女将軍 井伊直虎

克全

第80話摂津攻防

三好宗渭が戦線から無断撤退したことで、直竜と対峙していた三好長逸の雑兵どもは恐怖した。そして命が惜しくなって銘々勝手に逃亡を始めてしまい、俗に言う友崩れや裏崩れに近い状態陥ってしまった。この状態を歴戦の国衆・地侍が見過ごすはずもなく、海岸線に分派された直竜勢は、一気呵成に大和川を渡って追撃をした。

三好長逸も歴戦の武将だけあって、この状態に陥ったことで生き残ることに全力を傾けた。特にこの危機的状況に追い込んだ三好宗渭を心底憎み、咄嗟に報復するための逃亡路を選んだ。三好長逸が選んだのは、三好宗渭を追って真っ直ぐ榎並城に向かう道だった。三好長逸は直竜勢を榎並城に誘導し、阿波から行動を共にしている三好譜代衆と共に、榎並城には入らず城の横を突き進んで播磨方面に逃亡した。

この状況となって、今度は一向宗を蹴散らして榎並城に入った三好宗渭が危機に陥った。一向宗と直竜勢海岸方面軍が、榎並城を十重二十重と囲んで、蟻一匹這い出る隙間もない状態に追い込んだ。

榎並城は直ぐに落ちなかったものの、三好宗渭と三好長逸が敗れたことは瞬く間に摂津中に広まった。特に動揺が走ったのは、今川義元と対陣していた岩成友通の軍勢だった。雑兵達が次々と逃げ出し、瞬く間に戦線を維持することが不可能になり、岩成友通と旗本達は義元が攻撃を始める前に逃げ出した。

畿内で三好長慶に取り立ててもらった岩成友通には、阿波に帰る所もないので、唯一忠誠を示してくれる池田勝正の池田城へ逃げ込んだ。しかしここまで状況が悪化したことで、他の畿内登用組が寝返りを考えだした。このまま岩成友通と行動を共にして滅ぶほど、戦国時代の武将は潔くもなければ馬鹿でもない。どれほど悪し様に罵られようと、所領を守り生き残る道を探すのだ。


1568年『近江・観音寺城』今川義直・直虎

「母上様、本当にあれでよかったのでしょうか」

「御隠居様の為される事です、心配はいりません」

「しかしあのような裏切り者を重用したくはありません」

「それを口にするのは、母と御隠居様の前だけにするのですよ、三河・尾張・美濃・近江と公方様に寝返り仕える者は多いのですよ」

「心得ております、最初は母上様の白拍子や歩き巫女、井伊や新野・関口の親戚衆しか味方はいませんでした。他の者は大なり小なり、元の主君を裏切って私に仕えてくれています」

「池田城を内から開いた者も、榎並城を内から開いた者も、皆所領や一族一門を守らなければならないのです」

「はい、母上様」

「公方様が忘れてはいけないのは、家臣達に裏切られるような状況を決して作らないということです」

「はい、恩を仇で返すような者を登用したりはしませんし、怨みを受けるような政はいたしません」

「それと無暗に戦に出ない事です、戦場を知らないのは問題ですが、公方様は既に戦場を十分知っておられます」

「はい、母上様」

「古の鎌倉殿のように、公方様は近江にあって、弟や臣下を差配して政を為されませ」

「はい、母上様」

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