをかける。

 布団の足元の方に脱いだままの形で放置されていた上着を、今いる位置から極力動かないようにする形で手繰り寄せ、まず可能性の低い右側のポケットから探った。
 
 すると、昨日購入した酒のレシートがぐしゃぐしゃになった状態で出てきた以外には、案の定何もなかった。

 頼む……。たのむぞ……。

 ついさっき神を否定しておいて虫のいい話だが、心の中で祈りながら左ポケットを探る。すると、触り覚えのある、紙にフィルムが巻きついた物の感覚を指先に感じることができた。

 これだ! と思って引き出す。祈りは通じたのか、愛煙の銘柄の煙草、魅惑のソフトパックのパッケージが俺の手をすり抜け床に転がった。

 慌てて拾い上げると、嫌な軽さを感じた。煙草のソフトパックの上部の銀紙を全て千切って中身を確認する。

「おいおい……。嘘だろ……。何やってんだ、昨日の俺……」

 間抜けに、筒のように開け広げた煙草のソフトパック内部には、申し訳程度の煙草葉の残骸があるだけで、一本も残っていなかった。煙草のパッケージさえ大口を開けて俺を嘲笑っているように感じた。

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