フォーの聖所
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降りつづく雨の中、「島守り」の頭(かしら)をつとめるイーダという名の紫髪の娘が落ち着いた足取りで聖所の門をくぐった時、フォーは「黒の間」と呼ばれる高層の広間で、「人形」をつくっていた。人形づくりは根気と精神力を要する作業だ。ひとつ人形を作るたびに、フォーは自分の全身が固い石の床に何度も打ちつけられた後のような、重く冷たい痛みと疲労を感じ、立っていることすらつらいと感じたが、そのつらさを、あえて周囲の者に訴えるつもりもなかった。言って痛みがやわらぐわけでもないし、誰かの同情が欲しいわけでもない。
ただ、やはり疲れる。とても重い疲労感。これは何度経験しても変わらない。
フォーのいる『黒の間』は、その名の通り、広間の全部を暗黒が覆っている。初めて入る者の目には、黒一色の虚無、とも見えるであろう。しかしフォーは、繰り返される日々の大部分の時間を、この黒の間で過ごしてきた。だからフォーには、見えている。フォーは知っている。ここは単なる、闇だけの広間ではない、ということを。
蝶だ。
幾万もの蝶が、舞っている。
蝶の色は黒。闇にまぎれてその形を見ることは難しい。
難しいが――
フォーは、五感で、その形を捉えることができた。
五感のうちのどの感覚が、実際に蝶の存在をフォーに知らせてくれるのか。
それはフォー自身にも、言うことができない。
ただ、わかった。フォーにはわかる。
そこに、彼らがいるのだと。
そこにはつねに、彼らが、舞っている。
フォーは暗闇の中に手を差しだし、
ひどく繊細な、かすかななめらかな動きでもって、
その、幾万の蝶のうちの、ひとつを、かすかに、指先でつかむ。
壊してはいけない。けっして壊したり、脅かしてはいけないものだ。
ただ、触れる。ただ、そっと、指の先で、その蝶に向かって語るのだ。
なんじ、移行する魂よ。
なんじは、形を、欲するか。
なんじは、生を欲するか。
生きたいと、願うのか。
ここで形を。生を。ふたたび輝かせたいと。
おまえは確かに、思うのか。
蝶よ――
フォーの指は、このように語る。
そして蝶は、答えるのだ。
生きたい、と。
その答えを、フォーの指は待っている。
指はそれを受け止める。
フォーが命をつかまえる。
そして――
闇の中に、光が生まれる。
それは白い光。
光は徐々に輝きを増し――
いつしかフォーの両腕は、光り輝く人形――
人間の美と端正さを小さく凝縮したそのデザイン、
人とは呼べない、人以下ではある、
しかしたしかに、美しい、その小さな人形を。
フォーは、闇の中から抱き取って、聖所の冷たい石の床に、
世界で最も高貴なる宝石を扱うのと同じ、最大限の敬いの手つきで、
しずかにフォーは、人形を置く。
そしてフォーは身をかがめ、その人形の唇に、かすかな口づけを与え、こう言うのだ。
さあ、おまえは再び、自由。
行って、生きなさい。
ここはお前の島。いかなる他者も、ここではおまえを傷つけまい。
移行する魂よ、移ろいゆく者よ、
生きよ。ここで。心ゆくまで。
ここはおまえの島なのだ。
その命、ふたたび尽きて、闇がおまえをふたたび捉える、
その、抗い難き破壊のときまで。島が、おまえを護るだろう。
さあ、立ちなさい。
わたしの愛しき、わが島の子よ――
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