ペンタゴンにストロベリー

桜間八尋

第13話

     17

「寝てていいですよ。着いたら起こしますから」
「ん、頼むわ」

 寝ぼけまなこをこすりながら、蘭子は大きな欠伸を一つすると隣に座る優雨の腕にもたれかかった。

 夏コミ当日―――休日の早朝にも関わらず、目的地に近づくにつれて電車の中は次第に乗客で満ちてきている。電車に揺られている間、現地で落ち合うことになっていた流歌と連絡を取ると、彼の方も無事に待ち合わせ場所へと時間通りに向かえそうとのことだった。

 大なり小なりイベントに行くときは蘭子と二人で参加するのが常だったが、今回は流歌も売り子として準備から手伝ってくれることになっていた。挨拶回りや買い物は自分の仕事だが、その間はサークルスペースを蘭子一人に任せきりになる。そこを流歌が手伝ってくれるなら、彼女の負担も大いに減らすことができるだろう。

 メールでやり取りしているだけでも、流歌が今日という日を楽しみにしていることをありありと感じることができた。しかもコスプレ衣装まで用意してくれているという。蘭子が扱う二次創作の対象の作品に、流歌も造詣があったために実現した念願のコスプレ売り子だった。

 それもたった一週間の準備期間で仕上げてくるとは、かなりの熱意に違いない。流歌がメイクやウィッグセットのイメージを共有したいというので、彼の自撮りを蘭子と二人で何度か確認したのだが、その度に二人して彼の「仕上がり」に舌を巻いたものだった(そのせいで蘭子は今でも流歌の性別を疑っている)。

 電車が目的の駅に到着すると、はぐれてしまわないように蘭子の手を引いて降車した。何度も欠伸を噛み殺しながらぼんやりとしている彼女を連れていると、これではどちらが年長者かわからなくなってくる。

 付近のビル内に設けられていた休憩スペースに向かうと、そこにはキャリーバッグを携えた青年が行儀よく腰掛けていた。彼がこちらの姿を認めた途端、見るからにそわそわしていたのが一変して、すっくと立ち上がってはぶんぶんと手を振るものだから、相手が誰だかこちらもすぐに分かった。

「あんたがオジョさんか」

 待ち合わせ場所にいた流歌へ、蘭子がぶっきらぼうに声を掛けた。とても初対面の挨拶とは思えないが、これが彼女にとっては平常運転なのだ。駅から溢れるように流れてくる乗客とは明らかに異質に映るロックなコーディネートに身を包んだ蘭子にやや面食らいながらも、流歌は持ち前の親しみやすさで応えた。

「はいっ、今日はよろしくお願いします」

 今日はイベント参加者と共用の男子更衣室を利用するため、流歌はシンプルなメンズファッションで来ていた。しかも、わざわざ黒髪のベリーショートのウィッグまで着けている。それでもボーイッシュな女の子にしか見えないのだが。

「それじゃ、行きましょうか」

      *

「そういえば、どうして『ララさん』なんですか」
「操原蘭子、あー、本名な。操原(くりはら)の『ら』と蘭子(らんこ)の『ら』」

 会場入りしてからも、準備を進める二人の間で会話は絶えなかった。蘭子側が早々に飽きるのではと懸念していたのだが、どうやらそれも杞憂だったようだ。

 優雨が事前に搬入されていた同人誌の出来栄えを確かめる。いつもながら、自分の描いたものが誰かの手に渡るというのは不思議な気分だった。

「そろそろだな」

 スマホで時間を確かめた蘭子が呟いた。それに頷いた流歌が更衣室に向かう準備を始める。

「本当に一人で大丈夫ですか」

 どうしても不安感が拭えない優雨は、心配になって流歌に尋ねた。開場直後はここもとんでもない人混みでごった返すことになる。せめて更衣室までは自分が同伴した方が安全なのではないだろうか―――受付のスタッフに女性と間違われるかもしれないし。

「大丈夫だってば」

 流歌が苦笑しながら答えた。

「ポ〇モンのタオルもあるしね」

 彼が冗談めかして言っているのは、首から下をすっぽりと覆えてしまえるタイプの可愛らしいフード付きタオルだ。妹が愛用していたものを、優雨が恥を忍んで拝借してきたものである。

「これ使うの、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「必要です」

 流歌の肌が衆目に晒されるなどもってのほかだ。あまりにも刺激が強すぎる。彼の着替えを目撃してしまった、他ならぬ自分が言うのだから間違いない。更衣室には多くの利用者が集まることになるので、満足に荷物を広げられないようなスペースで着替えからメイクまで一人でこなさなければならないのだ。文字通り衆人環視の中で誰の目も気にすることなくそれらを完遂するには、件のタオルは必須級のアイテムといえた。

「そういえば、今日売り子やるって言ったら大佐と千歳ちゃんも遊びに来たいって」
「大佐にも教えたんですか」
「最近よく連絡くれるんだよね。ファンネルがどうとかって言ってた」

 下心が丸見えである。どうやら流歌が男であることにはまだ気がついていないらしい。千歳については未知数だが。

「おっ」

 そうこうしているうちに、開場のアナウンスがフロアに響いた。サークル参加者たちが拍手でそれに応える。

「よし、行ってこい」

 二人は蘭子に向かって頷くと、優雨は目当てのサークルへ、流歌は更衣室にそれぞれ向かった。

      *

 流歌はクロークルームに着替えなどが詰まった荷物を預けてから、蘭子の待つサークルスペースへと向かおうとした。そこで会場の混雑ぶりを目の当たりにした彼は、人の群れに分け入っていくことに尻込みしてしまい、なかなか動けずにいた。

 確かに、これは優雨の助けが要るかも。

 そう思わずにはいられなかったが、彼には彼の役目がある。それは自分も同様だ。こうして立ち止まっている間にも、買い物客がサークルスペースへとなだれ込んでいるのだ。いつまでもぼさっとしているわけにもいかなかった。それに、

「ねえ、あの水着の子凄いよ」

 周囲の視線も段々と痛くなってきた。こちらを一瞥してはキャラクターの名前や特徴を指して同伴者の目をこちらに向けようとする者もいれば、無遠慮にじろじろと眺めている者までいる。

 今日は蘭子が頒布している二次創作の同人誌で扱っているソーシャルゲームに登場するキャラクターのコスプレをしていた。つい先日実装されたばかりの水着衣装だ。当然、水着は公式グッズとしての発売もまだだったために流歌が急造でこしらえたものである。

 一から作る時間がなかったのでよく似た形の水着に手を加えたのだが、我ながらよくできているとは思う。水着の上に羽織っているパーカーも同様だ。ゲーム画面とじっくり見比べでもしない限りは細部のディテールの違いに気づかれることもそうそうないだろう。

 ちょっと大胆過ぎたかな。

 自分の容姿が女性的であることは自覚している。自撮りを見せた優雨と蘭子も口を揃えて「女の子にしか見えない」と言うので、少しは自信を持ってもいいはずなのだが。

 パーカーで身体の輪郭を隠しているとはいえ、一時期は膨らんでいたバストも今はほとんど残ってないし、幼少の頃からコルセットで培ってきたくびれも完全に女体を再現できているわけでもない。

 下は見えないと思うけど。

 フリルスカートの裾を引っ張りながら、流歌は不安げに周囲を窺った。男性用の更衣室を出てきたところを見られでもしない限りはバレないはずだ。メイクを済ませて更衣室を出ようとしたとき、自分の姿を見たスタッフや他の利用者のどよめきが耳に入ったのを覚えている。こんなに大勢の人に注目されるのは初めてのことだったし、余りの恥ずかしさにその場を抜け出すのについ足早となってしまったほどだ。

 昔から女の子に間違われることは多かったが、それを嫌がりもせずに受け入れたのは、両親まで自分のことを娘のように扱ったからだった。その証拠に、宣材写真として女物の和服を着た幼少期の流歌が今でも実家の呉服屋のホームページに掲載されていたりする。

 ファッションモデルとしての活動を視野に入れてからは、より女性らしさに磨きをかけることになった。それからというもの、自分が「女性に見える男性」だということを、アイデンティティとしてより強く意識させられた。しかし、人前で女性の格好をするのが初めてではないにしろ、これだけの人に囲まれながらコスプレ姿で歩くことになろうとは。

 もうどうにでもなれ。

 意を決した流歌が別棟に向かう人々の流れに飛び込んだ。想像を遥かに超えた密度と熱気に背を押されるようにして、彼は混雑した会場の中を一人で歩いた。

      *

 オジョさんのことが心配だ。

 優雨は目的の品を手に入れるべく方々を回りながらも、頭の片隅では常に流歌のことを気にかけていた。彼自身が初めてのコミケ参加だと言っていたこともあって、単純に体調面なども気になるのだが―――実際にはもう少し複雑な心境を抱えていたりもする。

 待機列で手持ち無沙汰になると、決まってあのときのことを思い返してしまう。相手が男だと知らなかったとはいえ、流歌にあたかも性交渉を迫るような真似をしてしまったこと。彼が男だと知ってとっくに恋心は打ち砕かれたものと自分では思っていたが、こうして思い出す度に未だに踏ん切りがついていないのではと自問した。

 なんとなく、いつもの買い物に比べて時間の流れが遅いような気がする。これも流歌のことで頭を悩ませているからに違いなかった。開場からそろそろ一時間といったところだが、彼は無事に蘭子の元へ辿り着いただろうか。

 支払いを済ませて同人誌を受け取ると、足早に次のサークルへと向かう。買い物リストとスペースの配置は全て頭の中にあった。完売する可能性があるものは午前中にある程度抑えておくつもりだ。

 そうして優雨が悶々としながら歩いていると、道中で意外な知り合いと鉢合わせになった。

「む、イナリくんではないか」

 目の前にいたのは二十代半ばと思しき男性だ。一度聞いたら不思議と耳に残る特徴的な声の響き。そして常軌を逸したファッションセンス。

「・・・・・・もしかして大佐ですか」

 マスクはしていなかったが、どうやら本人で間違いないようだった。優雨の言葉に大仰に頷く様子は、オフ会で会ったあの狂人に相違ない。優雨は改めて会釈した。

「どうも。ご無沙汰してます」

 真っ赤なノースリーブのジャケットと妙にデカいサングラス。今日も元気に狂っておられる。このような場所でなければ声を掛けられても他人の振りをしていたところだ。

「先週会ったばかりだろう。というか君はコミケにもスーツで来るのか」
「まあ・・・・・・仕事の延長、みたいなものですから」

 流石に上着は着てこなかったが、今日も今日とてお祭りごとにそぐわない真っ白なワイシャツ姿である。単に若者らしい格好が絶望的に似合わないので仕方なしに選んでいるところもあるが、この格好は自分自身の存在感を示す一種のトレードマークにもなっていた。

「君らしいのだろうな、それも」

 それを見て、呆れたように大佐が言った。

「ファンネル飛ばしてるんでしょう。こんなところで立ち話してて大丈夫なんですか」

 「ファンネル」というのはガ〇ダムの世界に登場する兵器(遠隔操作で動き回る砲台のようなもので、大抵群れになって襲ってくる)のことで、要するに大佐は知人と手分けして効率的に買い物をしているというわけだ。

「知るか。形だけの恒例行事みたいなもんだよ」

 しかし、彼はあっさりと自分の役割を軽く見ている節の発言をした。だが、そう言われてしまうと、自分のやっていることもそれと大差ない気がしてくる。こうしてイベント会場までわざわざ赴かなくても、人気の作品は後日通販で手に入れることだってできるのだから。

「うちのスペース来ますか。オジョさんがもう帰ってきてるかも」

 大佐に流歌のコスプレ姿を拝ませるのは少し癪だが、休憩するにはいいタイミングかもしれない。買い物は午後からまたゆっくり回るとしよう。

「よし、すぐに行こう」

 途端に上機嫌となった大佐が優雨を急かすように言った。先立って歩こうとするので、既にスペースの位置は把握されているようだ。そんな彼の後ろをついて歩きながら、流歌に会えることを内心で楽しみにしている自分に気がついた優雨は、再び胸につかえのようなものがあるのを感じていた。

      *

 困ったな。

 蘭子のサークルスペースのある棟に向かっていたところ、写真撮影をねだるイベント参加者に捕まってしまった。

 流歌が女性の格好で外出するときは、その傍らには大抵誠がいたので街中で堂々とナンパされた経験はほとんどなかった。そもそも、カメラを手にした目の前の人物がナンパ目的とは限らない。単にコスプレしてるキャラクターのファンなのかも―――そう思って通路脇に出たのが間違いだった。この男、自分が押しに弱いタイプと踏んだのか、やたらとコスプレエリアに連れ出そうとする。

 流歌は急用があると言ってその誘いを断ろうとしたのだが、それでもなお相手はしつこく食い下がってきた。このままでは埒が明かないとほとほと困り果てていたそのとき、

「お待たせ、待った?」

 一人の女性が二人の間に割って入った。カメラを持った男性には目もくれず、瞳を爛々と輝かせながら彼女は流歌の手を取る。

「千歳ちゃん?」
「そうです。貴方の千歳です」

 オフ会の帰りに出会ったゴシックロリィタファッションの女性だ。あのときは酔っていたので記憶が定かでなかったものの、自宅まで送り届けた際に彼女のご両親に誠と二人で散々頭を下げたことだけは覚えている。

 先日の格好とは趣向が打って変わって、本日の千歳は民族衣装風の刺繍が入ったワンピースの上から大判のストールをすっぽりと被って肌を隠していた。墨を垂らしたような艶々とした黒髪は健在だが、がらりと変わったメイクのせいで顔つきはまるで別人のようだ。

 まるで人形のような無機質さと魔性めいた妖艶さが同居していた以前の相貌とは正反対に、ナチュラルメイクの彼女からははち切れんばかりの明るい笑顔が似合う溌溂とした印象を受ける。

「おい、ちょっと」

 困惑するカメラ小僧を尻目に流歌に腕を絡めた千歳が、彼を伴ってその場を後にしようとする。露骨に無視を決め込まれたのが腹立たしかったのか、男は語気を僅かに強めて二人の背中に声を掛けた。それに千歳が振り返ると、

「この人とは私が先に約束していたんです。どうしてもそのカメラで彼女のいやらしい写真を撮りたいと言うなら、三回回ってノージェンダーと唱えなさいっ」

 凄まじい剣幕で一気にまくし立てた。男がぎょっとしたのを見て取ると、彼女は流歌の手を取ってさっさと人混みに紛れてしまう。

「ありがとう。助かったよ」
「いえ。お気になさらず」

 流歌の言葉に千歳が笑顔で答えた。彼を助けることができたせいか、実に清々しい表情である。

「こっちで合ってますよね。コミケって来たの初めてで」

 千歳のアプリコットカラーの唇が目に入ると、駅での一件を思い出して急に恥ずかしくなった。優雨と一線を越えられなかったのが思いの外自分の中でフラストレーションとなっていたのか、酒の勢いでとんでもないことをしてしまったものである。今でもその罪悪感は胸の中にわだかまりとして残っていた。

「この間はごめんね」

 案の定、駅でのやり取りはSNSであっという間に世間へ拡散されてしまった。その点も千歳に対して申し訳なく思っている要因だ。しかも、彼女に迷惑を掛けてしまったこととは別に、あの騒ぎは流歌にも深刻な問題をもたらしていた。それも解決することなく、現在進行形でだ。千歳がこうしてけろりとしているのも、自分に気を遣って明るく振舞っているのではないかと思う。

「もう、気にしないでって言ってるのに」

 あれからも二人は親密に連絡を取り合っており、すっかり友人のような間柄になっていた。

「どうしても直接言いたくて」
「まあ、流歌さんて生真面目っていうか、律儀なとこありますよね」

 いいところですけど、付け加えると千歳がはにかんだ。こうして人を安心させる雰囲気のあるところは、流歌のイメージする大人らしさに通じているところがある。

「ボクのこと、まだ女の子だと思ってないよね?」

 聞き間違いでなければ、今さっき自分のことを千歳は「彼女」と呼ばなかったか。性別については誤解のないよう明かしていたはずだが、念のため聞いておくことにした。

「承知しています」

 千歳はあっさりと認めた。腕を組んで歩いている二人の姿は傍から見れば仲の良い同性の友人同士に見えることだろう。当人たちはそうでないことを理解しているはずだが、

「嫌じゃないの?」

 千歳の反応に流歌は違和感を覚えていた。思わず疑問が口をついて出る。

 千歳が同性愛者であることは流歌も把握していた。そんな彼女が異性と密着して平然としていられるのもおかしな気がするし、互いに気の置けない友人と呼んで慕うにしてもまだ日が浅いだろう。

「私、運命を感じたんです」

 何を言ってるんだこの子は―――流歌が頭の上に疑問符を浮かべていると、千歳が構わず続けた。

「自分は同性しか愛することができないのだと思っていました。でも違ったんです」

 千歳が真っ直ぐな目を流歌に向けた。その真摯な眼差しに込められた迫力に思わずどきりとさせられる。

「たとえ貴方が殿方だったとしても、私の気持ちは変わりません。それが答えです」

 そう言ったきり、千歳は前を向いて流歌の腕をぐいと引っ張るだけで他に何も言わなくなった。

      *

「うわっ、だっさ。なんだそいつ」

 蘭子が大佐の姿を目にして、開口一番に発した言葉がこれだった。あまりの遠慮のなさに優雨が絶句していると、大佐も同じように目を丸くして黙り込んでしまった。

「すみません大佐、この人は、その、」

 この悲劇はサークルスペースに戻ってきた優雨が、連れてきた大佐を蘭子に紹介しようとした矢先に起こった出来事である。

「・・・・・・可憐だ」

 対面した直後に罵倒に近い言葉を投げかけられたにも関わらず、大佐がうわごとのようにそう呟いた。

「は?」
「いや、なんでもない」

 彼は気を取り直すと、蘭子のもとに背筋を正してつかつかと歩み寄っていく。彼女の前に立つと、サングラスを外して緊張した面持ちを露わにしながら、人差し指をさっと持ち上げた。

「一部ください」

 買うのかよ。

 内容も改めずに即決だった。蘭子の気を惹こうとしているのが見え見えである。大した行動力の持ち主には違いないのだが、当人の格好を見るに努力の方向性は完璧に間違っている。

「なんかやだ」

 蘭子が露骨に顔をしかめて言った。なんという理不尽―――生まれて初めて優雨は同人誌の販売を拒否された人間を目の当たりにした。

「そこをなんとか」

 しかし大佐はなおも食い下がる。買い物にそこまで躍起になるとは、彼にとって蘭子はよほど好みのタイプであったらしい。

「うぇー」

 渋面を作った蘭子がほとんどのけぞるようにして背もたれに体重を預けながら、大佐が出したお代を嫌々ながら受け取ろうとする。失礼にもほどがある態度だが、肝心の大佐はどこか嬉しそうだ。

 流歌ほどではないにしろ、金髪が似合う程度には整った目鼻立ちをしている上に、彼女自身の出不精に起因する病的に白い肌もそれを後押ししている。すこぶる目つきが悪いことを除けば、蘭子はすっぴんで出歩いても恥ずかしくないと本人が公言するのも頷けるくらいには美人である。その証左として、今も化粧っけのまったくない彼女に大佐はご執心の様子だ。

 家族同然の付き合いをしている蘭子が他所の男に色目を使われるのはなんとなく面白くない。それに悪い虫がつこうとしているのならば、なおさら放ってはおけないだろう。だがしかし、質は最悪の部類でも客は客だ。優雨は少しむっとしながらも、蘭子の代わりにお礼を言っておいた。

「お買い上げありがとうございます」
「え、ああ、うん」

 優雨の言葉に気を取られた大佐が、彼の方へと脇目を振った瞬間に蘭子がその手からお札をひったくる。思わず拍手を送りたくなるような早業だった。

「まいど」

 パイプ椅子の上にかいた胡坐に乗せたケースに売り上げ金を彼女が収める様子を、大佐は空っぽの手を握ったり開いたりしながら無言で見つめた。

「で、こいつ誰だよ」

 何事もなかったかのように蘭子が優雨に向かって聞いた。話題の中心であるはずの大佐の存在は無視されたままだ。

「大佐ですよ。タイタンズの」
「あー」
「そ、その、ふ、二人はどういったご関係で?」

 何かに勘付いた様子で頬の筋肉を引き攣らせながら、大佐が二人の顔を交互に見た。優雨が口を開こうとするのをテーブルから身を乗り出した蘭子が制すると、彼女が意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「決まってんだろ」

 蘭子が左手の人差し指と親指をくっつけて輪っかを作ると、大佐の目の前で右手の人差し指をそこに通してみせた。

「こう、」
「ララさんっ」

 あまりに下品な表現方法に思わず取り乱した優雨が半ば叫ぶように声を張り上げた。一方で大佐は今にも卒倒しそうな様子で口の端を歪めながら白目を剥いている。二人の反応を見た蘭子が無邪気に笑った。

「笑いごとじゃないですよ」
「イナリくんっ、君はオジョくんだけでは飽き足らず、」
「なに、あいつともしたの?」
「してませんよ!」

 どちらも事実無根だ。

 優雨は嫉妬の感情に支配された大佐を宥めながら、助け舟を出すように蘭子に向かって目で訴える―――それもすぐに無駄な試みだと分かったが。どちらか一人でも自分の手に余る相手だというのに、このまま板挟みの状態が続けばストレスで頭がどうにかなってしまいそうだった。

 早く流歌に会いたい。彼のコスプレ姿を一目でも拝むことができればこの苦難も報われるはず。今はただ、そう自分に言い聞かせることにした。

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