女将軍 井伊直虎
第87話但馬攻防・美作侵攻
1569年『近江・観音寺城』今川義直・直虎
「母上様、山名祐豊には出石郡を安堵すればよろしいですか」
「はい、それくらいが妥当でしょう、ですが子弟を取り立てて、何時でも家中を割ることが出来るようにしましょう」
「垣屋続成にも気多郡を安堵するとして、子弟を取り立てて幕府の直臣に取り立てます」
「そうしてください、太田垣輝延・田結庄是義・八木豊信にはそれぞれ1000石を残して、本人を人質として観音寺城に出仕させましょう」
「将兵は子弟に率いさせるのですね」
「それと影響下にあった国衆・地侍も、幕府の役を与えて直臣に取り立てなさいませ」
「取り潰す国衆・地侍を作ってもいいのですよね」
「完全に力を失った国衆・地侍に気を配る必要はありませんが、毛利に寝返ると面倒な国衆・地侍は召し抱えてしまいなさい」
「はい分かりました、直元にはそのように伝えます」
「それと何より確保しなければいけないのは生野銀山です」
「そうですね、ですがそろそろ農繁期で国衆・地侍の半数は国元に帰さなければなりませから、私の直属足軽兵団を生野銀山確保に行かせます」
「その代わりと言っては何ですが、今回の戦で出陣しなかった国衆・地侍から農繁期動員を命じてはいかがです」
「その必要はないでしょう、それよりは次の戦いに備えて兵備を整えさせ、兵糧を備蓄させましょう」
「ならば軍費と兵糧だけ負担させてはどうです、合戦にでている国衆・地侍が不公平と思うといけません」
「そうですね、そういたしましょう」
但馬国8郡 慶長郷長石高 正保郷長石高
8郡/123,960 8郡/129,069
朝来郡 不明 20,388
養父郡 不明 20,675
二方郡 不明 7,926
七味郡 不明 6,700
気多郡 不明 17,549
城崎郡 不明 19,999
美含郡 不明 11,094
出石郡 不明 24,735
山名祐豊 :出石郡24,735の全て
太田垣輝延:朝来郡20,388の内1000石
垣屋続成 :気多郡17,549の全て
田結庄是義:城崎郡19,999の内1000石
八木豊信 :養父郡20,675の内1000石
幕府軍は、農繁期を前にして農民兵を国に帰した。だが直属の足軽兵団と、国衆・地侍でも国元に帰らなくてもいい専業武士や足軽は最前線に残った。この軍勢が境界線に居残り、常に侵攻を企てた為、因幡国の山名家と草刈家・備前国の浦上家・美作国の後藤家は、農繁期にもかかわらず全戦力を動員しなければいけなかった。
さてここで三浦貞広と言う者が出てくる。三浦家は1565年1月17日に当主・三浦貞勝(貞久の嗣子)が三村家親により自害に追い込まれた。だが今度は1566年2月に三村家親が宇喜多直家に暗殺され、貞勝の叔父・三浦貞盛が三浦氏家臣団に擁立され高田城を奪回した。だがまた1568年2月19日に攻め寄せた毛利元就により、高田城は落城し三浦貞盛は討ち死にしていた。
三浦貞広は貞久の次男で、叔父・三浦貞盛の娘を正室に迎えており、三浦家の遺臣が当主に擁立し幕府軍に援軍を要請して来たのだ。これを好機ととらえた今川義元は、農繁期で軍勢を集め難い美作国への侵攻を決断した。
「母上様、山名祐豊には出石郡を安堵すればよろしいですか」
「はい、それくらいが妥当でしょう、ですが子弟を取り立てて、何時でも家中を割ることが出来るようにしましょう」
「垣屋続成にも気多郡を安堵するとして、子弟を取り立てて幕府の直臣に取り立てます」
「そうしてください、太田垣輝延・田結庄是義・八木豊信にはそれぞれ1000石を残して、本人を人質として観音寺城に出仕させましょう」
「将兵は子弟に率いさせるのですね」
「それと影響下にあった国衆・地侍も、幕府の役を与えて直臣に取り立てなさいませ」
「取り潰す国衆・地侍を作ってもいいのですよね」
「完全に力を失った国衆・地侍に気を配る必要はありませんが、毛利に寝返ると面倒な国衆・地侍は召し抱えてしまいなさい」
「はい分かりました、直元にはそのように伝えます」
「それと何より確保しなければいけないのは生野銀山です」
「そうですね、ですがそろそろ農繁期で国衆・地侍の半数は国元に帰さなければなりませから、私の直属足軽兵団を生野銀山確保に行かせます」
「その代わりと言っては何ですが、今回の戦で出陣しなかった国衆・地侍から農繁期動員を命じてはいかがです」
「その必要はないでしょう、それよりは次の戦いに備えて兵備を整えさせ、兵糧を備蓄させましょう」
「ならば軍費と兵糧だけ負担させてはどうです、合戦にでている国衆・地侍が不公平と思うといけません」
「そうですね、そういたしましょう」
但馬国8郡 慶長郷長石高 正保郷長石高
8郡/123,960 8郡/129,069
朝来郡 不明 20,388
養父郡 不明 20,675
二方郡 不明 7,926
七味郡 不明 6,700
気多郡 不明 17,549
城崎郡 不明 19,999
美含郡 不明 11,094
出石郡 不明 24,735
山名祐豊 :出石郡24,735の全て
太田垣輝延:朝来郡20,388の内1000石
垣屋続成 :気多郡17,549の全て
田結庄是義:城崎郡19,999の内1000石
八木豊信 :養父郡20,675の内1000石
幕府軍は、農繁期を前にして農民兵を国に帰した。だが直属の足軽兵団と、国衆・地侍でも国元に帰らなくてもいい専業武士や足軽は最前線に残った。この軍勢が境界線に居残り、常に侵攻を企てた為、因幡国の山名家と草刈家・備前国の浦上家・美作国の後藤家は、農繁期にもかかわらず全戦力を動員しなければいけなかった。
さてここで三浦貞広と言う者が出てくる。三浦家は1565年1月17日に当主・三浦貞勝(貞久の嗣子)が三村家親により自害に追い込まれた。だが今度は1566年2月に三村家親が宇喜多直家に暗殺され、貞勝の叔父・三浦貞盛が三浦氏家臣団に擁立され高田城を奪回した。だがまた1568年2月19日に攻め寄せた毛利元就により、高田城は落城し三浦貞盛は討ち死にしていた。
三浦貞広は貞久の次男で、叔父・三浦貞盛の娘を正室に迎えており、三浦家の遺臣が当主に擁立し幕府軍に援軍を要請して来たのだ。これを好機ととらえた今川義元は、農繁期で軍勢を集め難い美作国への侵攻を決断した。
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