女将軍 井伊直虎

克全

第99話中国地方の攻防11

1570年『近江・観音寺城』今川義直・直虎

「それで公方様、伯耆の事でございますが、毛利元就を裏切って尼子勝久についた生山城の山名藤幸が、宮景盛によって討たれようでございます」

「米子城の山名之玄も尼子に下ったのですか」

「はい、ですがまだ毛利に攻められておらず命脈は保っているようです」

「備後から近い日野郡の生山城では、周辺に毛利に味方する国衆が多かったのでしょう。今回の合戦では、日野衆の多くが尼子についたと以前言われてましたね」

「そうです、これで日野山名家・日野家・進家・原家・蜂塚家などの名門が滅ぶでしょう」

「いっそ幕府に迎えて、尼子からも毛利からも引き離してはいかがでしょうか」

「公方様の御考え通り、毛利を滅ぼし尼子を抑えるには、与える領地が少なくて済む日野衆を活用するのがいいでしょう」

「では直ぐに使者を送ります、山名之玄の米子城も、尼子勝久が出雲から逃げ出したら、あっという間に毛利に攻め滅ぼされてしまうでしょう」

「では米子城にも幕府の使者を使わされるのですね」

「尼子が出雲で頑張っている間に、伯耆の国衆を調略したいのです」

「ではいっそ山名久氏の泊城が因幡との国境にありますから、直竜に援軍を送らせてはいかがです」

「泊城の山名久氏は、尼子と毛利の何方についたのですか」

「毛利家に留まっているようです」

「それで援軍を送るのは、問題があるのではありませんか」

「但馬山名も因幡山名も美作山名の幕府の軍門に降りました、伯耆の山名もある程度の役職と所領を与えれば味方になるでしょう」

「分かりました、山名久氏を調略するのですね、誠意を込めて文を書きましょう」


義直将軍からの使者を受けた今川直竜は、逆撃を防ぐ為に国境の城砦に十分な手配りをした。その上で軍勢を整えて、一気に因幡国衆を先鋒に伯耆国に攻め込んだ。

伯耆国の国衆・地侍には前もって十分な調略をしていたので、よほど忠誠心の強い者以外は諸手を上げて迎えた。東伯耆の盟主的な南条元続を中心に、小鴨元伴や小森方高・山田重直といった者達が続々と幕府の幕下に入るべく参集した。

破竹の勢いで東伯耆から西伯耆に入った直竜軍は、米子城を拠点にして毛利に忠誠を誓う杉原盛重が籠城する尾高城を包囲した。本来尾高城と周辺の領地は行松家のものだったが、行松正盛が死んだ後は杉原盛重に横領されていた。

行松正盛の遺児・九郎二郎・十郎二郎は行松家の一族一門譜代衆の勧めを受けて、直竜軍の調略に応じて内応した。その御蔭もあって殆ど損害を出す事無く尾高城は落城し、九郎二郎・十郎二郎は幕府の御墨付きを受けて尾高城主となった。

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