女将軍 井伊直虎

克全

第86話但馬侵攻

今川直元が今川義元の後援を受けて、一気呵成に播磨の攻略を進めたのを確認し、雪解けを待って今川直竜が但馬攻め込んだ。この頃の但馬は山名家が衰退し、山名四天王と呼ばれた、垣屋続成、田結庄是義、八木豊信、太田垣輝延が独立色を強め相争っていた。

但馬の国衆・地侍達は、毛利元就の後見を受けている毛利輝元に属するのか、新将軍・足利義直に属するのか、命懸けの選択を迫られていた。敵対関係にある国衆・地侍が先に去就を決めてしまった場合、不本意な方に味方する羽目にもなりかねず、長く考える時間もなかった。

最終的に山名祐豊は、但馬国守護代・気多郡鶴ヶ峰城主・垣屋続成・光成親子の説得を受けて、義直将軍に味方することにした。もちろん先に義直将軍の幕府水軍に帰順していた、奈良水軍・奈良宗孟の説得も大きかった。

垣屋続成が先に義直将軍に味方することに決めた為、本当は義直将軍に味方したかった田結庄是義だが、垣屋続成の勢力下にある美含郡の併合を狙っていたため、毛利家の味方することにした。同じく領地争いの関係と阿波公方の調略により、養父郡八木城主・八木豊信と朝来郡竹田城主・太田垣輝延が毛利に味方することになった。

だが毛利も九州で合戦をしており、大友宗麟が大内輝弘に若林鎮興らの大友水軍を付けて、密かに海上から周防国秋穂に上陸させた。大内輝弘が周防国に入ると、毛利家の支配に抵抗する大内家の遺臣がこれに呼応して蜂起した。周防国の毛利軍は、大半が北九州に上陸して戦ってたため苦戦を強いられてしまった。しかし高嶺城を守る市川経好夫人が少ない城兵を指揮して徹底抗戦したため、輝弘は山口の大内氏別邸築山館に入るに止まり、山口を完全に占領することができなかった。

輝弘の攻撃を知った毛利元就は北九州攻略を諦め、即座に軍を返して吉川元春と小早川隆景率いる精鋭を周防国に向かわせた。輝弘はその報を受けると山口での抵抗を諦め、海路での脱出経路を探るべく海沿いへ脱出するが、追撃が厳しく富海の茶臼山で自害してしまった。しかし元就は九州から素早く撤退するために、富の源泉である博多や北九州の毛利方の諸城の大友家に奪還されてしまっていた。

この状況下で尼子勝久が隠岐国から出雲国に入り、尼子家の旧臣の支援を得て出雲新山城に入城。月山富田城奪還を目論んで戦っていた。とてもではないが、但馬に援軍を送る余裕などなかった。

そうなると但馬国の石高12万石で動員できる兵力は、後先考えない根こそぎ動員をしても6000兵が限界である。だが但馬守護・山名祐豊と守護代・垣屋続成が義直将軍に味方している以上、実際に動員できるのは4000兵に満たなかった。

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